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御仕着せの憲法典「日本国憲法」物語(47)マッカーサー憲法典の制約下に於ける、国軍再建への道程②

 2018-06-16
御仕着せの憲法典「日本国憲法」物語(47)


…マッカーサー憲法典の制約下に於ける、
国軍再建への道程②




昭和26年(1951年)
5月1日
リッジウェイ連合国最高司令官(国連軍最高司令官)が、「占領下諸法規再検討の
権限を日本国政府に委譲する」と表明。


5月14日
占領諸法令再検討の為の政令諮問委員会が第一回会合を開催。


6月11日
★旧陸軍士官学校58期生と海軍兵学校74期生、及び、同相当生245人が
幹部候補生として、「警察予備隊」に入隊。


7月11日
ダレス特使が「日米安全保障条約と講和条約との同時締結を望む」と表明。


8月16日
吉田茂首相が臨時国会で、講和条約を巡る日米交渉の経過を報告。
講和条約締結後のアメリカ軍駐留は、日本政府側からの希望であると説明。

日本政府が、旧陸海軍正規将校1万1,185人の公職追放解除を発表。


9月8日
対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)調印。 翌年4月28日発効。

日米安全保障条約調印。 翌年4月28日発効。

日本国政府が、旧特別高等警察関係者336人の公職追放解除を表明。


10月21日
★「警察予備隊」が、山口県錦川上流地域の台風災害救助に初出動。


10月31日
「海上警備隊」創設の為、海上保安庁にY委員会を設置。


11月22日
吉田茂首相が、野村吉三郎(日米開戦時の駐米大使、海軍大将)ら、旧陸海軍軍人と
防衛力漸増問題を協議。


第288記事1
昭和27年(1952年)10月15日 保安隊創立記念観閲式 於東京・神宮競技場
※昭和25年(1950年)創設の「警察予備隊」から「保安隊」に改組。


昭和27年(1952年)
1月9日
ダレス米国務相顧問が、対日政策の目標は、「日本を反共防衛戦略の一要素として、
再起させることである」と発言。


1月31日
吉田首相が衆議院予算委員会で、「警察予備隊を組織替えし、防衛隊を新設する」と言明。


3月6日
吉田首相が、参議院予算委員会で、「自衛の為の戦力は違憲に非ず」と答弁。


3月8日
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が、兵器製造許可を日本国政府に指令。


4月19日
アメリカ極東軍司令部が、日本駐留のアメリカ軍の呼称を「在日アメリカ軍」とし、
「占領軍」「連合軍」の呼称廃止を指令。


4月26日
海上保安庁法改正を公布。

★「海上警備隊」創設。


第288記事2
「警備隊」のくす型警備船(タコマ級哨戒フリゲート艦)

第288記事3
アメリカ海軍のタコマ級哨戒フリゲート艦PF-67「ピオリア」


4月28日
対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)、日米安全保障条約発効。

★★★日本国が独立を回復。
極東委員会、対日理事会、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP) 廃止。


7月14日
★「警察予備隊」が幹部隊員増強の為、旧軍の高級将校ら236人を採用。


7月31日
保安庁法を公布。
「警察予備隊」と「海上警備隊」を統合し、総理府に「保安庁」を新設。


8月13日
兵器生産協力会が発足。(翌年10月に日本兵器工業会と改称)


10月8日
最高裁判所が、左派社会党の警察予備隊違憲訴訟を却下。


10月15日
★「保安隊」創設。
観閲式後、4,000人の隊員が都内を行進。



昭和27年(1952年)、「保安庁」が発足し、「警察予備隊」、「海上警備隊」及び、
機雷掃海の「海上保安庁航路啓開隊」が保安庁隷下に収まる。
これに依り、「警察予備隊」は「保安隊」に、「海上警備隊」及び「海上保安庁
航路啓開隊」は「警備隊」に改組された。
昭和29年(1954年)7月1日、「保安庁」は「防衛庁」に改組され、「保安隊」は
「陸上自衛隊」、「警備隊」は「海上自衛隊」に改組された。
平成19年1月9日、「防衛庁」は「防衛省」に昇格。



