戦犯という言葉は死語である…戦争犯罪人とは、戦勝国側の概念である

戦犯という言葉は死語である 

        …戦争犯罪人とは、戦勝国側の概念である 
        …日本人であるならば、戦犯と呼ぶ勿れ 


安倍晋三首相が4月、高野山真言宗総本山金剛峯寺奥の院で執行された
昭和殉難者法務死追悼の年次法要に際し、「今日の日本の平和と繁栄の為、
自らの魂を賭して祖国の礎となられました昭和殉難者の御霊に謹んで哀悼の誠を
捧げます」とのメッセージを送ったと、朝日新聞は鬼の首でも獲ったかのように
報道している。

高野山奥の院には、1068柱の昭和殉難者法務死慰霊碑が建立されている。
法要の祭主は、昭和殉難者法務死追悼碑を守る会と近畿偕行会である。
朝日新聞の報道では、昭和殉難者法務死慰霊碑の建立誌に、東京裁判(極東国際
軍事裁判)を「歴史上、世界に例を見ない過酷で報復的裁判」と表現されていることや、
戦勝国側から戦争犯罪人の汚名を着せられ、処刑された同胞を「昭和殉難者」として
いることを問題視している物言いである。

我が国は昭和26年(1951年)9月8日調印、昭和27年(1952年)4月28日発効の
サンフランシスコ講和条約を以って、アメリカ軍を主体とした連合軍に依る占領状態から
独立を回復した訳であるが、朝日新聞の反日左翼的姿勢を見る限り、
62年を経た現在でも尚、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が存在し、
そのGHQが占領政策に用いた洗脳プログラム、日本人に自虐史観を植え付ける
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に忠実に従がい、自主的に
情報操作を励行、プレスコードを遵守しているかのようではないか。


日本人でありながら、大日本帝国の戦争責任者たちが戦勝国に押し付けられた
「戦争犯罪人」という不当な汚名を好んで使い続ける人々がいる。
曰く、靖国神社のご祭神に「A級戦犯」刑死者7人が合祀されている云々と。
「敗戦国日本の戦争犯罪」、「日本の戦争犯罪人」とは、戦勝国側の概念であり、
呼称に過ぎないのである。
戦勝国側から戦争犯罪人の汚名を着せられ、処刑された同胞が国内法に於いて、
犯罪者であろうはずがない。
彼らは日本人にとっては、敬意を払うべき、国家に殉じた尊い殉死者である。


降伏調印500


大日本帝国は昭和20年(1945年)8月14日午後11時、ポツダム宣言受諾を
連合国に通達して、事実上の無条件降伏をした。
厳密に言えば、大日本帝国陸海軍の無条件降伏であって、大日本帝国自体の
無条件降伏ではない。
大日本帝国は、ポツダム宣言の諸条件の下に降伏したはずであるが、占領政策
を実施したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令に服従した日本政府は、
歴史的事実として、国家主権をも放擲していた。

ポツダム宣言の第10項に、「われわれは、日本を人種として奴隷化するつもり
もなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を
虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては、厳重な処罰を加える
ものである。……」

(10)we do not intend that the japanese shall be enslaved as a race or
destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war
criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners.


終戦後、敗戦国日本は極東国際軍事裁判(東京裁判)に於いて、極東国際軍事
裁判所条例という、国際法で認められない事後法に依って裁かれ、また国内外
で、地域限定の戦争犯罪人として、多くの旧日本軍兵士が軍事裁判で裁かれた。
国内外で、戦争犯罪人として落命された人々は獄中死も含み、1068人にも上る。

極東国際軍事裁判所条例に於ける、A級B級C級戦争犯罪という戦争犯罪類型
は、単なる分類であって、戦争犯罪の軽重を意味している訳ではない。


A級戦争犯罪とは、「平和に対する罪」(Crimes against Peace) であり、
東京の極東国際軍事裁判所(市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂)で審理された。
B級戦争犯罪とは、「通例の戦争犯罪」( Conventional War Crimes) であり、
戦時国際法に於ける交戦法規違反行為を意味し、戦場地域の各国に於いて、
審理された。
C級戦争犯罪とは、「人道に対する罪」( Crimes against Humanity) であり、
日本に対しては殆ど適用されなかったとは言え、現実には、「捕虜虐待の指揮、
監督当たった士官など」をB級、そして、「直接捕虜を取り扱い、虐待の命令を
具体的に実行した、主に下士官、兵士、軍属」がC級として、処断された。


サンフランシスコ講和条約500


昭和26年(1951年)9月署名、11月批准、昭和27年4月28日に発効した
サンフランシスコ講和条約に依って、連合国は日本の主権を承認し、国際法上、
正式に日本と連合国間の戦争状態が終結した。
日本が主権を回復した、昭和27年から28年に掛けて、戦犯の釈放を求める声
が高まり、全国的規模で一斉に「戦争受刑者の助命、減刑、内地送還嘆願」の
署名運動が始められ、戦争受刑者釈放運動が巻き起こったという。
日本の人口が約8500万であった当時、その署名数は、地方自治体に依るもの
約2000万、各種団体に依るもの約2000万、合計約4000万にも達したという。

国会では、
●「戦犯在所者の釈放等に関する決議」 昭和27年(1952年)
  6月9日 第13回国会参議院本会議 第49号
●「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」 昭和27年(1952年)
  12月9日 第15回国会 衆議院本会議 第11号
●「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」 昭和28年(1953年)
  8月3日 第16回国会 衆議院本会議  第35号
●「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」 昭和30年(1955年)
  7月19日 第22回国会衆議院本会議 第43号
が可決されている。

国会で正式に、ABC級戦犯は法的には戦死者や戦場に於ける病死者同様、
国家の為に犠牲となった殉死者であり、公務死(戸籍記載は法務死)である
と決議された結果、公文書からも「戦犯刑死」という文字は削除され、
日本から「戦犯」という言葉は消えたのである。

