華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録

倒閣の志士たちの御面相は、邪気芬々の悪相揃い!…「誠」の道に違わぬ愛国者たちは良いお顔

倒閣の志士たちの御面相は、邪気芬々の悪相揃い!

…「誠」の道に違わぬ愛国者たちは良いお顔



昨年来の陸上自衛隊南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報隠蔽問題や、
本年2月以降の所謂森友学園問題、加計学園問題での国会中継、また、沖縄での
普天間基地・辺野古移設問題で、高江のヘリパッド建設工事反対運動を報道した、
東京MXテレビの番組、第91回「ニュース女子」への故無き批判等々に関連し、
ニュース番組、ワイドショー等の映像を、インターネットの動画投稿サイトや
テレビで観る機会が増えた。

その都度、安倍晋三総理大臣批判を執拗に繰り返す国会議員やジャーナリスト、
政治評論家たちの御面相を観るに付け、邪気を芬々と発散する、その悪相振りには
ほとほと辟易させられ、甚だ気分が悪く成る。
0050 (2)


7月10日、所謂加計学園問題に関し、衆参両院の閉会中審査で、官邸の関与を
主張する、前川喜平前文部科学事務次官と、旧文部省OBで、愛媛県今治市への
獣医学部誘致を推進した、加戸守行前愛媛県知事が参考人として席を並べた。
この国会中継の様子を、観る者が観れば、事の真偽の程は一目瞭然、白黒明確に
決着が付いたと言える。
「行政が歪められた」と言う主張と、「否、むしろ、歪められた行政が正されたのだ」
という主張、御両名の口述内容の評価に依る事は勿論の事、その顔相に
「どちらが正義か」、その「神なるものからのサイン」が明瞭に表われていた。
インテリパンダ (2)


第97記事3
※画像は、産経ニュース様のHP依り、拝借。


自由民主党の石破茂氏、村上誠一郎氏等々。

民進党衆議院議員の
玉木雄一郎氏、福島伸享氏、緒方林太郎氏、後藤祐一氏、山井和則氏、
山尾志桜里氏、辻元清美氏、安住淳氏、階猛氏、岡田克也氏等々。

民進党参議院議員の蓮舫氏、小西洋之氏、小川敏夫氏、有田芳生氏、
白眞勲氏、杉尾秀哉氏、福山哲郎氏等々。

社会民主党参議院議員の福島瑞穂氏等々。

自由党の参議院議員の森裕子氏、山本太郎氏等々。

日本共産党の参議院議員の志位和夫氏、小池晃氏等々。

ジャーナリストや活動家では、
田原総一朗氏、池上彰氏、後藤謙次氏、伊藤惇夫氏、金平茂紀氏、岸井成格氏、
青木理氏、望月衣塑子氏、金慶珠氏、辛淑玉氏、山城博治氏、野間易通氏、
安田浩一氏等々。

上記の人々の御面相を拝見するに、只ならぬその悪相振りは、単なる私の主観に
依る評価というよりは、むしろ限り無く客観的事実に近いと断言して良い程である。
イッシッシ


人相とは本来、骨相、体相、顔相、手相などを含む総称であるが、現在では、
殆どが「顔相」を指し、占術としての人相学は別名、観相学とも呼ばれる。

この稿で述べるところの顔相(面相)とは、例えば、「四白眼の人は、残虐で
残忍」であるとか、「額の生え際が極端に乱れているのは、悪人、反逆の相」、
「話す時に、口角の上下する人には、虚言癖の人が多い」等という先天的な
形状からの観相学上の観方、判断を指すものではなく、その対象の精神の在り様が、
変化し行くその一瞬一瞬に顕在化し、顔相に表現される、可視化された「気」、
「サイン(徴)」の様相を意味する。
「相」と実体は密接不可分な相関関係にあり、正に対象の「御魂(みたま)は
見たまんま」であり、誰人もその「直観」、「直覚」「感性的知覚」で、対象の
内面的な本質が感受出来る様に成っているものである。
「ブス」だの、「イケメン」だのという、先天的な造作の次元の問題ではないのである。

理性的な推理や判断が入る以前の段階で、「好いな、この人」とか、「この人、何かなぁ」と
直接的に感受する、その第一印象は本質の直観であり、その認識能力は大概、
的を射ているものである。


