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三島由紀夫の檄文…漂泊の国日本への警鐘

 2018-04-24
漂泊の国日本への警鐘 

…三島由紀夫の自刃は諫死である



昭和26年(1951年)、我が国は第二次世界大戦時の連合国側49ヶ国と平和条約
(サンフランシスコ平和条約)を締結し、占領時代を終えたが、それと同時に
「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に署名した。
この条約に基づいて、アメリカ軍は引き続き、日本に駐留する法的根拠を得た。
昭和35年(1960年)には60年安保闘争と呼ばれる反対運動が盛り上がったが、
改定された新安保条約が10年間の期限で調印され、発効した。


第257記事1


1960年代後半、10年間の期限を迎える日米安保条約が自動延長することを阻止し、
条約破棄を目指した70年安保闘争という運動が激しく燃え盛った。
全国の各大学で結成された学生自治会の連合組織「全日本学生自治会総連合」
略称「全学連(ぜんがくれん)」は、反日本共産党系の主流派間で昭和43年から
昭和44年(1968年~1969年)に掛け、「全学共闘会議」略称「全共闘
(ぜんきょうとう)」を結成し、日大全共闘や東大全共闘などが各大学で、
「70年安保粉砕」や大学側の学生管理への抗議(大学紛争)を掲げ、
ヘルメットにゲバ棒(ゲバルト=暴力)と呼んだ角材や火炎瓶などで武装し、
バリケード封鎖や大規模なデモ行動、投石などで警察の機動隊と戦うという、
急進的で激しい暴力闘争を展開した。

学生運動に於いて、
ブント(共産主義者同盟)系全学連、
中核派(マルクス主義学生同盟中核派)全学連、
革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)全学連、
社会党社青同(日本社会主義青年同盟)解放派全学連
などのマルクス派新左翼諸派勢力(反代々木系=反日本共産党)が暴力的に
主導権争いを繰り広げた。
日本共産党の学生組織である民青(日本民主青年同盟)系全学連は、
全共闘などの反代々木系学生や新左翼諸セクトと鋭く対立した。


第257記事2


反代々木系の各派全学連は、昭和42年(1967年)の羽田闘争、昭和43年
(1968年)の佐世保米空母エンタープライズ帰港阻止闘争や、騒乱罪が適用され、
多くの逮捕者を出した新宿騒乱事件、昭和44年(1969年)の沖縄デー闘争、
国際反戦デー闘争、佐藤首相訪米阻止闘争など一連の闘争……など
一連の闘争を「70年安保闘争の前哨戦」と位置付けて、街頭実力闘争を繰り広げ、
機動隊と激しい市街戦を繰り返した。

社会党や共産党などの既成左翼勢力は、70年安保闘争では主導的な役割を
果たさなかったが、1960年代は新左翼、既成左翼、何れにせよ、マルクスの
「資本論」さえ碌に読んでもいないマルクス主義者たちや無政府主義者たちが
大いに跳梁跋扈した時代であったのである。


このような時代状況を背景に、作家の故三島由紀夫氏が憂国の情を滾らせた
ことを想わねば、「楯の会」隊長としての彼の「諫死(かんし)」(死んで、
いさめること)は理解し辛い。


第257記事4


昭和45年(1970年)11月25日(水)、三島由紀夫(45歳)は自らが結成した
民兵組織「楯の会」の隊長として、隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地
(現在の防衛省本省)に東部方面総監を訪れ、総監室で日本刀を武器に
総監を監禁。
総監室の前のバルコニーで演説し、戦力放棄を謳った現行憲法を否定し、
「共に起ち、義の為に死のう」と自衛隊にクーデター決起を呼び掛ける
檄を飛ばしたが、自衛隊員達は三島の熱烈な訴えに嘲笑で応え、罵声を
浴びせるばかりで、30分間予定されていた演説は、7分間で切り上げられ、
三島と森田は、「天皇陛下万歳」を三唱し、総監室に姿を消した。
その1時間後、三島は割腹自刃し、森田必勝が介錯で二太刀打ち下ろすも
三島の首を断つことが出来ず、古賀浩靖が三太刀目を入れて、漸く三島の
首は胴を離れた。
次いで、森田は血塗れの三島の胴体の脇に跪き、三島が使った短刀で腹を刺し、
古賀がその首を一太刀で刎ねた。
憂国の士の情念が沸騰点に達したかの様に、見事に大和武士の作法に則り、
凄惨で血生臭い自刃を果たし、三島由紀夫、森田必勝両名は諫死を遂げたのである。


第257記事3

第257記事3プラス




檄   楯の會隊長 三島由紀夫


我々楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊は我々の父でもあり、
兄でもある。
その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。
顧みれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、
一片の打算もない教育を受け、又、我々も心から自衛隊を愛し、もはや隊の
柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後、遂に
知らなかった男の涙を知った。
ここで流した我々の汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同士として、
共に富士の原野を馳駆した。