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御仕着せの憲法典「日本国憲法」物語(46)…マッカーサー憲法典の制約下に於ける、国軍再建への道程①

 2018-06-16
御仕着せの憲法典「日本国憲法」物語(46)


…マッカーサー憲法典の制約下に於ける、
国軍再建への道程①




昭和23年(1948年)
3月26日
アメリカ政府が、ソ連及びその衛星国への武器輸出を停止したと発表。


4月27日
★「海上保安庁設置法」公布。
※4月28日には対日理事会、4月30日には極東委員会が、「日本軍復活の恐れがある」と
批判するも、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は「海上保安庁設置法」を断行。


5月1日
★「海上保安庁」創設。


昭和24年(1949年)
6月29日
アメリカ軍が、500人の軍事顧問団を残し、韓国から撤退。


7月4日
連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥がアメリカ独立記念日に際し、
「日本は共産主義進出の防壁である」と発言。


昭和25年(1950年)
6月25日
朝鮮半島38度線全域に亘り、南北朝鮮軍が全面的な交戦状態に突入。
北朝鮮軍が南進を続け、6月28日、ソウル陥落。


第287記事1
ソウル市内に突入する北朝鮮軍戦車部隊(ソ連製T34中戦車)


第287記事2
「朝鮮民主主義共和国万歳」と、北朝鮮軍のソウル進駐を歓迎する朝鮮日報号外
(1950年6月28日)


7月7日
国連安保理事会で、国連軍の指揮権をアメリカ軍に委任すると決定。


7月8日
マッカーサー元帥が、国連軍最高司令官に任命される。

★マッカーサー元帥が吉田茂首相宛の書簡で、「警察予備隊」7万5000人の創設、
及び「海上保安庁」の8,000人増員を指令。


7月17日
吉田茂首相が参議院本会議に於いて、「日本は再軍備すべきではない」と発言。


7月21日
吉田茂首相が衆議院外務委員会に於いて、「日本政府は義勇軍を認めない」と発言。
但し、翌22日、田中最高裁判所長官は記者会見で、「国連の義勇軍への参加は
法律的に可能」と発言。


7月25日
ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)米大統領が記者会見で、「朝鮮戦争では、
原子爆弾を使用しない」と発言。


第287記事3
昭和25年(1950年)創設の警察予備隊


8月10日
★「警察予備隊令」が公布され、即日施行。


8月23日
★「警察予備隊」に、第一陣約7,000人が入隊。


10月12日
海上保安庁掃海艇13隻が、アメリカ軍の元山上陸作戦に備え、機雷処理の掃海作業を開始。
掃海艇1隻が触雷、沈没し、一人行方不明となる。


10月25日
中国人民義勇軍が鴨緑江を越え、朝鮮戦争に参戦。


11月10日
日本政府が、旧帝国軍人3,250人(日米開戦後の陸海軍学校の入学者)の
公職追放を解除。


11月30日
トルーマン米大統領が記者会見で、「朝鮮戦争で、原子爆弾の投下も有り得る」と発言。 
12月3日には、韓国国防長官が国連に、原子爆弾使用を要請。


12月16日
トルーマン米大統領が、国家非常事態宣言を発令。


昭和26年(1951年)
1月1日
マッカーサー元帥が年頭の辞で、集団安全保障と早期講和を強調。


1月10日
トルーマン米大統領が、対日講和条約交渉の特別代表にジョン・ダレス氏
(John Foster Dulles)を指名。※日米安全保障条約の「生みの親」と称される。


第287記事4
昭和25年(1950年)創設の警察予備隊


1月18日
大橋武夫法務総裁、増原恵吉警察予備隊本部長官が記者会見で、
「警察予備隊に軽機関銃を装備し、機動力装備も急ぐ」と表明。


1月20日
吉田茂首相が自由党大会で、「講和条約締結後の国家主権は束縛されず、
再軍備は国民の自由である」と所信を表明。


2月2日
日米会談での演説にて、ダレス特使が集団安全保障とアメリカ軍の駐留を規定する
防衛協定を日米で締結する意向を表明。


2月11日
離日に際し、ダレス特使は、「日本政府はアメリカ軍の駐留を歓迎」と発言。
吉田茂首相が、「アメリカとの安全保障の取り決めを歓迎し、自衛の責任を
認識する」と表明。


