華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 2011年12月

日蓮の呪縛から解き放たれよ!④ …日蓮の事相は密教もどき

日蓮の呪縛から解き放たれよ!④ 

…日蓮の事相は密教もどきで、仏教に非ず


我が国の仏教教団の中には、自宗の教義としている教理や行法の起源について、
ゴータマ・ブッダの教説に連なるものなのか、はたまた、ヒンドゥー教や
ゾロアスター教などの他宗教に由来するものなのかも判別出来ないほどに無知
であり、総べて自宗の祖師のオリジナルであると信じて止まない向きがある。
日蓮カルト教団の信者たちが、日蓮以前に「南無妙法蓮華経」と法華経の首題を
唱えた者は居ないと固く信じていることには呆れ返る思いがする。
元々、主に天台宗寺院などでクマーラ・ジューヴァ漢訳の法華経「妙法蓮華経」
に南無するという意味で、法華経の首題の名字を口唱する行が行じられていた
ことは、古文書で確認出来る。
鎌倉時代に於ける仏教変革の特徴として、諸宗には実践方法の単純化、簡易化
(難行に対する易行)という共通項があり、曹洞宗の「只管打坐」、浄土宗の
「南無阿弥陀仏」と口唱する「称名念仏」を択一した法然の「専修念仏」に
倣って、日蓮は法華経の首題を唱える「唱題」を選択したに過ぎないのだ。

それほどまでに認識不足でありながら、厚顔にも驕り昂ぶる表情で、「これぞ
真の仏法」だの「世界最高唯一絶対無二の正しい宗教」とほざいているので
あるから、全く以って、恐れ入谷の鬼子母神である。
仏教そのものは信仰であり、信者が仏教学的に探求する必要はないが、己れの
信奉する教団を宣揚する為に理論武装し、他宗派を邪宗教と罵るからには、
それ相応の教養は身に付けていて欲しいものだ。
日蓮カルト教団は法華経至上主義を唱えながら、その信者の殆どが法華経を
読んだこともないという、信じ難い馬鹿馬鹿しさが現実にある。

哲学徒がギリシャ哲学を学ぶように、幾ら日本に伝わった仏教が大乗仏教で
あるとは言え、原始仏典なども繙いて、そもそも仏教の始原は何であったのか、
紀元前5世紀頃のインドの思潮は如何なるものであったのか、経典に書かれて
いることが、ゴータマ・ブッダの独自の教説なのか、それとも、当時のインド
での常識であったのか、更に、大乗仏教はゴータマ・ブッダに仮託した想像上
の文学作品である偽経に基づいたもので、原始仏教とは全く別物の宗教である
ことくらいは認識しておいた方が良いと思うのだ。

ゴータマ・ブッダ説法図400

特に、日蓮系諸宗は、密教の真言宗を「真言亡国」と非難するが、当の本人
たちの信仰形態がその事相に於いて、「密教そのもの」であって、法華経どころか、
仏教でもないことに気付いていないという滑稽さがある。

弘法大師空海は、真言宗の「密教」と真言宗以外の仏教を「顕教(けんぎょう)」
として比較し、密教の方が優れているとして「弁顕密二教論(べんけんみつ
にきょうろん)」を著し、心が置かれている状況を10に分け、下から9つ目
までは、顕教の到る境地、最後の10番目は密教のみが到達出来る境地(密教は
10総べてを含む)という教え「九顕十密(きゅうけんじゅうみつ)」を説いた
「十住心論」を著わした。
真言宗では、「弁顕密二教論」を「堅の教判」、「十住心論」を「横の教判」と
して立て、密教経典である「大日経」「金剛頂経」を依経とする。
密教は「秘密に説かれた深遠な奥義」を意味する「秘密仏教」の略称で、
神秘主義的で象徴主義的な教義に特徴があり、「秘密教」「真言密教」とも言う。
尚、真言宗の密教を、「東寺の密教」の意味で「東密(とうみつ)」と言い、
天台宗の密教を「台密(たいみつ)」と呼ぶ。


密教は、インド大乗仏教の末期(7世紀後半)に興起した一流派で、
大乗仏典の「般若経」や、「華厳経」の思想やナーガ・ルージュナ(竜樹)の
中観(ちゅうがん)派などの思想を基盤としながらも、民間の呪術的世界観を
取り入れ、ヒンドゥー教と融合して生まれたもので、「大日如来」を本仏(本尊)
とし、他の諸仏・諸菩薩 は総べて大日如来に包容されて、大日如来の徳を顕現すると説く。