第97記事1
※画像は、我那覇真子様のツイッター依り、拝借。


神徒が祈りを捧げる際に唱える大和言葉の祝詞(のりと)である、神棚拝詞や
神社拝詞(一例)の一部に、
『大神等の広き厚き御恵を辱み奉り、高き尊き神教のまにまに、
直き正しき真心持ちて、誠の道に違うこと無く、負い持つ業に励ましめ給ひ、
家門高く、身健やかに、世の為人の為に、尽くさしめ給えと 恐み恐みも白す』
(文責在詠山史純)という文言がある。

「現代語訳」
『神々の広く厚い御恵みを勿体無く思い、高く尊い神の教えの通り、
素直で正しい真心に依って、人の道を踏み外すことなく、目分たちが、
従事する勤めに励むことが出来ます様に、また、家が栄え、家族も健康で
世の為、人様の為に尽くさせて下さいませと、謹んで申し上げます』
(文責在詠山史純)

この「直き正しき真心持ちて、誠の道に違うこと無く(素直で正しい真心に
依って、人の道を踏み外すことなく)」という平明な表現は、日本精神の神髄を
言い当ててもいる。
「誠」とは、「偽」の対語で、「嘘、偽りの無い言行」を意味する。
我が国の古代人が語った言葉「まこと」とは、「真事」(本当の事)、「真言」
(真実の言葉)を意味し、漢字「誠」を「まこと」と訓じた。

この「真事」(本当の事)、「真言」(真実の言葉)は神明に照らされて、
人の顔相に表われ、その真偽、正邪が明らかに成る。
神明は誤魔化せぬものである。


第97記事2
※画像は、言論テレビ「櫻LIVE」様のHP依り、拝借。


DHCテレビ「真相深入り!虎ノ門ニュース」レギュラーメンバーの
青山繁晴氏、百田尚樹氏、井上和彦氏、ケント・ギルバート氏、上念司氏、
半井小絵氏、有本香氏、竹田恒泰氏、小川榮太郎氏、武田邦彦氏、大高未貴氏
須田慎一郎氏、居島一平氏。

「言論さくら組」メンバーの
櫻井よしこ氏、杉田水脈氏、田北真樹子氏、我那覇真子氏、鈴木くにこ氏、
半井小絵氏、葛城奈海氏、大高未貴氏、瀬尾友子氏。

ジャーナリストの
吉木誉絵氏、高山正之氏、西村幸祐氏、渡邉哲也氏、石平氏、上島嘉郎氏等々。

捏造や謀略で、大衆の世論誘導を繰り返す、倒閣運動の志士たちの邪気芬々の
悪相に振りに比して、「直き正しき真心持ちて、誠の道に違うこと無く」
正々堂々と正義の論陣を張る愛国者たちの顔相の、何と晴れやかなことか。
可愛い拍手


相術遣いならずとも、誰人も自らの「直観」で、「神なるものからのサイン」を
感受し、その対象の真偽、正邪が判る様に成っている。
個々人が醜悪な反日マスメディアのデマゴギー(事実と反する煽動的な宣伝)を
洞察し、我らが愛しき此の御国を護り抜きたいものである。
振り向いてニヤリ!






スポンサーサイト

2017/07/20 13:08 | 現代社会雑感COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

社名(商号)変更の歴史夜話(60)…㈱マンダム

社名(商号)変更の歴史夜話(60)

…㈱マンダム



我が国では1980年代、社名(商号)を変更する企業が急激に増加した。
「早稲田商学」357号(1993年7月)所収論文「社名変更に対する株式市場の反応」
の研究に依れば、「1981年4月から1992年3月までに,東証1部上場企業で
社名を変更した企業は175社に及ぶ」とのことである。

企業は様々な理由で、社名を変更する。
社名変更の主な理由としては、「事業の多角化や業態の変更、事業領域の拡大」、
「合併や吸収」、「略称や通称への変更」、「ブランド名への変更」、「イメージ刷新」、
「系列や傘下入り」等が挙げられる。
何れにせよ、企業は経営全般の革新、イメージの向上、社内の活性化など、
何らかのプラス効果を期待し、社名変更を行なうはずである。

相と実体は相関関係にあり、人物の名相にその後天運が暗示されている様に、
会社名(法人名、商号、屋号)の名相にも、その企業の栄枯盛衰の有り様が
暗示されている。
不思議なもので、成功する企業は自ずと吉祥名を選定する様になっている。