 このことには一点の疑いもない。
我々にとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる
唯一の場所であった。 教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。
しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。
たとえ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 我々は戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を
失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ
落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は
外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずに、ただごまかされ、日本人自ら日本の
歴史と伝統を涜(けが)してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
 
 我々は今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを見た。
しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である
防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名前を用ひない軍として、
日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。
もっとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質な欺瞞の下に放置されて来たのである。
自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。
自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なもの
としての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

 我々は戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
自衛隊が目覚める時こそ、日本が目覚める時だと信じた。
自衛隊が自ら目覚めることは無しに、この眠れる日本が目覚めることはないのを信じた。
憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、
国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない。
 
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。
楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目覚める時、自衛隊を国軍、名誉ある
国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。
憲法改正が、もはや議会制度下では難しければ、治安出動こそその唯一の好機であり、
我々は治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。
国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。
政体を、警察力を以って守り切れない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって
国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。
日本の軍隊の建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史.伝統.文化を守る」
ことにしか存在しないのである。
国の捻じ曲がった大本を正すという使命のため、我々は少数乍ら訓練を受け、
挺身しようとしていたのである。

 しかるに、昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こったか。
総理訪米前の大詰というべきこのデモは圧倒的な警察力の下に不発に終った。
その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。
その日に何が起こったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい
警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を
拾はずとも、事態を収拾し得る自信を得たのである。治安出動は不要になった。
政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、
国の根本問題に対して頬っかぶりを続ける自信を得た。
これで、左翼勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせ続け、名を捨てて実を取る
方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。
名を捨てて、実を取る!政治家にとっては、それで良かろう。
しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。
そこで再び、前にも勝る偽善と隠蔽、嬉しがらせと誤魔化しが始まった。

 銘記せよ!
実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとって悲劇の日であった。
創立以来二十年に亙って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、
決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、
相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を
晴れ晴れと払拭した日だった。
論理的に正に、その日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、
「護憲の軍隊」として認知されたのである。
これ以上のパラドックスがあろうか。

 我々はこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。
我々が夢見ていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうして
この事態を黙視し得よう。
自らを否定するものを守るとは、なんたる論理的矛盾であろう。
男であれば、男の矜(ほこ)りがどうしてこれを容認し得よう。
我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線を越えれば、決然起ち上がるのが
男であり、武士である。
我々はひたすら耳を澄ました。 しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する
憲法を守れ」といふ屈辱的命令に対する、男子の声は聞こえては来なかった。
かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道は無いことが
わかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリアのように黙ったままだった。
われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。
諸官は任務を与へられなければ何も出来ぬという。
しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本から来ないのだ。
シヴィリアン.コントロールは民主的軍隊の本姿である、という。
 
 しかし英米のシヴィリアン.コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。
日本のように人事権まで奪われて去勢され、変節常なき政治家に操られ、
党利党略に利用されることではない。
この上、政治家の嬉しがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を
歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。
武士の魂はどこへ行ったのだ。
魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行こうとするのか。
繊維交渉に当たっては自民党を売国奴呼ばわりした繊維業者もあったのに、
国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の
再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、
自衛隊からは出なかった。

 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か?
アメリカは真の日本の自主的軍隊が、日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの
傭兵として終わるであろう。

 我々は四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。
自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。
生命尊重のみで、魂は死んでも良いのか。
生命以上の価値無くして、何の軍隊だ。
今こそ我々は生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。日本だ。
我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に、体をぶつけて死ぬ奴は居ないのか。
もし居れば、今からでも共に起ち、共に死のう。
我々は至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを
熱望する余り、この挙に出たのである。(了)

(文責在詠山史純)


第257記事5





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東條英機元首相の遺言…デス・バイ・ハンギング(絞首刑)

 2018-04-23
東條英機元首相の遺言 

…デス・バイ・ハンギング(絞首刑)



極東国際軍事裁判(東京裁判)に於いて、東條英機元首相に絞首刑が渡され、
執行される前日の昭和23年(1948年)年12月23日、花山信勝教誨師が
東條元首相と面会した際に、口頭で読み上げられた遺書をメモしたという。
遺書の原本の所在は不明とのこと。


第256記事1



遺書

開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。
今回の刑死は個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は
死を以もって贖あがなえるものではない。

しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。
ただ力の前に屈服した。自分としては国民に対する責任を負って満足して
刑場に行く。
ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、又下級者にまで刑が及んだことは
実に残念である。