2月16日
★「警察予備隊」が、公職追放を解除された旧軍人約300人の幹部採用を決定。


4月11日
マッカーサー元帥が国連軍最高司令官(連合国軍最高司令官)を解任され、
後任にマシュー・リッジウェイ(Matthew Ridgway)中将が就任。



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GHQ御仕着せの占領基本法「日本国憲法」を糺すツイート集…真の独立国家を追求する、散兵戦の華一輪

 2018-06-07
GHQ御仕着せの占領基本法「日本国憲法」を糺すツイート集

…真の独立国家を追求する、散兵戦の華一輪



日本国憲法 第2章 戦争の放棄
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。


第129記事2占領下の星条旗
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)本部が設置された、
有楽町の第一生命館 (第一生命ビル)
昭和27年(1952年)まで、GHQ/SCAPが接収。


(1)
前文と第9条に「政府は、他国の侵略から国民の生命、財産を武力で
護りません!」
「他国の為すが侭に、お任せします」「略奪、暴行、殺戮も属国化も、
どうぞご自由に♪」と書いてある、荒唐無稽極まり無き憲法典「日本国憲法」を、
何故に「平和憲法」と称するのか、ご教示願いたいものである。


(2)
占領軍御仕着せの憲法典 #日本国憲法 には、「政府は、他国の侵略から国民の生命、
財産を武力で護らない」と書いてある。故に、政府は北朝鮮に依る拉致被害者を
見殺しにした。
改憲反対派は、「資本論」不読の共産主義者や「法華経」不読の日蓮主義者同様に、
阿呆陀羅憲法典を精読していないに違いない。


(3)
憲法(constitution)とは、「体質」「性質」「国体」等の意味を持つ。
「日本の憲法」とマック「憲法典」 #日本国憲法 を峻別せよ。帝国憲法下での
皇軍は在外邦人をも守護した。
現行憲法典下では、北朝鮮に依る拉致被害者を見殺しにした。
占領基本法たる現行の即席翻訳憲法典は断じて、我が国の流儀に非ず!


(4)
GHQ作成の憲法典 #日本国憲法 第9条第1項は、124ヶ国に及ぶ世界標準の
平和主義条項としては許容出来るが、第2項は、「国家の主権的権利としての
自衛戦争の放棄」、則ち「国家安全保障の放棄」を意味し、「日本国政府は、
国民の生命、財産を軍事的手段では守護しない」との宣言に他ならないのである。


(5)
GHQ作成の憲法典 #日本国憲法 では、原文の「War as a sovereign right of
the nation」を「国権の発動たる戦争」と翻訳されているが、より正確に
「国家の主権的権利としての戦争」と訳した方が、この憲法典が如何に
独立国たるべき我が国の基本的国家主権を損じているかを明確にする。


第153記事第90回帝国議会
昭和21年(1946年)5月16日
第90回帝国議会 衆議院本会議場の女性代議士39人


(6)
我が国は、真の独立国家ではない。
#日本国憲法 前文と第9条第2項は、日本国政府が、領土保全と政治的独立、
国民の生命、財産を、外国の軍事攻撃から、武力に依る守護を放棄することを
意味している。現行の憲法典は、独立国たるべき我が国の基本的国家主権を
認めないという、被占領国の憲法典である。


(7)
#日本国憲法 前文と第9条第2項は、「国家の主権的権利としての自衛戦争の
放棄」、則ち「国家安全保障の放棄」を意味し、米軍の駐留とセットに成っている。
現行の憲法典は、独立国たるべき我が国の基本的国家主権を認めないという、
被占領国(occupied Japan)の憲法典なのである。


