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米軍日系二世部隊の輝ける武勲と朝鮮系帰化人の醜悪なる反日活動

 2017-04-09
米軍日系二世部隊の輝ける武勲と
朝鮮系帰化人の醜悪なる反日活動


…彼らの祖国は一体、何処なのか?



第二次世界大戦時、日系二世部隊である第100歩兵大隊(100th Infantry Battalion)、
第442連隊戦闘団(442nd Regimental Combat Team)は、ヨーロッパ戦線を果敢に
戦い抜き、アメリカ陸軍史上、最強の部隊と謳われる。
(1944年6月、第100歩兵大隊は第442連隊戦闘団に第一大隊扱いで編入された)

太平洋戦線に於いて、対日諜報戦を戦ったアメリカ陸軍情報部MIS
(Military Intelligence Service)日本語学校(MISLS)の語学要員部隊も直接、
日本軍と銃火は交えずとも、第100歩兵大隊、第442連隊戦闘団の勇士達と同様、
祖国アメリカ合衆国に忠誠を尽くし、父祖の祖国日本を敵国として、英雄的な
戦いを見事に繰り広げた。


第36記事1第442連隊戦闘団


第100歩兵大隊を含めた第442連隊戦闘団の累積死傷率320%は、米陸軍部隊史上、
第1位である。
約1400名の第100歩兵大隊は900名以上の死傷者を出し、第442連隊戦闘団に編入され、
その後、第442連隊戦闘団は約680名が戦死、不明67名、負傷9486名の凄まじい
犠牲を払ったのである。
第100歩兵大隊を含めた第442連隊戦闘団の個人叙勲総数は1万8000個で、
米陸軍部隊史上第1位である。

「大統領部隊感状」は7度で、米陸軍部隊史上、最多受賞部隊である。
7度目の「大統領部隊感状」は米陸軍史上初めて、トルーマン大統領が自らの手で
連隊旗に取り付けたのであった。
アメリカ陸軍では、彼ら日系二世部隊第442連隊戦闘団の歴史を学ぶ授業は、
必修課程となっているという。


第36記事2


特筆すべきは第二次世界大戦中、彼ら日系二世部隊兵士の家族は、財産没収の上、
12万人が全米10ヶ所に設置された日系人強制収容所に収容されていたことである。
この措置は、1942年2月19日、偏狭な人種差別論者で、特に日本を蔑視していた
フランクリン・ルーズベルト大統領が大統領令№9066に署名し、裁判所や公聴会の
承認を得る必要無く、特定地域から日系人を排除出来るという絶大な権限を陸軍に
与えたことに依る。

彼ら日系人は祖国アメリカ合衆国から、敵性外国人として扱われ、強制収容所に
隔離されるという屈辱の中、自分達が祖国に忠誠を尽くすアメリカ人であることの
証を立てるべく、父祖から受け継いだ大和魂を奮い起こし、勇猛果敢に戦ったのである。
我ら日本人からすれば、日独伊の枢軸国と戦った彼ら日系二世部隊は敵国の
兵士達であった訳であるが、身命を賭して、祖国アメリカ合衆国に忠誠を尽くした
彼らを、同じ民族の血を引く者として、私は誇りに思うのである。


第36記事3


翻って、我が国に於いては特に政界、報道界、放送界等で、日本国籍を取得しながらも
只管、我が国を貶めんと反日工作に勤しむ朝鮮系帰化人、支那系帰化人の多きことよ。
我が国の国会でありながら、朝鮮系帰化人、支那系帰化人の議員連中の発言には、
「日本」の国名は一向に出て来ぬ癖に、予算委員会でも一人の質問時間内に10回も
20回も「お隣の韓国が…」「お隣の中国が…」との言葉が登場する有様である。

彼らには、我が国に帰化しながらも、祖国は日本という意識が無いのであろう。
帰化した以上は、日本国に忠誠を尽くすべきとまでは考えないが、せめて、
我が国の国益を害する行動だけは差し控えて貰いたいものである。
我が国に帰化せず、在日外国人の身のままであれば、幾ら反日活動を行なおうが、
それはそれで、己が祖国の為の行動であるからして、理に適っていることにはなる。

我が国の近現代史に於ける最大の過ちは就中、朝鮮人、支那人と深い関わりを
持ったことにある。
そして、大東亜戦争の敗戦から今日に至るまで、その教訓は生かされていない。




バナー用二世部隊

「ジャップとは呼ばせない! …米陸軍日系二世部隊 忠誠の証」
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-68.html



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節分の鬼は悪者か?…神道的感性から推察するに…

 2017-02-03
節分の鬼は悪者か? 

