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民法改正案「選択的夫婦別氏制度」導入の意味するもの…陰謀論で読み解く、選択的夫婦別氏制度導入

 2018-06-05
民法改正案「選択的夫婦別氏制度」導入の意味するもの

…陰謀論で読み解く、選択的夫婦別氏制度導入



民法第750条(夫婦の氏)に「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、
夫又は妻の氏を称する」として、「夫婦同氏」の原則が定められている。

夫婦同氏の習慣は、明治31年(1898年)公布・施行の旧民法以来のもので
結婚は、妻が夫の家に入るという伝統的な親族構造の考え方を反映して、
「妻が夫の氏を称する」と定められていた訳である。

先ず初めに、「別氏」と「別姓」という言葉に就いてであるが、現代社会に於いては、
血の繋がりに依って成り立つ同族集団としての「氏」と、
職掌や家格、その尊卑を表わす呼称としての「姓」、
荘園制度に於ける所有地の字(あざな)を家名とした「名字」、
平安時代以降、一族の繁栄を祈って、家名を瑞祥文字で飾った「苗字」、
この、氏、姓、名字、苗字が一般的には同義語として用いられている。
法律用語として、厳密には「氏」を用いるべきで、「夫婦別氏制度」とするのが
妥当であろうと考える。


第272記事2
映画「麦秋(ばくしゅう)」(小津安二郎監督作品 昭和26年)の1シーンを拝借。


他国の事情を俯瞰してみると、トルコやタイは近年、選択的夫婦別氏制度を
導入する法改正をしたとのことで、法律上の夫婦が共に、婚姻以前の姓名を
維持出来るという選択肢の無い国は我が国だけということになる。
しかし、我が国には、我が国固有の「家」の形、「家族」の形というものが
あるのであるからして、我が国が何から何まで、世界標準に合わせるという名目で、
我が国古来の伝統、文化を破壊しなければならないということはないのである。

儒教文化圏である支那や朝鮮の夫婦別氏は、家父長制度の下、他人である妻を
夫の家に入れないという、父系氏族文化に於ける、男尊女卑の発想が根底に
ある訳であり、ヨーロッパの夫婦別氏導入は、夫婦同氏を含むキリスト教的、
聖書的束縛から逃れようとする反キリスト教の思想、フェミニズムの影響が
ある様であり、抑々、基本的な親族構造が違う上に、日本とでは歴史的、文化的
背景が異なる訳である。


第272記事3
映画「東京物語」(小津安二郎監督作品 昭和28年)の1シーンを拝借。


民法750条の規定に依れば、「夫又は妻の氏を称する」とあり、何方でも選択
出来る訳であるが、現実には婚姻の際に改氏する女性が約97%に上るということで、
このことが不公平であり、男女差別であるとして、夫婦別氏の導入を求める理由の
一つに挙げられている様である。
しかし、何方の氏を選択しても良いという環境下に於いて、圧倒的大多数が
夫の氏を選択しているという現状を、民法の不平等に依るものとして、民法改正を
求める議論は論理整合性を持ち得ない。

民法改正推進派の挙げる、夫婦別氏でない不利益としては、職業上の業績や
評価の連続性が中断されること、改氏に依る自己喪失感が齎されること、
夫の氏を強要され、夫の実家に組み入れられることが苦痛に感じられる…等が
ある様である。


第272記事1日章旗と太陽


「氏」の指し示す対象が、
「家族」から「個人」に変更されるのである。



この民法改正に依る選択的夫婦別氏制度の導入論議に於いて、疎かにされているのは、
「夫婦同氏の原則が打ち破られる」という観点である。
つまり、「氏」の指し示す対象が、「家族」から「個人」に変更されることに
なるのである。

婚姻は、独立した新しい「家族」を作ることである。
その新しい「家族」の名称としての「氏」を選択するということであったのに対して、
夫婦別氏を導入することに依って、「氏」が「家族」を表わす名称であるという原則が
覆されることになる訳である。