(8)
#日本国憲法 前文も第9条も、「侵略国の蹂躙するが侭にお任せ致します」
「略奪、暴行、殺戮も属国化も、どうぞ思うが侭、ご自由に為さって下さいませ」
「日本国は、武力に依る抵抗は致しません」という、我が国政府の無責任な
態度を明記した、荒唐無稽極まり無き、阿呆陀羅憲法典の駄文なのである。


(9)
#日本国憲法 は日本解体の為の左翼の駄文、「GHQの25人&コミンテルンの
スパイ&日本人の売国奴共同制作の即席翻訳阿呆陀羅憲法典」である。
就中、前文と第9条は「国家安全保障の放棄」を意味し、我が国の基本的国家主権を
認めない被占領国(Japan under the occupation)の占領基本法典である。


(10)
「憲法」なる語は、「constitutional law」「the national constitution」の訳語である。
「constitution」は、「体質」「気質」「性質」「構成」「構造」「政体」「国体」等の
意味を持つ。
従がって、「憲法典」(a written constitution)は本来、その民族の歴史、伝統、
文化、習慣、気質等に基づくべきことを意味している。


(11)
「日本国の憲法」(Constitution)と「日本国の憲法典」(a written constitution)とは
意味が異なる。
「マッカーサー司令部の25人&コミンテルンのスパイ&日本人の売国奴共同制作の
即席翻訳阿呆陀羅憲法典」である #日本国憲法 は、我が民族の歴史、伝統、
文化、習慣、気質等に基づいてはいない。


第146記事昭和21年10月7日衆議院で憲法改正案を可決
昭和21年(1946年)10月7日、衆議院に於いて、帝国憲法改正案を可決


日本国憲法では、原文の「war as a sovereign right of the nation」は、
「国権の発動たる戦争」と翻訳されているが本来、正確に「国家の主権的権利
としての戦争」と訳した方が、この憲法典が如何に独立国たるべき我が国の
基本的国家主権を損じているかを明確にする。

日本解体の為の左翼の駄文、「マッカーサー総司令部の25人&コミンテルンの
スパイ&日本人の売国奴共同制作の即席翻訳阿呆陀羅憲法」である憲法典
「日本国憲法」第2章「戦争の放棄」第9条は、要するに、「日本国政府は、
外国からの軍事攻撃から、我が国の領土の保全と政治的独立、日本国民の生命、
財産を、軍事的な手段に依って守ることを放棄する」と宣言しているのである。
本来であれば、独立国たるべき日本政府は、この従属国の占領政策基本法で
ある憲法典「日本国憲法」に拠って、「国民の生命、財産を護らない」のである。
「戦争という法的状態」に在ったとしても、「交戦国という地位に基づく正当な
権利」さえ行使出来ないのである。
現行の憲法典である日本国憲法は、アメリカ軍の駐留とセットになっており、
我が国の基本的国家主権を認めないという、被占領国「Japan under the
occupation」「occupied Japan」の憲法典なのである。
北朝鮮に依る拉致被害者を未だに救出出来ず、無惨にも放置した侭である現状が
それを如実に物語っている。
憲法典に於ける「国家安全保障の放棄」は、極めて由々しき問題である。


第167記事1
枢密院本会議
昭和21年(1946年)10月29日、修正帝国憲法改正案可決


日本政府が、この占領基本法たる日本国憲法を遵守することは、国民の生命と
財産の保護、安全保障を放棄し、如何に無責任極まり無き態度であるかは、
憲法制定時の政府首脳の国会答弁などに明らかである。


※幣原喜重郎総理大臣(当時)の発言
昭和21年(1946年)3月20日、GHQ案の「憲法改正草案要綱」を枢密院に
説明した際、「第9条は何処の憲法にも類例は無いと思う。戦争放棄は正義に
基づく正しい道で、日本はこの大旗を掲げて国際社会の原野をトボトボ歩いて行く。
付き従う国の有る無しに関わらず、敢えてこれを行う」