…神道的感性から推察するに…



現代では、「節分」は「立春の前日」を指し、2月3日(立春が2月4日)に
来ることが多いが、2日や4日の年もある。
節分とは本来、四季の始まりを表わす立春、立夏、立秋、立冬、それぞれの
前日を指していた。
旧暦(太陰太陽暦)を用いていた時代には、春を年の初めとするサイクルで
考えられ、立春を一年の最初の日、その前日の節分を一年の最終日と捉えて
いたので、正月は立春であった。
やがて、1月の満月の現われる日、新月から数えて15日目の1月15日を正月と
するようになり、更に新月の現われる日、1月1日を正月とするようになった。
このように、正月が立春、小正月、大正月へと変遷して来たことに依って、
元来は同日に行われていた正月行事の事々が、分散したであろうことが推察される。

因みに、明治5年(1872年)、明治新政府は「明治五年十二月三日を以って、
明治六年一月一日とする」という太政官布告を発布し、天保13年(1842年)
に加えた修正に依って、天文学的にも世界で最も正確な暦となった太陰太陽暦の
和暦を、太陽暦の西暦に転換することになった。
東アジア諸国では旧暦で正月を祝うのが一般的で、太陽暦で正月を祝う我が国は
例外的である。


第31記事1
「フリーランスWebデザイナーのリアル」様のHP依り、
フリーイラスト画像を拝借。


節分の風習としての「豆撒き」は、地方に依って様々に特色があるようであるが、
一般的には、炒った大豆の豆を一升桝に入れ、年男(その年の干支の生まれ)、
或いは一家の主人か、その家の男子が豆打ち役となって、家人が戸や障子を
開けた時に大声で「福は内、鬼は外」と掛け声を掛けながら、座敷や茶の間、
玄関と次々に豆を撒いて行く後を、鬼が家に入らぬようにと家人が音高く戸を
閉めて行く。
この時に撒かれた豆を自分の年の数だけ、或いは、年の数プラス1だけ拾って食べ、
一年の無病息災を願うというものであろう。

「鬼は外」の掛け声に関しては、鬼子母神など「鬼」関連の祭神をお祀り
している寺社や、「鬼」の字の付く地域、「鬼」の字の付く苗字(鬼塚さん、
鬼木さんなど)のご家庭では、「福は内」とだけ言うか、或いは「鬼も内」
「鬼は内」と掛け声を掛けるようである。


節分に於ける豆撒きの起源は、奈良時代の慶雲三年(706年)に疫病が
流行したことを受けて、宮中で行われた、楯と鉾を武器に悪鬼を退治する
「追儺(ついな)」の儀式に由来するとされている。
「鬼儺(おにやらい)」「鬼遣らい(おにやらい)」「儺(な)やらい」とも書く。
「追儺」はシナ大唐帝国の行事であったものを、我が国が導入し、大晦日
(旧暦の12月30日)の宮中の年中行事とした「鬼払い」の儀式である。
「追儺」の儀式導入の経緯からすると、大晦日に新年を迎える為の除災招福の
行事として、災いを齎す鬼を追い払い、福を呼び込む行事であると意義付けられた
ものであろうと思われる。

宮中での「豆撒き」は、平安時代の宇多天皇の御世(887年~897年)に始められた
との説があるが、民間で行われた「豆撒き」自体としては、室町時代に寺社が
「邪気払い」の為に行った「豆打ち」の儀式に由来するとも言われ、「鬼は外」
「福は内」との掛け声を掛ける風習はこの時代に確立したようである。


第31記事2
「フリーランスWebデザイナーのリアル」様のHP依り、
フリーイラスト画像を拝借。


撒くものが何故、豆なのかということに付いては、穀物には「邪気を払う霊力」が
あると考えられていたようで、豆撒きが定着する以前には、豆の他に米や麦なども
用いられたというが、その中で撒くに当たって、都合の良い大きさや
収穫量、価格の問題もあったろうし、新年の初めに一年の天候を占う「豆占い」が
行われていたという経緯もあるのではなかろうか。
更に、コトダマ的に、豆は「魔滅(まめつ)」に通じるということもあったのかも
知れない。

では何故、炒り豆を使うのかに付いては、「豆占い」では大豆を煎って使ったと
いうこともあろうし、後述するが、旧年の穢れを祓い捨てる為に、撒いた豆が発芽
したのでは不都合であり、また食べる為にも豆を炒っておく必要があったのだろう
と推察される。
また、言霊的には、「炒り豆(いりまめ)」は「射り魔目(いりまめ)」に通じ、
「魔の目を射る」という意味を持たせたかったのかも知れない。


