スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

「翔」という名のイメージ激変!

 2011-03-05
「翔」という名のイメージ激変!



僕が少年期から青年期に掛けて心酔していた作家のお一人に、
柴田翔(しばた しょう1935年生まれ)さんがいらっしゃった。
柴田さんは東京大学大学院独文科を経て同大教授、現在は名誉教授で
いらっしゃる。

柴田さんは1970年から1972年までの期間、これまた僕が敬愛して
止まなかった真継伸彦さんや高橋和巳さん、開高健さん、小田実さん等と
共に同人誌「人間として」を筑摩書房から刊行され、思潮をリードされた
お一人でもあった。



1964年には、当時の学生群像を描いた「されどわれらが日々―」で
芥川賞を受賞されている。
この小説「されどわれらが日々―」を読んで、僕の衝撃は大きかった。
僕が耽溺した時代は、柴田さんが活躍された時代を既に外れていたので、
古本屋さんでその著書を探したものだ。

「されど われらが日々―」(1964年 文藝春秋)
「贈る言葉」(1966年 新潮社)
「鳥の影」(1971年 筑摩書房)
「立ち盡す明日」(1971年 新潮社)
「われら戦友たち」(1973年 文藝春秋)
「ノンちゃんの冒険」(1975年 筑摩書房)

僕は十代の頃、稚拙な小説も書いていたのだが、
真継伸彦さんの小説「鮫」(1964年 河出書房新社) 
「光る聲」(1966年 河出書房新社) 「無明」(1970年 河出書房新社)
「わが薄明の時」(1973年 新潮社) 「林檎の下の顔」(1974年 筑摩書房)

岡松和夫さんの小説「小蟹のいる村」(1974年 文藝春秋)
「志賀島」(1976年 文藝春秋) 「詩の季節」(1980年 新潮社)
「魂ふる日」(1980年 文藝春秋)

中野孝次さんの小説「麦熟るる日に」(1978年 河出書房新社)
「苦い夏」(1980年 河出書房新社) 「季節の終り」(1980年 講談社)
そして、柴田翔さんの「されど われらが日々―」などの作品群を
読んでは、若き日の魂を震わされるほどの感動を受け続け、また、
その文芸的な力量に圧倒されて、自分には到底、これほどのものは
書けないと思い知らされ、鑑賞サイドに徹することに決めたのだ。
そんな経緯もあって、柴田さんの「翔」というお名前も憧憬の心を
込めて、見上げていたかのような感があったものだ。
「鳥が翼を大きく広げ、自由闊達に天空を飛び巡る」という意味の
込められた「翔」という一字名は、何と文芸的で美しいことか。



ところが…
昭和55年(1980年)に、ロックバンド
THE CRAZY RIDER横浜銀蝿ROLLING SPECIAL
がデビューしたのだ。
リーダーでドラム担当の「嵐」さんの弟で、ボーカル&ギターを
担当していたメンバーに、選りによって「翔」さんがいた。

その時の僕の心境は
「アッチャ~!何ということをしてくれたのだ!
 美名のイメージが崩れてしまう!」というものだった。
僕の心の中で、シャボン玉のように綺麗なガラス玉が弾けて飛んだ。
それ以降、僕の「翔」という名前に対する印象は一変してしまい、
「ヤンキーのお兄ちゃん」というイメージが凝り固まってしまった。

案の定、昭和57年(1982年)から「翔」という名前は
男の子の名前人気ランキングベスト10に現われ始め、
平成12年(2000年)には遂に、トップになった。
「翔」の一字名と共に、「翔太」は昭和63年(1988年)以降、
何年も連続でトップを取るほどに、人気の高いお名前である。

俳優の哀川翔さん、「氣志團」の綾小路翔さん、
「嵐」の櫻井翔さん、横綱の白鵬翔さん、
プロ野球北海道日本ハムファイターズの中田翔外野手、
福岡ソフトバンクホークスの有馬翔投手など
有名人も大勢いらっしゃる。

姓名学の鑑定士としては、「翔」の一字名には病弱で神経質、
妄想的な気質や肉親との薄縁、失敗や挫折運、犠牲運の暗示が
強く出ているので、お勧めしない。







スポンサーサイト
タグ :
コメント












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/tb.php/101-5a9620ec
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。