日本人が好んだ名前③…昭和戦中・戦後編(1944年&1946年)

 2018-04-30
日本人が好んだ名前 ベストランキング③

昭和戦中・戦後編(1944年&1946年)



●昭和19年(1944年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「ひろこ」
「たけし」   「ようこ」
「たかし」   「かずこ」
「あきら」   「けいこ」
「いさお」   「よしこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「勝」     「和子」
「勇」     「洋子」
「勝利」    「幸子」
「進」     「節子」
「勲」     「勝子」
「清」     「弘子」
「博」     「美智子」
「弘」     「光子」
「武」     「悦子」
「功」     「昭子」


昭和16年(1941年)12月8日の真珠湾攻撃から3年目を迎え、
戦況が絶望的な様相を呈していた時期であり、世相を反映して「勝」
「勇」「勝利」「勲」「功」など、武張った名前が上位を占めている。
翌年、昭和20年8月15日に無条件降伏を受け入れ、終戦となる。


第269記事1
シブヤン海峡にて、米軍の急降下爆撃で、第一砲塔に被弾した戦艦大和


1月
米軍、ニューギニア島に上陸。
大本営、インパール作戦を認可。
大本営が大陸打通作戦を命令。
東京・名古屋で初の疎開命令(建物の強制取壊し)。
ソ連軍、レニングラード市を解放。
「中央公論」「改造」の編集者が検挙される(横浜事件)。

2月
米軍、マーシャル諸島占領。
米軍、トラック島空襲。

3月
政府が三綱領(国民学校学童給食・空地利用食糧増産
疎開促進)を発表。
宝塚歌劇団休演前最終公演(ファンが殺到し警官が抜刀して整理)。
警視庁の指令により、待合茶屋・バー・料亭が閉鎖される。
全国の新聞で夕刊が廃止。
日本軍、インパール作戦を開始。
岩手県宮古で豪雪(死者164名、全壊209戸)。
連合艦隊司令長官古賀峯一海軍大将が殉職(海軍乙事件)。
松竹少女歌劇団解散(松竹芸能本部女子挺身隊結成)。

4月
旅行制限強化。
日本軍、大陸打通作戦を開始( - 翌1945年1月)。


第269記事2
昭和19年(1944年)9月15日、ニューギニア モロタイ島に上陸した
南西太平洋方面連合軍総司令官米陸軍ダグラス・マッカーサー大将


6月
連合軍、ローマ入城。
連合軍、ノルマンディー上陸。
ドイツ軍、V1飛行爆弾でのイギリス攻撃開始。
米軍、サイパン島に上陸。
米軍のB29が中国の成都から出撃し、
翌日未明に北九州の八幡を爆撃。(B-29の本土初空襲)
マリアナ沖海戦。
北海道で大噴火、昭和新山と命名される。

7月
日本軍、インパール作戦を放棄。
サイパン島で日本軍が全滅。
東条内閣総辞職。
ドイツでヒトラー暗殺未遂事件が発生。
米軍、グアム島に上陸。
小磯内閣成立。


第269記事4


8月
大本営政府連絡会議を最高戦争指導会議と改称。
国民総武装を閣議決定。
グァム島で日本軍全滅。
在支米空軍約80機が九州・中国地方に来襲。
沖縄からの疎開船対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃により沈没。
(学童七百人を含む千五百人が死亡)
ドイツ占領下のパリ市民が武装蜂起。
連合軍、パリ解放。

9月
ドイツ軍、V2ロケットでのロンドン攻撃を開始。

10月
米国機動部隊、沖縄本島を空爆。
米軍、台湾を空爆。台湾沖航空戦。
ドイツのロンメル将軍が自殺。
レイテ島の戦い。フィリピンの戦い (1944-1945年)が始まる。
レイテ沖海戦で連合艦隊は戦艦武蔵以下30隻を失い、事実上消滅。
神風特別攻撃隊が初出撃。特攻作戦の開始。

11月
ゾルゲ事件 リヒャルト・ゾルゲ・尾崎秀実が処刑される。
マリアナ群島のサイパン米軍基地を出撃したB-29が東京初空襲。

12月
東海沖でマグニチュード7.9の東南海地震発生。
死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件。
ドイツ軍、アルデンヌで大攻勢。
軍需省が全国の飼い犬の強制的供出を決定。
(肉は食用に、毛皮は飛行服の材料に)


第269記事3空母イントレピッド19441125
フィリピン レイテ湾沖で特攻機の体当たり攻撃を受ける米空母イントレピッド



●昭和21年(1946年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「かずこ」
「かずお」   「けいこ」
「たかし」   「ひろこ」
「けんじ」   「みちこ」
「としお」   「よしこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「稔」     「和子」
「和夫」    「幸子」
「清」     「洋子」
「弘」     「美智子」
「博」     「節子」
「豊」     「弘子」
「進」     「京子」
「勇」     「悦子」
「修」     「恵子」
「明」     「美代子」

終戦の翌年であることから、武張った名前は上位から姿を消して、
「稔」「豊」「明」など、平和な時代へ向けての明るいイメージの
名前が上位を占めるようになった。


第269記事5MPの交通整理
交通整理をする米軍MP(ミリタリー・ポリス)