※金森徳次郎憲法担当国務大臣(当時)の発言
昭和21年(1946年)7月11日 第90回帝国議会 
衆議院 帝国憲法改正案委員会に於ける金森徳次郎憲法担当国務大臣
「……かつて総理大臣が申しましたように、日本が大勇気を奮って、
こういう風に比較的簡明なる言葉を用いまして、理論的には自衛戦争は正しい
にしても、総べての戦争が自衛戦争の名を借りて、然らざる戦争に赴くという
ことの労い(うれい)を、憲法の中に残して置くような言葉を避ける方が
良いという考えも成立する訳であります。
この憲法はそのような考えに依りまして、特に区別せず、謂わば捨て身に
なって、世界の平和を叫ぶという態度を取った次第であります」

憲法担当国務大臣が、何と「捨て身になって」と明言しているのである。
有史以来初の惨憺たる大敗北で、日本国の国家指導者も気が狂ったのか、
主権国家たるものが、国家国民の安全保障までを「捨て」たのである。
これほどまでに国民の生命と財産を危険に曝し、無責任極まりない態度を取る
先進国の政府など有りはしない。
しかも、それでいて、国民の武装権すら認めていないのである。
「侵略国の蹂躙するが侭にお任せ致します」「略奪、暴行、殺戮も属国化も、
どうぞ、思うが侭、ご自由に為さって下さいませ」という、政府の態度を明記した
憲法の条文なのである。



※吉田茂総理大臣(当時)の発言
昭和21年(1946年)6月28日 第90回帝国議会 
衆議院 本会議

「戦争放棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権に依る
戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きことを認めることが
有害であると思うのであります。(拍手)
近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於いて行われたることは顕著なる事実で
あります。
故に正当防衛権を認めることが偶々(たまたま)戦争を誘発する所以であると
思うのであります、
また、交戦権放棄に関する草案の条項の期する所は、国際平和団体の樹立に
あるのであります。
国際平和団体の樹立に依って、あらゆる侵略を目的とする戦争を防止しようと
するのであります。
しかしながら正当防衛に依る戦争が、もし有りとするならば、その前提に
於いて侵略を目的とする戦争を目的とした国があることを前提としなければ
ならぬのであります。
故に正当防衛、国家の防衛権に依る戦争を認めるということは、偶々戦争を
誘発する有害な考えであるのみならず、もし平和団体が、国際団体が樹立された
場合に於きましては、正当防衛権を認めるということそれ自身が有害であると
思ふのであります。
御意見の如きは、有害無益の議論と私は考えます。(拍手)」と、


吉田茂総理大臣は、第9条は一切の軍備を禁止し、自衛戦争をも放棄した
ものとして答弁している。
当時と現在とでは、憲法第9条に対する解釈が政府と日本共産党とでは、
180°大逆転していることこそが、この条文が国家の最高法規たる憲法の
条文として、相応しくない証である。
国家の最重要課題である安全保障の規定でありながら、一字一句変わらない
その条文の解釈が、どうにでも変化するような致命的な欠陥を持っていること
の証である。
日本国憲法を放棄しないのであれば、改正の第一段階として、せめて、第9条
第2項は撤廃すべきである。




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帝国憲法四方山話⑤…副署の大臣たちは、愛しき碌でもない奴ら

 2018-04-20
帝国憲法四方山話⑤ 

…副署の大臣たちは、愛しき碌でもない奴ら



大日本帝国憲法は、明治22年(1889年)2月11日に公布された。
明治天皇の御名御璽の後に、輔弼を意味する国務大臣の副署が行われた。

内閣総理大臣 黒田清隆(薩摩)
枢密院議長  伊藤博文(長州)
外務大臣   大隈重信(佐賀)
海軍大臣   西郷従道(薩摩)
農商務大臣  井上 馨(長州)
司法大臣   山田顕義(長州)
大蔵大臣
兼内務大臣  松方正義(薩摩)
陸軍大臣   大山 巌(薩摩)
文部大臣   森 有礼(薩摩)
逓信大臣   榎本武揚(旧幕臣)

副署の大臣10人中、薩摩閥が5人、長州閥が2人、土佐閥、佐賀閥、旧幕臣
各1人であった。

副署を行なったのは、長州の吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、
吉田稔麿でもなければ、薩摩の西郷隆盛、大久保利通でもない。
近代憲法制定は、立憲君主国家樹立という歴史を画する大偉業であったが、
その憲法に副署を行なった大臣たちの顔触れを見ると、随分と碌でもない奴ら
のオンパレードで、突っ込みどころ満載の場違いな印象を受ける。