日本の節分に迎える「鬼」は本来、シナに於けるような打ち払うべき悪鬼では
なかったのではなかろうかと、私が考える根拠としては、
① 悪鬼を退治するという先鋭な感覚が、温和で柔軟、融合を特長とする
 日本神道の指向性にそぐわないこと。
②シナから「鬼」の概念が齎される以前、日本古来の民間信仰での「オニ」は、
 人々の生活を守ってくれる「オニ神様」と呼ばれていたこと。
③かつては立春が「年神様」を迎える正月であったこと。
④かつては同日に行われていた正月行事の事々が、立春、小正月、大正月にと、
 分散して行われるようになったであろうと考えられること。
⑤撒かれた豆を自分の年の数だけ、或いは、年の数プラス1だけ食べること。
などが挙げられる。


甲骨文字金文字篆書文字
フリー百科事典Wikipedia様「鬼部」依り、
甲骨文字、金文字、篆文字の画像を拝借。


「殷(いん)」の時代に作られた甲骨文字「鬼」は、グロテスクな頭部を持つ
人の象形で、死者の魂の意味を表わしている。
奈良時代の歴史書「古事記」「日本書紀」には、日本の「オニ」として、
「鬼」の文字は用いられていない。
日本で「鬼」の文字が「オニ」の意味で多用されるようになったのは、
平安時代以降であり、日本の「オニ」が仏教経典の「鬼」のイメージと同化、
変質してしまったものであろう。
そもそも、日本には「鬼」の概念が無かったのである。


節分に迎えるオニは元来、正月に幸福を齎す為にやって来る「年神(正月神)」
であり、祖霊神であり、穀物神としての鬼神であって、厄を持ち込むのでなく、
厄祓いの神として、春を運んで来てくれる日本の神であったのであろう。

豆を撒くのは鬼を追い払う為でなく、旧年中の罪や穢れに因って穢れた人間の
古い魂を豆に付着させ、それを年神(正月神)であるオニに返し、新しい年齢
の数だけ、神聖な神の魂が宿っている、新しい年の魂を貰って、食べることに
依って、新年の清浄な魂を体内に取り込み、新しく生まれ変わるという意味が
あったのである。
鏡開きの日に、年神に供えた「鏡餅」を割って食べることに依って、ご神霊の
力を体内に取り込むのと同様の考え方である。
お正月に子供が貰う「お年玉」というのは本来、「お年魂(おとしだま)」の
意味で、年神が運んで来てくれる新年の魂のことを言ったのである。

そもそも、「オニ」という言葉は「陰(おん)」が変化したもののようで、
姿形の見えない神霊のような存在を指していたと思われる。
年神や祖霊神が「鬼」として、災厄や悪霊のイメージを持たれるようになったのは、
シナ仏教の影響であったのである。
そうであるが故に、古代の原初日本神道の感覚からすれば、新年の清浄な魂を運んで
下さり、幸福と繁栄を齎す年神を悪鬼と見做し、追い払う為に豆を打付けるのは、
実は誤解に基づく、非礼甚だしき行為と言えるのである。




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大法螺を吹く仏教徒たち …幾重にも嘘で塗り固めたダルマ・シャンカ

 2013-03-31
大法螺を吹く仏教徒たち 

…幾重にも嘘で塗り固めたダルマ・シャンカ




「嘘を吐く」「大言を吐く」「勝手なことを言い立てる」という意味の
「法螺を吹く」という表現があるが、これは仏教用語に起源を持つ。
「法螺」は「ほうら」と読み、サンスクリット語の「ダルマ・シャンカ」
の訳語である。
「ダルマ」はブッダの説法を、「シャンカ」は螺貝(つぶがい)を意味する。
螺貝で作った楽器の音色がよく響くことから、ブッダの説法を「法螺を吹く」
と譬えて、表現したという。
この「法螺を吹く」という表現は、古代から徹頭徹尾、虚言を吐き捲くっては、
営々と虚構の体系を拵えて来た仏教徒たち、インド・アーリア人のみならず、
シナ人、日本人仏教徒たちの実相を言い当てていて、真に妙である。


法螺貝500


「嘘吐きは泥棒の始まり」と言うが、「仏教徒は嘘吐きの始まり」と言える。

ゴータマ・ブッダが生まれながらにして、三十二相八十種好(しゅごう)の
超人間的な相貌を具えていたということも嘘。

ゴータマ・ブッダが生まれると直ぐに7歩歩き、右手を上げて、天を指し、
左手で地を指しながら、「天上天下唯我独尊」と、この世に於いて、自分が
唯一最も尊い存在であると宣言したというのも嘘。