これは、大東亜戦争敗戦後の昭和21年(1946年)、連合国軍最高司令官総司令部
(GHQ/SCAP) の日本占領基本法である新憲法典「日本国憲法」のマッカーサー草案
第12条(日本国の封建制度を廃止し、個人の権利を尊重する)、及び、第23条
(家族生活に於ける、個人の尊重、両性の本質的平等の確立を求める)に依り、
我が国の国体概念を支えた「家」の制度を解体し、個人の自由と平等を基礎に置く、
西洋型個人主義的、自由主義的家族関係への社会構造変革、則ち「核家族化」に
引き続き、我が国の「家族の形」を変えてしまうという、非常に大きな日本社会
改造と言えるのである。

※尚、この点に関し、法務省HP内の「選択的夫婦別氏制度(いわゆる
選択的夫婦別姓制度)について」の記述に於いて、全く指摘されていない。


夫婦別氏制度導入の民法改正に賛成を表明している諸政党等、夫婦別氏制度
導入推進派には、親シナ、親コリアの反日左翼勢力が圧倒的に多い。
要するに、彼ら推進派は選択的夫婦別氏制度の導入が、我が国古来の伝統、文化、
「家」の形、「家族」の形を破壊することを意味すると認識しているのである。
民法改正案「夫婦別氏制度」導入は、日本文化の連続性、継承性の破壊工作である。
当に、反日左翼勢力の日本解体の為の深謀遠慮ということである。
繰り返すが、何から何まで世界標準に合わせるという名目で、日本古来の善き伝統、
文化を破壊しなければならないということは、断じてないのである。





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日本人が好んだ名前③…昭和戦中・戦後編(1944年&1946年)

 2018-04-30
日本人が好んだ名前 ベストランキング③

昭和戦中・戦後編(1944年&1946年)



●昭和19年(1944年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「ひろこ」
「たけし」   「ようこ」
「たかし」   「かずこ」
「あきら」   「けいこ」
「いさお」   「よしこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「勝」     「和子」
「勇」     「洋子」
「勝利」    「幸子」
「進」     「節子」
「勲」     「勝子」
「清」     「弘子」
「博」     「美智子」
「弘」     「光子」
「武」     「悦子」
「功」     「昭子」


昭和16年(1941年)12月8日の真珠湾攻撃から3年目を迎え、
戦況が絶望的な様相を呈していた時期であり、世相を反映して「勝」
「勇」「勝利」「勲」「功」など、武張った名前が上位を占めている。
翌年、昭和20年8月15日に無条件降伏を受け入れ、終戦となる。


第269記事1
シブヤン海峡にて、米軍の急降下爆撃で、第一砲塔に被弾した戦艦大和


1月
米軍、ニューギニア島に上陸。
大本営、インパール作戦を認可。
大本営が大陸打通作戦を命令。
東京・名古屋で初の疎開命令(建物の強制取壊し)。
ソ連軍、レニングラード市を解放。
「中央公論」「改造」の編集者が検挙される(横浜事件)。

2月
米軍、マーシャル諸島占領。
米軍、トラック島空襲。

3月
政府が三綱領(国民学校学童給食・空地利用食糧増産
疎開促進)を発表。
宝塚歌劇団休演前最終公演(ファンが殺到し警官が抜刀して整理)。
警視庁の指令により、待合茶屋・バー・料亭が閉鎖される。
全国の新聞で夕刊が廃止。
日本軍、インパール作戦を開始。
岩手県宮古で豪雪(死者164名、全壊209戸)。
連合艦隊司令長官古賀峯一海軍大将が殉職(海軍乙事件)。
松竹少女歌劇団解散(松竹芸能本部女子挺身隊結成)。

4月
旅行制限強化。
日本軍、大陸打通作戦を開始( - 翌1945年1月)。


第269記事2
昭和19年(1944年)9月15日、ニューギニア モロタイ島に上陸した
南西太平洋方面連合軍総司令官米陸軍ダグラス・マッカーサー大将


6月
連合軍、ローマ入城。
連合軍、ノルマンディー上陸。
ドイツ軍、V1飛行爆弾でのイギリス攻撃開始。
米軍、サイパン島に上陸。
米軍のB29が中国の成都から出撃し、
翌日未明に北九州の八幡を爆撃。(B-29の本土初空襲)
マリアナ沖海戦。
北海道で大噴火、昭和新山と命名される。

