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神社にお祀りされる多彩な神々…カミの概念に関する甚だしき無知と誤解

 2013-12-30
神社にお祀りされる多彩な神々 

…カミの概念に関する甚だしき無知と誤解



安倍晋三内閣総理大臣の靖国神社参拝を非難する人々の賢しらな論理展開には、
神道とその歴史、明治政府が創作した国家神道、靖国神社、極東国際軍事裁判に
関する認識不足で見当違いの評価、断定が見受けられ、甚だ呆れ返るばかりである。
我が国では、神道に関する悪口雑言に限っては、児童レベルの乏しい知識と
完全なる事実誤認を以ってして、充分且つ正当と許容されているようである。

特に、私が「日本語史上、最大級の誤訳」と考えている「神の概念」に関わる
無知と誤解は根が深い。

(参考)
日本語史上、最大級の誤訳「神」① …天皇は神であるが、Godは神ではない
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-367.html
日本語史上、最大級の誤訳「神」② …日本の「カミ」の概念
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-369.html
日本語史上、最大級の誤訳「神」③ …国会に於ける「神の概念」論議
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-370.html


古い記事であるが、2005年6月15日付「しんぶん赤旗」の靖国神社批判記事
などは、その典型的な例である。
「これが靖国神社『遊就館』の実態だ」「徹底ルポ『靖国史観』の現場をゆく」
「A級戦犯を『神』と展示」
「東条英機の遺影 …展示室の最後には、壁を埋め尽くした四千枚を超える
戦没者の遺影。その中に、次の名前がありました。
『陸軍大将 東条英機命(みこと)昭和23年12月23日 東京都巣鴨拘置所
にて法務死 東京都』
太平洋戦争開戦時の首相として、東京裁判で絞首刑の判決がくだされたA級戦犯。
その人物の写真が『靖国の神々』として堂々と展示してあったのです」

この日本共産党員の記者は一体全体、「東条英機命(みこと)」や「靖国の神々」
という文言の何処がどう、間違っていると言うのであろうか?
斜に構えて、詰まらない能書きを垂れる前に、己の生活環境を省みると良い。
唯物論者であるはずの己の家にも、何故か仏壇があって、その中にはご先祖様
の位牌が安置されていることであろう。
位牌を仏壇に納めている行為自体、ご先祖様をホトケ扱いしている証である。
更に、仏壇に左巻きの頭を突っ込んで、円らなお目目を引ん剥いて、よ~く
位牌の文字を読んでみるが良い。
その位牌に書いてある戒名からすれば、仏道修行もしていないにも拘わらず、
ご先祖様はホトケに成っていることに成っているはずである。
我が国では一般に、死者をホトケと呼ぶが、これは他の仏教国では有り得ない
ことである。
日本仏教界が神道の模倣をしたということである。

神道に於いては霊学的に、我々の御霊(みたま)は、神様に依って創られた存在
ではなく、神様の御霊を分け与えられた存在、分霊(わけみたま)であると考える。
※分霊(ぶんれい)と言う場合、ある神社のご祭神の霊を分けて、
他の神社を祀ることを意味する。
尤も、この場合でも「わけみたま」と言うこともあるが。


古事記伝 本居宣長
古事記伝 本居宣長著


本居宣長は、その著「古事記伝三」で、日本人の「カミ」の概念を要領良く
表現している。
「さて、凡て(すべて)迦微(かみ)とは、古(いにしえ)の御典等(みふみども)
に見えたる、天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀れる社(やしろ)
に坐ます(まします)御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云わず、
鳥獣木草のたぐい、海山など、其余(そのほか)何にまれ(なににもあれ)、
尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き(かしこき)ものを迦微(かみ)
とは云うなり」

神社の本質はご神霊の占有空間にあり、原初の神社には、社殿は存在しなかった。
古代の日本人は、「此処はご神霊をお迎えし、お祭りするに相応しい清浄な場所
である」と、本能的な直感力で霊地を選び、その場所の周囲に常磐木(ときわぎ=
常緑樹)を立て、ご神霊に降臨して頂く聖なる領域と、人間が暮らす俗なる領域とを
峻別したと考えられる。
そして、その神域にご神霊の宿られる石や木や山自体を依代(よりしろ)として
設定し、ご神霊をお招きし、祭りを行い、祭りを終えれば、またお戻り頂くと
いう「神籬磐座(ひもろぎのいわくら)」の形態で祭祀(おまつり)を行っていた
であろうことが推察される。
縄文時代、弥生時代と推定される遺跡群から、明らかに日本神道に繋がると推察
される祭りの形態である祭祀遺跡が発掘されている。