覚りを開いたゴータマ・ブッダに、バラモン教の最高神ブラフマー神(梵天)
が「あなたの覚った真実の教えを、この世の人々に伝えて下さい」と三度に亘り、
懇願したというのも嘘。

バラモン教の神々、バラモン教と土俗信仰が混じり合ったヒンドゥー教の神々が、
仏教徒を守るという護法善神の思想も嘘。

上座部仏教に対抗し、自らの正当性を主張する為の必要性から、ゴータマ・ブッダ
が説いたと偽り、「如是我聞(わたしはこのように聞いた)」という定型フレーズで
書き出された「8万4千の法」と言われる大乗仏教経典は全部が全部、1400年間
に亘り、営々と創作された嘘八百の偽書、偽説。

「ゴータマ・ブッダは前世で計り知れない功徳を積んだので、現世で覚りを開く
ことが出来た」として、創作されたブッダの前世物語「ジャータカ(本生譚)」
(ほんじょうたん)も嘘。

過去七仏の説、未来仏の説も嘘。

三世十方諸仏の説も仏の三身説、法身仏(ほっしんぶつ)、報身仏(ほうじんぶつ)、
応身仏(おうじんぶつ)の思想も嘘。


嘘A


正法、像法、末法の三時は、「大方等大集経(だいほうどうだいじっきょう)」に
書かれた偽説であって、ゴータマ・ブッダの予言であるというのも嘘。

ブッダの50年間の説法を法華経を中心として、漢訳の仏典を分類した天台大師
智顗(ちぎ)の教相判釈である五時八教説も嘘。

ゴータマ・ブッダの出世の本懐が、法華経を説くことにあったというのも嘘。

日本神界の神々が、虚空会の儀式で法華経の信者を守護すると誓約したというのも嘘。

ゾロアスター教(拝火教)とヒンドゥー教、インド土着の民俗信仰を仏教に取り込み、
7世紀に成立した大日経を依経とする密教が仏教であるというのも嘘。

マンダラに向かって、マントラ(真言)を唱え、手で印契を結び、心に大日如来
を念ずることで即身成仏するというのも嘘。


阿弥陀仏に帰依しますと念仏を唱えれば、極楽浄土に往生するという浄土信仰も、
偽経である法華経に帰依しますと、経典のタイトルを唱えれば、即身成仏するという
日蓮の法華信仰も嘘。

500年プラス1222年は2000年未満で、日蓮が末法時代の生まれというのも嘘。


鷽500
                   可愛い鷽(うそ)


仏教は見事なまでに100%、嘘で塗り固めたインチキ宗教体系である。
神話と歴史、牽強附会した偽説と歴史的事実の特性の相違くらいは弁えた上で、
実相を語るが良い。
日本に於ける大乗仏教は、葬送儀礼に活路を見出し、命脈を長らえたに過ぎない、
有っても無くても、どうでも良いインチキ宗教である。
日本に伝来して1500年を経ても、日本人の精神に根付いていない阿呆陀羅教である。
但し、仏教は集金能力だけには異常なまでに長けている、見事に俗世間に適合した、
いわゆる坊主丸儲けのグッドビジネスではある。


札束500



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日本人が「中国」と呼称することの意味 …私たち日本人は野卑な東夷です

 2012-09-24
日本人が「中国」と呼称することの意味 

…私たち日本人は野卑な東夷です



2012年9月21日、石原慎太郎東京都知事定例記者会見の席上、
フリーの記者が、「知事はしきりに支那、支那と言われますが、
相手国が嫌がることを言うべきではないと…。 挑発と取られても、
仕方が無いのでは…」と批判的に食って掛かっていた映像を観たが、
彼は「支那」「中国」という呼称の意味を、その歴史的経緯をも含め、
それらを承知の上で、敢えて語っているのであろうかと甚だ疑問に
思った次第である。
石原慎太郎東京都知事の仰ることは日本人として、正当である。


中華思想


「支那」という呼称の由来は諸説ある。
大陸中原を初めて政治的に統一した王朝「秦(シン)」
(サンスクリット語で「Thin」「Chin」、ラテン語「Sinae」)に
由来するとされ、この「秦」の呼称が周辺諸国に伝わり、現在の
インドで訛って「シナ」になったというのが通説のようである。

インドから仏教が隋に伝来した当時、経典の中にあるサンスクリット語
「チーナ・スターナ(China staana)」を当時の訳経僧が「支那」
「震旦」「真丹」「振丹」「至那」「脂那」「支英」等と漢字で音写した
中から、支那人自身が特に「支那」を選択したということである。





