大祓詞(おおはらえのことば)…年越しの大祓え

大祓詞(おおはらえのことば)

                    …年越しの大祓え 



私たち日本人の伝統的な考え方では、日常生活の中で知らず知らずの内に
犯してしまったであろう諸々の罪や過ち、心身の穢れ(けがれ)を祓い(はらい)
清めて、また新たに清らかな気持ちで日々の生活に勤しめるよう、半年毎を
節目と考えるサイクルで、新年を迎える。
6月の大祓(おおはらえ)を「夏越し(なごし)の祓(はらえ)」と呼び、
12月の大祓は「年越しの祓」とも呼ぶが、私たちにとって、その年々の節目は、
自らを振り返る為の良い機会になっている。
日本古来の神道で言うところの「穢れ(けがれ)」は、「キカレ」「気が枯れる」
という意味で、心身共に弱まって、元気が無くなった状態のことを言う。
日本神界の神々は、私たちが日々、明るく元気で心軽やかに過ごされるのを
好まれるようである。
大晦日の今夜は、心にシャワーを浴びるかの様に、御魂をリフレッシュさせて
新年を迎えたいものである。

神前で唱える言葉は「祝詞(のりと)」であり、その根底には言霊信仰がある。
祝詞は平安時代中期に選進された「延喜式」巻第八「祝詞」に収められている
27篇が現代の祝詞の規範となっている。
その「延喜式祝詞」の中でも、現在も奏上され、神聖視されているのが
「大祓詞(おおはらえのことば)」である。


神社450A


「大祓詞」

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 
たかあまはらに かむづまります すめむつかむろぎ かむろぎの 
みこともちて

八百万神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて
やおよろづのかみたちを かむつどえにつどえたまい かむはかりに 
はかりたまいて

我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂国を 安国と平らけく
あが すめみまのみことは とよあしはらみづほのくにを 
やすくにとたいらけく

知ろし食せと 事依さし奉りき。 
しろしめせと ことよさし まつりき。

此く依さし奉りし国中に 荒振る神等をば 
かく よさしまつりし くぬちに あらぶるかみたちをば 

神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 
かむ とわしに とわしたまい かむ はらいに はらいたまいて

語問ひし 磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて
こと といし いわね きねたち くさのかきはをも ことやめて

天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて
あめのいわくら はなち あめのやへぐもを いつの ちわきに 
ちわきて

天降し依さし奉りき。 
あまくだし よさしまつりき。 

此く依さし奉りし四方の国中と 大倭日高見国を安国と
かく よさしまつりし よもの くになかと おおやまと 
ひだかみのくにをやすくにと

定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て
さだめまつりて したつ いわねに みやばしら ふとしきたて

高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて
たかあまはらに ちぎたかしりて すめみまのみことの みづの 
みあらか つかえまつりて

天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して 安国と平けく
あめのみかげ ひのみかげと かくりまして やすくにと たいらけく

知ろし食さむ国中に 成り出でむ天の益人等が
しろしめさん くぬちに なりいでん あめの ますひとらが

過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 国つ罪
あやまち おかしけん くさぐさの つみごとは あまつつみ くにつつみ

許許太久の罪出でむ。
ここだくの つみ いでん。

此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 
かく いでば あまつ みやごと もちて あまつかなきを もとうちきり

末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして
すえうち たちて ちくらの おきくらに おきたらわして

天つ菅麻を 本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて
あまつすがそを もと かりたち すえ かりきりて やはりに とりさきて

天つ祝詞の太祝詞を宣れ。
あまつのりとの ふとのりとごとを のれ。

此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 
かく のらば あまつかみは あめのいわとを おしひらきて

天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ。 
あめの やへぐもを いつの ちわきに ちわきて きこしめさん。 

国つ神は高山の末 短山の末に上り坐して
くにつかみは たかやまのすえ ひきやまのすえに のぼりまして

高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ。 
たかやまの いほり ひきやまの いほりを かきわけて きこしめさん。 

此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと
かく きこし めしてば つみという つみは あらじと

科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
しなどの かぜの あめの やへぐもを ふきはなつことのごとく

朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く
あしたのみぎり ゆうべのみぎりを あさかぜ ゆふかぜの 
ふきはらうことのごとく

大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 
おおつべに おる おおふねを へ ときはなち とも ときはなちて

