華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 2011年09月

滑稽で深刻な軍事的浪費 …昭和17年3月4日の真珠湾再攻撃

滑稽で深刻な軍事的浪費 

…昭和17年3月4日の真珠湾再攻撃






「あぁ、旨い味噌ラーメンが食いてぇなぁ!」とふと思い立ち、東京から
北海道まで飛行機で行ったは良いが、札幌のお目当てのお店が閉まっていて、
風邪を引いただけで、何も食わずに帰って来た。
こういうことを酔狂と歓迎する向きもあろうが、実に不経済ではある。
この譬えに類する馬鹿馬鹿しく無益なことを、大日本帝国海軍は太平洋戦争
の軍事作戦全般に於いて、終始一貫真面目腐って遣っていたのだ。

真珠湾攻撃 航路図400

昭和16年(1941年)12月8日(日本時間)
南雲忠一中将指揮の下、旗艦「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」
の航空母艦6隻を基幹として、戦艦2隻、重巡洋艦2、軽巡洋艦1隻、
駆逐艦9隻などの艦艇と艦上爆撃機、艦上戦闘機などの作戦機約350機を
擁する日本海軍空母機動部隊は、ハワイ真珠湾に停泊中のアメリカ海軍
太平洋艦隊を奇襲攻撃し、戦艦5隻沈没、駆逐艦2隻沈没、戦艦3隻中破、
巡洋艦3隻中破、航空機343機を破壊し、戦死者2,345名、民間人57名死亡
の損害を与えた。

因みに日本海軍の被った損害は、未帰還機29機、損傷74機、戦死者55名
航空攻撃に先立つ特殊潜航艇「甲標的(こうひょうてき)」に依る水中特別攻撃
では、4隻撃沈、1隻座礁・拿捕、戦死9名、捕虜1名であった。

空母甲板B400

この真珠湾攻撃作戦は、山本五十六大将の発想で、第十一航空艦隊参謀長
大西滝次郎少将が発案し、第一航空艦隊参謀・源田実少佐が実際の研究立案を
行い、作戦要項が策定されたと伝えられている。

アメリカ合衆国政府に石油禁輸措置で経済封鎖を仕掛けられた日本国政府が
開戦を決意せざるを得なかったという経緯からして、日本軍は東南アジア
の油田地帯をメインに、南方の資源を獲得する作戦を推進する必要があった。
その南方作戦行動に於いて、アメリカ太平洋艦隊の戦力は「東方からの脅威」
として、牽制しておく必要があり、開戦の劈頭にハワイ真珠湾の海軍基地を
壊滅的に破壊することに依り、その士気と戦力を致命的なまでに削いでおく
必要があると考えられたのだ。

つまり、日本軍のメインの作戦、南方への進攻の妨げにならぬように一定期間、
アメリカ太平洋艦隊の作戦行動を封じ込めたいが為に、空母6隻の航空戦力を
集中させてまで投入するという、一か八かのギャンブル性の高い作戦を敢えて
強行したのである。
しかも、アメリカとの国力差を考えれば、日露戦争同様に短期決戦でなければ、
日本に勝ち目の無いことは解り切ったことであっただけに、短期決戦戦略に
基づいて、どうしても緒戦で徹底的に叩いておく必要があったのだ。

空母甲板A400

ハワイ現地時間12月7日日曜日の朝、午前7時49分、第一波航空攻撃隊は
真珠湾上空に到達し、攻撃隊総指揮官の淵田美津雄中佐が「全軍突撃せよ」
を意味するト連送を下命した。
この時、淵田中佐が旗艦赤城に対して「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する
「トラ・トラ・トラ」を打電したことは有名である。

ハワイ時間午前8時54分、第二波攻撃隊は「全軍突撃せよ」を下命したが、
奇襲であった第一波攻撃時の混乱より立ち直ったアメリカ軍は迎撃態勢を
整え、防御砲火を集中させて、第二波攻撃隊に大きな損害を与えた。

本来であれば、続けて第三次攻撃を行なうべきであったのだ。
何故ならば、この段階で、450万バレルも貯蓄していた石油貯蔵タンクや
海軍工廠の修理ドック(船舶の製造、修理などに際して用いられる設備)など
港湾施設を殆ど爆撃してはいなかったのだ。
後に損害が軽微であったドックなど港湾施設を活用して、沈んだ戦艦8隻の内、
6隻は引き揚げられ、何と戦線に復帰させているほどである。

真珠湾上空400

真珠湾に停泊していなかった正規空母「エンタープライズ」と「レキシントン」
の所在不明という恐怖に怯えたのか、国家の存亡を懸けた大作戦であったにも
拘わらず、第三次攻撃隊を発進させることなく、中途半端な戦果に満足して、
ハワイ時間午後0時30分頃、空母機動部隊は北北西に変針し、日本への帰路に
就いたのである。 
この真珠湾攻撃の不徹底さが、開戦初日の時点で早くも日本の短期決戦戦略を
頓挫させた言える。
第三次攻撃隊発進の必要性を意見具申したのは、三川軍一中将のみであったと
いう体たらくであったのだ。
港湾施設を破壊もせず、敵空母は討ち漏らし、その上、厭戦気分が蔓延して
いたというアメリカ世論を参戦へと大転換させて、不戦を選挙公約に掲げて
当選していたルーズベルト大統領の思う壺に嵌まってしまったのであるから、
作戦自体は戦術的に成功を収めはしたが、戦略的な大敗北であったと言える
のだ。

