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「ちゃんころ」の語源 …蔑む心を言葉に乗せて

 2012-09-25
「ちゃんころ」の語源 

               …蔑む心を言葉に乗せて



私は、独善的でご都合主義で、何事に於いても他者に責任転嫁する、
自己中心的な中国人(漢民族)が大嫌いである。
また、戦後に中華民国の台湾に移住した大陸人である外省人(在台湾
中国人)も嫌いである。
中華民国の国民党は、中国共産党軍との内戦に敗れて台湾に逃げ込んで来た
蒋介石国民党軍であり、あくまでも大陸人の「中国」国民党なのである。

但し、昭和20年(1945年)まで日本の統治下にあった台湾で暮らし、
嘗て日本人であった本省人(本島人)の中には、今でも「日本精神
(リップンチェンシン)」を失っていない人達、現代日本人よりも
「日本人」らしい人達が居らっしゃり、敬愛している。

台湾独立運動の闘士であり、教育者、評論家でもある金美齢女史は、
現代日本人よりも遥かに「日本人」らしく、今までに幾度も終戦記念日に
靖国神社で講演を為さり、「私は11歳まで日本人でした。私は間違いなく、
終戦の日まで、日本の勝利を心から願う軍国少女でした。日本の兵隊さん、
私達を守ってくれて有難う」と誇らし気に語っておられた愛国者だ。
(金美齢女史は2009年、日本国籍を取得され、日本人に戻られた)
本省人は、大日本帝国の一部としての台湾統治と、新たな支配者として
台湾にやって来た中国人の軽蔑すべき施政との、その文明の差異を肌で
味わった人達なのだ。


国旗に小便450



日本では江戸時代末期まで、書物を通して中国の文化を学び、
想像上の中国人をこの上なく尊敬していた。
ところが幕末以降、日本国内で生身の中国人と直に接するようになり、
その実態に幻想は打ち砕かれ、甚だしく幻滅を感じさせられたという。
また、英国とのアヘン戦争に敗れ、徹底抗戦もせずに西洋列強の
植民地支配に甘んじた清国を軽蔑する心理も働いたに違いない。

日本の場合は、中国のように西洋列強の植民地になることを断固拒否し、
自主独立を保てる強力な国家を建設する為には、旧態依然たる無能な
江戸幕府では無理であろうとの動機から、幕藩体制を革命的に破壊し、
朝廷を中心とした近代国家を作り上げ、軍事力も経済力も整え、
西洋列強に対抗することが、明治維新の目的であった訳である。
その為に幕末の動乱期、勤皇派と佐幕派とに選らず、憂国の至情から
多くの若者達が血を流し、命を賭して戦ったのであり、戊辰戦争という
内戦まで経験せねばならなかった訳であるから。
長州の高杉晋作であったと記憶しているが、彼は清国人と出会った際に、
「何故、戦わないのか?」と筆談を交わしたという。

特に、明治27年(1894年)7月から明治28年(1895年)3月に掛けての
日清戦争を経て、更に中国人を蔑む風潮が高まったようである。


嬉々として略奪450



昭和初期から戦中に掛けて、頻繁に使われるようになった言葉であるというが、
中国人を意味する「ちゃんころ」という蔑称があった。
甚だ下品な響きのある言葉であるが、そもそも軽蔑する中国人に対して
投げ掛ける卑語、俗語であった訳であるから、上品であるはずもない。

この如何にも軽侮の念が込められているように聞こえる「ちゃんころ」の
語源は一体、何であろうかと調べてみると諸説ある。

私が最も有力だと思う説は、台湾語の「清国奴=チェンコッロー」からの
派生ではないかという説である。

また別に、明治時代以降、アジアで唯一近代化した我が国に留学して来た
中国人留学生が自らを清国人「チンクォレン」、中国人「チュンクォレン」と
発音して名乗ったことから、日本人には「ちゃんころ」と聞き取れたのでは
ないかという説もある。

何れにせよ、「ちゃんころ」という言葉は、昭和初期の日本人が中国人
(漢民族)に対して軽侮の念を込めて用いた蔑称であるに違いないが、
それは、「清国奴」「清国人」「中国人」を意味する中国語の発音をそのまま
用いたに過ぎないことになる。