国会の決議は、廃案が公布されない限りに於いて、恒久的な拘束力を持つ。
戦犯発言をする国会議員は、国会決議違反を犯していることになるのである。


戦犯釈放


更に、昭和31年(1956年)にはサンフランシスコ講和条約第11条
「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争
犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの
法廷が課した刑を執行するものとする。
これらの拘禁されている物を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、
各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く
場合の外、行使することができない。
極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に
代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、
行使することができない」に基づき、関係各国11カ国の同意を得て、
A級戦犯は赦免された。
この時点に於いて、国際的にも総べての戦犯が赦免されているのである。

日本人ならば、「戦犯」と呼ぶ勿れ。
戦勝国側の呼称「戦犯」という汚名は、60年前に抹消されているのである。



戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議 

           …昭和27年(1952年)12月の国会決議



第15回国会 衆議院本会議 第11号
昭和27年12月9日(火曜日)
 議事日程 第10号

戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案(田子一民君外58名提出)

午後1時47分開議

○議長(大野伴睦君)
これより会議を開きます。

『戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案』

○久野忠治君 
議事日程追加の緊急動議を提出いたします。
すなわち、田子一民君外五十八名提出、戦争犯罪による受刑者の釈放等に
関する決議案は、提出者の要求の通り委員会の審査を省略してこの際
これを上程し、その審議を進められんことを望みます。

○ 議長(大野伴睦君) 
久野君の動議に御異議ございませんか。
    【「異議なし」と呼ぶ者あり】

○ 議長(大野伴睦君) 
御異議なしと認めます。よつて日程は追加せられました。
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案を議題といたします。
提出者の趣旨弁明を許します。田子一民君。


    【田子一民君登壇】
○ 田子一民君 
ただいま議題となりました、自由党、改進党、両社会党、無所属倶楽部の
共同提案にかかる戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案、
右につきまして提案の趣旨弁明をいたしたいと存じます。
まず決議案の案文を朗読いたします。


田子一民A

 田子一民氏 (1881年-1963年) 岩手県盛岡市出身


「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」


独立後すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお
相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾と
するところである。

よつて衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンに
おいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において
拘禁中の者の内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において
拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級
の戦争犯罪による受刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する。
右決議する。

わが国は、平和条約の締結によつて独立国となつて、すでに半歳以上を
けみしておるのであります。
国民の大多数は、独立の喜びの中に、新生日本の再建に努力しております。
この際、このとき、この喜びをともにわかつことができず、戦争犯罪者として、
あるいは内地に、あるいは外地に、プリズンに、また拘置所に、希望なく
日を送つておりますることは、ひとり国民感情において忍び得ざるのみならず、
またさらに国際友好上きわめて遺憾に存ずるところであります。(拍手)

もとより、講和発効後、関係国の理解により、中国関係戦犯者九十一名の釈放、
米国関係十一名の仮出所、また近くは、インド、中国におきましては、戦犯者
のある部分につき釈放に同意したとのことでありまして、ここに諸君とともに、
これらの国に対しましては感謝の意を表するものであります。
さりながら、ひるがえつて他面を見ますれば、今もつて海外におきましては、
死刑の宣告を受けておりまする者五十九名を含む三百八名、これに内地在所者
を加えますれば、千百三十名になんなんとする多数の人々は、いまなお獄窓に
坤吟しつつあるのであります。実に私どもの黙視し得ざる点でございます。

そもそも戦犯による受刑者と申しまするものは、旧時代における戦争によつて
生じた犠牲者なのであります。
これらの人々は、和解と信頼による平和条約の発効の後におきましては当然
赦免せらるべきことを期待し、あきらめの態度を定め、従順かつまじめに服役
を続けて来ておるのであります。
しかるに、条約発効後すでに半歳以上をけみしましても、荏苒期待に反して、
そのことなきことは、私どもの遺憾禁じ得ざるところであり、関係者の失望と
焦燥とは察するに余りある次第でございます。
いわんや、その家族、縁者の物心両界にわたる苦痛は惨たるものあり、
生活の窮乏者さえ多いのであります。
これらの人々は、戦後七年間はもとより、また戦時中より通算しますれば
実に十数年の長きにわたつて家庭の支柱を奪われ、しかも今日までよく耐え、
よく忍んで来ましたゆえんのものは、一に講和条約が発効をしたならばとの
期待を持つたためなのであります。
しかるに、事期待に反し、その落胆、焦心は同情にたえざるところであります。
さらに一般国民は、戦争の犠牲を戦犯者と称せらるる人々のみに負わすべきで
なく、一般国民もともにその責めに任ずべきものであるとなし、戦犯者の助命、
帰還、釈放の嘆願署名運動を街頭に展開いたしましたことは、これ国民感情の
現われと見るべきものでございます。

およそ戦争犯罪の処罰につきましては、極東国際軍事裁判所インド代表パール
判事によりまして有力な反対がなされ、また東京裁判の弁護人全員の名に
おきましてマツカーサー元帥に対し提出いたしました覚書を見ますれば、
裁判は不公正である、その裁判は証拠に基かない、有罪は容疑の余地がある
という以上には立証されなかつたとあります。
東京裁判の判定は、現在あるがままでありましたならば、何らの善も生まず、
かえつて悪に悪を重ねるだけであると結論づけておりますことは、諸君の
すでに御承知の通りであります。
また外地における裁判について申し上げましても、裁判手続において十分な
弁護権を行使し得なかつた関係もあり、また戦争当初と事件審判との間には
幾多の時を費しまして、あるいは人違い、あるいは本人の全然関知しなかつた
事件もあると聞いておるのであります。

英国のハンキー卿は、その著書において、この釈放につき一言触れております
が、その中に、英米両国は大赦の日を協定し、一切の戦争犯罪者を赦免すべき
である、かくして戦争裁判の失敗は永久にぬぐい去られるとき、ここに初めて
平和に向つての決定的な一歩となるであろうと申しておるのであります。
かかる意見は、今日における世界の良識であると申しても過言ではないと
存じます。(拍手)