天皇陛下に対し、又国民に対しても申し訳ないことで深く謝罪する。

元来日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志(おんこころざし)に依より行動すべき
ものであったが、一部過ちを犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。
此度(このたび)の戦争に従事してたおれた人及び此等(これら)の人々の
遺家族に対しては、実に相済まぬと思って居る。心から陳謝する。

今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判を待つ。
もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に
臨まなければならないのではないか。此の裁判は結局は政治的裁判で終わった。
勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。

天皇陛下の御地位は動かすべからざるものである。
天皇存在の形式については敢えて言わぬ。
存在そのものが絶対必要なのである。
それは私だけではなく多くの者は同感と思う。
空気や地面の如ごとく大きな恩(めぐみ)は忘れられぬものである。

東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相(あい)協力すべきものである。
東亜民族も亦(また)他の民族と同様に天地に生きる権利を有(も)つべき
ものであって、その有色たるを寧(むしろ)神の恵みとして居る。
印度(インド)の判事には尊敬の念を禁じ得ない。
これを以(も)って東亜諸民族の誇りと感じた。

今回の戦争に因(よ)りて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたので
あったら幸いである。
列国も排他的の感情を忘れて共栄の心持ちを以って進むべきである。

現在日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本人の
米人に対する心持ちを離れしめざるよう願いたい。
又日本人が赤化しないように頼む。大東亜民族の誠意を認識して、これと協力
して行くようにされねばならぬ。
実は東亜の他民族の協力を得ることが出来なかったことが、今回の敗戦の原因
であったと考えている。

今後日本は米国の保護の下に生きて行くであろうが、極東の大勢がどうあろう
が、終戦後、僅か三年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯(か)くの如くである。
今後の事を考えれば、実に憂慮にたえぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上もないではないか。

今、日本は米国より食料の供給その他の援助につき感謝している。
しかし、一般人がもしも自己に直接なる生活の困難やインフレや食料の不足
などが、米軍が日本に在るが為ためなりというような感想をもつようになった
ならば、それは危険である。
依(よ)って米軍が日本人の心を失わぬよう希望する。

今次戦争の指導者たる米英側の指導者は大きな失敗を犯した。
第一に日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。
第二には満州を赤化の根拠地たらしめた。
第三は朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめた。
米英の指導者は之を救済する責任を負うて居る。
従ってトルーマン大統領が再選せられたことはこの点に関し有り難いと思う。

日本は米軍の指導に基づき武力を全面的に抛棄した。
これは賢明であったと思う。
しかし世界国家が全面的に武装を排除するならばよい。
然(しか)らざれば、盗人が跋扈する形となる。
(泥棒がまだ居るのに警察をやめるようなものである)

私は戦争を根絶するためには慾心を人間から取り去らねばと思う。
現に世界各国、何(いず)れも自国の存在や自衛権の確保を主として居る
(これはお互い慾心を抛棄しておらぬ証拠である)。
国家から慾心を除くということは不可能のことである。
されば世界より今後も戦争を無くするということは不可能である。
これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実は此(こ)の
通りである。それ故(ゆえ)、第三次世界大戦は避けることが出来ない。

第三次世界大戦に於(お)いて主(おも)なる立場にたつものは米国および
ソ連である。
第二次世界大戦に於いて日本と独乙(ドイツ)というものが取り去られてしまった。
それが為、米国とソ連というものが、直接に接触することとなった。
米ソ二国の思想上の根本的相違は止むを得ぬ。
この見地から見ても、第三次世界大戦は避けることは出来ぬ。

第三次世界大戦に於いては極東、即ち日本と支那、朝鮮が戦場となる。
此(こ)の時に当たって米国は武力なき日本を守る策を立てねばならぬ。
これは当然米国の責任である。
日本を属領と考えるのであれば、また何をか言わんや。
そうでなしとすれば、米国は何等(なんら)かの考えがなければならぬ。
米国は日本八千万国民の生きて行ける道を考えてくれなければならない。
凡(およ)そ生物として自ら生きる生命は神の恵である。
産児制限の如(ごと)きは神意に反するもので行うべきでない。

なお言いたき事は、公、教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。
今は既に戦後三年を経過して居るのではないか。
従ってこれは速(すみや)かに止めてほしい。
日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容の気持ちをもってやってもらいたい。

我々の処刑をもって一段落として、戦死傷者、戦災死者の霊は遺族の申し出
あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。
戦犯者の家族には保護をあたえられたし。

青少年男女の教育は注意を要する。将来大事な事である。
近事、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響から来ているものが少すくなくない。
この点については、我が国の古来の美風を保つことが大切である。

今回の処刑を機として、敵、味方、中立国の国民罹災者の一大追悼慰霊祭を
行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである。
勿論、日本軍人の一部に間違いを犯した者はあろう。
此等これらについては衷心謝罪する。