1月
1月1日に官報で昭和天皇の詔書が発布され、天皇が現人神(あらひとがみ)で
あることを自ら否定された。(いわゆる人間宣言)
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)、超国家主義団体の解体を指令。
GHQ、公職追放を指令。
国際連合総会第1回開催。
マッカーサー元帥が極東国際軍事裁判所の設置を命令。
NHK「のど自慢素人音楽会」(後のNHKのど自慢)放送開始。

2月
第1次農地改革実施。
マッカーサー元帥が憲法3原則をGHQ 民政局に指示。
通化事件が起き中国在留日本人が多数殺害される。
天皇が神奈川県下を行幸。
部落解放全国委員会結成。
ソ連が千島列島・樺太の領有を布告。
公職追放令公布。

3月
労働組合法施行 (公布1945年12月22日)。
英チャーチル前首相が鉄のカーテン演説を行う。
政府が憲法改正草案要綱を発表(主権在民・天皇象徴・戦争放棄)。
国鉄労働組合結成。
警視庁講習所で初の婦人警官入所式。
米陸軍アイケルバーガー第8軍司令官が米将兵に
日本女性への公然な愛情表現を禁止する旨指令。
GHQ、特殊慰安施設閉鎖。


第269記事71946年TdQW4


4月
マッカーサー元帥が米将兵に日本女性との醜行自粛を訓示。
第22回衆議院議員総選挙で婦人議員39名当選。
国際連盟が解散を決議。
幣原内閣総辞職。
「サザエさん」連載開始 (夕刊フクニチ)
沖縄民政府発足。
初の婦人警官62名が勤務開始。

5月
メーデー復活(第17回、11年ぶり)。
広島・長崎で白血病が発症し始める。
極東国際軍事裁判所開廷。
東京通信工業(現在のソニー)設立。
第1次吉田内閣成立。
天皇がマッカーサー元帥を訪問。


第269記事6


6月
天皇が千葉県下を行幸
中華民国の依頼により外務省が「支那の呼称を避けることに
関する件」を各官公庁に通達、雑誌社・新聞社に連絡。
GHQ、東京にある洋式家屋を接収する旨通告。

7月 
米ビキニ環礁で原爆実験。
文部省が公民館設置を市町村に通達。
警察官のサーベル廃止し警棒を携帯。
米軍渉外局が連合軍専用海水浴場への日本人立入禁止を発表。

8月
日本労働組合総同盟結成。
都市対抗野球大会復活 (後楽園球場)。
経済安定本部設置、物価庁設置。
全国中等学校野球大会再開 (西宮球場)。


第269記事8沖縄の子供たち


9月
第1回芸術祭(文部省芸術課長今日出海提唱)。
生活保護法公布(施行10月1日)。
経済団体連合会(経団連)設立。

10月
GHQ、皇太子の家庭教師としてヴァイニング夫人が来日。

11月
日本国憲法公布。
文部省、当用漢字を発表。
特飲街と赤線区域を指定。
内閣が当用漢字・現代かなづかいを告示。
日本商工会議所設立。
青森県五所川原で大火(841戸焼失)。

12月
シベリア引揚第1船が舞鶴に入港。
南海地震が和歌山県潮岬沖で発生(死者1,443名)。
文部省、六三三四教育制度を発表。







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日本人が好んだ名前②…昭和戦前編(1927年~1940年)

 2018-04-29
日本人が好んだ名前 ベストランキング② 

昭和戦前編(1927年~1940年)



●昭和2年(1927年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「しょうじ」  「かずこ」
「ひろし」   「よしこ」
「あきら」   「てるこ」
「かずお」   「としこ」
「よしお」   「あきこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「昭二」    「和子」
「昭」     「昭子」
「和夫」    「久子」
「清」     「照子」
「昭一」    「幸子」
「博」     「美代子」
「勇」     「光子」
「茂」     「文子」
「実」     「信子」
「弘」     「節子」


第268記事5
お洒落なモダンガール(略称モガ 男性はモダンボーイ「略称モボ」)


大正天皇が47歳で崩御されたのは、前年の大正15年12月25日で
あったので、この昭和2年が実質的な昭和初年と言える。

この年は、「昭和」という新元号に因んだ「昭二」「昭一」「昭」「和子」「昭子」
など、「昭」と「和」の字を用いた名付けが大いに流行ったことになる。
この「昭和」は支那の古典、書経・尭典の「百姓昭明 協和万邦」に基づき、
「天下があきらかで、平和に治まる」ことを意味している。

この「昭」の字は、「日」プラス「召」で、「日を招く」の意から、
転じて「昭か(あきらか)」「日が照り輝いて、明るい」を表わす。
そもそも、この「昭」の文字は改元以前には一般的に馴染みは薄く、
名付けに用いられていた形跡が余りない。


第268記事1
昭和天皇(馬上の大元帥陛下)



●昭和5年(1930年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「かずこ」
「かずお」   「よしこ」
「としお」   「としこ」
「あきら」   「みちこ」
「よしお」   「まさこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「清」     「和子」
「勇」     「幸子」
「実」     「節子」
「進」     「美代子」
「茂」     「愛子」
「博」     「久子」
「和夫」    「文子」
「三郎」    「光子」
「弘」     「孝子」
「幸雄」    「敏子」