かくして、戦争犯罪者の釈放は、ひとり全国民大多数の要望であるばかりで
なく、世界の良識の命ずるところであると存じます。
もしそれ事態がいたずらに現状のままに推移いたしましたならば、処罰の実質
は戦勝者の戦敗者に対する憎悪と復讐の念を満足する以外の何ものでもない
との非難を免れがたいのではないかと深く憂うるものであります。(拍手)

今や、わが国は、世界平和確立に鋭意努力しております。
政府は、関係諸国に対し、まずB級及びC級を手始めとして、一日も早く
全部の赦免、減刑、仮出獄の処置に出るよう、迅速にして適切な方途を講じ、
一は国民感情の満足を求め、家族縁者の悲願にこたえ、一は国際友好の上に
遺憾なからしめるよう、強く要望してやみません。

はなはだ言葉足らず、意を尽しませんが、これ本案を提出するゆえんで
ございます。何とぞ満堂の諸君の御賛成を仰ぎたいと存じます。(拍手)


国会 畑


○ 議長(大野伴睦君) 
これより討論に入ります。館俊三君。

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○ 議長(大野伴睦君) 
これにて討論は終局いたしました。
採決いたします。本案に賛成の諸君の起立を求めます。

【賛成者起立】

○ 議長(大野伴睦君) 
起立多数。よつて本案は可決いたしました。(拍手)



「衆議院会議録」より


戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議

            …昭和28年(1953年)の国会決議



巣鴨プリズンV


第16回国会 衆議院本会議 第35号
昭和28年8月3日 議事日程第34号
   
午後1時開議

○ 議長(堤康次郎君) 
日程第六、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案を議題といたします。
委員長の報告を求めます。
海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員長山下春江君。

※山下春江氏(1901年-1985年)は、日本初の女性国会議員の一人。

【山下春江君登壇】

○ 山下春江君 
ただいま議題となりました戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案に
ついて、海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会における
審議の経過並びに結果を御報告申し上げます。
まず、決議案文を朗読いたします。


「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」

八月十五日九度目の終戦記念日を迎えんとする今日、しかも独立後すでに
十五箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を
見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好
の上より誠に遺憾とするところである。
しかしながら、講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国は昨年八月
日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を
実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フイリピン共和国はキリノ大統領
の英断によつて、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の
至りである。
且又、来る八月八日には濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは衷心
欣快に堪えないと同時に、濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである。

かくて戦争問題解決の途上に横たわつていた最大の障害が完全に取り除かれ、
事態は、最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、この機会を
逸することなく、この際有効適切な処置が講じられなければ、受刑者の心境は
憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。
われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又
世界平和、国家親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきこと
を喫緊の要事と確信するものである。
よつて政府は、全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な
措置を要望する。
右決議する。 【拍手】

そもそも、講和条約発効以来、戦争受刑者の釈放措置等について決議案が
本院に上程せられましたのは、今回が第三回目でございます。
しかも、今回は、前二回とはまつたく異なつた情勢下において御審議を願う
わけでございます。
と申しますのは、昨年八月、中国が、日華条約発効と同時に、全員赦免を断行
して、戦犯問題を一挙に解決して以来、本年六月に至るまでは、ひとり米国が
前後十三回にわたり合計約六十名の仮出所を許しただけで、全面的解決の兆候
はいずこの国にもこれを認めることができなかつたのであります。

しかるに、本年六月に入るや、フランスが突如大減刑を断行して、ほとんど
全員を釈放したのに続いて、このたび比島は、キリノ大統領の大英断によつて、
モンテインルパに服役しておられた百八名全員の内地送還、しかも、同時に、
死刑から終身刑に減刑となつた五十六名の巣鴨移管を除き、他の全員に対して
赦免の措置がとられ、去る七月二十二日朝、横浜埠頭に、これらの方々全員の
ほか、痛ましくも異境の丘に散つた刑死者の御遺骨十七柱までもお迎えする
ことができたのでございます。

八年という長い間、異国の獄中、苛烈なる運命に耐えて来られた、これらの人々
を迎えるこの日の母国は、折からのつゆ空もめずらしく晴れわたり、岸壁を
埋めた数万人の出迎人のどよめきの中に、戦友の御遺骨をしつかと抱いて、
白山丸から歩一歩静かに祖国の土におり立つた方々の深刻な苦悩を刻んだ悲壮
な姿は、人々に深い感銘を与え、群衆も一瞬鳴りをしずめたのでございます。
【拍手】
続いて、御遺骨に対するしめやかな拝礼が行われている一方には、上陸第一歩
とともに自由の身となつた方々を囲む晴やかな歓声があがり、またその一方に
は、黙々として巣鴨の鉄窓の中に送り込まれる一団の方々がありました。
まことに悲喜哀歓、あらゆる感激の場面が展開され、名状しがたい大きな感動
がすべての人々の心を支配していたのでございます。
生ける者、死せる者、すべてを母国に迎え得た、それはやはり国民の大きな喜び
でなければなりません。【拍手】

私は、この機会に、個人的な恩讐を超越して、よく比島国民の不満を押え、
正義人道の大局からこのたびの大英断を下されたキリノ大統領に対し、
最大の敬意と感謝をささげるものであります。【拍手】
なおまた、この悲願達成の陰に、筆舌に尽しがたい苦難の道を乗り越えて、
献身的な努力を続けられましたモンテインルパの聖者加賀尾秀忍師、マニラ
在外事務所の金山参事官、復員局の植木事務官に対しましても、厚くお礼を
申し上げたいと存じます。【拍手】