大海原に押し放つ事の如く
おおうなばらに おしはなつ ことのごとく

彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 
おちかたの しげきがもとを やきがまの とがま もちて 
うちはらう ことのごとく

遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を
のこる つみは あらじと はらえたまい きよめたもうことを

高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
たかやまのすえ ひきやまのすえより さくなだりに おちたぎつ

速川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持ち出でなむ。
はやかわの せに ます せおりつひめ というかみ おおうなばらに 
もちいでなん。

此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す 
かく もちいでいなば あらしおの しおの やおじの やしおじの 
しおのやおあいにます 

速開都比売と言ふ神 持ち加加呑みてむ。 
はやあきつひめ というかみ もち かかのみてん。 

此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神
かく かかのみてば いぶきどにます いぶきどぬし というかみ

根国 底国に気吹き放ちてむ。
ねのくに そこのくにに いぶき はなちてん。

此く気吹き放ちてば 根国 底国に坐す速佐須良比売と言ふ神
かく いぶき はなちてば ねのくに そこのくにに ます 
はやさすらひめ というかみ 

持ち佐須良ひ失ひてむ。 
もち さすらい うしないてん。 

此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと
かく さすらい うしないてば つみという つみはあらじと

祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 国つ神 
はらえたまい きよめたもうことを あまつかみ くにつかみ 

八百万神等共に 聞こし食せと白す。
やおよろづの かみたちともに きこしめせと もうす。
(文責在詠山史純)


※ 私は最後の「白す」の部分を、「畏み畏みも申す(かしこみかしこみ もまおす)」
 と奏上することにしている。


お手水舎450


「大意」

高天原の神々のご意思に依り、豊葦原の瑞穂の国に遣わされた皇祖神の子孫が、
壮麗な宮殿を造り、統治されるようになった。
そこに住む人々は、ついつい様々な罪を犯してしまう。
その時には、高天原の神々が行なったのと同じ遣り方で祝詞を読めば、神々が
きっと聞いて下さる。
そして、強い風が雲を吹き飛ばし、朝夕の風が霧を吹き払うが如く、港の船を
大海原に解き放ったり、繁茂した木々を切り払うが如くに、あらゆる罪を祓い
清めようと、急流に住まう「瀬織津比売」という神が、大海原に罪を持ち去る。
更に、大海原では潮の集まる所に住まう「速開都比売」という神が罪を呑み込んで、
「息吹戸主」という神が息と共に地底の国に吹き放ち、それを地底の国に住まう
「速佐須良比売」という神が持ち流離い、罪を無くして下さることであろう。
このようにして、罪を祓い清めて下さいますよう、神々にお願い申し上げます。
(文責在詠山史純)


神宮450


この大祓詞(おおはらえのことば)の前段では、我が国の建国物語である
天孫降臨神話が描かれている。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)に、葦原中国(とよあしはらのなかつくに)
の統治を委ねられた、御孫の邇々芸命(ににぎのみこと)が天岩屋(あまのいわや)
神話で活躍した神々を従えて、筑紫の日向(ひむか)の高千穂の霊峰に天降り、
太い柱を立て、千木(ちぎ)を高く掲げた壮麗な神殿を建てて、葦原中国を
治める拠点としたという神話である。

後段の「天の益人等が…天つ罪 国つ罪 許許太久の罪 出でむ」からは、
「瀬織津比売(セオリツヒメ)」、「速開都比売(ハヤアキツヒメ)」、
「息吹戸主(イブキドヌシ)」、「速佐須良比売(ハヤサスラヒメ)」、
四柱の祓戸(はらえど)の大神たちが、人の犯した罪を祓い清める様子が
描かれている。

先ずは、「天津金木(あまつかねぎ)」という祓物である宝具が用意され、
高天原から伝えられた「大祓詞」を唱えると…。
①「瀬織津比売」という女神が、罪・穢れを川から海に持ち出す。
②「速開都比売」という女神が、海で全ての罪・穢れを飲み込む。
③「息吹戸主」という男神が、罪・穢れを根国(ねのくに)・底国(そこのくに)
に霧状にして、吹き払う。
④「速佐須良比売」という女神が、全ての罪・穢れを引き受けて、
遠くに持ち運ぶ為に流離う。
こうして、四柱の祓戸の大神たちが、人の罪・穢れを消し去って下さると
いうのであるが、古代の人々は、何と発想が豊かであったことか。

私は、この「大祓詞」の「罪と言ふ罪は在らじ」「遺る罪は在らじ」との
フレーズが好きである。
祓えない罪・穢れなど無いのだと心機一転、不如意な過去を引き摺ることなく、
ポジティブシンキングで、いつでも再スタート地点に立てる気がするのである。

フレーフレー!






