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法華経の題目を日本語で唱えたら、都合が悪いのか②……「なむ・さだるま・ふんだりきゃ・そたらん」Σ(゚◇゚;)?!

 2014-10-17
法華経の題目を日本語で唱えたら、都合が悪いのか②

……「なむ・さだるま・ふんだりきゃ・そたらん」Σ(゚◇゚;)?!



「法華経」は、大乗仏教経典「saddharma-pundariika-suutra(サッダルマ・プンダリーカ
・スートラ)」漢訳の「総称」であり、また、鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」の略称でもあって、
正式な経典名ではないことは既に述べた。

法華経完訳は6種類存在したとのことであるが、現存するのは3種類のみで、
三存三欠(六訳三存)と言われる。
それぞれの経典名は、
①「法華三昧経」(欠)六巻 正無畏訳 
②「薩芸芬陀利経」(欠)六巻 竺法護訳
③「正法華経」十巻 竺法護訳     
④「方等法華経」(欠)五巻 支道林訳
⑤「妙法蓮華経」八巻 鳩摩羅什訳   
⑥「添品法華経」七巻 闍那崛多・達磨笈多共訳で、日蓮が宣揚したところの法華経は、
亀茲国(ウイグル)の西域僧、鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)訳「妙法蓮華経」である。


古代シナの訳経僧達がパーリ語やサンスクリット語の仏教経典を意訳するに際し、
選択して用いた漢字を殊更に掘り返しても意味は無い。
因みに、唐代の玄奘(602年 - 664年)に依る訳経を「新訳」、
鳩摩羅什(350年?-409年?)の訳経から新訳までの訳経を「旧訳」、
それ以前の訳経を「古訳」と呼ぶ。
西晋時代の敦煌の訳経僧、竺法護(230年代?-310年代?)の訳経は、
古訳に相当する。

「正」 「妙」

仏教学者、古代インド文学者の岩本裕氏(1910年-1988年)に依れば、
「saddharma」は「sat」と「dharma」の合成語で、「sat」は「存在する」
「現存の」「真の」「善き」「正しい」を意味し、また、「勝れた」性質を示す
形容詞として用いられているという。
(岩波文庫版「法華経」坂本幸男・岩本裕訳注)

竺法護は、「saddharma-pundariika-suutra」の「saddharma」を
「正法」と訳したが、鳩摩羅什は「妙法」と訳している。
「正」の甲骨文字は「□+止」で、□は国や集落の象形、「止」は足の象形、
他国へ真っ直ぐに進撃することを表わし、転じて、「真っ直ぐ」「正しい」の意味を
表わす。
「妙」には、「極めて良いこと」「表現の仕様が無いほどに優れていること」の外にも、
「不思議なこと」「変わっていること」「普通でないこと」「この上も無く、奥深いこと」
「人知では計り知れない優れた働きがあること」などの字義がある。
このように、「正」の文字と「妙」の文字とでは、字義が大いに違う。

サンスクリット語の「sad-」を単に「正」と訳さず、「妙」の文字を当てたことに依り、
漢訳された「妙法」の言葉の意味を解釈するに当たって、「saddharma」の意味を
拡大解釈してしまう余地が大いに膨らんだことになる。

「法」

「dharma(ダルマ)」は仏教に限らず、ヒンドゥー教、ジャイナ教など、インドに於ける
宗教上、思想上、重要視される概念であり、「保つ」「支持する」を意味する動詞の
語源「dhṛ」から派生した名詞、「保つもの」「支持するもの」を原義とするとされる。

仏教では「法」と漢訳されるのが通例であるが、この言葉は状況に応じて、
様々なニュアンスで用いられることになる。
漢字の「法」に拘れば、「世界を成立させている根本原理」としてのダルマが強調されて、
「倫理的規範」や「宗教的義務」「善業」「教え」としてのダルマの意味合いが薄れることになる。
そして、『大宇宙も、我が生命も、森羅万象悉く「妙法」であり、「蓮華」であり、
「経」である。宇宙生命の根源は「妙法蓮華経」であり、題目を唱えることで、
大宇宙のリズムと合致して、即身成仏し、絶対的な幸福境涯を確立出来る』などと、
訳の解らないことをほざき捲くる輩が何百万人も湧いて出て来ることになる。


白い蓮の花3


「saddharma-pundariika-suutra」(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)を
音写して、「薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」(サダルマフンダリキャソタランor
サダルマフンダリシュタラ)とも漢訳されている。
法華経の表題は、鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」のみならず、「薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」も
あれば、「正法華経」「法華三昧経」「薩芸芬陀利経」「方等法華経」「添品法華経」もある。
浄土教に於ける専修念仏同様に易行として、日蓮が法華経の表題を唱える唱題行を
正行とするに当たり、唱え言葉を「南無正法華経」(なむしょうほけきょう)や、
「南無薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」(なむ・さだるま・ふんだりきゃ・そたらん)とする
選択肢もあったことになる。

要するに、「白い蓮の花のような正しい教えに帰依します」と信仰心を表明し、
宣誓するに当たり、「南無」する対象は何も「妙法蓮華経」の五字でなくても
良いということである。
そして、鳩摩羅什が「saddharma-pundariika-suutra」を意訳した漢訳を、
日本語的に呉音で発音しているのであるから、「みょうほうれんげきょう」の音韻に
意味は無いということである。

外務省のHPのデータに依れば、世界の国家数は195ヶ国であるという。
日蓮系新宗教教団の宣伝では、「世界180ヶ国以上の国に日蓮仏法が広まった」
とのことであるが、我が国にもキリスト教徒やイスラム教徒等がいるように、
何処の国にも異国趣味の人はいるものである。

それにしても、世界中の日蓮信者が「白い蓮の花のような正しい教えに帰依します」と
信仰表明するに際し、サンスクリット語の「saddharma-pundariika-suutra」を
4世紀の訳経僧が意訳した「妙法蓮華経」をそのまま日本語的に「みょうほう
れんげきょう」と呉音読みし、それに「namo」の音写である「なん」を付けて、
音韻に意味の無い「なんみょうほうれんげきょう」との唱え言葉を一様に唱えて
いるのは、甚だ奇妙なことである。
特に、インド文化圏の日蓮信者が「namo- saddharma-pundariika-suutra」との
古語を現代のヒンドゥー語に変換して唱えず、「なんみょうほうれんげきょう」
との無意味な音韻を逆輸入してまで唱えているということは甚だ滑稽である。
創唱宗教というものは、げにも馬鹿馬鹿しきものかな。


デューラー 祈りの手1




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