この昭和5年(1930年)は世界恐慌が我が国に波及した年であった。

日本政府はロンドン軍縮会議で海軍の反対を押し切り、軍縮条約に調印。
これを軍部は天皇の統帥権を犯すものとして、「統帥権干犯問題」が生起。
明治憲法を楯に取って、軍部の横暴が顕著になり始めて来た時代であった。


第268記事7



●昭和10年(1935年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「よしこ」
「としお」   「ひろこ」
「あきら」   「かずこ」
「よしお」   「としこ」
「たかし」   「まさこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「弘」     「和子」
「清」     「幸子」
「勇」     「節子」
「実」     「弘子」
「博」     「久子」
「進」     「洋子」
「正」     「美智子」
「茂」     「栄子」
「隆」     「良子」
「稔」     「美代子」


第268記事3
226事件(陸軍皇道派青年将校のクーデター未遂事件)


当時、最も現実に適応した学説として、東京帝国大学名誉教授で
貴族院議員であった美濃部達吉博士の学説「天皇機関説」が批判され、
不敬罪で告発された。
軍部にとって都合の良いように、度を越した天皇の神格化が顕著に
なって来た時代であった。
翌年の昭和11年には陸軍皇道派将校に依るクーデター未遂事件、
2.26事件が起こり、これに乗じて陸軍統制派の暴走に拍車が掛かった。

男の子の名前で、一字名が上位を独占するほどに好まれた。
女の子の名前の人気には、大きな変化は見られない。


第268記事2
経済不況に依って、農村の疲弊が極に達し、農家の娘の身売りが
公然と行われる悲劇が生じた。



●昭和15年(1940年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子     女の子
「ひろし」   「のりこ」
「たつお」   「ひろこ」
「かずお」   「よしこ」
「としお」   「けいこ」
「たかし」   「ようこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子     女の子
「勇」     「紀子」
「清」     「和子」
「進」     「幸子」
「博」     「節子」
「弘」     「洋子」
「勲」     「弘子」
「勝」     「美智子」
「武」     「久子」
「稔」     「文子」
「茂」     「悦子」


第268記事4
皇紀2600年の祝賀行事で、「二六〇〇」を描いた人文字


昭和12年から日中戦争が戦われており、男の子の名前では、
「勇」「勲」「勝」「武」など武功を尊ぶ、武張った名付けの
上位ランクインが際立って来た時代である。

また、この年は皇紀2600年に当たるとして、記念式典が開催された。
この皇紀というのは、明治政府が明治5年(1872年)に定めた
我が国独自の紀年法で、記紀(古事記と日本書紀)の記述から、
神武(じんむ)天皇が即位した年(天皇制の始まりの年)を
西暦紀元前660年として、その年を皇紀元年としたもの。
因みに、海軍艦上戦闘機「ゼロ戦」の「零(ゼロ)」は、
この2600の一桁の「0」から名付けられたものである。

この「皇紀」に因んだのであろう「紀子」という女の子の名前が、
ベスト10初登場で一位となった。


第268記事6
富士山麓上空を編隊飛行する、海軍の一式陸上攻撃機



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日本人が好んだ名前①…大正時代編(1912年~1926年)

 2018-04-29
日本人が好んだ名前 ベストランキング①

…大正時代編(1912年~1926年)



●大正元年(明治45年 1912年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子    女の子
「まさお」   「まさこ」
「よしお」   「よしこ」
「たけお」   「ふみこ」
「きよし」   「きみ」
「しょういち」 「ちよ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子    女の子
「正一」    「千代」
「清」     「ハル」
「正雄」    「ハナ」
「正」     「正子」
「茂」     「文子」
「武雄」    「ヨシ」
「正治」    「千代子」
「三郎」    「キヨ」
「正夫」    「静子」
「一郎」    「はる」


第267記事5
賑わう浅草六区(東京市)


明治45年(1912年)7月30日、明治天皇が59歳で崩御され、「大正」と改元
されたので、大正元年は5ヶ月しかなかった訳であるから、新年号「大正」を
反映した名前が多かったとしても、一年を通した統計には現われ難いはずである。
明治時代に於ける人気名前の統計が残されていないので、確証は無いが、
「正一」や「正雄」「正治」「正子」と「正」の文字が多用されたのには、
新年号「大正」の影響があったのかも知れない。

大正、昭和を通じて、「三郎」が「一郎」「二郎」よりも多く、ベスト10の常連で
あったことは目を惹く。
三男が居たということは当然、長男も次男も居たはずであるが何故…と思うと
面白いが、これには訳がある。
長男の場合は「一郎」の他に「太郎」と名付けられる場合も多く、次男の場合は
「二郎」の他に「次郎」と名付けられる場合があるが、「三郎」の場合には「三」に
代わる文字が無いことを思えば、当然のことなのである。


第267記事井後列右側賢治 盛岡高等農林学校時代
盛岡高等農林学校時代の宮澤賢治(後列右側)



