華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 2013年11月

伊勢信仰四方山話①…伊勢神宮「天照皇大神宮」のお札

伊勢信仰四方山話①

…伊勢神宮「天照皇大神宮」のお札



我が国の一般的な家庭や事務所では、清潔で日当たりや風通しが良く、
日々礼拝するのに都合の良い高所を選んで、神棚を設置する。
神棚の中心には「宮形(みやがた)」と称する、社殿のミニチュアモデル
を置き、その中に神社のお札(おふだ)を収めて、お祀りする。
宮形には、お札を収める場所が一ヶ所の「一社造(いっしゃづくり)」と、
三ヶ所有る「三社造(さんしゃづくり)」とがあり、「一社造り」の場合は、
一番手前に伊勢神宮のお札、次に氏神神社のお札、その後ろに崇敬している
神社のお札の順で重ねて祀り、「三社造り」の場合は、中央に伊勢神宮のお札、
向かって右側に氏神神社のお札、左側に崇敬している神社のお札の順で
お祀りする作法となっている。







※ 現在では、一般的に「氏神(うじがみ)」と「産土神(うぶすながみ)」は
同じ意味に用いられ、同一視されることが多いが、本来は異なるものである。
「産土神」は、生まれた土地の「土(すな)を産み出す神」を意味し、
その土地の万物の生成化育に関わる働きをされ、嘗て人は生まれた土地に生涯、
定住することが多かったことから、「産まれた土地の神」を意味し、その人の
一生を守護されるとも考えられた。
「氏神」とは、その氏一族の守護神をいう。
古代の中臣氏が、鹿島神宮の武甕槌神(たけみかづちのかみ)と
香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)を氏神と崇敬し、藤原氏が、
武甕槌神を氏神として、春日大社を創建したように。
創建当初は、ある特定の氏一族の守護神を祀る氏神神社であったものが、
その土地に住む、他の氏の人々もその地域全体を守護する神として崇敬し、
やがて、氏神神社が産土神社に変化したと考えられることから、氏神と
産土神との混同、同一視が生まれたのであろうと推察される。


宮形400


一般の日本人が神棚の宮形にお札を安置して、礼拝するのと、
仏教徒が仏壇に納めた仏像や文字曼荼羅を本尊として拝む偶像崇拝と、
外形的行為は似ているが、神徒はお札をご神体と捉えていないことから、
その宗教的な意義は大いに異なる。

神社が頒布する社頭授与品である「お札」は「神札(しんさつ、かみふだ)」と
呼び、その神社のご祭神の象徴を表わした、護符(ごふ)の一種である。
神社には神札授与所があり、「神札」や「お守り」、その神社の信仰に由来する
参拝記念の品々や、開運除魔の破魔矢など、様々な縁起物も頒布されている。
「お守り」は「神符(しんぷ)」「守札(まもりふだ)」と言い、身に付けて、
携帯出来る様に小型化した「神札」である。

古来、社(やしろ)の祭場だけでご神霊を祀っただけではなく、
「宅神(やかつかみ)の祭り」と呼ぶが、稲の穀霊と重ね合わせた祖霊を
各家でも祀っていた。
しかし、当時はまだ常設の神棚でお祀りしていた訳ではなく、必要に応じて、
その都度、家の内外に臨時の祭場を設け、お祭が行われたようである。
家に常設の神棚を設けて、祀るようになったのは中世(鎌倉、室町時代)
以降で、江戸時代に至って本格的に広まったようである。


神宮大麻150


伊勢神宮から毎年全国に頒布されている神札を「神宮大麻(じんぐうたいま)」と呼ぶ。
平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、伊勢神宮と鹿島神宮、
香取神宮の三社だけで、現在では熱田神宮、霧島神宮、明治神宮なども
あるが、単に「神宮」と言えば、「伊勢神宮」を指す。