㈱マンダム

昭和2年(1927年)、大阪で輸入雑貨品販売をしていた大崎組商会の倒産後、
その後継として、「金鶴香水(きんつるこうすい)株式会社」を設立。


第96記事金鶴香水
※画像は、㈱マンダム様のHP依り、拝借。


昭和8年(1933年)、整髪料「丹頂チック」を発売。
一世を風靡する大ヒット商品となる。

昭和34年(1959年)、「丹頂株式会社」に社名変更。


第96記事丹頂チック
※画像は、㈱マンダム様のHP依り、拝借。


昭和38年(1963年)、㈱資生堂が男性用化粧品MG5シリーズを開始し、
昭和44年(1969年)にはMG5がフルラインナップ化されたことに依り、
丹頂㈱はシェアを奪われ、一時、倒産寸前にまで追い込まれる事態に至った。

昭和45年(1970年)、「マンダム」シリーズを発売。

MG5の都会的でスタイリッシュなイメージに対抗し、男らしさを象徴する、
武骨なイメージのハリウッドスター、チャールズ・ブロンソン氏を
イメージキャラクターに起用するというイメージ戦略が功を奏し、「MG5」に
奪われたシェアの奪回に成功。

昭和46年(1971年)、「株式会社マンダム」に社名変更。


第96記事ph003
※画像は、㈱マンダム様のHP依り、拝借。

第96記事mandom_2
テレビCMでのチャールズ・ブロンソン氏の台詞「う~ん、マンダム」は
一躍、当時の流行語となる程迄にインパクトが大きかった。
※画像は、米国ブログ「Blogfoot」様依り、拝借。



テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2017/07/17 04:37 | 企業運命学COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

社名(商号)変更の歴史夜話(59)…森下仁丹㈱

社名(商号)変更の歴史夜話(59)

…森下仁丹㈱



我が国では1980年代、社名(商号)を変更する企業が急激に増加した。
「早稲田商学」357号(1993年7月)所収論文「社名変更に対する株式市場の反応」
の研究に依れば、「1981年4月から1992年3月までに,東証1部上場企業で
社名を変更した企業は175社に及ぶ」とのことである。

企業は様々な理由で、社名を変更する。
社名変更の主な理由としては、「事業の多角化や業態の変更、事業領域の拡大」、
「合併や吸収」、「略称や通称への変更」、「ブランド名への変更」、「イメージ刷新」、
「系列や傘下入り」等が挙げられる。
何れにせよ、企業は経営全般の革新、イメージの向上、社内の活性化など、
何らかのプラス効果を期待し、社名変更を行なうはずである。

相と実体は相関関係にあり、人物の名相にその後天運が暗示されている様に、
会社名(法人名、商号、屋号)の名相にも、その企業の栄枯盛衰の有り様が
暗示されている。
不思議なもので、成功する企業は自ずと吉祥名を選定する様になっている。



森下仁丹㈱

明治26年(1893年)、森下博氏が大阪市で、薬種商「森下南陽堂」を創業。

明治33年(1900年)、笹川三男三(ささがわみおぞう) 医学博士の処方に依る
梅毒薬「毒滅」を発売。
梅毒が猛威を振るっていた当時、このプロイセン宰相ビスマルクを商標にした
梅毒薬「毒滅」は画期的な新薬として注目され、この成功で「森下南陽堂」の
販売業績が軌道に乗り始めたという。

明治38年(1905年)、「森下博薬房」と改称。
懐中薬「仁丹」(赤大粒)を発売。


第95記事1
※画像は、森下仁丹株式会社様のHP依り、拝借


大正10年(1921年)、梅毒薬「毒滅」を処方した笹川三男三博士は、
北里柴三郎博士、体温計製造の竹内製作所社長竹内英二氏らと共に、
「赤線検温器株式会社」(現在のテルモ株式会社)を設立。

大正11年(1922年)、森下博氏は、「赤線検温器株式会社」が体温計
「赤線検温器」を発売するに当たり、出資。

因みに、「赤線検温器」は、昭和11年(1936年)に「仁丹体温計」と改称し、
更に昭和38年(1963年)、「仁丹テルモ」と改称。
「テルモ」の名は、ドイツ語で体温計を意味する「テルモメーター」
(Thermometer)に由来するという。