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夏越の祓(なごしのはらえ)…大祓詞(おおはらえのことば)

夏越の祓(なごしのはらえ) 

          …大祓詞(おおはらえのことば)



夏越の祓(なごしのはらえorはらい)は、六月の最終日、一年の上半期の
最後日に行なうご神事で、「水無月(みなづき)祓」とも言う。
1年のちょうど折り返しに当たる6月30日、この半年に知らず知らずの内に
犯したであろう罪や過ちという穢れ(けがれ)を祓い、残り半年の無病息災
を祈願するご神事である。
平安時代の「拾遺(しゅうい)和歌集」に、「よみ人しらず」で、
「水無月の 夏越の祓 する人は 千歳(ちとせ)の命 のぶといふなり」
との和歌が詠まれていることから、夏越の祓のご神事は1000年以上の昔から
行なわれている伝統行事ということになる。

日本古来の神道で言うところの「穢れ(けがれ)」は、「キカレ」「気が枯れる」
という意味で、心身共に弱まって、元気が無くなった状態のことを言う。
日本神界の神々は、私たちが日々、明るく元気で心軽やかに過ごされるのを
好まれるようである。
本年上半期の最終日の今日は、心にシャワーを浴びるかの様に、気持ちを
リフレッシュさせて、また明日からの下半期を元気に過ごしたいものである。

神前で唱える言葉は「祝詞(のりと)」であり、その根底には言霊信仰がある。
祝詞は平安時代中期に選進された「延喜式」巻第八「祝詞」に収められている
27篇が現代の祝詞の規範となっている。
その「延喜式祝詞」の中でも、現在も奏上され、神聖視されているのが
「大祓詞(おおはらえのことば)」である。
「大祓詞」は、古くは「中臣(なかとみ)の祓詞」とも呼ばれた。
この「中臣の祓詞」については、日本書紀に「中臣氏の祖である天児屋命が
『解除(はらえ)の太諄辞(ふとのりと)』を司った」とあり、
また、「古語拾遺」に「中臣祓詞」「中臣禊詞」との記載があることから、
奈良時代以前から既に存在していたということになる。


箱根神社 夏越の祓


「大祓詞」

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 
たかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろぎ かむろぎのみこともちて

八百万神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて
やほよろづのかみたちをかむつどエにつどエたまイ かむはかりにはかりたまイて

我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂国を 安国と平らけく
あがすめみまのみことは とよあしはらみづほのくにを やすくにとたいらけく

知ろし食せと 事依さし奉りき。 
しろしめせと ことよさしまつりき。

此く依さし奉りし国中に 荒振る神等をば 
かくよさしまつりしくぬちに あらぶるかみたちをば 

神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 
かむとワしにとワしたまイ かむはらイにはらイたまイて

語問ひし 磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて
こととイし いわね きねたち くさのかきはをもことやめて

天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて
あめのいはくらはなち あめのやへぐもを いつのちわきにちわきて

天降し依さし奉りき。 
あまくだしよさしまつりき。 

此く依さし奉りし四方の国中と 大倭日高見国を安国と
かくよさしまつりしよものくになかと おほやまとひだかみのくにをやすくにと

定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て
さだめまつりて したついはねにみやばしらふとしきたて

高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて
たかまのはらにちぎたかしりて すめみまのみことのみづのみあらかつかエまつりて

天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して 安国と平けく
あめのみかげ ひのみかげとかくりまして やすくにとたいらけく

知ろし食さむ国中に 成り出でむ天の益人等が
しろしめさむくぬちに なりいでむあめのますびとらが

過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 国つ罪
あやまちをかしけむくさぐさのつみごとは あまつつみ くにつつみ

許許太久の罪出でむ。
ここだくのつみいでむ。

此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 
かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎをもとうちきり

末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして
すえうちたちて ちくらのおきくらにおきたらワして

天つ菅麻を 本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて
あまつすがそをもとかりたち すゑかりきりて やはりにとりさきて

天つ祝詞の太祝詞を宣れ。
あまつのりとのふとのりとごとをのれ。

此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 
かくのらば あまつかみはあめのいはとをおしひらきて

天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ。 
あめのやへぐもをいつのちわきにちわきて きこしめさむ。 

国つ神は高山の末 短山の末に上り坐して
くにつかみはたかやまのすゑ ひきやまのすゑにのぼりまして

高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ。 
たかやまのいぼり ひきやまのいぼりをかきわめてきこしめさむ。 

此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと
かくきこしめしてば つみといふつみはあらじと

科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
しなどのかぜのあめのやへぐもをふきはなつことのごとく

朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く
あしたのみぎりゆふべのみぎりをあさかぜ ゆふかぜのふきはらふことのごとく

大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 
おほつべにをるおほふねをへときはなち ともときはなちて

大海原に押し放つ事の如く
おほうなばらにおしはなつことのごとく

彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 
をちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちて うちはらふことのごとく

遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を
のこるつみはあらじと はらエたまイきよめたまウことを

高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
たかやまのすゑ ひきやまのすゑより さくなだりにおちたぎつ

速川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持ち出でなむ。
はやかわのせにますせおりつひめといふかみ おほうなばらにもちいでなむ。

此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す 
かくもちいでいなば あらしほのしほのやほぢのやしほぢのしほのやほあひにます 

速開都比売と言ふ神 持ち加加呑みてむ。 
はやあきつひめといウかみ もちかかのみてむ。 

此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神
かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしといウかみ

根国 底国に気吹き放ちてむ。
ねのくに そこのくににいぶきはなちてむ。

此く気吹き放ちてば 根国 底国に坐す速佐須良比売と言ふ神
かくいぶきはなちてば ねのくに そこのくににますはやさすらひめといウかみ 

持ち佐須良ひ失ひてむ。 
もちさすらひうしなひてむ。 

此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと
かくさすらひうしなひてば つみといふつみはあらじと

祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 国つ神 
はらエたまイきよめたまウことを あまつかみ くにつかみ 

八百万神等共に 聞こし食せと白す。
やほよろづのかみたちともに きこしめせと もうす。

(文責在詠山史純)

※ 私は最後の「白す」の部分を、「畏み畏み申す(かしこみかしこみ もまをす)」
 と奏上することにしている。


神社450A


「大意」

高天原の神々のご意思に依り、豊葦原の瑞穂の国に遣わされた皇祖神の子孫が、
壮麗な宮殿を造り、統治されるようになった。
そこに住む人々は、ついつい様々な罪を犯してしまう。
その時には、高天原の神々が行なったのと同じ遣り方で祝詞を読めば、神々が
きっと聞いて下さる。
そして、強い風が雲を吹き飛ばし、朝夕の風が霧を吹き払うが如く、港の船を
大海原に解き放ったり、繁茂した木々を切り払うが如くに、あらゆる罪を祓い
清めようと、急流に住まう瀬織津比売という神が、大海原に罪を持ち去る。
更に、大海原では潮の集まる所に住まう速開都比売という神が罪を呑み込んで、
息吹戸主という神が息と共に地底の国に吹き放ち、それを地底の国に住まう
速佐須良比売という神が持ち流離い、罪を無くして下さることであろう。
このようにして、罪を祓い清めて下さいますよう、神々にお願い申し上げます。
(文責在詠山史純)

お手水舎450


「瀬織津比売(セオリツヒメ)」
罪・穢れを川から海に持ち出す女神。

「速開都比売(ハヤアキツヒメ)」
海で全ての罪・穢れを飲み込む女神。

「息吹戸主(イブキドヌシ)」
罪・穢れを根国(ねのくに)・底国(そこのくに)に霧状にして、吹き払う男神。

「速佐須良比売(ハヤサスラヒメ)」
全ての罪・穢れを引き受けて、遠くに持ち運ぶ為に流離う女神。




神々に捧げる言葉④…神社拝詞(じんじゃはいし)

神々に捧げる言葉④

               …神社拝詞(じんじゃはいし)