平安時代中期に編纂された格式(=律令の施行細則)である延喜式(えんぎしき)の
神祇官関係の巻では、「神社」を「かむつやしろ」と訓んでいた。
この「社(やしろ)」は「屋代(やしろ)」であり、また「時間的にも空間的にも、
伸びやかに満ち亘る」という意味の「弥(いよいよ、ますます)」に「城(しろ)」で、
「弥(や)+城(しろ)」の「やしろ」である。
「社」は極端な話、形状的には、何も無いただの平地でも良かったのである。
「鎮守の森」と言って、神社には森が付き物であるが、それは人が立ち入ることを
禁じられた聖なる領域であったが為に、自ずと樹木が生えて、結果的にこんもりと
繁った森になったということなのである。
神社の本質からすれば、玉垣(神社の周りに廻らせた垣根=瑞垣《みずがき》)や
鳥居、注連縄(しめなわ)などを設けて、ご神霊が占有する聖なる空間の境界を
明らかにしておきさえすれば、何も殊更、常設の建造物は必要としないのであるが、
仏教伝来後、仏教寺院の大伽藍建築の影響を受けてしまったのであろう、社殿を
設けた今日の神社形態へと大きく変貌を遂げたのである。

ご神霊を祀る場所を意味する言葉に「宮」もあるが、この「宮」は「御屋(みや)」
であり、神域に建てられた社殿を意味する。
同様に、「祠(ほこら)」の語源は「秀倉(ほくら)」であるが、神域に建てられた、
「宮」よりも小規模な建造物を意味している。


皇大神宮AA
皇大神宮(内宮)


神社に祀られるご祭神は、実に多彩である。
先ずは、記紀(「古事記」と「日本書紀」)の神話に登場する神々が挙げられる。
伊勢神宮内宮の天照大御神(天津神)や出雲大社の大国主大神(国津神)などが、
その代表例として挙げられる。
また、それぞれの地域ごとにその土地を守護される土着の神々、すなわち
「地主神(じぬしのかみ)」が祀られている神社もある。
大神(おおみわ)神社の大物主神(おおものぬしのかみ)や、
猿田彦(さるたひこ)神社の猿田彦大神などが挙げられる。

平安時代に登場した「本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)」に依り、
インドから遣って来た、仏・菩薩・神は、日本の神々の真の姿(本地)であり、
日本の八百万の神々は、それらの仏・菩薩・神が衆生を助ける為に仮の姿(垂迹)、
つまり権現(ごんげん)と成って、日本の地に現われたものであるという
「神仏習合」と呼ばれる、神仏を同一視する特異な信仰体系から、「習合神」が
祀られた神社もある。
宇佐神宮の八幡大菩薩(応神天皇)や、熊野三社の熊野三所権現などが、
その典型的な例である。

神社には傑出した才能を発揮した人物も、神として祀られることがある。
代表例としては、飛鳥時代の宮廷歌人で、「歌聖(かせい)」と称えられる
柿本人麿(かきのもと ひとまろ)を祀る柿本神社や、平安時代に異彩を放った
陰陽師で、土御門家の祖である安倍晴明(あべの せいめい)を祀る晴明神社が
挙げられる。
鎌倉時代末期、後醍醐天皇に忠勤を尽くした武将たち、楠木正成を祀る
湊川(みなとがわ)神社や、新田義貞を祀る新田神社などもある。
戦国武将で、織田信長を祀る建勲神社、豊臣秀吉を祀る豊国神社、武田信玄を
祀る武田神社、上杉謙信を祀る上杉神社、徳川家康を祀る日光東照宮などもある。
幕末に松下村塾で、維新の有為な指導者たちを育成した、長州藩の吉田松陰を
祀る松陰神社、薩摩藩の西郷隆盛を祀る南洲神社、日露戦争で功労のあった、
連合艦隊司令長官、東郷平八郎を祀る東郷神社、旅順要塞を攻略した第3軍
司令官、乃木希典を祀る乃木神社などもある。


出雲大社A
出雲大社


神社に祀られるご祭神を、仏教寺院に於ける本尊同様の概念で捉えるのは、
大きな誤りである。
華厳宗では毘盧遮那仏を本尊とし、真言宗は大日如来、浄土宗は阿弥陀如来、
日蓮宗は久遠実成の釈迦牟尼仏を本尊としている。
天台宗では特定の本尊を立てていないが、比叡山延暦寺根本中堂には薬師如来
が祀られている。
何れにせよ、仏教寺院で祀られているのは本尊とは、「根本尊敬」の対象であり、
絶対的な帰依の対象であるが、神社に祀られているご祭神の場合は、必ずしも
そうではないのである。

古来、怨霊を鎮める為の御霊(ごりょう)信仰というものがある。
古代の人々は、深い怨念を抱いて亡くなった人の霊が祟り、疫病の流行や災害
を齎すと信じて恐れ、御霊と呼ぶその怨霊の鎮魂の為に、ご祭神として祀る
「御霊神社」が各地で建立された。