昭和2年(1927年)、「赤小粒仁丹」を発売。

昭和4年(1929年)、「銀粒仁丹」を発売。

昭和11年(1936年)、「森下仁丹株式会社」を設立。


第95記事明治40年1907年大阪駅前の大広告塔
明治40年(1907年)大阪駅前の大広告塔
※画像は、森下仁丹株式会社様のHP依り、拝借


創業者の森下博氏は、類い稀なる優れた発想力や天性の事業手腕、管理能力、
成功運に恵まれた人物であったに違いない。
「仁丹といえば広告」との定評がある程に、明治年間の「森下博薬房」時代から、
瞠目すべきダイナミックな広告宣伝戦略を展開し、その販売方式もまた、実に
ユニークであった。

薬種商「森下南陽堂」創業当時、25歳の若き森下博氏は事業の基本方針として、
①原料の精選を生命とし、優良品の製造販売。
② 進みては、外貨の獲得を実現し、
③広告による薫化益世を使命とする。
との3ヶ条を掲げたという。
如何にも、明治青年の清新な気概が迸っているかの様である。

この3条目の「広告による薫化益世を使命とする」の条であるが、企業が
営業利益を追及する為の広告宣伝を、尚且つ「世を益する」こととして、
具体的に実践するのは難しい。

しかし、優れたアイデアマン率いる「森下南陽堂」「森下博薬房」「森下仁丹」は、
奇想天外な方法でこれを遣って退けたのである。

明治40年(1907年)、大阪駅前にイルミネーションで飾られた大広告塔を
建築したが、これは都市の新名所作りをも意図したものであるという。
その後、順次、他の都市でも大広告塔が造られた。

明治43年(1910年)、当時、町名の表示板が無く、来訪者や郵便配達人でさえもが
道に迷い、苦労していた事情に鑑みて、大礼服マークの入った仁丹町名看板を
掲げ始めたという。
大阪、東京、京都と、先ずは都市部から掲示を始め、やがて、この仁丹町名看板は
全国津々浦々にまで行き渡ったという。

大正3年(1941年)、「天は自ら助くる者を助く」等、5000種もの古今東西の金言を
新聞広告や電柱広告、看板などに書き込んだ「金言広告」を開始し、学校等から
感謝状を寄せられる程、世に好評を博したという。


第95記事1910年頃仁丹町名看板
明治43年(1910年頃)「仁丹町名看板」
※画像は、森下仁丹株式会社様のHP依り、拝借


「広告益世」の事例ではないが、「森下南陽堂」「森下博薬房」「森下仁丹」の
主力商材は安価で小粒なのにも拘わらず、広告戦略、販売戦略の視野が広く、
とにかくスケールが大きい。

1900年(明治33年)、梅毒薬「毒滅」の発売に当たっては、森下博氏は
家財の一切を広告費に注ぎ込み、日刊紙各紙に全面広告を出し、更に全国の
街角の掲示板にポスターを貼り出したという。


「仁丹」の販売に際しては、全国の薬局に突き出し屋根看板や幟、自動販売機に
至る迄を設置し、日刊紙各紙に全面広告を連続掲載した。
その結果、「仁丹」は発売僅か2年で、売薬の売上高第1位を達成したという。


明治38年(1905年)の「仁丹」発売開始の僅か2年後、明治40年(1907年)には、
「森下博薬房」に輸出部が開設され、海外市場開拓作業が開始された。
販売委託した先方に「仁丹」を送付する、通信委託販売システムが考案され、
海外市場開拓の手始めに、明治41年(1908年)には、中国全土4000ヵ所の
郵便代弁処(郵便局)に「仁丹」の現物と宣伝ビラを小包で送り、委託販売を依頼。 
天津、漢口、上海には出張所を開設。

明治44年(1911年)にはインド、大正4年(1915年)にはインドネシア、
ハワイ、チリ、その後も順次、タイ、フィリピン、シンガポール、マレーシア、
エチオピア、モンバサ、ウガンダと南米やアフリカに至る迄、輸出されたという。


第95記事大正6年1917年仁丹金言看板
大正6年(1917年)「仁丹金言看板」
※画像は、森下仁丹株式会社様のHP依り、拝借


大正11年(1922年)、「赤線検温器」(体温計)発売開始当初、「売薬屋の体温計」と
揶揄され、売上げ不振であった状況を打開する為に採った販売方法が非常に
大胆であった。
全国8万3千人に直接、「赤線検温器」を送り付け、不要な場合は返品して貰う
というダイレクトセールスを行なって、次第に業績を上げて行ったとのこと。
半ば押し売りに近い強引さであるが、商材の品質に自信があったのであろう。


