華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 2012年02月

岩手の語源 …さんさ踊りの起源

岩手の語源 

…さんさ踊りの起源


岩手県の「岩手」という県名を耳にするだけで、如何にもその起源に関して、
伝承されている民話が秘められていそうな匂いがする。
盛岡市名須川町に、「岩手」という名の起こりの由来を持ち、また「さんさ踊り」
発祥の地として知られる、盛岡市内最古の社、三ツ石(みついし)神社がある。

「三ツ石伝説」に依ると、その昔、この地方に羅刹(らせつ)という鬼が
現われては、悪さをして大暴れし、付近の住民や旅人を悩ませていた。
困り果てた里人たちは、三ツ石の神様に「どうか、悪い鬼を懲らしめて下さい」
と羅刹の退治をご祈願したところ、忽ち三ツ石の神様は羅刹を捕らえて、
巨大な三ツ石に縛り付けてしまった。
これに懲りた羅刹は「もう二度と悪さはしません。この里にも二度と姿を
現わしません」と誓ったので、誓約の印として、三ツ石に手形を押させて
逃がしてやった。
この「岩」に「手形」を押させたことから、「岩手」と呼ぶようになり、
また、鬼が再び来ないことを誓ったので、この地方を「不来方(こずかた)」
と呼ぶようになったと伝えられている。

悪鬼羅刹の退散を喜んだ里人たちは神様に感謝の真心を捧げ、三ツ石の周りを
幾日も「サンサ、サンサ」と言って、踊り捲くって、祝ったのが、「さんさ踊り」
の起源だと言われている。

尤も、このような伝説に描かれている「鬼」というものは往々にして、
歴史的に実在した人物を投影しているもので、やはり「三ツ石伝説」にも
別バージョンの起源説がある。
その昔、朝廷の命で征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が
蝦夷攻略を行った際に、 3人の蝦夷の首領を捕らえ、以後は朝廷に服属し、
二度とこの地には戻らないことを誓わせ、その誓いの証として三ツ石に手形を
押させたとされる説もある。
この説の場合には、侵略者であったはずの坂上田村麻呂を、何故に英雄として、
被征服者であった東北人が賞賛するような伝承が遺されたのかという不思議が
付き纏うのであるが。


三ツ石神社400


「岩手」の地名が文献に現われた最古のものとしては、11世紀前後の奥州
安倍氏の治世下、その勢力圏であった、現在の岩手県奥州市から盛岡市に
掛けての地域、胆沢郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡、稗貫郡、岩手郡の
「奥六郡(おくろくぐん)」の統治権を朝廷から公認されて、「六箇郡の司」に
任じられた時代に遡るようである。

盛岡地方の古地名「不来方(こずかた)」の由来も「三ツ石伝説」にあったが、
これにもまた別バージョンの起源説がある。
1056年から1063年まで、朝廷側の源氏と安倍氏の間で戦われた「前九年の役」
の後、勝者の清原武則の甥、「迂志方(こじかた)太郎頼貞」が、現在の盛岡に
城を築いたことから、「迂志方(こじかた)」の地名が起こり、やがて室町時代に
至って、「こじかた」が「こずかた」に変化して呼ばれるようになったという。

南部家中興の祖と呼ばれる南部信直は、天正15年(1587年)には豊臣秀吉
への臣従を表明し、天正18年(1590年)の豊臣政権に依る東北地方の領土
仕置き(奥州仕置き《おうしゅうしおき》)では、津軽地方を失ったものの、
所領安堵が認められ、岩手、閉伊(へい)、鹿角(かづの)など7郡の所領に
紫波(しわ)、稗貫(ひえぬき)、和賀の3郡を加増されて、10郡になった。