奈良時代、光仁天皇の皇子で、桓武天皇の弟、早良親王(さわらしんのう)は、
藤原種継暗殺事件に連座したとして、幽閉され、淡路国に配流の途中、絶食の末、
桓武天皇を深く怨みながら薨じたという。
その後、桓武天皇の周辺で病死が続き、疫病の流行や災害、反乱などが多発、
これらの災厄を早良親王の祟りであるとして、恐れられた。
早良親王は、「崇道(すどう)天皇」と追称され、大和国に改葬、御霊神社や
八嶋神社、崇道天皇社に祀られ、その怨霊は鎮められたという。
また、京都の上御霊神社には、八所御霊(はっしょごりょう)と呼ばれる、
早良親王を始め、井上皇后(いのうえのきさき=光仁天皇の皇后)、橘逸勢
(たちばな はやなり)など、奈良時代から平安時代に掛けて、非業の死を
遂げたとされる8人の皇族、貴族が合祀されている。

平安時代に右大臣にまで昇った学者、菅原道真は藤原時平の讒言に依って、
大宰府に左遷され、配所で死去。
道真の死後、藤原氏の実力者が相次いで怪死、朝議中の清涼殿が落雷を受け、
朝廷要人に多くの死傷者が出るなど、都に異変が相次いだのは道真の祟りと
恐れられた。
清涼殿落雷事件から、道真の怨霊は雷神と結び付けられ、「天満大自在天神
(雷神)」として、北野天満宮に祀られた。
今日では、「学問の神様」「天神様」と親しまれている道真であるが、そもそもは
怨霊の祟りを鎮める為に祀られた恐ろしい御霊であった。


東京招魂社BB
東京招魂社(現靖国神社)

靖国神社は昭和21年(1946年)9月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)
が「日本国政府宛覚書」として発令した、ハーグ国際陸戦法条約違反である
「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止
ニ関スル件」、略称「神道指令」に依って、官立から一宗教法人としての
再出発を余儀なくされた。

昭和27年(1952年)9月30日制定の「宗教法人靖国神社規則」第3条(目的)には、
「本法人は、明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基づき、国事に
殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ひ、その神徳をひろめ、
本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者(以下『崇敬者』といふ)を
教化育成し、社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための
業務及び事業を行ふことを目的とする」とある。

また、昭和27年(1952年)9月30日制定の「靖国神社社憲」前文には、
本神社は明治天皇の思召に基づき、嘉永6年以降国事に殉ぜられたる人人を
奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その「みたま」を奉慰し、その御名を
万代に顕彰するため、明治2年6月29日創立せられた神社である。
いやしくも本神社に職を奉ずる者は、その任の軽重、職域の如何を問はず、
深く本神社を信奉し、祭神の御神徳を体し、清明を以てその任に当り、
祭祀を厳修し、祭神の遺族崇敬者を教導し、御社運の隆昌を計り、
以て万世にゆるぎなき太平の基を開き、本神社御創立のよって立つ
安国の理想の実現に一意邁進しなければならない」とあり、
第1章 総則 第2条(目的)には、「本神社は、御創立の精神に基き、
祭祀を執行し、祭神の神徳を弘め、その理想を祭神の遺族崇敬者及び
一般に宣揚普及し、社運の隆昌を計り、万世にゆるぎなき太平の基を開き、
以て安国の実現に寄与するを以て根幹の目的とする」とある。

靖国神社は元より、怨霊を鎮める為の御霊信仰ではないが、「国事に殉ぜられた
人々を奉斎し、永く神道の祭祀を斎行して、その『御霊(みたま)』を奉慰し、
その御名を万代に顕彰する為」に英霊を招魂し、合祀する神社であるからして、
一般の神社とはその存在意義が大いに異なり、我々参拝者が246万6千余柱の
ご神霊の鎮魂を願い、同胞としての感謝の念を胸に、祈りを捧げるべき場所で
あって、「負い持つ業に励ましめ給い、家門高く、身健やかに…」と、個人的な
幸福招来をお願いする為にお参りする神社ではないと思われる。




陸軍特攻誠第119飛行隊
陸軍特攻 誠第119飛行隊の遺影。 台湾桃園航空基地にて。 
昭和20年4月22日午前8時半頃、出撃1時間半前の写真。
少年飛行兵出身14名の搭乗員達。
特攻散華を目前にしていながら、護国の覚悟に輝くばかりの笑顔を見せる、
18歳から19歳の天晴れな日本男児達。 泣きまくり

(西村真悟衆議院議員のHP依り、拝借)


岩手県北上市展勝地
岩手県北上市展勝地の見事な桜並木


少なくとも江戸時代からの日本人の子孫である大和系日本人であるならば、
偽論である東京裁判史観、自虐史観に惑わされることなく、先祖への尊崇の念と
祖国への愛念を胸に抱きつつ、真摯に正視眼的に祖国の近現代の歴史的事実に
向き合うべきではないのか。





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