7月
日本軍、インパール作戦を放棄。
サイパン島で日本軍が全滅。
東条内閣総辞職。
ドイツでヒトラー暗殺未遂事件が発生。
米軍、グアム島に上陸。
小磯内閣成立。


第269記事4


8月
大本営政府連絡会議を最高戦争指導会議と改称。
国民総武装を閣議決定。
グァム島で日本軍全滅。
在支米空軍約80機が九州・中国地方に来襲。
沖縄からの疎開船対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃により沈没。
(学童七百人を含む千五百人が死亡)
ドイツ占領下のパリ市民が武装蜂起。
連合軍、パリ解放。

9月
ドイツ軍、V2ロケットでのロンドン攻撃を開始。

10月
米国機動部隊、沖縄本島を空爆。
米軍、台湾を空爆。台湾沖航空戦。
ドイツのロンメル将軍が自殺。
レイテ島の戦い。フィリピンの戦い (1944-1945年)が始まる。
レイテ沖海戦で連合艦隊は戦艦武蔵以下30隻を失い、事実上消滅。
神風特別攻撃隊が初出撃。特攻作戦の開始。

11月
ゾルゲ事件 リヒャルト・ゾルゲ・尾崎秀実が処刑される。
マリアナ群島のサイパン米軍基地を出撃したB-29が東京初空襲。

12月
東海沖でマグニチュード7.9の東南海地震発生。
死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件。
ドイツ軍、アルデンヌで大攻勢。
軍需省が全国の飼い犬の強制的供出を決定。
(肉は食用に、毛皮は飛行服の材料に)


第269記事3空母イントレピッド19441125
フィリピン レイテ湾沖で特攻機の体当たり攻撃を受ける米空母イントレピッド



●昭和21年(1946年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「かずこ」
「かずお」   「けいこ」
「たかし」   「ひろこ」
「けんじ」   「みちこ」
「としお」   「よしこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「稔」     「和子」
「和夫」    「幸子」
「清」     「洋子」
「弘」     「美智子」
「博」     「節子」
「豊」     「弘子」
「進」     「京子」
「勇」     「悦子」
「修」     「恵子」
「明」     「美代子」

終戦の翌年であることから、武張った名前は上位から姿を消して、
「稔」「豊」「明」など、平和な時代へ向けての明るいイメージの
名前が上位を占めるようになった。


第269記事5MPの交通整理
交通整理をする米軍MP(ミリタリー・ポリス)


1月
1月1日に官報で昭和天皇の詔書が発布され、天皇が現人神(あらひとがみ)で
あることを自ら否定された。(いわゆる人間宣言)
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)、超国家主義団体の解体を指令。
GHQ、公職追放を指令。
国際連合総会第1回開催。
マッカーサー元帥が極東国際軍事裁判所の設置を命令。
NHK「のど自慢素人音楽会」(後のNHKのど自慢)放送開始。

2月
第1次農地改革実施。
マッカーサー元帥が憲法3原則をGHQ 民政局に指示。
通化事件が起き中国在留日本人が多数殺害される。
天皇が神奈川県下を行幸。
部落解放全国委員会結成。
ソ連が千島列島・樺太の領有を布告。
公職追放令公布。

3月
労働組合法施行 (公布1945年12月22日)。
英チャーチル前首相が鉄のカーテン演説を行う。
政府が憲法改正草案要綱を発表(主権在民・天皇象徴・戦争放棄)。
国鉄労働組合結成。
警視庁講習所で初の婦人警官入所式。
米陸軍アイケルバーガー第8軍司令官が米将兵に
日本女性への公然な愛情表現を禁止する旨指令。
GHQ、特殊慰安施設閉鎖。


第269記事71946年TdQW4


4月
マッカーサー元帥が米将兵に日本女性との醜行自粛を訓示。
第22回衆議院議員総選挙で婦人議員39名当選。
国際連盟が解散を決議。
幣原内閣総辞職。
「サザエさん」連載開始 (夕刊フクニチ)
沖縄民政府発足。
初の婦人警官62名が勤務開始。

5月
メーデー復活(第17回、11年ぶり)。
広島・長崎で白血病が発症し始める。
極東国際軍事裁判所開廷。
東京通信工業(現在のソニー)設立。
第1次吉田内閣成立。
天皇がマッカーサー元帥を訪問。