そうした経緯からして、「支」も「那」も「シナ」の音を当て嵌めた
だけのことで、特に意味を持っている訳ではないのである。
また、この「チーナ」の発音が西洋に伝わり、英語の「China」
フランス語の「Chine」などの語源ともなったと言われている。
つまり、西洋人が「支那」と同源の「China」の呼称に、
何ら侮蔑的意味を込めていないのと同様、「支那」という呼称は
単なる客観的名称であって、何ら他意が含まれてはいないのである。

にも拘わらず、自国人が「Sina」で「シナ」、欧米人が「China」で
「チャイナ」と呼ぶのはOKで、日本人が「シナ」と呼ぶことだけは
断固、許せないというのでは全く理屈が通らないではないか。

石原慎太郎東京都知事に中国政府関係者が語ったという屁理屈では、
「シナ」は良いが、「支那」は駄目であるという。
「日本」が「本」で、「支那」が「支」ということになるからであるそうだ。
「日本と支那」間に、「本支」の関係性を連想させるそうな。
文字の上でも、日本の風下に立ちたくないという訳なのである。

そもそも、現代の中華人民共和国で最も権威ある国語辞典
「漢語大詞典」に、「『支那』は、『秦』の音の訛りであり、古代インド・
ギリシャ・ローマ・日本などが我が国を呼ぶ名である」と書いてあり、
蔑称であるとは記されていないのである。
更に、この辞典に引用されている参考文献には「単なる名称であって、
別段の意義はない」と明記されているのであるから、中国国内には
「支那」を差別的呼称とする一般的な通念は存在しないはずなのである。

平成11年(1999年)4.11に東京都知事選挙があり、石原慎太郎氏が
都知事に就任したが、この年の5.7付け「人民日報」で「支那」の
呼称を用いる石原都知事を「誠実さに欠ける人」と批判している。
この「『支那』の語源についての考察」と題した記事に於いて、
「支那」が蔑称であると論証したつもりらしいのだが、その論法が、
実に珍妙なのである。





19世紀末まで、中国大陸は清朝(満州族)の統治下にあって、
この国は清国と称し、その国民は清国人と呼ばれていた。
清朝末期に革命の機運が高まり、漢族の間で、「清国」「清国人」
という呼称は「満清の臣下」を意味するという理解から、「清」
に代わって、「支那」の呼称が広く使われていたという。
こうして、孫文や魯迅も「支那」を自称していた歴史的事実の
言い訳として、人民日報では、

『中日甲午戦争(日本では「日清戦争」と言われている)以前、
日本で1888年に印刷された日本軍必読の「宇内混同秘策」
という本では、「支那」の呼称で中国を指し、しかも軽蔑的な態度で
中国人のことを取り上げていたが、「支那」という言葉は中国に対する
差別とはまだ直接繋がっていなかった。

日本の社会が「支那」という言葉を使って中国を軽蔑の意味を込めて
称し始めたのは、中日甲午戦争で清が敗れた時からである。
1895年、清政府は余儀なく日本政府を相手に、主権を喪失し国が
恥辱を被る馬関条約(日本では下関条約と言われている)を締結して、
近代中国の被った恥辱は極点に達した。
昔から中国のことを「上国」として尊敬して来た日本人は最初は驚き、
続いて勝った後の陶酔に走り、街に出てデモ行進を行い、
「日本は勝った。『支那』は負けた」と狂気のように叫んだ。

そのときから、「支那」という言葉は日本では戦敗者に対する戦勝者の
軽蔑的感情と心理を帯びたものになり、中性的な言葉から蔑む意味合い
の言葉に逐次変わっていった』

この記事を書いた人民日報の記者も、掲載を諒とした編集長も余程、
頭の回転が鈍いと見える。
この程度の論理思考能力で、天下の人民日報社に就職出来て、
収入を得られるとは、実に羨ましい限りである。

この記事の論理は、実に奇妙奇天烈なのである。
譬えて言えば…
私に、「池田」さんという知り合いが居たとする。
交際当初、私はその「池田」さんを立派な人だと尊敬していた。
しかし、ある時点で、この「池田」さんがとんでもないまやかし者で、
稀代のペテン師、悪党であることに気が付き、唾棄すべき人物として、
この上なく軽蔑するようになったとする。
人民日報の論法からすると、この「池田」という名称は、軽蔑するように
なった時点までは、単なる客観的な名称であったが、それ以後はこの同じ
「池田」という名称は、蔑称に一変したという訳なのである。

そういう論理であるならば、現在の「中国」「中国人」も多くの日本人から
心底軽蔑されているので、「中国」「中国人」という名称は既に折り紙付きの
蔑称に成り果てていることになる。