「大麻」は勿論、末端価格幾ら幾らのマリファナの大麻とは無関係で、
「おおぬさ」と訓む。
神道の祭祀に於いて、神職がお祓い(修祓《しゅばつ》)を行なう時に、
祓う対象の人や物に向かって、左右にシャッシャッと振って、穢れを
移し取る道具(祓え具《はらえぐ》)で、白木の棒や常緑樹の枝に和紙などに
切れ目を入れ、折り目を付け、数十枚重ねたもの(紙垂《しで》)や、麻紐を
垂らしたもので、白木の棒で作ったものは、祓え串(はらえぐし)とも言う。

因みに神道の基本として、心身共に穢れを祓い、清浄であることが求められる。
「禊(みそぎ)と祓え」を大まかに単純化して、立て分けるとすれば、
「禊」は、肉体に付着した汚穢を洗い流して清浄にすることで、「祓え」は、
精神的、霊的な穢れを祓うことと捉えて良いのではないかと思われる。

中・近世に活躍した伊勢の御師(おんし)と呼ばれた人々は、参詣者の案内
や世話をした祈祷師職で、伊勢神宮の神領を中心に全国各地へと赴き、神宮
への崇敬を一般に広めると共に、「檀那(だんな)」「檀家(だんか)」と
呼ばれた崇敬者のご祈祷をし、その印として、神札を授与したという。
御師たちが修祓(しゅばつ)に使用する祓麻(はらえのぬさ)を強調した
ことに依り、当時は「大祓大麻(おおはらえたいま)」、「お祓えさん」と
呼ばれていた「神宮大麻」を民間に頒布し、古神札を回収しては、新しい
神札に更新して回ったという。
こうした歴史的経緯から、神宮大麻の原点は、大麻(おおぬさ)の名が示す
ように、「祓え」にあり、神宮大麻を「祓え具」と意義付けられるようになった。


おおぬさ250


後代、御師は伊勢神宮に限らず、各地の大社にも居て、江戸時代後期には、
全国津々浦々にまで配札の制が整い、安永年間には全国総戸数の九割近い家
が御師の配る神宮大麻を受けていたという、驚異的な記録がある。
江戸幕府が宗教統制、民衆管理を目的とした「寺請制度(てらうけせいど)」を
法制化したことに依って、全ての民衆が必然的に何れかの仏教寺院の檀家に
なることを義務付けられていた時代に、全国の九割近い家が神宮大麻を受けて
いたという歴史的事実に鑑みて、我が国は外来宗教である、ヒンドゥー教の
亜流もどきの日本仏教に侵食された仏教国などではなく、日本の風土から
生まれた日本神界固有の神道が、古代から生活の中に連綿と根深く生き続けて
いる神国であると再認識させられる。


神棚400


明治初年の神宮改革以降、明治5年には御師に依る神札の頒布は廃止され、
神宮司庁が直接奉製・頒布することとなり、これに伴ない、神宮大麻の
体裁も「天照皇大神宮」の御神号に皇大神宮御璽(ぎょじ)の印が捺印
された現在の形に、また名称も「御祓大麻」から「神宮大麻」へと改称された。
戦後の昭和21年からは神社本庁に頒布委託され、全国の神社庁を通じて、
神職や氏子総代などに依って、頒布が行われている。
戦時中の昭和18年には1200万体の頒布が記録されたが、敗戦後は
国家神道への怨念が渦巻いたのであろう、一時大幅に減少し、現在の
神宮大麻の頒布数は、約950万体であるという。


伊勢神宮 宇治橋


私個人の信仰心からは、「神宮大麻」を「天照大御神」の依代(よりしろ)と
拝しているが、明治以降は「神宮大麻」を「大御璽(おおみしるし)」として、
「天照大御神」の標章と仰ぐこととされている。
神棚の宮形にお祀りする神札は、神社のご神体とは違い、神社と家を、ご祭神
と崇敬者を霊線霊流で結ぶものと考えて良いのではないか。
1年間お祀りした神札は、年末年始に神社に納め、新しい神札を頂戴する。
古い神札は、神社でお焚き上げして頂く。
神札自体をご神体として、必要以上に崇め奉ってはいない証である。




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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/11/29 01:27 | 天神地祇COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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