第269記事6


6月
天皇が千葉県下を行幸
中華民国の依頼により外務省が「支那の呼称を避けることに
関する件」を各官公庁に通達、雑誌社・新聞社に連絡。
GHQ、東京にある洋式家屋を接収する旨通告。

7月 
米ビキニ環礁で原爆実験。
文部省が公民館設置を市町村に通達。
警察官のサーベル廃止し警棒を携帯。
米軍渉外局が連合軍専用海水浴場への日本人立入禁止を発表。

8月
日本労働組合総同盟結成。
都市対抗野球大会復活 (後楽園球場)。
経済安定本部設置、物価庁設置。
全国中等学校野球大会再開 (西宮球場)。


第269記事8沖縄の子供たち


9月
第1回芸術祭(文部省芸術課長今日出海提唱)。
生活保護法公布(施行10月1日)。
経済団体連合会(経団連)設立。

10月
GHQ、皇太子の家庭教師としてヴァイニング夫人が来日。

11月
日本国憲法公布。
文部省、当用漢字を発表。
特飲街と赤線区域を指定。
内閣が当用漢字・現代かなづかいを告示。
日本商工会議所設立。
青森県五所川原で大火(841戸焼失)。

12月
シベリア引揚第1船が舞鶴に入港。
南海地震が和歌山県潮岬沖で発生(死者1,443名)。
文部省、六三三四教育制度を発表。







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日本人が好んだ名前②…昭和戦前編(1927年~1940年)

 2018-04-29
日本人が好んだ名前 ベストランキング② 

昭和戦前編(1927年~1940年)



●昭和2年(1927年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「しょうじ」  「かずこ」
「ひろし」   「よしこ」
「あきら」   「てるこ」
「かずお」   「としこ」
「よしお」   「あきこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「昭二」    「和子」
「昭」     「昭子」
「和夫」    「久子」
「清」     「照子」
「昭一」    「幸子」
「博」     「美代子」
「勇」     「光子」
「茂」     「文子」
「実」     「信子」
「弘」     「節子」


第268記事5
お洒落なモダンガール(略称モガ 男性はモダンボーイ「略称モボ」)


大正天皇が47歳で崩御されたのは、前年の大正15年12月25日で
あったので、この昭和2年が実質的な昭和初年と言える。

この年は、「昭和」という新元号に因んだ「昭二」「昭一」「昭」「和子」「昭子」
など、「昭」と「和」の字を用いた名付けが大いに流行ったことになる。
この「昭和」は支那の古典、書経・尭典の「百姓昭明 協和万邦」に基づき、
「天下があきらかで、平和に治まる」ことを意味している。

この「昭」の字は、「日」プラス「召」で、「日を招く」の意から、
転じて「昭か(あきらか)」「日が照り輝いて、明るい」を表わす。
そもそも、この「昭」の文字は改元以前には一般的に馴染みは薄く、
名付けに用いられていた形跡が余りない。


第268記事1
昭和天皇(馬上の大元帥陛下)



●昭和5年(1930年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「かずこ」
「かずお」   「よしこ」
「としお」   「としこ」
「あきら」   「みちこ」
「よしお」   「まさこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「清」     「和子」
「勇」     「幸子」
「実」     「節子」
「進」     「美代子」
「茂」     「愛子」
「博」     「久子」
「和夫」    「文子」
「三郎」    「光子」
「弘」     「孝子」
「幸雄」    「敏子」


この昭和5年(1930年)は世界恐慌が我が国に波及した年であった。

日本政府はロンドン軍縮会議で海軍の反対を押し切り、軍縮条約に調印。
これを軍部は天皇の統帥権を犯すものとして、「統帥権干犯問題」が生起。
明治憲法を楯に取って、軍部の横暴が顕著になり始めて来た時代であった。


第268記事7



●昭和10年(1935年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「よしこ」
「としお」   「ひろこ」
「あきら」   「かずこ」
「よしお」   「としこ」
「たかし」   「まさこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「弘」     「和子」
「清」     「幸子」
「勇」     「節子」
「実」     「弘子」
「博」     「久子」
「進」     「洋子」
「正」     「美智子」
「茂」     「栄子」
「隆」     「良子」
「稔」     「美代子」


第268記事3
226事件(陸軍皇道派青年将校のクーデター未遂事件)