祝詞(のりと)は、ご神前で語り掛けるように奏上する「祈りの言葉」である。
神徒はこの大和言葉の祝詞を唱え、祈りを捧げている。

「いのる」の「い」は「斎」であり、「のる」は「宣る」であろう。
また、「いのる」は「意乗る」で、「意」を言葉に「乗せて」神々にお伝えする
ことであろう。
誠の心から湧き出ずる神聖な言葉を発することに依って、その言葉の霊力、
「言霊(ことだま)」が発動し、捧げた祈りが現実化して、願いが成就する
という言霊への信仰が「祈り」の根底にある。
つまり、祈りはその内容を言葉にして、口に出すことが肝要なのだと言える。
私は日々、祈りを捧げつつ暮らしているが、神社参拝の折りには神職のように
朗々と祝詞を唱えることはしないが、祈りの時間が長いので、他の参拝者の
邪魔にならぬようにご神前の端っこに立ち、祝詞も祈りの詳細も呟くように、
囁くように口に出して、ご神明に語り掛けている。


「神社拝詞」は、神社参拝の折りに、個人個人で奏上する。
「神社拝詞」奏上に先立って、「祓詞(はらえのことば)」、或いは「祓詞」を
簡略化した「略拝詞」を唱える。
「祓詞」に代えて、「大祓詞(おおはらえのことば)」を用いても良いとされる。


箱根神社 夏越の祓


神社拝詞

掛けまくも畏き ○○神社の大前を拝み奉りて
かけまくもかしこき ○○じんじゃのおおまえを おろがみまつりて

恐み恐みも白さく。
かしこみ かしこみももうさく。

大神等の広き厚き御恵を辱み奉り 
おおかみたちの ひろきあつきみめぐみを かたじけなみまつり

高き尊き神教のまにまに 天皇を仰ぎ奉り
たかきとうとき みおしえのまにまに すめらみことをあおぎまつり

直き正しき真心もちて 誠の道に違うことなく
なおきただしき まごころもちて まことのみちに たがうことなく

負い持つ業に励ましめ給ひ 家門高く 身健やかに
おいもつわざに はげましめたまイ いえかどたかく みすこやかに

世のため人のために 尽くさしめ給えと
よのため ひとのために つくさしめたまエと

恐み恐みも白す。
かしこみ かしこみもまおす。
(文責在詠山史純)


神田神社BB


「現代語訳」
言葉に出して申し上げますのも恐れ多い○○神社の御前を拝し、
謹んで申し上げます。
神々の広く厚い御恵みを勿体無く思い、高く尊い神の教えの通り、
天皇陛下を仰ぎ尊び、素直で正しい真心に依って、人の道を踏み外す
ことなく、目分たちが、従事する勤めに励むことが出来ます様に、
また、家が栄え、家族も健康で世の為、人様の為に尽くさせて下さい
ませと、謹んで申し上げます。
(文責在詠山史純)





神々に捧げる言葉③…神棚拝詞(かみだなはいし)

神々に捧げる言葉③…神棚拝詞(かみだなはいし)

…神職でなくとも、祝詞を唱えるのは良いこと




「神棚拝詞」奏上に先立って、「祓詞(はらえのことば)」、或いは「祓詞」を
簡略化した「略拝詞」を唱える。
「祓詞」に代えて、「大祓詞(おおはらえのことば)」を用いても良いとされる。


神棚拝詞(一例)

此の神床み坐す 掛けまくも畏き 天照大御神
このかむどこにます かけまくもかしこきあまてらすおおかみ

産土大神等の大前を拝み奉りて 
うぶすなのおおかみたちの おおまえをおろがみまつりて

恐み恐みも白さく。
かしこみ かしこみももうさく。

大神等の広き厚き御恵を辱み奉り 
おおかみたちの ひろきあつきみめぐみを かたじけなみまつり

高き尊き神教のまにまに 直き正しき真心もちて
たかきとうとき みおしえのまにまに なおきただしき まごころもちて

誠の道に違うことなく 負い持つ業に励ましめ給ひ 
まことのみちに たがうことなく おいもつわざに はげましめたまイ

家門高く 身健やかに 世のため人のために
いえかどたかく みすこやかに よのため ひとのために

尽くさしめ給えと 恐み恐みも白す。
つくさしめたまエと かしこみかしこみもまおす。
(文責在詠山史純)