昭和5年(1930年)中華民国政府外交部は大日本帝国に対して、
「支那」という呼称を止めて、「中国」と呼ぶように要求して来たが、
今度は中華人民共和国政府外交部が、「中国」と呼ぶな!とでも要求して
来るのであろうか。
実に、自己中心的で独善的でご都合主義で責任転嫁が得意で…な、
下劣極まりない国民性であることよ。

そう言えば、アメリカ合衆国政府から、
「米国」と呼ぶな!俺達はコメじゃねぇよ!とか、
フランス政府から、
「仏国」と呼ぶな!俺達はホトケじゃねぇよ!とか、
文句を言われたことはない。


風刺 日清戦争


「支那」という名称は、黄河、長江流域を主な国土として、
実効的に支配して来た漢民族と、その土地、文化などに用いられた
地理的呼称、あるいは王朝や政権の名を超えた通史的な呼称であり、
国号としては、種族や民族を問わず、中華民国という国家と、
その国民に関連する事象に用いられる呼称であったのである。

1911年、辛亥革命で清朝を打倒し、漢人が政権を樹立したが、
漢民族が占有して来た地域(支那)のみならず、東トルキスタン、
モンゴル、チベット、満洲などを含む、清朝の遺領をそのまま
枠組みとする領域を「中国」の領土とした。
つまり、「支那」は地理的名称としては、現在の「中国」の一部
ということになる。
しかし、中華人民共和国政府・中国共産党は、「支那」と
その周辺の諸地域、諸民族が古来、一貫して一体の「中国」を
形成して来たという偽りの歴史認識に基づいて、国内でのチベット人、
ウィグル人など異民族の独立運動への弾圧を正当化している訳である。
ならば、万里の長城で内と外とに分けたのは何故?と意地悪を言って
みたくもなる。

万里の長城450

ところで、片や日本人は余程大らかなのであろうか、鈍感なのか、本来、
差別の意味を含む「中国」という名称を口にすることには、一向に違和感を
覚えないようである。

「中華」の意味とは…
「中国で、漢民族が、周囲の文化的におくれた各民族に対して、自らを
世界の中央に位置する文化国家であるという意識をもって呼んだ自称」
明治22年(1889年)発行の「言海」に依れば、
「四方ノ夷狄ニ對シテ、中央ノ開ケタル國。中夏。中國。」
「支那人ノ自國ヲ自稱スル語。」なのである。

「中華」や「中国」という名称は、中華民国樹立よりも以前から、
中国人が自国を呼ぶ呼称であったのだ。

要するに、我々日本人がかの国を「中国」と呼称する時、
それは同時に、
「私達日本人は、貴国よりも文化的に劣る東夷(とうい)です」
と謙って言っているのと同じことになるという訳だ。

同様に、モンゴル人がかの国を「中国」と言えば、
同時に「私達モンゴル人は、……北狄(ほくてき)です」
ベトナム人がかの国を「中国」と言えば、
同時に「私達ベトナム人は、……南蛮(なんばん)です」
ネパール人がかの国を「中国」と言えば、
同時に「私達ネパール人は、……西戎(せいじゅう)です」
と、臣下の礼を取っているのと同じことになるのである。

どうであろうか。
こうしてみると、「支那」という呼称よりも、「自分の国は世界の中心に在り、
文化水準の低い野蛮な周辺諸国に囲まれながら、一番優れている我が国」
という意味の「中華」「中国」という名称の方が、そして、それを他国に
強要する方が、遥かに差別的と言えるのではなかろうか。

しかし、私は未だ嘗て、このような理由を以って、かの国を「中国」とは
呼びたくないと言う御仁に、お目に懸かったことはない。





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竹島と北方領土の不法占拠 …理は我に有り。非は彼に有り。されど…

 2012-08-11
竹島と北方領土の不法占拠 

…理は我に有り。非は彼に有り。されど…


8月10日、李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領は、昭和29年(1954年)
以来、韓国軍が不法に軍事占領し続けている島根県の竹島への上陸を強行し、
日韓の外交問題となっているが、日本政府としては、駐日韓国大使に抗議の
意思を伝え、駐韓大使を一時召還する程度で、お茶を濁すことになるであろう。

ロシアのメドベージェフ現首相は大統領時代の平成22年(2010年)11月、
日本側からの中止要請を黙殺し、北方領土の国後島に上陸、今年7月3日
にも再び、悪天候の為に予定していた択捉島上陸を変更し、国後島上陸を
強行しているが、日本政府は何事も無かったかのように無反応なのであるから、
韓国に対してのみ厳しい対応措置を取るということでは道理が通らない。