昭和4年(1929年)10月24日(暗黒の木曜日)のニューヨークウォール街での
株の大暴落に端を発する昭和恐慌をも創意工夫で乗り切った「森下仁丹㈱」は、
戦時中の昭和17年(1942年)、「仁丹」の生産実績で1,300万円を超え、
医薬品業界のトップになったという。


第95記事2
「仁丹」と言えば、携帯性やデザイン性、時代性を考慮した、
弛まぬ新容器開発の努力もその特徴に挙げられる。
※画像は、森下仁丹株式会社様のHP依り、拝借



テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2017/07/16 02:25 | 企業運命学COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

社名(商号)変更の歴史夜話(58)…わかもと製薬㈱

社名(商号)変更の歴史夜話(58)

…わかもと製薬㈱




我が国では1980年代、社名(商号)を変更する企業が急激に増加した。
「早稲田商学」357号(1993年7月)所収論文「社名変更に対する株式市場の反応」
の研究に依れば、「1981年4月から1992年3月までに,東証1部上場企業で
社名を変更した企業は175社に及ぶ」とのことである。

企業は様々な理由で、社名を変更する。
社名変更の主な理由としては、「事業の多角化や業態の変更、事業領域の拡大」、
「合併や吸収」、「略称や通称への変更」、「ブランド名への変更」、「イメージ刷新」、
「系列や傘下入り」等が挙げられる。
何れにせよ、企業は経営全般の革新、イメージの向上、社内の活性化など、
何らかのプラス効果を期待し、社名変更を行なうはずである。

相と実体は相関関係にあり、人物の名相にその後天運が暗示されている様に、
会社名(法人名、商号、屋号)の名相にも、その企業の栄枯盛衰の有り様が
暗示されている。
不思議なもので、成功する企業は自ずと吉祥名を選定する様になっている。



わかもと製薬㈱

昭和4年(1929年)、東京市芝公園大門に長尾欽弥氏らが
「合資会社 栄養と育児の会」を設立。

東京帝国大学農学部の農芸化学者沢村真博士の協力を得て、ビール酵母を
単一で製剤化した、初めての家庭薬である「若素(わかもと)」を発売。
商品名「若素(わかもと)」は、「若さの素」を意味する。

昭和6年(1931年)、「若素」を「わかもと」と、ひらがな表記に変更。

昭和8年(1933年)、「株式会社 栄養と育児の会」を設立。

昭和18年(1943年)、「わかもと製薬株式会社」に社名変更。


第94記事1
戦前の「わかもと」
※画像は、一般社団法人北多摩薬剤師会様のHP依り、拝借。


昭和37年(1962年)、乳酸菌数を増量し、ビタミンB1、B2、ニコチン酸アミド、
ビール酵母等を強化充実させた「強力わかもと」を発売。

平成16年(2004年)、「強力わかもと」は医薬品から医薬部外品へと移行。


国民の栄養状態が極めて悪かったという昭和初期、栄養補給を主目的とした
ビール酵母単一製剤を安価な大衆保健薬として誕生させ、順次の改良に依って、
発売当初の「わかもと」よりも一層強力な、一剤で酵母剤、酵素剤、乳酸菌剤、
栄養剤の働きを併せ持つ、安価な胃腸薬を国民に提供した社会的功績は大きい。





テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2017/07/15 02:29 | 企業運命学COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

甚だ気になる漢字「官」の誤用②…神官

甚だ気になる漢字「官」の誤用②

…神官



私たち日本人でも、神社をお護りする神職員を何とお呼びしたら良いものか、
神主(かんぬし)さん、或いは宮司(ぐうじ)さんとお呼びするのは正しいので
あろうかと迷うことはなかろうか。
「神主」には「神憑りに於いて、ご神意を人に伝える媒介者」との意味合いがあり、
「宮司」は「神社の長(おさ)」という職階を意味し、神社の規模に依っては、
宮司の許に「権宮司(ごんぐうじ)」「禰宜(ねぎ)」「権禰宜(ごんねぎ)」等の
職階の方々が居らっしゃる。
従がって、神社で神々にお仕えする職員を総称して、「神職(しんしょく)」と
お呼びするのが適当であろうと思われる。
この神職の呼称に関して、私が極めて驚くべき現象であると考えるのが、
「神官(しんかん)」という呼称が現在でも用いられていることである。


第92記事1


律令体制下に在った我が国の古代、7世紀頃から、朝廷の宮中祭祀や神社の管理は
「神祇官(じんぎかん)」という官庁の高級官僚に依って行なわれていた。
長官である神祇伯、次官相当の神祇副、その下位に神祇祐、神祇史、伴部
(神部、卜部)等の役職が置かれていた様であるが、これ等の祭祀貴族は
当に「神官」であった。