これと同時に無差別爆撃や原子爆弾の投下による悲惨な結果については、
米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。

最後に、軍事的問題について一言する。
我が国従来の統帥権独立の思想は確に間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動は採れない。
兵役制については、徴兵制によるか、傭雇兵制によるかは考えなければならない。
我が国民性に鑑みて再建軍隊の際に考慮すべし。
再建軍隊の教育は精神主義を採らねばならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。
この点については、大いに米軍に学ぶべきである。

学校教育は従前の質実剛健のみでは足らぬ。
人として完成を図る教育が大切だ。言いかえれば、宗教教育である。
欧米の風俗を知らす事も必要である。俘虜のことについては研究して、
国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。



辞世

我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば

さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき



『祖父東條英機「一切語るなかれ」』東條由布子 著 (文藝春秋)拠り


第256記事2

旧南部盛岡藩士東條英俊の孫、元総理大臣東條英機陸軍大将の名誉恢復を願う。




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近代日本の国是の原点…所謂「人間宣言」に引用された御誓文(五箇条の御誓文)

 2018-04-20
近代日本の国是の原点 

…所謂「人間宣言」に引用された御誓文(五箇条の御誓文)



昭和20年(1945年)の敗戦で、日本は連合国軍に占領され、極東委員会、
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に、名目上は間接統治の形態を取り
ながらも、その実態は直接統治の管理下に置かれた。
連合国の中核を為したアメリカ、イギリスは、対ドイツ占領政策に当たっては、
「ドイツ民族は本来、優秀な民族であるが、ナチ党の政治指導に依って、国策を
誤ったのであって、本来のドイツ文化を復興させる」との態度で臨んだが、
対日占領政策では、「日本という国も日本人も得体の知れない化け物であるから、
軍隊は元より日本の国体、つまり天皇と臣民の関係から皇族の弱体化や、
日本の伝統文化、神道から歴史教育、家族制度、土地制度に至る、何から何まで
徹底的に解体させる」という強い意志の下に、極端に社会主義的な政策を取り、
焚書という前近代的な蛮行まで行なった。
靖国神社に至っては、進駐当初は更地にする計画であったほどである。


進駐軍B
有楽町をパレードする進駐軍


GHQは、昭和20年(1945年)に「神道指令」を発し、いわゆる国家神道を
解体させたのと連動して、天皇に神格を否定させ、天皇の権威の失墜を目論んだ。
それが、昭和21年(1946年)1月1日の詔書(新日本建設に関する詔書)である。
世に言う「人間宣言」であった訳であるが、詔書の起草に当たり、昭和天皇は、
慶応4年=明治元年(1868年)に明治天皇が公卿や諸侯に示された明治新政府
の基本方針である「御誓文(五箇条の御誓文)」を加筆され、日本の民主主義は
占領軍に齎されるまでもなく、明治維新以来の国是であることを強調為された
のであった。


昭和天皇は、昭和52年(1977年)8月23日の記者会見で、GHQの詔書草案
の初めに「御誓文」を引用されたことについて、下記のように述べられた。

「それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは
二の次の問題でした。
当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、
民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して
輸入のものではないということを示す必要があった。
日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせない為に、
あの宣言を考えたのです。
初めの案では、五箇条の御誓文は日本人なら誰でも知っているので、あんまり
詳しく入れる必要はないと思ったが、幣原総理を通じてマッカーサー元帥に
示したところ、マッカーサー元帥が非常に称賛され、全文を発表して貰いたいと
希望されたので、国民及び外国に示すことにしました」


行幸A


官報号外 昭和21年1月1日
詔書(新日本建設に関する詔書)

茲ニ新年ヲ迎フ。
顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。
曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。
朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。
須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ
平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。


現代語訳 (文責在詠山史純)

ここに新年を迎える。
顧みれば、明治天皇が明治の初めに、国の方針として、五箇条のご誓文を給われた。
いわく、
一、広く会議を開き、あらゆることについて、公の議論の場で決定すべし。
一、上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。
一、役人、軍人から庶民に至るまで、誰もがその志を全うし、途中で諦めたり、  
怠けたりしないよう計るべし。
一、過去の誤った風習や弊害を止め、何事も天地の道理に則るべし。
一、新しい智恵や知識を世界中に求め、大いに天皇国家を奮い立たせるべし。
明治天皇の御誓文は、誠に公明正大なものである。
これ以上、何も加えるべきものはない。
朕は、ここに誓いを新たにして、国運を開こうと思う。
須らく、このご誓文の趣旨に則り、旧来の悪い習慣を去り、民意をのびのびと
育て、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以って民間生活の
向上を図り、新日本を建設するべきである。


