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最後の瞬間まで …反転した特攻機

 2010-11-23
最後の瞬間まで
               
               …反転した特攻機



零式艦上戦闘機五二型(靖国神社就遊館蔵)
零式艦上戦闘機五二型(靖国神社就遊館蔵)


太平洋戦争終結の日、昭和20年(1945年)8月15日の午前中まで
継続されることとなった日本海軍航空部隊の特攻作戦は、アメリカ軍の
フィリピン・レイテ湾上陸に呼応して、昭和19年(1944年)10月25日に
敷島隊、菊水隊などの出撃に依って開始された。
この体当たり攻撃が正規の作戦として発令されたばかりの時期であった
10月30日には、セブ島から葉桜隊の爆装ゼロ戦6機が、フィリピン
ルソン島東方海域に展開していたアメリカ機動部隊攻撃の為に出撃した。

アメリカ機動部隊は、数多くの特攻機迎撃シーンを記録映像に残しているが、
その中でも、この日、航空母艦撃破を目指して突入した葉桜隊6機の内の
最後の一機の戦い振りには、この特攻隊員の壮絶で哀しい死に様よりもむしろ、
最後の瞬間まで精一杯生きたという見事な生き様を感じさせるシーンがある。

空母フランクリン400

昭和19年(1944年)10月25日、この日、1機が正規空母フランクリンの
飛行甲板中央に突入、爆弾は飛行甲板を貫いて格納庫で爆発、その格納庫では
航空燃料に引火し、第2、第3甲板も炎上し、艦載機33機が破損、船体は
中破の損害を被った。

この空母フランクリン目掛けて、更に最後の1機が急降下したのだが、
この特攻機の搭乗員は上空から見て、中破炎上するフランクリンは最早、
戦闘不能と判断を下したのであろう、攻撃目標を他の艦船に変更すべく、
機体を急上昇させたのである。
フランクリンの艦橋が飛行甲板から60~70mであったと仮定すると、
100m程の超低空で急旋回したことになる。
ここで反転していなければ、1秒後にはフランクリンの飛行甲板に激突
していたであろうタイミングである。

そもそも、レイテ湾で開始された特攻作戦の目的は、アメリカ機動部隊の
航空兵力へ打撃を与える為に、航空母艦の飛行甲板を一時的にであれ、
使用不能にすることにあった。
空母フランクリン上空で急旋回した特攻機のパイロットは、更なる戦果拡大
を目論み、自分の特攻をより価値あらしめる為、瞬時に別の空母への突入に
と標的を切り換えたのだ。 物凄い胆力の持ち主である。

cvl24 軽空母ベローウッド

記録映像では、フランクリン上空で急旋回した後の特攻機の映像は
一時途切れ、次に軽空母ベローウッドへの突入シーンを映し出す。
その間、夥しい対空砲火の中を、次の目標へと艦隊上空を飛行し続けた
のであるから、おそらくは1分程度の出来事でしかなかったのではないか
と想像されるのだ。

この特攻機は、軽空母ベローウッド後部飛行甲板に命中し、航空燃料や爆薬に
引火、火災は数時間にも及び、92名戦死、26機撃破の戦果を挙げた。
軽空母は正規空母に比べて、小型であり、装甲が薄いことは護衛空母と同様で
あったが、正規空母同様に高速で航行出来たことから、機動部隊の戦力として
は、護衛空母よりも勝っていた。

この葉桜隊の攻撃に依り、正規空母フランクリンと軽空母ベローウッドは
中破の損害を被り、修理の為に戦列を離れ、アメリカ本土に回航される
こととなった。

正規空母フランクリンと軽空母ベローウッド400

何秒後かには確実に訪れる自爆という恐ろしい最期を目前にしていながら、
孤独と恐怖の極限を味わい、さぞや窮屈であったであろう操縦席の中、
自分の思いなど誰にも知られることのない状況下で、戦士として献身的に
戦果拡大の為に大英断を下し、軽空母ベローウッドを戦闘不能にした、
そんな天晴れな日本男児が居たということだけは、心の中に留めておきたい
と思うのだ。
彼は空母フランクリン上空で急反転したことに依り、1~2分は長く生きた
ことになる。
その最後の瞬間まで立派に生き抜いたものだと、褒めてやりたい青年である。
この特攻機のパイロットが、誰であったのかは判らない。








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