●大正5年(1916年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子    女の子
「たつお」   「よしこ」
「よしお」   「としこ」
「まさお」   「まさこ」
「としお」   「きよこ」
「ひろし」   「ふみこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子    女の子
「辰雄」    「文子」
「清」     「千代子」
「三郎」    「千代」
「勇」     「清子」
「一郎」    「キミ」
「茂」     「八重子」
「実」     「フミ」
「正雄」    「キヨ」
「秀雄」    「静子」
「辰男」    「貞子」

男の子の名前1位に「辰雄」、10位に「辰男」がランクインしているのは、
この年の干支が丙辰(ひのえたつ)であったが為と思われる。
女の子では、「千代」「千代子」の人気が高かったことが目を惹く。
また、男の子の「清」は、時代を通して常に人気が高かった。


第267記事少女画報 大正2年1913年 於弁天橋 東都女学生通学衣装
大正2年(1913年)「少女画報」12月号掲載の写真
東都女学校生徒の通学衣装(東京 弁天橋)



●大正10年(1921年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子    女の子
「よしお」   「よしこ」
「ひろし」   「ふみこ」
「まさお」   「としこ」
「としお」   「きよこ」
「きよし」   「きみこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子    女の子
「清」     「文子」
「三郎」    「千代子」
「茂」     「清子」
「勇」     「久子」
「博」     「芳子」
「一郎」    「静子」
「実」     「幸子」
「弘」     「美代子」
「正」     「敏子」
「正雄」    「愛子」

男の子の名前で、一字名が好まれる傾向が顕著になって来た。
女の子の名前では、「幸子」「愛子」の登場が目を惹く。


第267記事6



●大正15年(1926年 昭和元年)

「音読」 名前人気ベスト5

男の子    女の子
「ひろし」   「よしこ」
「よしお」   「としこ」
「としお」   「てるこ」
「まさお」   「ふみこ」
「きよし」   「きよこ」


「漢字」 名前人気ベスト10

男の子    女の子
「清」     「久子」
「勇」     「幸子」
「博」     「美代子」
「実」     「照子」
「茂」     「文子」
「三郎」    「和子」
「弘」     「信子」
「正」     「千代子」
「進」     「光子」
「一男」    「貞子」

大正天皇は大正15年12月25日に崩御されているので、昭和元年は一週間しか無く、
新年号「昭和」の文字の影響が出るのは、翌年の昭和2年以降のこととなる。
女の子の名前では、「美代子」「和子」の登場が目を惹く。
男の子の名前では「勇」「進」など、勇ましい名前の人気が上がって来た。
また、一字名が好まれる傾向が更に顕著になって来た。


第267記事3
東京駅 大正3年(1914年)12月20日開業



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天皇の靖国神社行幸に就いて…皇祖皇宗の大御心(おおみごころ)を奉戴する天皇

 2018-04-20
天皇の靖国神社行幸に就いて

…皇祖皇宗の大御心(おおみごころ)を奉戴する天皇



政府首脳の靖国神社参拝を非難する論者には、「昭和天皇はA級戦犯合祀に
不快感を抱かれ、それ以降、靖国神社参拝を止められた」ことを取り上げ、
A級戦犯が合祀された靖国神社参拝を拒否為さる、昭和天皇と今上天皇の
「お心」に背いてまで、参拝するのは間違っていると論難する者が多い。

先帝陛下が靖国神社のいわゆる「A級戦争犯罪人」14人の合祀に不快感を
示されたとの根拠として、元宮内庁長官富田朝彦氏の「富田メモ」や、
元侍従卜部亮吾氏の「卜部亮吾侍従日記」が挙げられ、俗に「天皇の親拝問題」
と言われている。
この靖国神社の一件で、「親拝」という言葉を用いるのは誤用である。
本来、「御親拝」という語は、天皇が天照大御神をお祀りする伊勢の皇大神宮や
皇祖皇宗をお祀りする御社を礼拝される場合にのみ用いるべきものである。
靖国神社や護国神社の場合、ご祭神は天皇の臣下である臣民であるからして、
「行幸(ぎょうこう)」という語を用いるのが正しい。

それにしても、この「天皇の親拝問題」を取り上げる輩は、それほどまでに、
「天皇のお心」なるものを気遣い、そのお心に沿わんとする忠臣たちなので
あろうかと、皮肉の一つも吐いてみたくなる。
己らの都合の良い時にだけ、尊敬してもいない「先帝陛下と今上陛下のお心」
を騙り、利用するとは、不届き千万な所業である。





昭和天皇の不快感報道


2013年12月27日付、東奥日報のコラム「天地人」で、
先帝陛下が昭和61年(1986年)8月15日に詠まれた御製
「この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし」を挙げ、
「昭和天皇はかつて終戦の日に合わせてこう詠まれた。靖国神社には1978年、
東京裁判のA級戦犯が合祀された。昭和天皇の憂いが深い理由だ。
合祀以降、昭和天皇も現在の天皇陛下も参拝されていない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『日本のために尊い命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表した』
その首相の気持ちに国民も異論はなかろう。
だが、中韓との亀裂を深めるとなれば話は別だ。
そもそも国民の象徴である天皇陛下が参拝できない状況はおかしい。
英霊のためを思うなら、そのことを改善する方が先ではないのか」と書いている。
この記事でも、「昭和天皇の憂いが深い理由」を、「1978年、靖国神社に
東京裁判のA級戦犯が合祀された」ことと断定し、「天皇のお心」なるものを
手前勝手に利用している。