さて、一方、この比島政府の英断が発表せられました直後、さらに大きな朗報
が伝えられましたのは、いわゆるマヌス島に服役しておられる戦争受刑者の
内地送還決定に関する濠州政府の発表でございました。
この内還につきましては、さきに英国女王陛下の戴冠式にあたり、去る六月
二日、本委員会委員長名をもつて、これらマヌス島の方々の内地送還実現に
つき、請願書を駐日濠州大使を介して同女王陛下に送りましたが、今日その
実現を見ましたことは喜びにたえません。【拍手】
すでに濠州政府の了解を得ましてお迎えに参りました白龍丸は、七月三十一日
午前十時現地を出発し、ただいま日本に向つて航海中であります。
昨二日午後九時、白龍丸から、このたびの内還は、議員各位、特に引揚委員長
等の御同情と御努力によるところ大なりと考え感謝にたえず、なお今後一層
御高配をお願いする、マヌス戦犯一同、という電報が来ました。
かくして、来る八日には、過去八年絶海の孤島に孤立無援の生活を続けて
来られました百六十五名の方々全員を日本にお迎えすることができますことは、
私どもの大きな喜びとするところでございます。【拍手】

マヌス島と申しましても、収容所の置かれていたその属島ロスネグロスに
おいて、海軍基地建設の重労働に従事せしめられて参りましたこの方々は、
温帯人の長期在住不可能と称せられる灼熱瘴癘の地に八年間、もみだらけの
玄米と、コーンビーフとグリーンピースという、全然献立の変化のない食生活
では生きる気力もうせなんとする悪環境に耐えて、奇跡的に生き抜いて
来られたのであります。
新鮮な野菜を食べたのは、八年間に二、三度ということであります。
わけても僻遠の地である上に、通信連絡の制限は相当にきびしく、家庭との
密接な連絡はきわめて困難なばかりでなく、内地からの来訪はまつたく
許されない、いわゆるやしのカーテンに隔てられた別天地でございますので、
ここに暮された御当人にも増して、肉親の方々の不安と懊悩はまことに深刻な
ものがあつたことでございましよう。
いつ帰るという当てのない人を待ち暮す内地の肉親は、「神仏いかにかおぼす
八年ごしあつき島わにつながるる身を」と、はるかに思いを遠く熱帯の孤島に
はせて、ひそかに焦燥の思いを述べ、「待ちに待つ故郷人をしのびつつ今暫らく
を強く生きませ」と祈り、かつ励ますほかはなかつたのであります。
いずれも今村元大将夫人の作でございます。
しかし、これらの方々の上にも、やがて喜びの日が訪れるのでございます。
収容所入所以来、最初の往訪者であるスタンレー記者が現地より報ずるところ
によれば、帰国の日取りがきまつて、終身刑の戦犯たちの中にさえ笑い声が
起つているということであります。
八年間笑いを忘れていたとは、何たる悲惨なことでございましよう。
この方々に対して喜びを与えられた今回の濠州政府の英断に対しまして、
私は心から感謝の意を表するものであります。【拍手】

さて、かくのごとくにいたしまして、もはや海外に残されました戦争受刑者は
一名もなくなり、従来戦犯問題解決の途上に横たわつておりました最大の障害
は完全に一掃されました。
事態はまさに最終の段階に突入したものと考えられるのでございます。
すなわち、平和条約によつて拘禁せられる戦争受刑者は、やがて濠州より送還
される百六十五名を最後といたしまして、全員巣鴨に集結し、巣鴨は再び
九百二十余名にふくれ上るのであります。
これらの方々については、もはや助命運動も内還運動も一切は終了し、
残された問題は、ただこの方々を一刻も早く巣鴨から釈放するということだけ
になつたのでございます。【拍手】

 ここで考えていただきたいことは、朝鮮戦争の終結でございます。
惨列をきわめた武力戦が停止となり、恒久の平和がこれによつてもたらされる
ことは万人の願いでございますが、このたびの休戦は勝敗なき休戦であり、
降伏なき終戦であり、従つて戦犯裁判を伴わざる終戦でございます。
開戦以来、この戦争においては、双方ともに相手方の戦犯行為を指摘非難して
参りましたが、このような休戦となつてみれば、その処罰などは、双方とも
やろうとしてもできることではございません。【拍手】
結局、戦犯裁判というものが常に降伏した者の上に加えられる災厄であると
するならば、連合国は法を引用したのでもなければ適用したのでもない、
単にその権力を誇示したにすぎない、と喝破したパル博士の言はそのまま真理
であり、今日巣鴨における拘禁継続の基礎はすでに崩壊していると考えざるを
得ないのであります。【拍手】

最近、ソ連ばオーストリアの戦犯六百名を釈放し、さらにまた同国に抑留され
ている日本人戦犯の釈放内還見込みありとの報道も伝えられております。
このごろの世界情勢の急変を見れば、ソ連が戦犯と称する全員を釈放して、
巣鴨が現在のままに取残されるということなきを保しがたいのであります。
【拍手】
「獄にしてわれ死ぬべしやみちのくに母はいますにわれ死ぬべしや」、
このような悲痛な気持を抱いて、千名に近い人々が巣鴨に暮しているという
ことを、何とて独立国家の面目にかけて放置しておくことができましよう。
【拍手】 機運はまさに熟しているのであります。
以上が大体本案の趣旨であります。

本案は、七月二十七日本委員会に付託されたのでありまして、委員会は、
現在の情勢を正しく認識し、その最終の段階に対処し、一刻もすみやかに
問題の抜本的解決をはかるの要あるものと認め、本案をもつて本院における
最終の決議たらしむべく、二十八日委員会において全会一致をもつて原案を
可決すべきものと議決した次第でございます。
 右御報告申し上げます。