当時、最も現実に適応した学説として、東京帝国大学名誉教授で
貴族院議員であった美濃部達吉博士の学説「天皇機関説」が批判され、
不敬罪で告発された。
軍部にとって都合の良いように、度を越した天皇の神格化が顕著に
なって来た時代であった。
翌年の昭和11年には陸軍皇道派将校に依るクーデター未遂事件、
2.26事件が起こり、これに乗じて陸軍統制派の暴走に拍車が掛かった。

男の子の名前で、一字名が上位を独占するほどに好まれた。
女の子の名前の人気には、大きな変化は見られない。


第268記事2
経済不況に依って、農村の疲弊が極に達し、農家の娘の身売りが
公然と行われる悲劇が生じた。



●昭和15年(1940年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「のりこ」
「たつお」   「ひろこ」
「かずお」   「よしこ」
「としお」   「けいこ」
「たかし」   「ようこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「勇」     「紀子」
「清」     「和子」
「進」     「幸子」
「博」     「節子」
「弘」     「洋子」
「勲」     「弘子」
「勝」     「美智子」
「武」     「久子」
「稔」     「文子」
「茂」     「悦子」


第268記事4
皇紀2600年の祝賀行事で、「二六〇〇」を描いた人文字


昭和12年から日中戦争が戦われており、男の子の名前では、
「勇」「勲」「勝」「武」など武功を尊ぶ、武張った名付けの
上位ランクインが際立って来た時代である。

また、この年は皇紀2600年に当たるとして、記念式典が開催された。
この皇紀というのは、明治政府が明治5年(1872年)に定めた
我が国独自の紀年法で、記紀(古事記と日本書紀)の記述から、
神武(じんむ)天皇が即位した年(天皇制の始まりの年)を
西暦紀元前660年として、その年を皇紀元年としたもの。
因みに、海軍艦上戦闘機「ゼロ戦」の「零(ゼロ)」は、
この2600の一桁の「0」から名付けられたものである。

この「皇紀」に因んだのであろう「紀子」という女の子の名前が、
ベスト10初登場で一位となった。


第268記事6
富士山麓上空を編隊飛行する、海軍の一式陸上攻撃機



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日本人が好んだ名前①…大正時代編(1912年~1926年)

 2018-04-29
日本人が好んだ名前 ベストランキング①

…大正時代編(1912年~1926年)



●大正元年(明治45年 1912年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子    女の子
「まさお」   「まさこ」
「よしお」   「よしこ」
「たけお」   「ふみこ」
「きよし」   「きみ」
「しょういち」 「ちよ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子    女の子
「正一」    「千代」
「清」     「ハル」
「正雄」    「ハナ」
「正」     「正子」
「茂」     「文子」
「武雄」    「ヨシ」
「正治」    「千代子」
「三郎」    「キヨ」
「正夫」    「静子」
「一郎」    「はる」


第267記事5
賑わう浅草六区(東京市)


明治45年(1912年)7月30日、明治天皇が59歳で崩御され、「大正」と改元
されたので、大正元年は5ヶ月しかなかった訳であるから、新年号「大正」を
反映した名前が多かったとしても、一年を通した統計には現われ難いはずである。
明治時代に於ける人気名前の統計が残されていないので、確証は無いが、
「正一」や「正雄」「正治」「正子」と「正」の文字が多用されたのには、
新年号「大正」の影響があったのかも知れない。

大正、昭和を通じて、「三郎」が「一郎」「二郎」よりも多く、ベスト10の常連で
あったことは目を惹く。
三男が居たということは当然、長男も次男も居たはずであるが何故…と思うと
面白いが、これには訳がある。
長男の場合は「一郎」の他に「太郎」と名付けられる場合も多く、次男の場合は
「二郎」の他に「次郎」と名付けられる場合があるが、「三郎」の場合には「三」に
代わる文字が無いことを思えば、当然のことなのである。


第267記事井後列右側賢治 盛岡高等農林学校時代
盛岡高等農林学校時代の宮澤賢治(後列右側)



●大正5年(1916年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子    女の子
「たつお」   「よしこ」
「よしお」   「としこ」
「まさお」   「まさこ」
「としお」   「きよこ」
「ひろし」   「ふみこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子    女の子
「辰雄」    「文子」
「清」     「千代子」
「三郎」    「千代」
「勇」     「清子」
「一郎」    「キミ」
「茂」     「八重子」
「実」     「フミ」
「正雄」    「キヨ」
「秀雄」    「静子」
「辰男」    「貞子」