その諸仏の集会を図式に表わしたのが、曼荼羅 (maala まんだら) である。
「大日経」は、「大毘盧遮那成仏神変加持経(だいびるしゃな・じょうぶっしん
ぺんかじきょう)」の略称で、この大日経で展開される仏の世界を図式化した
曼荼羅を「胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅」と言う。
「金剛頂経」は、「初会金剛頂経(しょえこんごうちょうきょう)」の略称で、
この「金剛頂経」を典拠とする曼荼羅を「金剛界(こんごうかい)曼荼羅」と
言い、これらを併せて「両界(りょうかい)曼荼羅」と言う。
「大日経」「金剛頂経」は、併せて「両部大経(りょうぶだいきょう」」と呼ぶ。
7世紀にインドで興起した密教が日本に伝わったのは9世紀であり、インドでは
13世紀初めには、イスラム教徒の侵入に依って衰滅した。
日本に伝わった密教は、中期密教である。

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空海は「即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)」の中で、「口に真言(mantra
マントラ)を唱え、手に印契 (いんげい)を結び、心に仏を観ずれば(観想)、
自ずから仏の身口意(しんくい)の三密と修行者の身口意の三密とが感応し、
この身このままに仏になる(即身成仏)ことが出来、また不思議な力が得られ、
世間の現世利益(げんぜりやく)的な願いを叶えることも出来ると説いている。

真言は、「仏の真実の言葉」の意味であり、諸仏・諸菩薩を賛嘆し、或いは諸仏・
諸菩薩に帰依(きえ)する秘密語である。
「陀羅尼(ダラニ)」は「dhran(ダーラニー)」で、「総持(そうじ)」と訳され、
「特定の文句に依って、宗教上の深い意味を憶念し、心を統一する」という
意味であるが、後には真言と同様に用いられ、合して「真言陀羅尼」と言う。
印契(印相)は「mudr ムドラー」で、「印を結ぶ」とは仏や菩薩などの内証を
象徴的に手指の結び方で示す方法を言う。

因みにインドで、ヒンドゥー教の隆盛に依って衰退する以前のベーダの時代に、
マントラを誦することに依って、除災招福 (じょさいしょうふく)の現世利益を
祈ることが行なわれ、「マントラ自体を神聖視する」思想も現われたというが、
これは、日蓮系諸宗が「法華経に南無(帰依、帰命)する」ことから、転じて
「『南無妙法蓮華経』に南無する」ように変化している現象と同様である。



法華至上主義者の日蓮が主張したのは、「釈尊の真意は法華経の中に有り、
法華経を否定することは、釈尊を否定することになる。仏教開祖のブッダを
否定することは、国を滅ぼす所以である」として、真言陀羅尼宗である
真言宗を「真言亡国」と言って批判した訳である。

しかし、日蓮系諸教団が礼拝の対象とする文字曼荼羅自体が、密教の密具
「両界曼荼羅」を模したものではないか。
そして、密教経典に登場する「密教仏」である「不動明王」と「愛染明王」
とを文字曼荼羅に勧請し、密教で用いられる秘法である「種字(しゅじ)」で
描かれているという自語相違がある。

種子(しゅじ)とは密教に於いて、仏や菩薩を象徴する一音節の呪文(真言)
で、種子真言(しゅじしんごん)ともいう。
これを梵字(サンスクリット文字=悉曇[しったん]文字)で
表記したものは種子字(しゅじじ)、種字(しゅじ)とも略称する。
हां(haaM) 「ハーンorカーン」 不動明王
हूं(huuM) 「フーンorウーン」 愛染明王

妙に縦長に描かれてあり、梵字とは判らないような筆法であるが。
私が小学生の時に初めて文字曼荼羅を見て、最も印象深かったものだ。

また、日蓮の花押は、「大日如来」の「種字」をデザイン化した
ものであるとする説が日蓮門下では有力である。
अ (a) 「ア」   大日如来(胎蔵界)
आः(aaH)「アーハorアーク」 大日如来(胎蔵界)

種字一覧400

そもそも我が国の為政者は、仏教を鎮護国家の為に受容した経緯があり、
密教の加持祈祷は魅力的で、必要不可欠なものであったろう。
鎌倉仏教に於いて、日蓮の特色は密教的なその救国論にあり、国家社会の
救済を至上目的として、仏国土の建設を目指したことにある。