神棚450


「現代語訳」
この神棚に坐します、言葉に出して申し上げますのも恐れ多い天照大御神
(あまてらすおおみかみ)、この土地にお鎮まりになっている産土大神
(うぶすなのおおかみ)たちの御前を拝し、謹んで申し上げます。
神々の広く厚い御恵みを勿体無く思い、高く尊い神の教えの通り、
素直で正しい真心に依って、人の道を踏み外すことなく、目分たちが、
従事する勤めに励むことが出来ます様に、また、家が栄え、家族も健康で
世の為、人様の為に尽くさせて下さいませと、謹んで申し上げます。
(文責在詠山史純)






神々に捧げる言葉②…祓詞(はらえのことば)

神々に捧げる言葉②…祓詞(はらえのことば)

…神道では古来、清浄を重んじる




神道では古来、清浄であることを何よりも重んじ、心身の不浄を取り除き、
清浄を図る為に、「禊祓え(みそぎはらえ)」という方法が取られて来た。
「禊(ミソギ)」は「身削ぎ(ミソギ)」の意で、「禊祓え」は、「自分の身の
ケガレ」は削いで除き清め、「心のケガレ」は祓い落とすこととされている。

神の分霊(ワケミタマ)である我々の心と身体を、本来の「清く正しく輝く」状態に
戻したいという願いである。
身の穢れ、心の穢れ、魂の穢れを祓うことは、神へのお祈りの前提条件である。
神社参拝に当たっては、社頭の手水舎(てみずや)で水盤の水を柄杓で掬い、
手を洗い、口を濯ぎ、宗教的に身を清めてから、ご神前に進む。
日本人は古来、水にはあらゆる穢れを浄化する力があると信じて来たのである。
※「手水舎」は「ちょうずや」とも、「おみずや」とも呼ぶ。

そして、ご神前で「祓へ給ひ 清め給へ」と「祓詞(はらえことば)」を唱え、
祓い清めて頂いてから、お祈りを奏上する。


「祓詞」に描かれている、日本神話の中でのイザナギノミコトの禊祓えは、
死んでしまった妻のイザナミノミコトを訪ね、黄泉の国に行くと、妻の身体は
既に腐っていて、蛆虫が集り、すっかり黄泉の国の住人になってしまっていた。
死の国の穢れに触れてしまったイザナギノミコトは急いで逃げ帰り、筑紫の
日向の橘の小戸の阿波岐原の河原の流水で禊祓えをして、身を清めたとされる。
その禊祓えで、イザナギノミコトは、最高神である三貴神を産むことが出来た。
左目を洗った時に天照大御神(アマテラスオオミカミ)が産まれ、右目を
洗った時に月読命(ツクヨミノミコト)が産まれ、鼻を洗った時に須佐之男命
(スサノオノミコト)が産まれたとされる。


手水舎 神宮450


祓詞(はらえのことば)


掛けまくも畏き 伊邪那岐大神。
かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
つくしの ひむかの たちばなの おどの あわぎがはらに

御禊祓へ給ひし時に 生坐せる祓戸の大神等。
みそぎはらエたまイしときに なりませる はらえどのおおかみたち。

諸々の禍事 罪 穢有らむをば
もろもろのまがごと つみ けがれ あらんをば

祓へ給ひ 清め給へと白す事を 聞こし食せと
はらエたまイ きよめたまエと まをすことを きこしめせと

恐み恐みも白す。
かしこみ かしこみもまをす。
(文責在詠山史純)

(現代語訳)
お名前を口に出して、申し上げるのも恐れ多いイザナギの大神が筑紫の
日向の橘の小戸の阿波岐原で、黄泉の国での穢れを禊ぎ祓えされた時に
現われ為さった祓戸の大神たちよ。
色々な悪いことや、罪、穢れなどがありましたら、どうぞお祓い下さい、
お清め下さいとお願い申し上げることを、どうかお聞き届け下さいと
恐れながら、お願い申し上げます。
(文責在詠山史純)


祝詞奏上


※「祓詞」を簡略化した「略拝詞(りゃくはいし)」がある。

「略拝詞」
祓へ給へ。 清め給へ。
はらえたまえ きよめたまえ
(文責在詠山史純)





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