大臣の副署


薩摩の黒田了介は、戊辰戦争で見事な戦い振りを見せた好漢であったが、
大の酒乱で、妻清の斬殺を疑われるわ、小樽沖で軍艦の大砲を撃っ放し、
高嶋村の娘を一人死なせるわと、とんでもない薩摩っぽであった。

長州の伊藤俊輔は、欧州での憲法調査でウィーン大学のローレンツ・フォン・
シュタイン博士から、日本の歴史、文化、伝統に基づいた立憲体制を作るべき
ことを学んで来たところは立派であったが、閣議の席にも芸妓を侍らせたと
いう逸話を残すほど、女に汚く、そこら中に子種を撒き散らしたという女狂い
の碌でもない奴であった。

いつでも何処でも、スタンドプレーがお得意だった佐賀の大隈八太郎。

薩摩の大西郷の七光りで立身出世した、弟の西郷信吾、従兄弟の大山弥助。

鹿鳴館建設で有名であるが、金と女、両方に汚かった、長州の井上聞多。

戊辰戦争では見事に奮戦し、「日本の小ナポレオン」と讃えられたほどの軍人で、
日本大学の前身である日本法律学校や国学院大学の前身である國學院を創設
したのは立派であったが、幕末の京都市中、新撰組の巡察隊を見掛けると、
怖くて、怖くて、とりわけ、土方歳三が恐ろしくて、仲間と共に蜘蛛の子を
散らしたかのように、慌てて路地に逃げ込んでいたという若造であった長州の
山田市之允。

島津久光の側近だったお陰で立身出世した、薩摩の松方助左衛門。

慶応元年(1865年)に英米に留学し、明治維新後に帰国と、戊辰戦争を経験
せずに美味しいところだけ頂戴して、立身出世した薩摩の森金之丞。

幕府にオランダ留学させて貰い、戊辰戦争では箱館の五稜郭で、蝦夷共和国を
樹立、総裁の地位に就いたが降伏後、薩長閥に仕え、福澤諭吉に「瘠我慢の説」
で批判された旧幕臣の榎本釜次郎。


明治憲法発布13


大日本帝国憲法は、明治23年(1890年)11月29日に施行された。
その翌年の明治24(1891)年、ロシア皇帝アレクサンドル3世の長子で
あった皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ (後のニコライ2世
=最後のロシア皇帝)がロシア海軍艦隊を率い、 シベリア鉄道建設委員長として、
ウラジオストックでの 極東地区起工式典に向かう途中、日本を訪問した。
そのロシア皇太子ニコライが、京都から琵琶湖への日帰り観光を楽しみ、
宿舎の京都・常磐ホテルへの帰り道、琵琶湖湖畔の大津で、警備(護衛)の
一巡査津田三蔵に人力車越しに頭部を切り付けられ、軽傷を負う事件が起きた。
世に言う「大津事件」である。

この大津事件に当たり、大審院長児島惟謙 (こじま これかた)は、皇室罪を
適用し、死刑に処すべしとの強大な政治介入を排除し、津田三蔵に謀殺未遂罪
に依る無期徒刑を宣告させ、司法権の独立を守り通した。
児島は「三権分立の理念」を説き、明治政府側の非立憲的発想に依る皇室罪の
適用は、大日本帝国憲法を損ない、裁判史に汚点を残すと考えたのであった。
このことに依り、児島は、「護法の神様」「護法の巨人」と称えられ、我が国の
司法史上に燦然と不滅の光を放ち、また海外でも大きく報じられ、国際的に
日本の司法権に対する信頼を高めたと評価されている。


明治憲法発布11


大日本帝国憲法では、第5章司法で「司法権の独立」が保障してあり、第2章
臣民権利義務で、臣民の権利を保障して、第23条「日本臣民ハ法律ニ依ルニ
非ズシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」 と規定してあった。
また刑法第2条には、「法律ニ正条ナキ者ハ何等ノ所為ト雖モ之ヲ罰スルコトヲ
得ズ」との明文があったのである。

