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宗教に於ける原理主義の悪連鎖

 2011-06-24
宗教に於ける原理主義の悪連鎖


原理主義と言えば、現代では過激な暴力が猛威を振るっている
イスラム原理主義運動を連想してしまうが、そもそもキリスト教
プロテスタントのファンダメンタリズム、根本主義を指していた。

我が国はイスラム教とは無縁であるから、
問題となるのは、仏教とキリスト教の原理主義に限られる。

顕著な代表的事例としては、仏教では日蓮宗、なかんずく創価学会や
顕正会、正信会などを派生させた日蓮正宗を中心とする富士五山の日興門流、
キリスト教では、チャールズ・テイズ・ラッセル氏を創始者とする
エホバの証人(ラッセル派、ものみの塔聖書冊子協会)を含む、
福音主義プロテスタントであろう。

そもそも、これら原理主義の連鎖は、日蓮上人とルター師が原理主義者で
あったことに起因する。
それぞれの宗教が誕生した初期の状態へと今一度、回帰し、その原点を
踏まえた上で、従来の過てる方向性を修正、清新な宗教的息吹を復活
させようとする意図は悪くない。
日蓮上人は「法華経」に、ルター師は新約聖書、その中でも「パウロ書簡」
に原点を求めた。
それぞれが、至上の権威を「仏の言葉」「神の言葉」に求めたということになる。



この二流の原理主義運動は、頑なに原典主義を採っているという共通性がある。
日蓮遺文集と新約聖書の無謬性を前提とした教条主義である。
(「エホバの証人」は独自の「新世界訳聖書」を用いているが)
そして、教義解釈の相違に依る分派を繰り返し、先鋭化、カルト化する宿命に
あるようだ。

お釈迦様とイエス様は、ご自身では著作を遺されてはいない。
日蓮上人もルター師も原点回帰したかったのであれば、後世の他人の著述で
ある法華経や聖書を絶対視した原典主義を採るのではなくて、お釈迦様その人、
イエス様その人に戻るべきであったのだ。
その中途半端な原理主義が後世、次から次へと弊害を生み出し続けている。
愚かしくも、在り得ない原典の無謬性を前提にした原理主義の悪連鎖は続き、
宗教の硬直化が果てしなく続くのだ。



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