平成16年(2004年)、当時の小泉内閣は「皇位継承制度と関連する制度に就いて、
高い識見を有する人々の参集を求めて検討を行う」として、「皇室典範に関する
有識者会議」の設置を決定し、翌年この有識者会議なるものは、 皇位継承を
「女系皇族へ拡大する」方針を発表し、小泉首相は皇室典範の改正準備に
着手している旨を公表した。
この時期にも、「女性天皇容認は、今上陛下のご意思である」との怪情報を
触れ回り、皇統断絶を策謀する者どもがいた。
女性天皇容認論、女系天皇容認論は、平成18年(2006年)、秋篠宮家に若宮が
ご誕生され、立ち消えになったものの、女性宮家創設が話題に上った時期にも同様、
執拗に皇統断絶を狙う勢力が、「女性宮家創設は今上陛下のご意思である」と
騙り、巧妙な悪巧みを仕掛けて来た。




第224記事1
皇室典範義解


「天皇のお心、お考え」を意味する「大御心(おおみごころ)」という語がある。
「叡慮(えいりょ)」とも言う。
我が国の国体は本来、万世一系の天皇が皇祖皇宗の神勅を奉じて統治する
一大家族国家という在り方である。
天皇は皇祖皇宗、ご歴代天皇の神霊を祀り、その「大御心」を奉戴して国を
統治し、国民はそのご歴代天皇の下で臣民として生きたご先祖代々を敬い、
君臣共に「生者のみの概念」でものを考えないのである。
神代以来の万世一系の天皇と臣民という関係の連続性があると同時に、
各時代の天皇は、皇統という縦糸の連続体の中に在る。
天皇は世襲である。その天皇のお心、すなわち「大御心」も皇祖皇宗のお心として、
世襲でなければならないのである。

明治22年(1889年)、伊藤博文著として出版された「帝国憲法皇室典範義解」
の「皇室典範義解(こうしつてんぱんぎげ)」の前文に、
「祖宗肇国、一系承継、與天地無窮、此不仮言説、有一定之模範、以為不易基準」
「祖宗国を肇め、一系相承け、天壌と與に無窮に垂る。此れ蓋し言説を
仮らずして既に一定の模範あり。以て不易の基準たるに因るに非ざるはなし」とある。
【意訳】
「皇祖(神武天皇)皇宗(歴代天皇)が国を創られ、一つの流れを相承され、
天地と共に永遠に極まりなく続く。これは言葉にはしないが、既に定まった
模範、決まりがある。決して変更されてはならない基準、決まりに因っている」
(文責在詠山史純)


建国


要するに、極論するならば、先帝陛下や今上陛下が、靖国神社へのいわゆる
A級戦犯合祀に不快感を抱かれようが、どの様に思われようが、それはどうでも
良いことなのである。
人格としての先帝陛下、すなわち、諱を裕仁(ひろひと)と名乗られた人物、
人格としての今上陛下、すなわち、諱を明仁(あきひと)と名乗られる人物が、
何をどの様にお考えになろうが、その玉体からどの様なお言葉が発せられようが、
絶対君主制ではなく、立憲君主制の我が国では何ら問題にならないのである。
神格で在らせられる第124代天皇としての先帝陛下、神格で在らせられる
第125代天皇としての今上陛下のお心は、皇祖皇宗に連なるお心、「大御心」で
なければならないからである。

万が一にも有り得ないことであると確信致してはいるが、仮に今上陛下が
「女系天皇」「女性宮家創設」を容認されるご意思をお持ちであったとしても、
その人格としての明仁と名乗られる人物のお考えは、皇祖皇宗が示された模範
に背くことになり、それは「大御心」たり得ない誤りなのである。
たとえ、それが今上陛下の玉体から発せられたお言葉であろうが、それは勅語、
勅命たり得ず、詔承必勤と言えども、大義無き勅語、勅命はその対象外で無効、
臣民は従ってはいけないのである。
皇祖皇宗に連なる、万世一系の天皇とは、そう在るべき神格なのである。


「天皇の親拝問題」なるものは、靖国神社で春秋に執行される例大祭には必ず、
先帝陛下、今上陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下依りの御幣物
(ごへいもつ=供え物)が献じられ、御祭文(ごさいもん)が奏上されるという、
「大御心」の顕現である事実を以って、その論は霧散するのである。
※天皇が奏するものを「御告文(おつげぶみ)」勅使が奏するものを
「御祭文(ごさいもん)」という。

天皇陛下が「勅使」を差遣為さるということの意味の重さを知るべきである。
勅使は天皇陛下の「大身代わり」として、征夷大将軍宣下や勅令の伝達に
際しては、いつの時代にも天皇陛下への臣礼同様の敬意が払われたのである。
江戸幕府では一時期、江戸城内での将軍宣下に際し、勅使を下座に、将軍が
上座に坐すという非礼が行なわれたとのことであるが、それも幕末には逆転し、
勅使が上座に座し、将軍が下座に座すという作法に戻されたとのことである。