天正19年(1591年)、「九戸政実の乱」鎮圧後、南部信直は豊臣秀吉の命で
居城を三戸城から、九戸氏の居城であった九戸城に移し、福岡城と改名した。
文禄元年(1592年)からの朝鮮出兵では、南部信直は肥前名護屋城に参陣したが、
朝鮮に渡海することなく、帰国を許され、帰国後は盛岡に居城を定め、
築城に着手し、領内の基盤固めに専念した。
築城の着工は慶長2年(1597年)で、2年後に第一期工事が完成した。
この時、信直の長男信利が「この城を『不来方』と称するのは『心悪しき文字』で
良くない。『森ヶ岡』と名付けるべき」ということで、「森ヶ岡」と呼ばれる
ようになったが、その「森ヶ岡」が「森岡」と変化し、やがて「盛岡」の文字
で書かれるようになったという。
盛岡城の築城には40年余りを要し、寛永10年(1633年)、重直の代になって、
漸く完成したが、その時点での表記がまだ「森岡城」であったのか、既に
「盛岡城」となっていたものかは不明であるが、寛文年間(1661年~1673年)
以降の文献には「盛岡」と記されているという。


奉納 さんさ踊り400


毎年8月1日から8月4日まで行われる盛岡市の夏祭り「さんさ踊り」は、
旧盛岡藩領内に伝承されている古来の囃子(はやし)と踊りをイベント用に
アレンジしたものだそうで、「統合さんさ踊り」、「七夕(たなばた)崩し」、
「栄夜差(えやさ)踊り」「福呼(ふっこ)踊り」の4種類が統一された踊り
として親しまれ、本来の踊りは「伝統さんさ」として、区別しているとのこと。
地域ごとに、その踊り方が異なっていて、「神楽崩し」や「剣舞崩し」、私の
好きな、お辞儀を繰り返す「礼踊り」など、33種類もの踊り方があるという。

さんさ踊りの掛け声「サッコラー、チョイワヤッセー」の「サッコラ」は
「幸呼来」で「幸よ、来い」という意味であると言われている。
では、さんさ踊りの「さんさ」の語源は何であろうか。

岩手民謡で「サンサヨー」や「サンサエー」などの囃子言葉が付くことから、
「さんさ踊り」という名称が付いたという説があったり、33種類の踊りを持つ
ことから、「33=さんさ」になったという説がある。
また、「サッコラー」を「幸呼来」と漢字に書き換えたように、「さんさ」を
「参差」または、「三叉」と書き換えて解釈する説もある。
この場合の解釈としては、「参」は「集まる」の意味、「差」は「異なるもの」
の意味で、老若男女が身分の上下を越えて、一緒に踊るという意味合いになる。
「三叉」の場合も同様に、三叉路には様々な人々が行き交って、集うという
意味合いになるが、かなり穿った見方であるように感じられる。
やはり、仙台の「さんさ時雨」同様に、「さあ、さあ」という意味の、人を促す
囃子言葉を語源と考える方が無難であるように思われる。


但し、日本の祭りの掛け声や民謡の囃子言葉には、大和言葉ではどうにも
意味を為していないものが多いのだが、それらの多くは古代ヘブライ語に
同音の言葉があり、その言葉の意味が、神を讃える言葉であるなど、
宗教的な言葉である場合が多いのだ。
神輿を担ぐ時の掛け声「ワッショイ」が「主の救いが来る」の意味で、
「エッサ」が「運ぶ」の意味であったり、「ヤーレン」が「歌って楽しくなる」
の意味で、「ソーラン」が漁で使う「はしご」であったりと。
因みに、日本語と古代ヘブライ語には同音で同意の言葉が3000語もあるという。
「さんさ」に関連していそうな古代ヘブライ語としては、「喜ぶ」ことを意味する
「サッサ」という言葉があるという。
古代ヘブライ語の「サッサ」が訛って、「さんさ」に変化したと考えるのも、
壮大な歴史的ロマンが感じられて、愉快なものだ。

何れにせよ、岩手の伝承文化の素晴らしさは、只事ではないのだ!
盛岡を知らずして、奥州を語ること勿れ♪
さんさを見ずして、踊りを語ること勿れ♪






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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2012/02/25 19:37 | 岩手県賛歌COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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