真珠湾被害400

真珠湾攻撃後、日本海軍は潜水艦に依るハワイ周辺海域の偵察行動など、
情報収集を続け、攻撃から1ヵ月余り、予想以上のペースでアメリカ太平洋
艦隊基地の復旧が進んでいることを察知し、復旧を遅延させる必要性から、
少数機で真珠湾を夜間爆撃するK号作戦(もしくはK作戦)という、新たな
真珠湾攻撃計画を立案した。

この作戦には空母を投入せず、真珠湾に到達出来るだけの航続距離を持つ
航空機であることが大前提となり、戦略爆撃機ボーイングB-29スーパー
フォートレスの5,300㎞よりも長い、最大7,400㎞の航続距離を持つ
二式飛行艇(にしきひこうてい)が選ばれた。

二式大艇A400

二式飛行艇は通称「二式大艇(にしきだいてい)」と呼ばれる。
この二式大艇は、九七式飛行艇の後継機として開発された4発大型飛行艇で、
レシプロエンジン装備の飛行艇としては、現在でも世界最高水準の性能を持つ
名機であろうとの定評がある。
最高速度は444㎞/hで、ゼロ戦以前の主力戦闘機であった九六式艦上戦闘機と
同等の飛行速度を出せるほどの優秀機であった。
攻撃時は重武装するので当然、航続距離は短くなり、飛行速度も遅くなる。
九七式飛行艇と同様、川西航空機(現 新明和工業)製で、初飛行は昭和16年
(1941年)1月、昭和17年(1942年)2月に制式採用された。 

武装も20㎜機関砲を多数装備と、防御火器を充分装備し、連合軍パイロットから
「フォーミダブル(恐るべき)」機体と恐懼されたという。
高速と航続力を活かして、太平洋各地の偵察・爆撃に従事した。
167機が生産されたが、終戦時には4機しか残っておらず、アメリカ軍から
返還された1機のみが現存する。
私は、東京の「船の科学館」で野外展示されていた二式大艇を実見したが、
現在は、海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に移され、展示されているという。



昭和17年(1942年)2月12日、2機の二式大艇(1番機 橋爪寿夫大尉機、
2番機 笹生庄助少尉機)が横須賀基地を出発し、14日にマーシャル諸島
ヤルート環礁に到着した。
燃料補給は潜水艦に依る給油とし、飛行艇母艦「秋津州」の運用実績を活かし、
伊号潜水艦(伊15号、伊19号、伊26号)の水上偵察機格納筒を改造して、
燃料補給装置を開発していた。

3月2日、二式大艇2機はマーシャル諸島ウォッジェ環礁に移動。
3月4日、二式大艇2機はウォッジェ環礁を出発し、伊9号潜水艦からの
長波照射に依る誘導を受け、北西ハワイ諸島フレンチ・フリゲート礁に到着、
伊15号、伊19号潜水艦から給油を受けた後、真珠湾に向けて出撃した。

アメリカ海軍はカウアイ島のレーダーで2機を捕捉し、カタリナ飛行艇と
カーチスP-40戦闘機を迎撃の為発進させ、空襲警報を発令したが、迎撃機と
交戦することもなく、現地時間で午後7時過ぎ、それぞれが搭載した4発の
250㎏爆弾を投下出来た。
当日、真珠湾上空は雲が厚く、視界不良の上、アメリカ軍は急遽灯火管制を
敷いた為、爆弾は目標に命中することなく、与えた損害はドックや燃料タンク
周辺の道路を傷付けたに過ぎず、戦果はゼロに等しかった。

二式大艇B水上400

作戦自体は成功したと言えようが、何と効率の悪い爆撃計画であったことか。
そもそも、機動部隊が正規空母6隻、350機の作戦機を投入し、水平爆撃に
関しては長門型戦艦の主砲弾を改造した800㎏徹甲爆弾まで用いた大掛かりな
12月8日の真珠湾攻撃時、折角の大チャンスを逃して爆撃して来なかった港湾
設備を破壊する目的で、250㎏爆弾を僅か8発、計2tの爆弾を投下する為に、
二式大艇を2機、伊号潜水艦を4隻投入しているのだから、呆れ返るほどに
お馬鹿な作戦であったのだ。
日本本土爆撃でアメリカの戦略爆撃機B-29は1機当たり、3tの爆弾を投下
した。
考えてみれば、B-29がわざわざポツンと単機で日本本土爆撃行に来ていた
としたならば、攻撃された日本側も奇妙に感じたことだろう。
それでもB-29は250㎏爆弾8発、計2tよりも多い3tの爆弾は投下出来た
ことになる。



この馬鹿げた真珠湾再攻撃の齎した思わぬ副産物が、ミッドウェイ海戦を
大敗北へと導いた要因の一つになったのかも知れない。
それはこの攻撃で北西ハワイ諸島フレンチ・フリゲート礁を二式大艇の途中
給油地に使ったことを察知し、アメリカ海軍がハワイ周辺海域の警戒を厳重に
して、中継点であるフレンチ・フリゲート礁に哨戒艇を派遣したからである。
本来であれば、ミッドウェイ作戦直前に二式大艇に依る偵察が必要であった
のだが、ヤブヘビ状態を招いてしまった結果、それも出来ず、南雲機動部隊は
ハワイ周辺海域の敵情が不明なまま、ミッドウェイ海戦を戦うことになって
しまったという訳である。












スポンサーサイト

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2011/09/29 17:58 | 歴史雑感COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

 | BLOG TOP |  NEXT»»