東條英機 絞首刑V
旧南部盛岡藩士東條英俊の孫、元総理大臣東條英機陸軍大将の名誉恢復を願う。


日本人でありながら、大日本帝国の戦争責任者たちが戦勝国に押し付けられた
「戦争犯罪人」という不当な汚名を好んで使い続ける人々がいる。
曰く、靖国神社に「A級戦犯」刑死者7人を含む14人が合祀されている云々と。
「敗戦国日本の戦争犯罪」、「日本の戦争犯罪人」とは、戦勝国側の概念であり、
呼称に過ぎないのである。
戦勝国側から戦争犯罪人の汚名を着せられ、処刑された同胞が国内法に於いて、
犯罪者であろうはずがない。
彼らもまた、敬意を払うべき、国家に殉じた昭和の殉難者ではないか。



東條英機 享年64歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
内閣総理大臣、陸軍大臣等を歴任。

広田弘毅 享年70歳 外交官
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
内閣総理大臣、外務大臣、駐ソ連大使等を歴任。

土肥原賢二 享年65歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
奉天特務機関長等を歴任。

板垣征四郎 享年63歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
支那派遣軍総参謀長等を歴任。

木村兵太郎 享年60歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
ビルマ方面軍司令官等を歴任。

松井石根 享年70歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
中支那方面軍司令官等を歴任。

武藤章 享年56歳 陸軍中将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
陸軍省軍務局長等を歴任。

平沼騏一郎 享年84歳 司法官
昭和27年(1952年)8月22日 刑期中に病死(終身刑)
内閣総理大臣、枢密院議長等を歴任。

白鳥敏夫 享年61歳 外交官
昭和24年(1949年)6月3日 刑期中に病死(終身刑)
駐イタリア大使等を歴任。

小磯国昭 享年70歳 陸軍大将
昭和25年(1950年)11月3日 刑期中に病死(終身刑)
内閣総理大臣、朝鮮総督等を歴任。

梅津美治郎 享年67歳 陸軍大将
昭和24年(1949年)1月8日 刑期中に病死(終身刑)
関東軍司令官、陸軍参謀総長等を歴任。

東郷茂徳 享年67歳 外交官
昭和25年(1950年)7月23日 刑期中に病死(禁固20年)
外務大臣、駐ドイツ大使等を歴任。

永野修身 享年66歳 海軍大将
昭和22年(1947年)1月5日 判決前に病死
海軍大臣、海軍軍令部総長等を歴任。

松岡洋右 享年66歳 外交官
昭和21年(1946年)6月27日 判決前に病死
外務大臣、南満州鉄道総裁等を歴任。



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女性宮家創設は皇統断絶のプロローグ…皇統断絶を狙う執拗な策謀

 2017-06-01
女性宮家創設は皇統断絶のプロローグ

…皇統断絶を狙う執拗な策謀



平成16年(2004年)12月、小泉純一郎内閣総理大臣は「皇位継承制度と関連
する制度に就いて、高い識見を有する人々の参集を求めて検討を行う」として、
「皇室典範に関する有識者会議」の設置を決定した。

座長
吉川 弘之氏   産業技術総合研究所理事長、元東京大学総長
座長代理
園部 逸夫氏   元最高裁判所判事

古川 貞二郎氏  前内閣官房副長官
岩男 壽美子氏  武蔵工業大学教授、慶應義塾大学名誉教授
緒方 貞子氏   国際協力機構理事長
奥田 碩氏    日本経済団体連合会会長
久保 正彰氏   東京大学名誉教授
佐々木 毅氏   前東京大学総長
笹山 晴生氏   東京大学名誉教授
佐藤 幸治氏   近畿大学法科大学院長、京都大学名誉教授

平成17年(2005年)10月、この「皇室典範に関する有識者会議」なるものは、
皇位継承を「女系皇族へ拡大する」という方針を発表し、小泉総理大臣は皇室
典範の改正準備に着手している旨を公表した。


第63記事3


平成17年(2005年)11月24日付の「皇室典範に関する有識者会議」最終
報告書の「結び」には、次のように記されている。

「象徴天皇の制度は、現行憲法の制定後、60年近くが経過する中で、多くの
国民の支持するものとして定着してきた。我々は、古代から世襲により連綿と
受け継がれてきた天皇の制度が、将来にわたって、安定的に維持されることが
何よりも重要であり、また、それが多くの国民の願いであるとの認識に立って、
検討に取り組んできた。

……制度の成り立ちからその背景となる歴史的事実を冷静に見つめ、多角的に
問題の分析をした結果、非嫡系継承の否定、我が国社会の少子化といった状況
の中で、古来続いてきた皇位の男系継承を安定的に維持することは極めて困難
であり、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要であるとの
判断に達した。

……、古来続いてきた男系継承の重さや伝統に対する国民の様々な思いを認識し
つつも、議論を重ねる中で、我が国の将来を考えると、皇位の安定的な継承を
維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠であり、
広範な国民の賛同を得られるとの認識で一致するに至ったものである。

……、将来、女性が皇位に即くこととなれば、それは、近代以降の我が国に
とっては初めての経験となる。新たな皇位継承の制度が円滑に機能するよう、
関係者の努力をお願いしたい。