メドベージェフ大統領(当時)の国後島上陸は、ソ連時代を含め、ロシアの
最高指導者に依る北方領土初上陸ということになる。
李明博大統領の場合もまた同様である。


竹島 李大統領450


李明博大統領は竹島で、「独島は正しく我々の領土であり、命を捧げて守るべき
価値ある場所である。誇りを持って守り抜こう」と駐留部隊を督励したという。
メドベージェフ首相はロシアメディアに対して、「日本の反応などは全くどう
でも良いこと」「北方領土は元々、ロシアの領土」と語り、国後島住民には
「一寸たりとも、領土は渡さない」と断言している。

政治指導者が立場上、領土問題に関して、何でもかんでも自国の領土と大法螺
を吹くのは解るが、不思議に思うのは、その扇動にまんまと踊らされる諸国民
の知的レベルの余りの低さである。
韓国民の殆どが「独島は512年から韓国領」と信じ、ロシア人の殆どが
「北方領土は国際法上、正当なロシアの領土」と主張している馬鹿馬鹿しさが、
どうしても腑に落ちない。
尖閣諸島に対する中国人の認識に付いても同様である。

不法占領されている竹島、北方領土、日本の実効支配下にある尖閣諸島は、
たとえどんなに頭の血の巡りが悪い人であっても、お猿さん並みであっても、
歴史を紐解いてみれば、歴史的事実に鑑みて、尚且つ、国際法上に鑑みても、
これらの地域が明らかに日本固有の領土であることは解るはずなのである。
そうであるにも拘わらず、韓国人もロシア人も中国人も、政府の言うがままに
心底、これらの地域を歴史的にも、国際法上も正当な自国領であると主張する
民度の低さには辟易させられる。
日本人がハワイ諸島は日本領であると主張するのと大差の無い馬鹿馬鹿しさ
が、そこにはある。
韓国、ロシア、中国の人々は領土問題に関して、個人個人が歴史を紐解くなり、
国際法上の解釈を考究するなり、自分の頭でものを考えないのであろうか?
何故に、かの諸国民は恰もカルト教団の信者でもあるかのように、アドルフ・
ヒトラーの著書「わが闘争」の内容を連想させるほど、指導者の大衆操作に
思うがまま扇動されて、あれほどまでにお馬鹿に成り切れるのであろうか、
実に不可解至極である。


竹島駐留部隊450


竹島に付いては、韓国人が于山島とは竹嶼であるのに、竹島であると誤認して
いること、及び、日本が占領下にあった、昭和21年(1946年)、連合国軍
最高司令官総司令部GHQが定め、昭和27年(1952年)4月に失効した、
日本の漁業及び捕鯨許可区域を示す、所謂「マッカーサー・ライン」と、
昭和27年(1952年)1月、李承晩韓国大統領が「海洋主権宣言」を行ない、
国際法に反して一方的に漁業管轄権を主張した水域を設定した、所謂「李承晩
ライン」が如何なるものであったかを調べさえすれば、韓国に依る竹島の占領
が、国際法上何ら根拠が無いまま行われている犯罪行為であることは、小学生
でも理解出来る自明の理である。


メドA450


北方領土に付いては、
①日魯通好条約(1855年)
「日魯通好条約に於いて、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の
両国国境をそのまま確認」
②樺太千島交換条約(1875年)
「日本は樺太千島交換条約に依り、千島列島(列島最北の占守島からウルップ島
までの18島)をロシアから譲り受ける代わりに、樺太全島を放棄」
③ポーツマス条約(1905年)
「日露戦争後のポーツマス条約に於いて、日本はロシアから樺太(サハリン) の
北緯50度以南の部分を譲り受けた」という経緯があり、
昭和20年(1945年) 2月、クリミア半島のヤルタで米英ソ連の首脳、
ルーズベルト大統領(米国)、チャーチル首相(英国)、スターリン(ソ連)
が第二次世界大戦後の国際秩序について協議した「ヤルタ会談」が行われた。
この席上、ルーズベルトは「千島列島をソ連に引き渡すことを条件に」、
日ソ中立条約の一方的破棄、対日参戦を促し、極東密約(ヤルタ協定)と
呼ばれる秘密協定が結ばれた。
この密約では、ドイツの降伏後90日以内に、ソ連が日本との戦争に参戦する
こと、樺太(サハリン)南部をソ連に返還すること、 千島列島をソ連に引き
渡すことなどが決められた。