男の子の名前1位に「辰雄」、10位に「辰男」がランクインしているのは、
この年の干支が丙辰(ひのえたつ)であったが為と思われる。
女の子では、「千代」「千代子」の人気が高かったことが目を惹く。
また、男の子の「清」は、時代を通して常に人気が高かった。


第267記事少女画報 大正2年1913年 於弁天橋 東都女学生通学衣装
大正2年(1913年)「少女画報」12月号掲載の写真
東都女学校生徒の通学衣装(東京 弁天橋)



●大正10年(1921年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子    女の子
「よしお」   「よしこ」
「ひろし」   「ふみこ」
「まさお」   「としこ」
「としお」   「きよこ」
「きよし」   「きみこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子    女の子
「清」     「文子」
「三郎」    「千代子」
「茂」     「清子」
「勇」     「久子」
「博」     「芳子」
「一郎」    「静子」
「実」     「幸子」
「弘」     「美代子」
「正」     「敏子」
「正雄」    「愛子」

男の子の名前で、一字名が好まれる傾向が顕著になって来た。
女の子の名前では、「幸子」「愛子」の登場が目を惹く。


第267記事6



●大正15年(1926年 昭和元年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子    女の子
「ひろし」   「よしこ」
「よしお」   「としこ」
「としお」   「てるこ」
「まさお」   「ふみこ」
「きよし」   「きよこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子    女の子
「清」     「久子」
「勇」     「幸子」
「博」     「美代子」
「実」     「照子」
「茂」     「文子」
「三郎」    「和子」
「弘」     「信子」
「正」     「千代子」
「進」     「光子」
「一男」    「貞子」

大正天皇は大正15年12月25日に崩御されているので、昭和元年は一週間しか無く、
新年号「昭和」の文字の影響が出るのは、翌年の昭和2年以降のこととなる。
女の子の名前では、「美代子」「和子」の登場が目を惹く。
男の子の名前では「勇」「進」など、勇ましい名前の人気が上がって来た。
また、一字名が好まれる傾向が更に顕著になって来た。


第267記事3
東京駅 大正3年(1914年)12月20日開業



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天皇の靖国神社行幸に就いて…皇祖皇宗の大御心(おおみごころ)を奉戴する天皇

 2018-04-20
天皇の靖国神社行幸に就いて

…皇祖皇宗の大御心(おおみごころ)を奉戴する天皇



政府首脳の靖国神社参拝を非難する論者には、「昭和天皇はA級戦犯合祀に
不快感を抱かれ、それ以降、靖国神社参拝を止められた」ことを取り上げ、
A級戦犯が合祀された靖国神社参拝を拒否為さる、昭和天皇と今上天皇の
「お心」に背いてまで、参拝するのは間違っていると論難する者が多い。

先帝陛下が靖国神社のいわゆる「A級戦争犯罪人」14人の合祀に不快感を
示されたとの根拠として、元宮内庁長官富田朝彦氏の「富田メモ」や、
元侍従卜部亮吾氏の「卜部亮吾侍従日記」が挙げられ、俗に「天皇の親拝問題」
と言われている。
この靖国神社の一件で、「親拝」という言葉を用いるのは誤用である。
本来、「御親拝」という語は、天皇が天照大御神をお祀りする伊勢の皇大神宮や
皇祖皇宗をお祀りする御社を礼拝される場合にのみ用いるべきものである。
靖国神社や護国神社の場合、ご祭神は天皇の臣下である臣民であるからして、
「行幸(ぎょうこう)」という語を用いるのが正しい。

それにしても、この「天皇の親拝問題」を取り上げる輩は、それほどまでに、
「天皇のお心」なるものを気遣い、そのお心に沿わんとする忠臣たちなので
あろうかと、皮肉の一つも吐いてみたくなる。
己らの都合の良い時にだけ、尊敬してもいない「先帝陛下と今上陛下のお心」
を騙り、利用するとは、不届き千万な所業である。