蔑称の作り方にも、民族性が顕著に現われるものである。
例えば、米国人が日本人を軽侮して、「ジャップ」或いは「ニップ」と呼んだが、
それはJapanを略して「Jap」、Nipponを略して「Nip」としたに過ぎない。


小日本鬼子450


それに比べて、中国人の日本人に対する蔑称には、「小日本」(シャオリーペン)
や「日本鬼子」(リーペンクィズ)、「東洋鬼」(トンヤンクィ)というのがある。

日本の「ちゃんころ」が、単に「清国人」「中国人」という原語の発音が
訛って出来上がった言葉に過ぎないのに比べ、「日本鬼子」にせよ、「小日本」
にせよ、「鬼子」だの「小」だのという余計な言葉が付けられている。
日本式であれば、単に「リーペン」辺りに近い発音の言葉で留まるところだ。
執拗なねちっこさを感じさせるネーミング方法であり、また垢抜けしていない。

世界中で「China」と呼ばれ、喜んで自称している癖に、同根の「シナ」を
日本人が口にすると蔑称だと文句を言い腐るが、中国人の方が遥かに軽蔑的な
言葉を創作しているのである。
「ちゃんころ」の語源が「清国奴」である場合でも、「清国」に「奴」を
付けたのは台湾人であって、日本人ではない。


因みに、ロシア人の蔑称として、「露助」(ろすけ)という言葉があるが、
これもロシア語で「ロシアの、ロシア人の、ロシア語」を意味する
ロシア語の形容詞「ルースキー」の発音が訛ったものという説がある。

幕末、アメリカのペリー艦隊は黒船の大砲を撃っ放して、時の政権、
江戸幕府を恫喝したが、ロシア艦隊は幕府の役人を艦内に招いて、
ロシア人女性のヌード写真を幻灯機で見せるという下卑た接待をした。
鎖国している国との最初の交渉で行き成り下ネタ、エロチック作戦とは
随分と日本人をおちょくってくれた話である。
今風に言えば、ロシア人は行き成りAV鑑賞会をやって見せた訳だが、
そんなエピソードがあるだけに、「ロシアの助平」から来ているのかも
知れないと思いもする。


デモ隊450


1945年、日本の敗戦に依って、台湾に大陸から蒋介石率いる中国国民党軍
が進駐し、行政を引き継いだ訳だが、日本の統治下で日本人としての生活を
体験していた台湾人は、彼ら中国人官僚や軍人の質の悪さ、強盗、強姦、
殺人と犯罪が多発する規律の無さ、驚く程の腐敗の凄まじさに失望し、
反感を抱いたという。

そんな状況下の1947年2月28日、二・二八事件または、台湾大虐殺事件
とも呼ばれる本省人(台湾人)と外省人(中国人)との大規模な抗争が
台北市から台湾全土に拡がり、非武装の台湾市民が無差別に発砲されて
殺害されたり、日本の統治下で高等教育を受けた裁判官や医師、教育者、
役人を始めとするエリート層が次々と逮捕、投獄、拷問され、その多くが
処刑されるという大事件が起きた。
2万8千人もの台湾人が中国人に殺害、処刑され、財産も奪われたというが、
実際の犠牲者数は更に多いであろうというのが通説である。


国旗を燃やす450


この事件での一つのエピソードとして、エリート狩りで逮捕された
ある台湾人弁護士は、刑場で銃殺される際、中国人兵士を「ちゃんころ!」
と大声で罵倒したという。

日本の統治下で「日本人」であった台湾人は、新たな支配者として台湾に
やって来た中国人の実態を軽蔑し、中国人に対する優越感を抱いて、彼らを
「ちゃんころ」と蔑んだのだそうである。

因みに、信じ難いことだが、この事件の際に発令された戒厳令は、
実に40年後の1987年まで継続し、中国国民党に依る恐怖政治が敷かれ、
多くの台湾人が投獄、処刑され続けたという。
中国人とは所詮、いつでも何処でも、そういう醜悪な生き物なのである。
台湾社会は、親日派の多い本省人(台湾人)と親中派の外省人(中国人)
とで成り立っていることを、日本人は充分に認識しておく必要がある。


警官隊黙認450




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