皇位の継承は国家の基本に関わる事項であり、これについて不安定な状況が
続くことは好ましいことではない。また、皇族女子が婚姻により皇族の身分を
離れる現行制度の下では、遠からず皇族の数が著しく少なくなってしまう
おそれがある。さらに、将来の皇位継承資格者は、なるべく早い時期に確定
しておくことが望ましい。このような事情を考えると、皇位継承制度の改正は
早期に実施される必要がある。

当会議の結論が、広く国民に受け入れられ、皇位の安定的な継承に寄与する
ことを願ってやまない」


この小泉内閣の段階で、「女性天皇」のみならず、「女系天皇」をも容認する
ものとして、皇位継承制度を改めようと画策していたが、平成18年2月の
秋篠宮文仁親王妃殿下紀子様ご懐妊報道に依り、間一髪の天佑神助で皇室典範
改正法案提出には至らなかった。
平成18年(2006年)9月、秋篠宮文仁親王殿下と紀子親王妃殿下の第一男子
として、皇位継承者でいらっしゃる悠仁(ひさひと)親王殿下が御誕生された
ことに依って、「女性天皇容認」「女系天皇容認」を画策する皇室典範の改正
論議は一気に終息する様相を見せて行った。


第63記事4


しかし、皇祖神武天皇御即位から、連綿と続いて来た皇統を断絶させ、
御皇室の権威を貶め、国体破壊、日本文明破壊に執念を燃やす勢力は
次なる一手として、「女性宮家創設」という男系継承を絶やす為の巧妙な
仕掛けを持ち出して来た。
将来、「女性宮家」から「女系天皇」を創出させ、皇祖以来の皇統の歴史を
根底から覆そうとする深謀遠慮なのである。
「女系天皇」とは、「男性の女王」という表現同様、絶対に有り得ない存在である。


平成24年(2012年)初頭、野田内閣は小泉内閣時代に於ける元「皇室典範に
関する有識者会議」の座長代理を務めた元最高裁判所判事の園部逸夫氏を内閣
官房参与に据え、女性宮家創設の為の皇室典範改正を進める方向性を示した。
園部逸夫氏は平成16年(2004年)の参議院憲法調査会に於いて、「女性天皇を
認めることが最も相応しい」と明言しているように、前内閣官房副長官の古川
貞二郎氏と共に「女性天皇・女系天皇容認」実現を目論み、「皇室典範に関する
有識者会議」の論議を誘導するなど、皇統断絶の為に暗躍し続けて来た反日的
左翼思想を堅持している人物であることは明らかである。

野田佳彦内閣総理大臣は、皇室典範改正に向けた議論のテーマを「女性宮家
創設」に絞り、「皇位継承」とは切り離して検討すると表明しているものの、
園部逸夫氏を内閣官房参与に据えたということは、野田内閣が「女性天皇容認・
女系天皇容認」を目論む方向性を持っていることを意味している。
そもそも、民主党(現在は民進党に衣替え)国会議員団は歴代総理を始めと
して、反日的朝鮮系日本人が跳梁跋扈している、売国奴的な国賊集団である。
皇祖皇宗への敬愛の念は、大和系日本人にしか湧現しないものなのかも知れない。


野田内閣は、小泉内閣が設置した「皇室典範に関する有識者会議」のような
審議機関を設けず、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」として、内閣官房
皇室典範改正準備室が識者から個別にヒアリングを行うという方法を採った。

第1回 平成24年2月29日
今谷 明氏  帝京大学特任教授
田原総一朗氏 ジャーナリスト

第2回 平成24年3月29日
山内 昌之氏 東京大学大学院教授
大石 眞氏  京都大学大学院教授

第3回 平成24年4月10日
櫻井 よしこ氏 ジャーナリスト
百地 章氏   日本大学教授

第4回 平成24年4月23日
市村 真一氏  京都大学名誉教授
笠原 英彦氏  慶應義塾大学教授

第5回 平成24年5月21日
小田部雄次氏  静岡福祉大学教授
島 善高氏   早稲田大学教授

第6回 平成24年7月5日
所 功氏    京都産業大学名誉教授
八木 秀次氏  高崎経済大学教授


第63記事5


皇位継承に付いて、
旧皇室典範(明治22年-1889年)では、第一章 皇位継承
第一条「大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」とあり、
現皇室典範(昭和22年-1947年)では、第一章 皇位継承
第一条 「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とある。

「日本書紀」に依れば、本年は皇紀2677年、建国から2677年、皇祖神武天皇から
今上天皇陛下に至る万世一系125代、連綿と続いて来た皇統は一度の例外も
無く、「男系」で続いて来ているという伝統は厳然たる歴史的事実である。
そして、我が国は神武天皇御即位以降、政体は変われども、天皇が君臨される
王朝という国体は断絶することなく、現在の皇室へと繋がっている世界最古の
国家なのである。

では、125代に亘る「男系継承」で、一体「何を」相続して来られたのか。
言語表現としては、御不敬に相当し兼ねず、誠に畏れ多いが、端的に申せば、
それは皇祖神武天皇から受け継がれた「種(胤)」である。
皇統とは、「種(胤)」の継承である。