それにも拘わらず、憲法に副署した大臣たちの大津事件への対応が余りにも
酷過ぎた。
「恐露病」と揶揄(やゆ)されたほどの松方正義首相、山田顕義法務大臣、
西郷従道内務大臣らは、ロシア公使シェービッチに「如何なる事態になるか
判らない」と恫喝され、津田三蔵への死刑適用に奔走した。
伊藤博文に至っては、津田三蔵死刑に反対する意見がある場合、戒厳令を
敷いてでも、断行すべきであると主張した。
こんな碌でもない連中がどの面下げて、大日本帝国憲法に副署したのやら。
0050 (2)

幕末に活躍した勤皇の志士の内、一流の人物達は幕末の動乱、萩の乱や
西南戦争など明治初期の段階でこの世を去り、生き残った二流三流の人物たち
が明治政府の顕官として、栄耀栄華に浴したのであるからして、このような
体たらくであった訳である。
麗しき我が国は、こうした愛しき碌でもない奴らが作り上げて来たのである。
回るカエルちゃん


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帝国憲法四方山話④…大日本帝国憲法 上諭

 2018-04-20
帝国憲法四方山話④ 

…大日本帝国憲法 上諭



大日本帝国憲法 上諭(じょうゆ) 明治22年(1889年)2月11日
(カタカナをひらがなに変換&ふりがな表記) 文責在詠山史純 


朕(ちん)、祖宗(そそう)の遺烈(いれつ)を承(う)け、万世一系の帝位を
践(ふ)み、朕か親愛する所の臣民は、即ち、朕か祖宗の恵撫慈養(けいぶじよう)し
たまひし所の臣民なるを念(おも)ひ、其の康福(こうふく)を増進し、
其の懿徳良能(いとくりょうのう)を発達せしめむことを願ひ、又、其の翼賛
(よくさん)に依り、与(とも)に倶(とも)に国家の進運を扶持(ふぢ)
せむことを望み、乃ち、明治十四年十月十二日の詔命(しょうめい)を履践
(りせん)し、茲(ここ)に大憲を制定し、朕か率由(そつゆう)する所を
示し、朕か後嗣(こうし)及、臣民及臣民の子孫たる者をして、永遠に循行
(じゅんこう)する所を知らしむ。

国家統治の大権は、朕か之を祖宗に承けて、之を子孫に伝ふる所なり。
朕及朕か子孫は、将来、此の憲法の条章に循(したが)ひ、之を行ふことを
愆(あやま)らさるへし。

朕は、我か臣民の権利及財産の安全を貴重し、及、之を保護し此の憲法及法律
の範囲内に於て、其の享有(きょうゆう)を完全ならしむへきことを宣言す。

帝国議会は、明治二十三年を以て、之を召集し、議会開会の時を以て、
此の憲法をして有効ならしむるの期とすへし。

将来、若、此の憲法の或る条章を改定するの必要なる時宜を見るに至らは、
朕及朕か継統の子孫は、発議の権を執り、之を議会に付し、議会は此の憲法に
定めたる要件に依り、之を議決するの外、朕か子孫及臣民は敢て、之か紛更
(ふんこう)を試みることを得さるへし。