1271年(文永8年)、旱魃に襲われたこの年、八代執権北条時宗は、極楽寺の
忍性に雨乞いの祈祷を命じたが雨は降らず、日蓮が田辺ヶ池(雨乞いの池)の
淵に立って、雨乞いの祈祷を行なったところ、大雨が降ったという、雨乞い
対決の伝説が残されている。
明治時代の末、鎌倉で1735年(享保20年)に江戸講中が建てた「日蓮大菩薩
祈雨之旧跡地」と書かれた石塔が出土したが、現在の龍王山霊光寺の境内が、
日蓮が雨乞いの祈祷を行った場所に当たると言われている。
加持祈祷は法華経世界とは程遠く、如何にも密教的である。



密教では曼荼羅に向かい、手に印を結び、口に真言を唱え、心に「大日如来」
を描いて「入我我入」の境地を目指す。
密教の本尊である「大日如来」を「大宇宙の生命そのもの」と捉え、その
「大日如来という大宇宙の生命」が、「自分の生命」でもあるとするのは、
古代インドの宗教体系(古代ヒンドゥ教=バラモン教)の「梵我一如
(ぼんがいちにょ)」、「梵=ブラフマン」と「我=アートマン」との関係性
そのものである。
「大日如来」という仏教の表現を取りながら、「梵我一如」という古代インドの
伝統的な宗教観を内実としているというのが密教なのである。
密教の行者が手に印を結び、口に真言を唱え、心に「大日如来」を描くという、
身口意(しんくい)による三密を実践し、大宇宙と一体化して、逆に宇宙の
本体を動かして行くことが出来るという理論である。

翻って、日蓮の信者は、文字曼荼羅に向かって、合掌し、法華経のタイトル
(題目)を唱え、虚空会の儀式(あるいは久遠の本仏)を心に描いて、
「境智冥合」するという事相に於いて、密教と全く同様なのである。
「宇宙のリズムに自分の生命を合わせる為」などと、訳の解らない表現が
日蓮カルト教団では通用している。


そもそも、「法華経=妙法蓮華経」に帰依する、帰命する(南無する)という
意味の「南無妙法蓮華経」と呪文を唱えること自体が、密教の真言そのもの
ではないか。

そして、その密教であるが、ヒンドゥー教やら、ゾロアスター教と仏教双方
から影響を受けて融合したような「マニ教」、「ミトラ教」などの経典と仏典
との区別が付けられずに、そのまま仏教の一流派として受け入れられて、
成立したというのが歴史的事実ではないか。
密教は本来、仏教ではないのである。


密教に於ける、加持祈祷の「護摩焚き」や、お盆の「火送り」など、「拝火教」
とも呼ばれるゾロアスター教の儀式そのものではないのか。
お盆は正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言うが、この言葉の語源も、
古代インド語の「ウランバナ」か、あるいは、ゾロアスター教の母語でもある
ペルシア語の「ウルヴァン(=霊魂)」に由来するものと考えられるだろう。

現代の仏教徒はおそらく自覚していなかろうが、仏教が他宗教を受容して、
自分たちが仏教の開祖ゴータマ・ブッダの教説とは関わりの無い、ヒンドゥー
教徒やゾロアスター教徒もどきの信仰形態を取っているのだということである。

ゾロアスター400

日蓮系諸宗の信者たちは、他の信仰者を非難する時に「地獄へ堕ちる」と
口癖のように言うが、これなども、ゾロアスター教の善悪二元論(天国と地獄)
に由来するものなのではないか。
仏教開祖ゴータマ・ブッダの教えのどこをどう突っ突いたら、「地獄に堕ちる」
などという脅し文句が出て来るというのか、少しは省察してみたら良いのだ。


「血脈相承(けちみゃくそうじょう)」は仏教に於いて、法体等が師から
弟子へと相続されることを、人体に於ける血液の流れに譬えた訳であるが、
信頼出来る弟子一人だけに奥義を相伝するという「一子相承」などは、
密教の「秘密相承」の真似であり、そもそもがこの相伝方法は古代インドの
ヒンドゥー教、バラモン教に連なるウパニシャッド哲学の哲人相承形態を、
密教が取り入れたものではないか。
こんなものは、本来の仏教では有り得ない。
但し、この「血脈相承」の考え方は教団内に於いて、先代、歴代の威光を
自分に投影させて、権力固めするのには大いに役立つので、「仏教商売」には
欠かせないツールなのである。


要するに、仏教徒を自認しながらも、その事相に於いては、ブッダの系譜に
連なるものではなく、己らが「邪宗教」だの「外道(げどう)」などと罵詈雑言を
浴びせ掛けている他宗教の行体そのものであったりするということなのだ。
そういうことを自覚した上で、己らの信奉する教団以外の宗教を邪教呼ばわり
までして、批判しているのか?ということが問題なのである。




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テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2011/12/31 05:20 | 日本仏教批判COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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