江戸幕藩体制下に於ける大名家のように、血の繋がりの無いお殿様を何処から
連れて来ようとも、名目上のお家さえ維持出来れば良かったという、家産相続
ではないのである。
皇祖神武天皇から今上天皇陛下に至る万世一系125代、連綿と続いて来た皇統は、
「種(胤)」の相続なのである。
「種(胤)」相続であるからこそ、継体天皇(第26代)の様に、5代前に遡る
遠い傍系でありながら、群臣の要請に応えて即位され、宇多天皇(第59代)の様に、
臣籍降下された後、朝議に従がって皇族に復帰、後に皇位を継承された様な
ことも起こった訳である。

従がって、皇祖神武天皇以来の「種(胤)」を相続する能力を持たない
「女系天皇」というものは在り得ないのである。
万が一、天皇を父君に持つ皇女が天皇に即位され(男系の女性天皇)、民間からの
配偶者との間に生まれた御子、その御子は父方を辿っても天皇に繋がらない訳で、
つまり、皇祖神武天皇以来、相続されて来た「種(胤)を持たない人物が
天皇(女系天皇)に即位される様な事態となれば、それは実質的に皇統を
断絶させ、王朝が交代することを意味するのである。
「女性天皇即位」を容認するということは、「女系天皇創出」の前段階であり、
皇統断絶のプロローグなのである。
歴史上の「女性天皇」は何れも未亡人か、生涯独身であり、後嗣は皇統の男系
男子であって、「種(胤)」相続は守られたのである。

平成17年(2005年)の「皇室典範に関する有識者会議」は、「女性天皇容認」
「女系天皇容認」「男女を問わず、長子優先の皇位継承」「女性宮家創設」等を
骨子とする結論を提出し、野田内閣もその結論を前提として、独自の審議機関を
設けることなく、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」のみを行った訳であるが、
この一連の策動が、如何に御皇室の権威を貶めんとする悪巧みであるか、
皇統の本質が「種(胤)」相続にあることを認識すれば、一目瞭然なのである。


第63記事1


問題は、皇祖神武天皇以来の「種(胤)」が何方に相続されているかということである。
皇位継承順位第1位の皇太子徳仁親王殿下、皇位継承順位第2位の秋篠宮文仁
親王殿下、皇位継承順位第3位の秋篠宮家の若宮、悠仁親王殿下に、皇祖神武天皇
以来の「種(胤)」が相続されていることは勿論であるが、アメリカ軍を主体と
する連合国軍の占領下に在った、昭和22年(1947年)、皇室弱体化を目論んだ
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の圧力に依って、臣籍降下させられた
11宮家の内、現在では6家の旧宮家が断絶、または後継者不在となっていると
いうが、旧賀陽宮家、旧久邇宮家、旧朝香宮家、旧東久邇宮家、旧竹田宮家は
男系男子で存続し、無事に「種(胤)」相続されているのである。


「皇室典範に関する有識者会議」報告書では、旧皇族の皇籍復帰に就いて、
「旧皇族は、既に60年近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との
共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であること
を考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることが出来るか
懸念される。
皇族として親しまれていることが、過去のどの時代よりも重要な意味を持つ
象徴天皇の制度の下では、このような方策につき国民の理解と支持を得ることは
難しいと考えられる」とあるが、皇統の本質が皇祖神武天皇以来「種(胤)」の
相続であることを踏まえれば、これが愚論であることが喝破出来るのである。
臣籍降下後、60年の長きに亘り、民間に在ったところで、「種(胤)」相続
されている事実に何ら変わりはなく、皇統は皇祖神武天皇からの「縦のライン」が
最重要なのであって、今上天皇陛下との「横のライン」の距離は二の次の問題である。
11宮家の臣籍降下は日本国民の意思に依って行われた訳ではなく、大東亜戦争に
敗れ、占領されていた特殊な時代に、GHQの皇室弱体化政策の一環として、
行われた暴挙であった以上、旧皇族方には三顧の礼を尽くし、皇籍復帰して
頂くのが道理というものである。
宮家の存在意義は、「種(胤)のスペア」として、直系で皇位を継承出来ない場合に、
天皇に即位して頂くことにある。
「種(胤)のスペア」たり得ない「女性宮家」を創設しようとも、それが
出来ないのであるから、存在意義は断じて無いのである。


第63記事2


女性天皇容認、女系天皇の容認、女性宮家創設賛成を唱える人々は、御皇室を
大切に思うが故の人々と、皇統を断絶させ、我が国の国体を破壊せしめんと
画策する人々との両極に分かれている。
皇統の本質を弁えていない善良なる臣民と、皇統の本質を見極めている狡猾な
反日的逆賊の二種類が存在するということである。

皇祖から連綿と続いて来た皇位継承の男系主義は絶対条件である。
125代の皇統が貴重な所以は、神話時代の皇祖神武天皇から万世一系、一度の
例外も無く、連綿と男系継承されて来たという厳然たる歴史的事実にある。
反日勢力の巧妙な陰謀に嵌まり、世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を、
平成の御世で断絶させるような愚かな選択をしてはいけない。
125代に亘る皇統を守って来られた先人達の知恵を活かして、皇位継承の危機を
乗り越えて行けば良いのである。


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