朕か在廷の大臣は、朕か為に、此の憲法を施行するの責に任すへく、朕か現在、
及、将来の臣民は、此の憲法に対し、永遠に従順の義務を負ふへし。


明治憲法1


※上諭…君主が臣下に告げて、諭す文書。
明治憲法下に於いて、法律、条約などを公布する際、天皇の裁可があったこと
を示す為、冒頭に付した文章。

●祖宗(そそう)
皇祖皇宗(神武天皇および歴代天皇)のご神霊

●遺烈(いれつ)
先人の残した功績。後世に遺る立派な業績、功績。

●万世一系(ばんせいいっけい)
天皇の血統が永遠に一系統で続くことを示す。

●恵撫(けいぶ)
恵み、労わること。

●慈養(じよう)
目下や幼少の者を養い、育てること。慈愛を以って、養育すること。

●臣民(しんみん)
君主国に於いて、君主の支配の対象となる人々。
明治憲法下に於ける、天皇・皇公族以外の国民。

●懿徳(いとく)
立派な徳。

●良能(りょうのう)
生まれながらに備わっている優れた才能。

●翼賛(よくさん)
力を添えて助けること。 天皇の政治を補佐すること。

●扶持(ふぢ、ふち)
援助すること。力を貸すこと。

●詔命(しょうめい、じょうめい)
天皇のご命令。詔(みことのり)。
「明治十四年十月十二日の詔命」とは、
1881年10月12日の「国会開設ノ勅諭」を指す。

●履践(りせん)
実行すること。実践すること。 

●率由(そつゆう)
前例から外れないようにすること。 

●循行(じゅんこう)
順路に従って、巡り歩くこと。命令に服従して、行うこと。

●愆る(あやまる)
過る。罪科を犯す。時期を違える。機を逸する。

●享有(きょうゆう)
権利や能力等を、人が生まれながらにして、身に付けて持っていること。

●紛更(ふんこう)
秩序が無く、無闇に改め変えること。


明治憲法上諭


現代語訳 (文責在詠山史純)

(第1節)
朕(われ)は、我が祖先(神武天皇)、歴代天皇が残された功績を受け、
万世一系の帝位に身を置き、我が親愛なる臣民は、すなわち、我が祖先、
歴代天皇が慈しみ、養い育てたところの臣民であることを思い、その幸福を
増進し、その立派な徳と生まれながらに備わっている優れた才能を発達させる
ことを願い、また、その補佐に依って、共に国家の進歩、発展する機運を助け、
支えてくれることを望む。
つまり、明治十四年十月十二日の「国会開設ノ勅諭」を履行し、ここに憲法を
制定し(天皇の権能を定め)、朕(われ)が前例から外れないようにするところ
を示し、我が跡継ぎ、及び、臣民と、またその子孫が、永遠に憲法に従い、
実行するところを強いて知らせる。

(帝権の由来、憲法制定の理由が示され、天皇と天皇の後嗣は憲法の規定に
従って、国家の統治権を行使すべき立憲君主のお立場が示されている)


(第2節)
国家統治権は、朕(われ)がこれを我が祖先、歴代天皇より受け継ぎ、また、
子孫に伝えて行くものである。
朕(われ)及び、我が子孫は将来、この憲法の規定に従って、国家統治権を
行使することを誤ってはならない。

(国家統治権は皇室の世襲に属すること、国家統治権を行使するには憲法の
規定に従うことを明記)


(第3節)
朕(われ)は、我が臣民の権利、及び財産を安全に貴重保護し、この憲法、
及び法律の範囲内に於いて、その享有を完全に確かなものとして良いと
宣言する。

(臣民の権利財産を安全に貴重保護することを天皇が確約したもの。
また、逆に、国家が制約する場合に於いても、それは必ず憲法及び法律の
範囲内でなければならないことを意味することになる)


(第4節)
帝国議会は明治23年を以って召集され、議会開会の時(明治23年1月29日)
を以って、この憲法が有効となる期日とする。

(憲法の有効化以降、帝国議会の協賛無くして、法律制定出来なくなった)


(第5節)
将来、この憲法のある条文を改正する必要が出た時期に至ったならば、
朕(われ)、及び我が子孫はその改正を発議し、これを議会に提出、議会は
この憲法に定められた要件に従がって、これを議決する以外、我が子孫、及び
(その時代の)臣民は決して、これを乱して、無闇に改め変えようとすること
があってはならない。

(憲法改正の要件を定めたもので、憲法改正案の提出は天皇の権限、
つまり、発議には先ず勅命を必要とした。憲法改正条項は第73条)


(第6節)
朕(われ)の朝廷に仕えている大臣は、朕(われ)の為に、この憲法を
施行する責任を有し、朕(われ)の現在、及び将来の臣民はこの憲法に対し、
永遠に従順の義務を負わなければならない。


明治憲法SS


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