因みに、「神祇」とは「天神地祇(てんじんちぎ)」の略で、「神」は天津神
(あまつかみ)である「天神」を、「祇」は国津神(くにつかみ)である「地祇」
を表わし、全ての神々を意味する。


平安時代にまで時代を遡るが、神社にはそれぞれ、定められた社格(神社の格式)と
いうものがある。
朝廷から幣帛(へいはく=神への捧げ物)が奉献される神社を「官社」と称し、
その内、神祇官が管轄する神社が「官幣社(かんぺいしゃ)」で、国司(中央から
派遣された地方の行政官)が管轄する神社を「国幣社(こくへいしゃ)」と称する。
平安時代に定められた「延喜式神明帳」に依れば、神祇官管轄下の官幣社は
573社、国司管轄下の国幣社は2288社、計2861社の官社が在った。
因みに、この延喜式神明帳に記載された2861社の神社を「式内社(しきないしゃ)」と称する。
当然の事ながら、我が国第一の宗廟たる神宮(伊勢神宮の正式名称は「神宮」である)は
天下無双の聖地、最高位の神社として、別格扱いである。


第93記事2平城宮跡第一次太極殿正殿
平城宮跡第一次太極殿正殿
※ 画像は、文化庁様のHP依り、拝借。


明治元年(1868年)、明治維新で新政権を樹立した明治政府は、神仏分離令を布告。

明治2年(1969年)、明治新政府は、神道を国家統合の精神的支柱にすべく、
古代に於いて、朝廷の宮中祭祀や神社管理を司っていた神祇官制度を約1000年振りに
復活させた。

明治4年(1871年)、官職のトップに在った神祇官を廃止し、太政官所管の
神祇省とした。

明治5年(1872年)、神祇省を半年で教部省と改称。

明治15年(1881年)、明治政府に依り、神官は祭祀以外の一切の宗教活動を
禁じられる。
神道は宗教を超えた、民族の伝統精神の根幹として、神社神道は国家の宗祀と
位置付けられ、内務省の管轄下に置かれた。所謂、国家神道なるものである。

国家管理体制下の神社は、社格を「官社(官幣社、国弊社)」と「諸社(府県社、
郷社、村社、無格社)」に分類された。

全ての神社は国家及び地方公共団体の管理下に置かれ、官社は神祇官の管轄下、
「民社」である諸社は地方官の管轄下に在り、官社の神職は国家公務員、諸社の
神職は地方公務員扱いであった。
従がって、官社に奉職する神職は、当に「神官」と称すべき存在であった。


第93記事1


大東亜戦争敗戦の年、昭和20年(1945年)の12月、占領軍のGHQ(連合国軍
最高司令官総司令部)の命令、「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、
保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(所謂、神道指令)に依って、国家管理の
神社制度が崩壊。
こうした経緯から、神社は国家管理から解き放たれ、一般の宗教法人として、
扱われることになった。
従がって、昭和20年(1945年)12月以降の我が国には、「神官」は一人として
存在しないのである。

戸籍法 第十五節「氏名の変更 」第百七条の二に、
「正当な事由によつて名を変更しようとする者は、家庭裁判所の許可を得て、
その旨を届け出なければならない」とある。
家庭裁判所が、この名の変更の許可要件である「正当な事由」を判定する場合、
「昭和23年1月31日民甲第37号最高裁民事部長回答」が現在でも有効であるが、
この中で挙げられている具体例の一つに、「『神官』若しくは僧侶となるため、
又はこれを辞めるために名の変更が必要であること」という記述がある。
この最高裁判所民事部長の回答は、昭和23年(1948年)1月に示されたものであり、
GHQの神道指令が発令され、国家管理の神社制度が崩壊し、「神官」と称すべき
神職が存在しなくなった、昭和20年(1945年)12月以降の文書である。
「神官」という言葉は、法律用語に厳正である法曹界の秀才でさえもが、
ついうっかり用いてしまう程に誤用が多い。
最近では、或る国会議員の「〇〇神社の神官が云々」との発言を聞いて、
驚き入った次第である。


第92記事4 

漢字「官」の乱用の甚だしき言語状況には、実に驚くべきものがある。


テーマ : 漢字 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2017/07/12 08:10 | 現代社会雑感COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

 | BLOG TOP |  NEXT»»