御誓文500


慶応3年(1867年)10月14日、徳川15代将軍慶喜が政権を返上(大政奉還)し、
同年12月10日に「王政復古の大号令」が発せられ、明治政権が発足した。
翌年の明治元年(1868年)3月14日、16歳の明治天皇が紫宸殿に公卿諸侯を
集め、天神地祇を祀り、神々に誓約するという形で新しい国家の方針を表明
されたのである。
「御誓文」とは「お誓い申し上げる文」の意で、明治天皇が「天神地祇の
御神前で神々(皇祖皇宗)にお誓い申し上げた」ということである。
従って、この御誓文を奏上される前に、「国是誓約ノ御祭文」と呼ばれる前文が、
祭祀の場に参集した公卿諸侯に、神々に奏上するその意義を宣り聞かせる
宣命体の祝詞として、三条実美が奉読し、奏上されている。


「国是誓約ノ御祭文」

掛巻(かけまく)も畏(かし)こき天神地祇(あまつかみくにつかみ)の
大前(おおまえ)に、今年三月十四日を生日(いくひ)の足日(たるひ)と
撰定(えらびさだ)めて、禰宜(ねぎ)申さく。今より天津神の御言寄
(おんことよさ)しの随(まにま)に、天下(あめがした)の大政
(おおきまつりごと)を執行(とりおこな)わんとして、親王(みこたち)
卿臣(まえつぎみたち)国々(みくにみくにの)諸侯(みこともちども)
百僚官人(つかさつかさのひとども)を引居連(ひきいつらね)て
此(この)神床(かむどこ)の大前に、誓(うけ)ひ奉(まつ)らくは、
近き頃(ころお)い邪者(よこしまなるもの)の是所彼所(ここあすこ)に
荒び武(うと)びて、天下さやぎにさやぎ人の心も平穏ならず。この故に
もって天下の諸人等(もろびとども)の力を合せ、心を一つにして、
皇(すめ)らが政(まつりごと)を輔翼(あなない)奉(まつ)り、
仕奉(つかえまつ)らせ給へと請祈(のみ)申す。
礼代(いやじろ)は横山の如く置(おき)高成(たかなり)て奉る状(さま)
を聞食(きこしめし)て、天下(あめがした)の万民(よろずみたみ)を
治給(おさめたま)い、育(ひたし)給い、谷蟇(たにぐく)の狭渡
(さわたる)る極み、白雲の墜居(おちい)向伏(むかふす)限り、逆敵対
(まつろわぬ)者あらしめ給わず、遠祖尊(とおつみおやのみこと)の恩頼
(みたまのふゆ)を蒙(かがふ)りて、無窮(とこしえ)に仕奉(つかえまつ)る
人共の今日の誓約(うけい)に違(たが)わむ者は、天神地祇(あまつかみ
くにつかみ)の倏忽(たちまち)に刑罰(つみない)給わむ物ぞと、皇神等
(すめがみたち)の前に誓(ちかい)の吉詞(よごと)申(もうし)給わくと
白(まお)す。



現代語訳 (文責在詠山史純)

心に思うのも畏れ多い天津神国津神の御前に、今年三月十四日を、生命が
生き生きと栄える日、活力が満ち足りている吉日と選び定めて、禰宜(神職)
が申し上げます。
今より、神話時代に天津神のお命じになられた通りに、天下の政(まつりごと)
を行おうとして、皇族、大臣、貴族、藩主、その他百官の役人たちを召し出して、
この神棚の御前にお誓い申し上げ奉りますのは、このところ、悪しき者どもが、
あちらこちらに現われては荒れ狂い、天下は騒ぎに騒ぎ、人心も穏やかでは
ありません。
それ故に、天下の国民の力を合わせ、心を一つにして、天皇の政治をお助け
申し上げ、お仕え申し上げさせて下さいませと、御祈願を申し上げます。
ご祈願の捧げものの品々を、広い山のように置き高く盛り上げて奉献致す様を、
ご覧頂きまして、天下の万民をご統治下さり、愛育して頂き、谷々の蝦蟇が
連なり渡る果て、山々の上に湧いては降りる白雲が、遥か向こうまで伏して
流れる果てまで、反逆者や敵対者の存在をお許しになられず、歴代天皇、
ご先祖の諸霊のお恵みお陰を被り、限りなくお仕え申し上げる人共に依る、
今日のこの神前誓約に違反する者が居ましたならば、天津神国津神に依って
忽ちに神罰を戴くことになると、皇祖皇宗の御前に、誓いの吉事のお言葉を
仰った次第であることを申し上げます。