議事堂 畑


○ 議長(堤康次郎君) 
採決いたします。本案は、委員長報告の通り決するに御異議ありませんか。
    【「異議なし」と呼ぶ者あり】

○ 議長(堤康次郎君) 
御異議なしと認めます。よつて本案は委員長報告の通り可決いたしました。
【拍手】


「衆議院会議録」より


BC級戦犯の遺族に遺骨

               BC級戦犯として、処刑された人々の遺骨が遺族に引き渡された。
               写真は、昭和29年(1954年)3月の撮影。









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日本の慟哭② …衆人環視の中でのBC級戦犯銃殺刑

日本の慟哭② 

…衆人環視の中でのBC級戦犯銃殺刑




田中久一陸軍少将(1889年-1947年) 兵庫県出身 陸軍士官学校22期
終戦時、第23軍司令官兼香港総督
昭和21年(1946年)3月、BC級戦犯指名され、10月9日、上海アメリカ軍事法廷で
死刑判決を受ける。
更に、昭和22年(1947年)3月、支那の軍事法廷で起訴され、同年3月27日、
広東で衆人環視の中、銃殺刑に処せられた。

辞世
「永年の 終りの歩み さわやかに 恵みの途を 辿りゆく吾」


田中久一中将A


田中中将 移送500


田中久一中将B


田中中将A500



支那のネット情報では、昭和22年(1947年)6月11日、南京に於ける
「松本浩」氏(詳細不明)の銃殺刑とある。


詳細不明A


戦犯処刑 支那H


※射殺した支那兵が被っているのは、ドイツ国防軍と同じM35型ヘルメットで、
蒋介石の国民党中央直轄軍はドイツ製のM35型を標準装備していた。

ナチス政権下のドイツは、昭和11年(1936年)に日独防共協定を締結する
一方で、昭和13年(1938年)まで、蒋介石の国民党軍に軍事顧問団を派遣し、
軍の育成や軍需産業の援助を継続していた。
このドイツ軍事顧問団は、昭和12年(1937年)の第二次上海事変では、同盟国の
日本軍に敵対し、支那軍の作戦計画を立案、ドイツ軍が第一次世界大戦中に
築いていたヒンデンブルクラインと呼ばれる要塞群を模した防御陣地を構築し、
塹壕戦を指導した。
概して、ナチス党は日本重視、ドイツ外務省は支那重視であったとされる。



以下、詳細は不明。

詳細不明C500


詳細不明D500


戦犯処刑2




チョン公の侮辱


日本の慟哭① … BC級戦犯処刑(上海) 鏑木正隆陸軍少将

日本の慟哭① 

… BC級戦犯処刑(上海) 鏑木正隆陸軍少将



鏑木(かぶらぎ)正隆陸軍少将(陸軍士官学校32期)広島市出身
終戦時の最終位置は、第55軍参謀長
昭和21年(1946年)4月22日 上海にて絞首刑 享年49歳


昭和19年11月、支那大陸奥地の航空基地を拠点に、漢口大空襲を展開して
いたアメリカ陸軍航空隊のB-29爆撃機を日本軍が撃墜し、脱出した搭乗員
3名を捕えた。
この捕虜3名の虐殺容疑で、復員を果たしていた陸軍第34軍関係者が逮捕され、
上海監獄に移送された上で、上海アメリカ軍事委員会に裁かれた。
命令者を特定しないまま、昭和21年(1946年)2月28日、絞首刑5名、
終身刑1名、有期刑11名の判決が下され、昭和21年4月22日、
衆人環視の中で5名の絞首刑が執行された。

鏑木正隆少将  (広島県出身) 第三十四軍参謀長  49歳
増田耕一軍曹  (香川県出身) 漢口憲兵隊     27歳
藤井力准尉   (徳島県出身) 漢口憲兵分隊    41歳
増井昌三曹長  (静岡県出身) 漢口憲兵分隊    29歳
白川興三郎伍長 (新潟県出身) 漢口憲兵分隊    23歳

この漢口事件当時、第34軍の司令官は佐野忠義中将であったが、昭和20年
(1945年)7月に戦病死していた為、その身替わりとして、参謀長であった
鏑木正隆少将が極刑に処せられたとの説がある。


鏑木正隆少将の「家族への手紙」

二月二十八日上海米軍公判の於て死刑の宣告を受く。
本件は予が呂武集団参謀長として漢口在任中に起りし米軍俘虜に対する
惨虐行為に関し責任を問はれたものにして、事件の真相は茲に詳記せざるも、
予個人としては俯仰天地に恥づる点なきを以て此点安心せられよ。
本事件により聖戦の真意義に汚点を印し又多数将兵が重き処刑を受くるに
至りしは断腸の至りにして、当時軍参謀長たりし予としては、此の惨虐行為を
未然に予防し得ざりし不明に対し責任の重大なるを痛感しあり。
軍人生活二十数年戦場にて散るべかりし身を此の如き最後に終らんとは
残念至極なり。

※文中の「呂武」とは、第34軍の通称号である。


鏑木正隆少将の「手紙」

冠省 被告十八名中死刑は小生を合し五名、無期一名、二十年一名、十五年
三名、十二年三名、三年二名、二年一名、一年半一名、無罪一名の極めて
峻烈なるものあり。
特に上官の命令により行動せし下士官兵多数重き処刑を受くるに至りしは
気の毒至極にて断腸の思あり。
当時事件の中心人物たる泉中尉は満州にありて不参、憲兵分隊長服部中佐は
自殺しあり、其の他下士官中当時の状況を最もよく承知しある者一名は既に
死亡しあり、一名は所在不明にて不参の状況下に公判は行はる。
泉中尉不参の為小生の立場を立証し呉れる者なく為に検事は小生が本事件を
計画し泉中尉に指示せる如く誤断想像し求刑せらるる結果となれり。
之も運命と諦めあり。
特に多数の下士官兵が重き処刑を受けたることを思へば自分の罪など軽かれ
とも思はれず、寧ろ当時の参謀長としての重責を痛感致し此の事件の惨虐性を
未然に防ぎ得ざりし不明を嘆ずるの外なし。