昭和天皇の不快感報道


2013年12月27日付、東奥日報のコラム「天地人」で、
先帝陛下が昭和61年(1986年)8月15日に詠まれた御製
「この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし」を挙げ、
「昭和天皇はかつて終戦の日に合わせてこう詠まれた。靖国神社には1978年、
東京裁判のA級戦犯が合祀された。昭和天皇の憂いが深い理由だ。
合祀以降、昭和天皇も現在の天皇陛下も参拝されていない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『日本のために尊い命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表した』
その首相の気持ちに国民も異論はなかろう。
だが、中韓との亀裂を深めるとなれば話は別だ。
そもそも国民の象徴である天皇陛下が参拝できない状況はおかしい。
英霊のためを思うなら、そのことを改善する方が先ではないのか」と書いている。
この記事でも、「昭和天皇の憂いが深い理由」を、「1978年、靖国神社に
東京裁判のA級戦犯が合祀された」ことと断定し、「天皇のお心」なるものを
手前勝手に利用している。

平成16年(2004年)、当時の小泉内閣は「皇位継承制度と関連する制度に就いて、
高い識見を有する人々の参集を求めて検討を行う」として、「皇室典範に関する
有識者会議」の設置を決定し、翌年この有識者会議なるものは、 皇位継承を
「女系皇族へ拡大する」方針を発表し、小泉首相は皇室典範の改正準備に
着手している旨を公表した。
この時期にも、「女性天皇容認は、今上陛下のご意思である」との怪情報を
触れ回り、皇統断絶を策謀する者どもがいた。
女性天皇容認論、女系天皇容認論は、平成18年(2006年)、秋篠宮家に若宮が
ご誕生され、立ち消えになったものの、女性宮家創設が話題に上った時期にも同様、
執拗に皇統断絶を狙う勢力が、「女性宮家創設は今上陛下のご意思である」と
騙り、巧妙な悪巧みを仕掛けて来た。




第224記事1
皇室典範義解


「天皇のお心、お考え」を意味する「大御心(おおみごころ)」という語がある。
「叡慮(えいりょ)」とも言う。
我が国の国体は本来、万世一系の天皇が皇祖皇宗の神勅を奉じて統治する
一大家族国家という在り方である。
天皇は皇祖皇宗、ご歴代天皇の神霊を祀り、その「大御心」を奉戴して国を
統治し、国民はそのご歴代天皇の下で臣民として生きたご先祖代々を敬い、
君臣共に「生者のみの概念」でものを考えないのである。
神代以来の万世一系の天皇と臣民という関係の連続性があると同時に、
各時代の天皇は、皇統という縦糸の連続体の中に在る。
天皇は世襲である。その天皇のお心、すなわち「大御心」も皇祖皇宗のお心として、
世襲でなければならないのである。

明治22年(1889年)、伊藤博文著として出版された「帝国憲法皇室典範義解」
の「皇室典範義解(こうしつてんぱんぎげ)」の前文に、
「祖宗肇国、一系承継、與天地無窮、此不仮言説、有一定之模範、以為不易基準」
「祖宗国を肇め、一系相承け、天壌と與に無窮に垂る。此れ蓋し言説を
仮らずして既に一定の模範あり。以て不易の基準たるに因るに非ざるはなし」とある。
【意訳】
「皇祖(神武天皇)皇宗(歴代天皇)が国を創られ、一つの流れを相承され、
天地と共に永遠に極まりなく続く。これは言葉にはしないが、既に定まった
模範、決まりがある。決して変更されてはならない基準、決まりに因っている」
(文責在詠山史純)


建国


要するに、極論するならば、先帝陛下や今上陛下が、靖国神社へのいわゆる
A級戦犯合祀に不快感を抱かれようが、どの様に思われようが、それはどうでも
良いことなのである。
人格としての先帝陛下、すなわち、諱を裕仁(ひろひと)と名乗られた人物、
人格としての今上陛下、すなわち、諱を明仁(あきひと)と名乗られる人物が、
何をどの様にお考えになろうが、その玉体からどの様なお言葉が発せられようが、
絶対君主制ではなく、立憲君主制の我が国では何ら問題にならないのである。
神格で在らせられる第124代天皇としての先帝陛下、神格で在らせられる
第125代天皇としての今上陛下のお心は、皇祖皇宗に連なるお心、「大御心」で
なければならないからである。