今上陛下 被災地ご訪問B


450 今上陛下 被災地ご訪問


皇国日本は、何と素晴らしき国柄なのであろうか。
68年前に一度、喧嘩に負けたことなど、どれほどのことがあろうか。
日本良い国、清い国。 世界に一つの神の国。  
日本良い国、強い国。 世界に輝く 偉い国ではないか。
支那、朝鮮など、愚劣で下品でみっともない法螺吹き三流国家の御為と、
慰安婦だの、オスプレイだの、護憲だの、外国人参政権だの、せっせせっせと
魂を売り渡す売国政党、売国メディア、大和系売国奴連中の気が知れぬ。


シナチョン


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対米英開戦の詔勅…米国及び英国に対する宣戦の詔書

 2017-08-19
対米英開戦の詔勅

…米国及び英国に対する宣戦の詔書



第119記事1


第119記事5慶応義塾福澤研究センター様依り
※画像は、慶応義塾福澤研究センター様のサイト依り、拝借。


天佑(てんゆう)を保有し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める
大日本帝国天皇は昭(あきらか)に忠誠勇武なる汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)に示す。

※天祐:天の助け。
※皇祚(こうそ)を践(ふ)む:皇位を継承する。
※昭(あきらか)に:はっきりと。
※有衆:国民(天皇から臣民に語り掛ける語)


朕(ちん)茲(ここ)に、米国及び英国に対して、戦(たたかい)を宣す。


朕(ちん)が陸海将兵は、全力を奮(ふるっ)て、交戦に従事し、
朕(ちん)が百僚有司は励精(れいせい)、職務を奉行(ほうこう)し、
朕(ちん)が衆庶(しゅうしょ)は各々、其の本分を尽し、
億兆一心(いっしん)、国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに
遺算(いさん)なからんことを期せよ。

※百僚:多くの官吏。百官。
※有司:役人。
※励精:精を出して励むこと。また、その様。精励。
※奉行する:命令を奉じて、物事を執り行うこと。
※衆庶:諸々の人々。一般の人々。庶民。
※遺算:手落ち。計算違い。見込み違い。


抑々(そもそも)、東亜の安定を確保し、以(もっ)て、世界の平和に寄与するは、
丕顕(ひけん)なる皇祖考(こうそこう)、丕承(ひしょう)なる皇考の
作述(さくじゅつ)せる遠猷(えんゆう)にして、朕(ちん)が拳々(けんけん)
措(お)かざる所。

※丕顕(ひけん):大いに明らかなこと。(「丕」は「大)の意)
※皇祖考:天皇の亡祖父。(此処では明治天皇)
※丕承(ひしょう):大いに受け継ぐこと。
※皇考:天皇の亡父。(此処では大正天皇)
※作述する:先人の言説を伝え述べることと、自分で新しく説を為すこと。
  先人の業績を受け継いだり、新たに創作したりすること。
※遠猷(えんゆう):遠い将来まで考えた図り事。遠謀。
※拳々(けんけん):両手で恭しく捧げ持つこと。
※拳々措(お)かざる:常に心に持ち続けるの意。


而(しこう)して、列国との交誼(こうぎ)を篤(あつ)くし、万邦共栄の
楽(たのしみ)を偕(とも)にするは、之亦(これまた)帝国が常に国交の
要義と為す所なり。


※而して:そうして。そこで。そうであるから。
※交誼:親しい交わり。


今や不幸にして、米英両国と釁端(きんたん)を開くに至る。
洵(まこと)に已むを得ざるものあり。
豈(あに)朕(ちん)が志ならんや。

※釁端(きんたん):不和の始まり。
※釁端を開く:紛争を招く。
※豈(あに):(打ち消しの表現を伴って)決して。
 (反語表現で)どうして…であろうか。


中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解せず、濫(みだり)に事を構えて、
東亜の平和を攪乱し、遂(つい)に帝国をして、干戈(かんか)を執るに至らしめ、
茲(ここ)に四年有余を経たり。

※曩(さき)に:先に。以前に。
※干戈(かんか):干(たて)と戈(ほこ)の意。武器。武力。戦争。


幸(さいわい)に国民政府更新するあり。
帝国は之と善隣の誼(よしみ)を結び、相(あい)提携するに至れるも、
重慶に残存する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃(たの)みて、
兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)だ、牆(かき)に相鬩(あいせめ)くを
悛(あらた)めず。

※庇蔭(ひいん):ひさしの陰。庇(かば)うこと。また、お蔭を被ること。
※牆(かき)に相鬩(あいせめ)く:仲間同士が内輪で争う。
※悛(あらた)める:過ちを止めて、心を正すこと。


米英両国は、残存政権を支援して、東亜の禍乱(からん)を助長し、
平和の美名に匿(かく)れて、東洋制覇の非望を逞(たくまし)うせんとす。


剰(あまつさ)え、与国を誘(いざな)い、帝国の周辺に於いて、
武備を増強して、我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害を与え、
遂に経済断交を敢(あえ)てし、帝国の生存に重大なる脅威を加う。