死刑執行の日を待ちつつ
今朝も亦身の辺ととのへ偲びけり
兜の内に香たきし人
我が責めは血もて償ひ今日よりは
あまかけりつつ御国護らむ


「絶筆」

「贖罪自決の心積りにて最後の場に臨むべく、見苦しからぬ最後を遂げたく
念願致居候。他の四名何れも立派な覚悟の様お見受け小生感激致居候」


鏑木正隆少将 4 22 1945 処刑直前

鏑木正隆少将 処刑直前、支那人僧侶に挨拶


鏑1 500


鏑木中将B500


鏑木正隆中将 絞首刑


鏑3 500


鏑 最期500


大東亜戦争に罪有りとするならば、国家の罪を個人が背負わされた究極的な悲劇の構図が
そこにはあったのである。






戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議 …昭和28年(1953年)の国会決議

戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議


            …昭和28年(1953年)の国会決議



巣鴨プリズンV


第16回国会 衆議院本会議 第35号
昭和28年8月3日 議事日程第34号
   
午後1時開議

○ 議長(堤康次郎君) 
日程第六、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案を議題といたします。
委員長の報告を求めます。
海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員長山下春江君。

※山下春江氏(1901年-1985年)は、日本初の女性国会議員の一人。

【山下春江君登壇】

○ 山下春江君 
ただいま議題となりました戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案に
ついて、海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会における
審議の経過並びに結果を御報告申し上げます。
まず、決議案文を朗読いたします。


「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」

八月十五日九度目の終戦記念日を迎えんとする今日、しかも独立後すでに
十五箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を
見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好
の上より誠に遺憾とするところである。
しかしながら、講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国は昨年八月
日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を
実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フイリピン共和国はキリノ大統領
の英断によつて、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の
至りである。
且又、来る八月八日には濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは衷心
欣快に堪えないと同時に、濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである。

かくて戦争問題解決の途上に横たわつていた最大の障害が完全に取り除かれ、
事態は、最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、この機会を
逸することなく、この際有効適切な処置が講じられなければ、受刑者の心境は
憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。
われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又
世界平和、国家親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきこと
を喫緊の要事と確信するものである。
よつて政府は、全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な
措置を要望する。
右決議する。 【拍手】

そもそも、講和条約発効以来、戦争受刑者の釈放措置等について決議案が
本院に上程せられましたのは、今回が第三回目でございます。
しかも、今回は、前二回とはまつたく異なつた情勢下において御審議を願う
わけでございます。
と申しますのは、昨年八月、中国が、日華条約発効と同時に、全員赦免を断行
して、戦犯問題を一挙に解決して以来、本年六月に至るまでは、ひとり米国が
前後十三回にわたり合計約六十名の仮出所を許しただけで、全面的解決の兆候
はいずこの国にもこれを認めることができなかつたのであります。

しかるに、本年六月に入るや、フランスが突如大減刑を断行して、ほとんど
全員を釈放したのに続いて、このたび比島は、キリノ大統領の大英断によつて、
モンテインルパに服役しておられた百八名全員の内地送還、しかも、同時に、
死刑から終身刑に減刑となつた五十六名の巣鴨移管を除き、他の全員に対して
赦免の措置がとられ、去る七月二十二日朝、横浜埠頭に、これらの方々全員の
ほか、痛ましくも異境の丘に散つた刑死者の御遺骨十七柱までもお迎えする
ことができたのでございます。

八年という長い間、異国の獄中、苛烈なる運命に耐えて来られた、これらの人々
を迎えるこの日の母国は、折からのつゆ空もめずらしく晴れわたり、岸壁を
埋めた数万人の出迎人のどよめきの中に、戦友の御遺骨をしつかと抱いて、
白山丸から歩一歩静かに祖国の土におり立つた方々の深刻な苦悩を刻んだ悲壮
な姿は、人々に深い感銘を与え、群衆も一瞬鳴りをしずめたのでございます。
【拍手】
続いて、御遺骨に対するしめやかな拝礼が行われている一方には、上陸第一歩
とともに自由の身となつた方々を囲む晴やかな歓声があがり、またその一方に
は、黙々として巣鴨の鉄窓の中に送り込まれる一団の方々がありました。
まことに悲喜哀歓、あらゆる感激の場面が展開され、名状しがたい大きな感動
がすべての人々の心を支配していたのでございます。
生ける者、死せる者、すべてを母国に迎え得た、それはやはり国民の大きな喜び
でなければなりません。【拍手】

私は、この機会に、個人的な恩讐を超越して、よく比島国民の不満を押え、
正義人道の大局からこのたびの大英断を下されたキリノ大統領に対し、
最大の敬意と感謝をささげるものであります。【拍手】
なおまた、この悲願達成の陰に、筆舌に尽しがたい苦難の道を乗り越えて、
献身的な努力を続けられましたモンテインルパの聖者加賀尾秀忍師、マニラ
在外事務所の金山参事官、復員局の植木事務官に対しましても、厚くお礼を
申し上げたいと存じます。【拍手】

さて、一方、この比島政府の英断が発表せられました直後、さらに大きな朗報
が伝えられましたのは、いわゆるマヌス島に服役しておられる戦争受刑者の
内地送還決定に関する濠州政府の発表でございました。
この内還につきましては、さきに英国女王陛下の戴冠式にあたり、去る六月
二日、本委員会委員長名をもつて、これらマヌス島の方々の内地送還実現に
つき、請願書を駐日濠州大使を介して同女王陛下に送りましたが、今日その
実現を見ましたことは喜びにたえません。【拍手】
すでに濠州政府の了解を得ましてお迎えに参りました白龍丸は、七月三十一日
午前十時現地を出発し、ただいま日本に向つて航海中であります。
昨二日午後九時、白龍丸から、このたびの内還は、議員各位、特に引揚委員長
等の御同情と御努力によるところ大なりと考え感謝にたえず、なお今後一層
御高配をお願いする、マヌス戦犯一同、という電報が来ました。
かくして、来る八日には、過去八年絶海の孤島に孤立無援の生活を続けて
来られました百六十五名の方々全員を日本にお迎えすることができますことは、
私どもの大きな喜びとするところでございます。【拍手】