ヤルタ会談450


昭和20年(1945年)8月8日、ソ連のモロトフ外相が、翌年4月26日まで
有効であった 日ソ中立条約を破棄し、対日宣戦布告することを駐ソ大使に通告。
8月9日、ソ連軍がソ満国境を越えて、満州国に侵攻。
8月11日、樺太に、3万5千のソ連軍が侵攻。
8月14日、御前会議で、昭和天皇の聖断に依り、ポツダム宣言受諾が決定され、
連合国に対し、無条件降伏を通告した。
8月15日正午、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書)を
昭和天皇が朗読したレコードがラジオ放送され(いわゆる玉音放送)、国民及び
陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。
8月16日、大日本帝国大本営、日本軍部隊へ即時停戦命令を発令。
マッカーサー元帥、米軍に戦闘中止命令を発令。

8月17日、ソ連軍が千島列島占領作戦開始。
8月18日、ソ連軍が千島列島の占守(しゅむしゅ)島に上陸作戦敢行。
日本軍守備隊と交戦。(21日迄戦闘)
8月24日、ソ連軍が千島列島の幌延(ぱらむしる)島占領。
8月25日、ソ連軍が千島列島の温弥古丹(おんねこたん)島、
捨子古丹(しゃすこたん)島、松輪(まつわ)島を占領。
8月27日、ソ連軍が千島列島の新知(しむしる)島占領。
8月28日、ソ連軍が北方領土の択捉(えとろふ)島占領。
8月31日、ソ連軍が千島列島の得撫島(うるっぷ)占領。
9月1日、ソ連軍が北方領土の国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島占領。
9月2日、東京湾上のアメリカ戦艦上で、降伏文書調印式、ソ連も調印。
9月3日~5日、ソ連軍が北方領土の歯舞(はぼまい)群島占領。


昭和21年(1946年)2月、ソ連最高会議幹部会令で、千島列島と北方領土を
ソ連領に編入。
昭和26年(1951年)9月8日、サン・フランシスコ平和条約は、日本が千島
列島及び南樺太に対する権利、権限及び請求権を放棄することを規定している。
しかし、同条約はこれらの領土がどの国に帰属するかについては規定して
いない上、ソ連は同条約に調印していない。
昭和31年(1956年)10月19日、日ソ共同宣言を合意。
同宣言で、両国間の戦争状態を終結させ、外交・領事関係を回復させた。
日ソ共同宣言に於いて、日ソ両国が正常な外交関係の回復し、 平和条約締結後
には、歯舞群島及び色丹島を日本に返還することが規定されている。


メドB450


1941年8月、米英両首脳は、第二次世界大戦に於ける連合国側の指導原則と
して、「大西洋憲章」に署名し、戦争によって領土の拡張は 求めない方針
(領土不拡大の原則)を確認し、ソ連もこの憲章に参加している。
そもそも、ソ連軍が樺太や千島列島に侵攻したということは、樺太や千島列島
はソ連の領土ではなかったという証明なのである。
わざわざ自国に軍事侵攻する馬鹿も居るまい。
千島列島は我が国に武力で奪われた自国領ではないのであるから、領土不拡大
の原則からして、軍事占領をしようが、ソ連に帰属とはならないのである。
国際法上、本来は千島列島全体が日本の領土なのである。

因みに日本国政府や外務省は、北方四島を我が国の領土と主張する論拠として、
日本はサンフランシスコ講和条約に依って、ポーツマス条約で獲得した樺太の
一部と千島列島に対する全ての権利、権限及び請求権を放棄したが、北方四島
は千島列島の中に含まれないので、我が国の領土であるとしている。

北方領土に関しては、その歴史的経緯が少々複雑ではあるが、ロシア人が
何処をどう突っ突いても、日本の領土であることに100%間違いはない。


竹島警備隊450


しかし、日本は日本国憲法全文にあるように、中国もロシアも韓国、北朝鮮も、
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めて」
いて、「自国のことのみに専念して他国を無視」しない、善良な国家群で
あることを大前提として、その「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意」した上で、「日本国民は、正義と秩序
を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による
威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄
する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない」(第2章第9条)のであるから、北方四島、
竹島、そして、やがては尖閣諸島と、無法者の盗人国家に日本固有の領土を
掠め取られたとしても、「普通の」国家のようには軍事的に領土奪還、領土防衛
が出来ないのである。

国際司法裁判所に竹島問題や北方領土問題を付託しようにも、両当事国の同意
に依る付託が原則である以上、100%敗訴すると解り切っている裁判に盗人国家
群が応じるはずもない。
戦もせず、裁判も出来ず、掠め取られた日本領土を取り戻す願いは、
永久に叶うことがない。











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