※剰(あまつさ)え:そればかりか。その上に。
※与国:助け合う関係にある国。同盟国。


朕(ちん)は政府をして、事態を平和の裡(うち)に回復せしめんとし、
隠忍久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲(こうじょう)の
精神なく、徒(いたずら)に時局の解決を遷延(せんえん)せしめて、
此の間(かん)、却(かえ)って益々、経済上軍事上の脅威を増大し、
以(もっ)て、我を屈従せしめんとす。

※毫(ごう)も:少しも。些かも。(後に打消しの語を伴い)
※交譲(こうじょう):互いに譲り合うこと。互譲。
※徒(いたずら)に:無駄に。虚しく。
※時局:国家・社会の、その時の情勢。世の中の成り行き。


斯(かく)の如くにして推移せんか、東亜安定に関する帝国積年の努力は
悉(ことごと)く水泡に帰し、帝国の存立、亦(また)正(まさ)に
危殆(きたい)に瀕(ひん)せり。

※推移せんか:推移したならば。
※危殆に瀕する:非常に危ない状態になる。大きな危機に曝される。


事(こと)既(すで)に此に至る。
帝国は今や、自存自衛の為、蹶然(けつぜん)起(た)って、
一切の障礙(しょうがい)を破砕(はさい)するの外(ほか)無きなり。

※蹶然(けつぜん):勢い良く立ち上がる様。勢い良く行動を起こす様。


皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の神霊、上(かみ)に在り。

※皇祖皇宗:天皇の始祖たる神武天皇と当代に至る迄の歴代の天皇。


朕(ちん)は、汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)の忠誠勇武に信倚(しんい)し、
祖宗(そそう)の遺業を恢弘(かいこう)し、速(すみやか)に禍根を
芟除(さんじょ)して、東亜永遠の平和を確立し、以(もっ)て、
帝国の光栄を保全せんことを期す。
(文責在詠山史純)

※信倚(しんい)する:信じ頼ること。信頼すること。
※祖宗(そそう):「皇祖皇宗」の略称。
※恢弘(かいこう):事業等を大きく押し広めること。
※芟除(さんじょ):刈り除くこと。良くないものを取り除くこと。


御名御璽

昭和十六年十二月八日

内閣総理大臣兼内務大臣兼陸軍大臣 東条英機
文部大臣 橋田邦彦
国務大臣 鈴木貞一
農林大臣兼拓務大臣 井野碩哉
厚生大臣 小泉親彦
司法大臣 岩村通世
海軍大臣 嶋田繁太郎
外務大臣 東郷茂徳
逓信大臣 寺島 健
大蔵大臣 賀屋興宣
商工大臣 岸 信介
鉄道大臣 八田嘉明


第119記事2
「米国及び英国に対し宣戦」昭和16年12月8日「官報号外」




東京日日


大阪毎日


朝日夕刊2





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終戦の詔勅…大東亜戦争終結ニ関スル詔書

 2017-08-16
終戦の詔勅

…大東亜戦争終結ニ関スル詔書



朕(ちん)深く世界の大勢と、帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以って、
時局を収拾せんと欲し、
茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民(しんみん)に告ぐ。


朕(ちん)は帝国政府をして、米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨
通告せしめたり。

※蘇国:ソ連のこと。


抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽を
偕(とも)にするは、皇祖皇宗の遺範にして、朕(ちん)の拳々(けんけん)
措かざる所、曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以(ゆえん)も
亦(また)実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出て、
他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固(もと)より朕(ちん)が志にあらず。

※康寧(こうねい):平穏無事であること。安寧。
※皇祖皇宗:天皇の始祖たる神武天皇と当代に至る迄の歴代の天皇。
※遺範:先人から遺された手本。
※拳々:両手で恭しく捧げ持つこと。
※曩(さき)に:先に。以前に。
※所以(ゆえん):訳。理由。
※庶幾(しょき)する:切に願い望むこと。


然るに、交戦已に四歳を閲し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、
朕が一億衆庶の奉公、各々最善を尽せるに拘らず、戦局必ずしも好転せず、
世界の大勢、亦(また)我に利あらず。

※閲する:経過すること。
※百僚:多くの官吏。百官。
※有司:役人
※励精:精を出して励むこと。また、その様。精励。

加之(しかのみならず)、敵は新たに残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に
無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。

※加之(しかのみならず):そればかりでなく。それに加えて。
※無辜(むこ):罪の無いこと。また、その人。


而(しか)も尚、交戦を継続せむか、終(つい)に我が民族の滅亡を
招来するのみならず、延(ひ)いて人類の文明をも破却すべし。

斯の如くんば、朕(ちん)何を以ってか、億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せむや。

是れ、朕が帝国政府をして、共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。

朕は帝国と共に終始、東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を
表せざるを得ず。

帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃れたる者、及(および)
其の遺族に想を致せば、五内(ごだい)為に裂く。