マヌス島と申しましても、収容所の置かれていたその属島ロスネグロスに
おいて、海軍基地建設の重労働に従事せしめられて参りましたこの方々は、
温帯人の長期在住不可能と称せられる灼熱瘴癘の地に八年間、もみだらけの
玄米と、コーンビーフとグリーンピースという、全然献立の変化のない食生活
では生きる気力もうせなんとする悪環境に耐えて、奇跡的に生き抜いて
来られたのであります。
新鮮な野菜を食べたのは、八年間に二、三度ということであります。
わけても僻遠の地である上に、通信連絡の制限は相当にきびしく、家庭との
密接な連絡はきわめて困難なばかりでなく、内地からの来訪はまつたく
許されない、いわゆるやしのカーテンに隔てられた別天地でございますので、
ここに暮された御当人にも増して、肉親の方々の不安と懊悩はまことに深刻な
ものがあつたことでございましよう。
いつ帰るという当てのない人を待ち暮す内地の肉親は、「神仏いかにかおぼす
八年ごしあつき島わにつながるる身を」と、はるかに思いを遠く熱帯の孤島に
はせて、ひそかに焦燥の思いを述べ、「待ちに待つ故郷人をしのびつつ今暫らく
を強く生きませ」と祈り、かつ励ますほかはなかつたのであります。
いずれも今村元大将夫人の作でございます。
しかし、これらの方々の上にも、やがて喜びの日が訪れるのでございます。
収容所入所以来、最初の往訪者であるスタンレー記者が現地より報ずるところ
によれば、帰国の日取りがきまつて、終身刑の戦犯たちの中にさえ笑い声が
起つているということであります。
八年間笑いを忘れていたとは、何たる悲惨なことでございましよう。
この方々に対して喜びを与えられた今回の濠州政府の英断に対しまして、
私は心から感謝の意を表するものであります。【拍手】

さて、かくのごとくにいたしまして、もはや海外に残されました戦争受刑者は
一名もなくなり、従来戦犯問題解決の途上に横たわつておりました最大の障害
は完全に一掃されました。
事態はまさに最終の段階に突入したものと考えられるのでございます。
すなわち、平和条約によつて拘禁せられる戦争受刑者は、やがて濠州より送還
される百六十五名を最後といたしまして、全員巣鴨に集結し、巣鴨は再び
九百二十余名にふくれ上るのであります。
これらの方々については、もはや助命運動も内還運動も一切は終了し、
残された問題は、ただこの方々を一刻も早く巣鴨から釈放するということだけ
になつたのでございます。【拍手】

 ここで考えていただきたいことは、朝鮮戦争の終結でございます。
惨列をきわめた武力戦が停止となり、恒久の平和がこれによつてもたらされる
ことは万人の願いでございますが、このたびの休戦は勝敗なき休戦であり、
降伏なき終戦であり、従つて戦犯裁判を伴わざる終戦でございます。
開戦以来、この戦争においては、双方ともに相手方の戦犯行為を指摘非難して
参りましたが、このような休戦となつてみれば、その処罰などは、双方とも
やろうとしてもできることではございません。【拍手】
結局、戦犯裁判というものが常に降伏した者の上に加えられる災厄であると
するならば、連合国は法を引用したのでもなければ適用したのでもない、
単にその権力を誇示したにすぎない、と喝破したパル博士の言はそのまま真理
であり、今日巣鴨における拘禁継続の基礎はすでに崩壊していると考えざるを
得ないのであります。【拍手】

最近、ソ連ばオーストリアの戦犯六百名を釈放し、さらにまた同国に抑留され
ている日本人戦犯の釈放内還見込みありとの報道も伝えられております。
このごろの世界情勢の急変を見れば、ソ連が戦犯と称する全員を釈放して、
巣鴨が現在のままに取残されるということなきを保しがたいのであります。
【拍手】
「獄にしてわれ死ぬべしやみちのくに母はいますにわれ死ぬべしや」、
このような悲痛な気持を抱いて、千名に近い人々が巣鴨に暮しているという
ことを、何とて独立国家の面目にかけて放置しておくことができましよう。
【拍手】 機運はまさに熟しているのであります。
以上が大体本案の趣旨であります。

本案は、七月二十七日本委員会に付託されたのでありまして、委員会は、
現在の情勢を正しく認識し、その最終の段階に対処し、一刻もすみやかに
問題の抜本的解決をはかるの要あるものと認め、本案をもつて本院における
最終の決議たらしむべく、二十八日委員会において全会一致をもつて原案を
可決すべきものと議決した次第でございます。
 右御報告申し上げます。


議事堂 畑


○ 議長(堤康次郎君) 
採決いたします。本案は、委員長報告の通り決するに御異議ありませんか。
    【「異議なし」と呼ぶ者あり】

○ 議長(堤康次郎君) 
御異議なしと認めます。よつて本案は委員長報告の通り可決いたしました。
【拍手】


「衆議院会議録」より


BC級戦犯の遺族に遺骨

               BC級戦犯として、処刑された人々の遺骨が遺族に引き渡された。
               写真は、昭和29年(1954年)3月の撮影。



戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議 …昭和27年(1952年)12月の国会決議

戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議 

           …昭和27年(1952年)12月の国会決議



第15回国会 衆議院本会議 第11号
昭和27年12月9日(火曜日)
 議事日程 第10号

戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案(田子一民君外58名提出)

午後1時47分開議

○議長(大野伴睦君)
これより会議を開きます。

『戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案』

○久野忠治君 
議事日程追加の緊急動議を提出いたします。
すなわち、田子一民君外五十八名提出、戦争犯罪による受刑者の釈放等に
関する決議案は、提出者の要求の通り委員会の審査を省略してこの際
これを上程し、その審議を進められんことを望みます。