万が一にも有り得ないことであると確信致してはいるが、仮に今上陛下が
「女系天皇」「女性宮家創設」を容認されるご意思をお持ちであったとしても、
その人格としての明仁と名乗られる人物のお考えは、皇祖皇宗が示された模範
に背くことになり、それは「大御心」たり得ない誤りなのである。
たとえ、それが今上陛下の玉体から発せられたお言葉であろうが、それは勅語、
勅命たり得ず、詔承必勤と言えども、大義無き勅語、勅命はその対象外で無効、
臣民は従ってはいけないのである。
皇祖皇宗に連なる、万世一系の天皇とは、そう在るべき神格なのである。


「天皇の親拝問題」なるものは、靖国神社で春秋に執行される例大祭には必ず、
先帝陛下、今上陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下依りの御幣物
(ごへいもつ=供え物)が献じられ、御祭文(ごさいもん)が奏上されるという、
「大御心」の顕現である事実を以って、その論は霧散するのである。
※天皇が奏するものを「御告文(おつげぶみ)」勅使が奏するものを
「御祭文(ごさいもん)」という。

天皇陛下が「勅使」を差遣為さるということの意味の重さを知るべきである。
勅使は天皇陛下の「大身代わり」として、征夷大将軍宣下や勅令の伝達に
際しては、いつの時代にも天皇陛下への臣礼同様の敬意が払われたのである。
江戸幕府では一時期、江戸城内での将軍宣下に際し、勅使を下座に、将軍が
上座に坐すという非礼が行なわれたとのことであるが、それも幕末には逆転し、
勅使が上座に座し、将軍が下座に座すという作法に戻されたとのことである。


東條英機 絞首刑V
旧南部盛岡藩士東條英俊の孫、元総理大臣東條英機陸軍大将の名誉恢復を願う。


日本人でありながら、大日本帝国の戦争責任者たちが戦勝国に押し付けられた
「戦争犯罪人」という不当な汚名を好んで使い続ける人々がいる。
曰く、靖国神社に「A級戦犯」刑死者7人を含む14人が合祀されている云々と。
「敗戦国日本の戦争犯罪」、「日本の戦争犯罪人」とは、戦勝国側の概念であり、
呼称に過ぎないのである。
戦勝国側から戦争犯罪人の汚名を着せられ、処刑された同胞が国内法に於いて、
犯罪者であろうはずがない。
彼らもまた、敬意を払うべき、国家に殉じた昭和の殉難者ではないか。



東條英機 享年64歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
内閣総理大臣、陸軍大臣等を歴任。

広田弘毅 享年70歳 外交官
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
内閣総理大臣、外務大臣、駐ソ連大使等を歴任。

土肥原賢二 享年65歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
奉天特務機関長等を歴任。

板垣征四郎 享年63歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
支那派遣軍総参謀長等を歴任。

木村兵太郎 享年60歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
ビルマ方面軍司令官等を歴任。

松井石根 享年70歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
中支那方面軍司令官等を歴任。

武藤章 享年56歳 陸軍中将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
陸軍省軍務局長等を歴任。

平沼騏一郎 享年84歳 司法官
昭和27年(1952年)8月22日 刑期中に病死(終身刑)
内閣総理大臣、枢密院議長等を歴任。

白鳥敏夫 享年61歳 外交官
昭和24年(1949年)6月3日 刑期中に病死(終身刑)
駐イタリア大使等を歴任。

小磯国昭 享年70歳 陸軍大将
昭和25年(1950年)11月3日 刑期中に病死(終身刑)
内閣総理大臣、朝鮮総督等を歴任。

梅津美治郎 享年67歳 陸軍大将
昭和24年(1949年)1月8日 刑期中に病死(終身刑)
関東軍司令官、陸軍参謀総長等を歴任。

東郷茂徳 享年67歳 外交官
昭和25年(1950年)7月23日 刑期中に病死(禁固20年)
外務大臣、駐ドイツ大使等を歴任。

永野修身 享年66歳 海軍大将
昭和22年(1947年)1月5日 判決前に病死
海軍大臣、海軍軍令部総長等を歴任。

松岡洋右 享年66歳 外交官
昭和21年(1946年)6月27日 判決前に病死
外務大臣、南満州鉄道総裁等を歴任。



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