※五内(ごだい):五臓の意。
※五内為に裂く:これが為に、全身が裂かれる様に痛む。
これが為に、これ以上辛いことは無い。


且(かつ)、戦傷を負い、災禍を蒙(こうむ)り、家業を失いたる者の厚生に
至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。

※軫念(しんねん)する:天子が心を痛め,心配すること。


惟(おも)うに今後、帝国の受くべき苦難は固(もと)より、尋常にあらず。

爾(なんじ)臣民の衷情も、朕(ちん)善く之を知る。

※衷情:嘘偽りの無い心。真心。衷心。誠意。


然れども、朕(ちん)は時運の趨(おもむ)く所、堪え難きを堪え、
忍び難きを忍び、以って、万世の為に太平を開かんと欲す。

朕は茲(ここ)に国体を護持し得て、忠良なる爾(なんじ)臣民の赤誠に
信倚(しんい)し、常に爾(なんじ)臣民と共に在り。

※赤誠:少しも嘘偽りの無い心。ひたすら真心を以って、接する心。
※信倚(しんい)する:信じ頼ること。信頼すること。


若し夫れ、情の激する所、濫(みだり)に事端を滋(しげ)くし、
或いは、同胞排擠(はいせい)互に時局を乱り、為に大道を誤り、
信義を世界に失うが如きは、朕(ちん)最も之を戒む。

※事端:事件の糸口。事の起こり。事の端緒。
※事端を滋(しげ)くする:事件を沢山引き起こすこと。
※排擠(はいせい):人を押し退けたり,陥れたりすること。排斥。


宜しく挙国一家子孫相伝え、確けく神州の不滅を信じ、任重くして、道遠きを
念(おも)い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(かた)くし、
誓って、国体の精華を発揚し、世界の進運に後(おく)れざらんことを期すべし。

爾(なんじ)臣民(しんみん)、其(こ)れ克(よ)く、朕(ちん)が意を体せよ。
(文責在詠山史純)

御名御璽

昭和二十年八月十四日

内閣総理大臣 男爵 鈴木貫太郎
海軍大臣 米内光政
司法大臣 松阪広政
陸軍大臣 阿南惟幾
軍需大臣 豊田貞次郎
厚生大臣 岡田忠彦
国務大臣 桜井兵五郎
国務大臣 左近司政三
国務大臣 下村宏
大蔵大臣 広瀬豊作
文部大臣 太田耕造
農商大臣 石黒忠篤
内務大臣 安倍源基
外務大臣兼大東亜大臣 東郷茂徳
国務大臣 安井藤治
運輸大臣 小日山直登


終戦の詔勅1

終戦の詔勅2

終戦の詔勅3

終戦の詔勅4
国立公文書館所蔵


終戦に関するテレビ番組等では、玉音放送の「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の
一部分が象徴的に用いられ、恰も昭和天皇が国民に対し、「堪え難きを堪え、
忍び難きを忍べ」とご命令為さった如くに解釈させたいが為であろうが、
恣意的に編集されることが常態化している。
しかし、「然れども、朕は時運の趨く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、
以って、万世の為に太平を開かんと欲す」とある如く、この「堪え難きを堪え、
忍び難きを忍び」の主語は、昭和天皇御自身であり、「(朕は)堪え難きを堪え、
忍び難きを忍んで、これからもずっと続いて行く将来の為に、太平を築いて
行きたい(文責在詠山史純)」と仰ったのである。

※張横渠の立言「天地の為に心を立つ。生民の為に命を立つ。
往聖の為に絶学を継ぐ。『万世の為に太平を開く』」


敗戦の哀しみ
玉音放送を拝聴し、敗戦の哀しみに涙を流す、海軍軍需工場に勤労動員された
女子挺身隊の可憐な女学生


昭和20年12月15日、占領軍の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、
日本政府に対し、神道指令を発し、「大東亜戦争」という呼称の使用を禁止した。

「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」
(昭和二十年十二月十五日
連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号《民間情報教育部》
終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書)
「公文書ニ於テ『大東亜戦争』、『八紘一宇』ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ
日本語トシテソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト
切り離シ得ザルモノハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ
却刻停止ヲ命令スル」

そして、日本人は「大東亜戦争」とは歴史観も価値観も全く異なる、
「太平洋戦争」という呼称を強要されたのである。
「大東亜戦争」という呼称は、昭和16年(1941年)12月12日、東條内閣が、
支那事変も含めた上で、閣議決定したものである。
我が国は「大東亜戦争」を戦ったのであって、「太平洋戦争」を戦ったのではない。





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