○ 議長(大野伴睦君) 
久野君の動議に御異議ございませんか。
    【「異議なし」と呼ぶ者あり】

○ 議長(大野伴睦君) 
御異議なしと認めます。よつて日程は追加せられました。
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案を議題といたします。
提出者の趣旨弁明を許します。田子一民君。


    【田子一民君登壇】
○ 田子一民君 
ただいま議題となりました、自由党、改進党、両社会党、無所属倶楽部の
共同提案にかかる戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案、
右につきまして提案の趣旨弁明をいたしたいと存じます。
まず決議案の案文を朗読いたします。


田子一民A

 田子一民氏 (1881年-1963年) 岩手県盛岡市出身


「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」


独立後すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお
相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾と
するところである。

よつて衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンに
おいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において
拘禁中の者の内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において
拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級
の戦争犯罪による受刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する。
右決議する。

わが国は、平和条約の締結によつて独立国となつて、すでに半歳以上を
けみしておるのであります。
国民の大多数は、独立の喜びの中に、新生日本の再建に努力しております。
この際、このとき、この喜びをともにわかつことができず、戦争犯罪者として、
あるいは内地に、あるいは外地に、プリズンに、また拘置所に、希望なく
日を送つておりますることは、ひとり国民感情において忍び得ざるのみならず、
またさらに国際友好上きわめて遺憾に存ずるところであります。(拍手)

もとより、講和発効後、関係国の理解により、中国関係戦犯者九十一名の釈放、
米国関係十一名の仮出所、また近くは、インド、中国におきましては、戦犯者
のある部分につき釈放に同意したとのことでありまして、ここに諸君とともに、
これらの国に対しましては感謝の意を表するものであります。
さりながら、ひるがえつて他面を見ますれば、今もつて海外におきましては、
死刑の宣告を受けておりまする者五十九名を含む三百八名、これに内地在所者
を加えますれば、千百三十名になんなんとする多数の人々は、いまなお獄窓に
坤吟しつつあるのであります。実に私どもの黙視し得ざる点でございます。

そもそも戦犯による受刑者と申しまするものは、旧時代における戦争によつて
生じた犠牲者なのであります。
これらの人々は、和解と信頼による平和条約の発効の後におきましては当然
赦免せらるべきことを期待し、あきらめの態度を定め、従順かつまじめに服役
を続けて来ておるのであります。
しかるに、条約発効後すでに半歳以上をけみしましても、荏苒期待に反して、
そのことなきことは、私どもの遺憾禁じ得ざるところであり、関係者の失望と
焦燥とは察するに余りある次第でございます。
いわんや、その家族、縁者の物心両界にわたる苦痛は惨たるものあり、
生活の窮乏者さえ多いのであります。
これらの人々は、戦後七年間はもとより、また戦時中より通算しますれば
実に十数年の長きにわたつて家庭の支柱を奪われ、しかも今日までよく耐え、
よく忍んで来ましたゆえんのものは、一に講和条約が発効をしたならばとの
期待を持つたためなのであります。
しかるに、事期待に反し、その落胆、焦心は同情にたえざるところであります。
さらに一般国民は、戦争の犠牲を戦犯者と称せらるる人々のみに負わすべきで
なく、一般国民もともにその責めに任ずべきものであるとなし、戦犯者の助命、
帰還、釈放の嘆願署名運動を街頭に展開いたしましたことは、これ国民感情の
現われと見るべきものでございます。

およそ戦争犯罪の処罰につきましては、極東国際軍事裁判所インド代表パール
判事によりまして有力な反対がなされ、また東京裁判の弁護人全員の名に
おきましてマツカーサー元帥に対し提出いたしました覚書を見ますれば、
裁判は不公正である、その裁判は証拠に基かない、有罪は容疑の余地がある
という以上には立証されなかつたとあります。
東京裁判の判定は、現在あるがままでありましたならば、何らの善も生まず、
かえつて悪に悪を重ねるだけであると結論づけておりますことは、諸君の
すでに御承知の通りであります。
また外地における裁判について申し上げましても、裁判手続において十分な
弁護権を行使し得なかつた関係もあり、また戦争当初と事件審判との間には
幾多の時を費しまして、あるいは人違い、あるいは本人の全然関知しなかつた
事件もあると聞いておるのであります。

英国のハンキー卿は、その著書において、この釈放につき一言触れております
が、その中に、英米両国は大赦の日を協定し、一切の戦争犯罪者を赦免すべき
である、かくして戦争裁判の失敗は永久にぬぐい去られるとき、ここに初めて
平和に向つての決定的な一歩となるであろうと申しておるのであります。
かかる意見は、今日における世界の良識であると申しても過言ではないと
存じます。(拍手)

かくして、戦争犯罪者の釈放は、ひとり全国民大多数の要望であるばかりで
なく、世界の良識の命ずるところであると存じます。
もしそれ事態がいたずらに現状のままに推移いたしましたならば、処罰の実質
は戦勝者の戦敗者に対する憎悪と復讐の念を満足する以外の何ものでもない
との非難を免れがたいのではないかと深く憂うるものであります。(拍手)

今や、わが国は、世界平和確立に鋭意努力しております。
政府は、関係諸国に対し、まずB級及びC級を手始めとして、一日も早く
全部の赦免、減刑、仮出獄の処置に出るよう、迅速にして適切な方途を講じ、
一は国民感情の満足を求め、家族縁者の悲願にこたえ、一は国際友好の上に
遺憾なからしめるよう、強く要望してやみません。

はなはだ言葉足らず、意を尽しませんが、これ本案を提出するゆえんで
ございます。何とぞ満堂の諸君の御賛成を仰ぎたいと存じます。(拍手)


国会 畑


○ 議長(大野伴睦君) 
これより討論に入ります。館俊三君。

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○ 議長(大野伴睦君) 
これにて討論は終局いたしました。
採決いたします。本案に賛成の諸君の起立を求めます。

【賛成者起立】

○ 議長(大野伴睦君) 
起立多数。よつて本案は可決いたしました。(拍手)



「衆議院会議録」より


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