華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 謎の美人易者 黄小娥女史のこと

謎の美人易者 黄小娥女史のこと

謎の美人易者 黄小娥女史のこと


私の実用的な愛読書の一冊に、黄小娥(こう しょうが)女史の
「易入門」がある。

黄小娥女史は大正12年(1923年)のお生まれという。御年88歳。
1950年代半ばから「謎の美人易者」として話題となり、活躍された
そうで、昭和36年(1961年)にカッパブックスから出版された
「易入門」は大変なベストセラーとなり、その後、絶版となった為に、
私も古本街で探して、手に入れたものだ。
2004年にサンマーク出版から復刊されて、また話題になった。



「易入門」の記述にもあるが、当時は新聞記者や雑誌記者から
政治問題、社会問題についての易占まで依頼があったり、作家の
高木彬光さんは彼女の大ファンだったそうで、後にご自分でも
「易の効用」を執筆されたほどであったとか。
また、昭和37年(1962年)には大映で映画「B・G物語 易入門」
が制作されたそうだ。

…因みに、昔はBG(ビジネスガール)と称していたのだが、
アメリカのスラングでは商売女、娼婦の意味となってしまう為、
日本社会ではOL(オフィスレディ)という言葉に変更しようと
一斉にに切り替えたという経緯がある。


この「易入門」は、大衆から絶大な支持を得たのに対して、
易学、易占の専門家からは激しい批判の対象とされたようで、
特に加藤大岳門下であった彼女が師匠の加藤大岳氏からも非難を
浴びたことは、相当な痛撃であったろうことは想像に難くない。

問題とされたのは、彼女がその著書の中で提唱した
「擲銭法(てきせんほう)」(コイン易断法)であったという。
本来、易占は難解な「易経」に基づいて占いをすることで、
正式には筮竹(ぜいちく)を用いて、複雑な手続きの作法を
経た上で、卦を立てるものだが、彼女の「擲銭法」は伝統的な
「擲銭法」を更に簡略化した独創的なもので、1枚のコインを6回か、
6枚のコインを1回振って、その表裏の出方だけで64卦の成卦を
一気に出すというものなのだ。

そんな経緯があって、彼女は加藤大岳門下を離れ、最終的には
引退され、熊本に帰郷されたという。



師弟の関係については室町時代、能楽の観阿弥、世阿弥親子の教えと
して、芸道を極める為の成長過程の在り方を指し示した「守・破・離」
という奥儀が語り継がれている。
「守・離・破」の順で成長段階を説く向きもあるが…。


「守」の段階
学んだ基本に忠実に事を行い、その習熟を図るべき時期を指す。

「破」の段階
学び固めた基礎を土台にしつつも、既成概念に囚われることなく、
自由な発想で独自の工夫を重ねて応用し、師匠の教えを打ち破って
でも、独自の新境地を切り開くべき時期を指す。

「離」の段階
師匠から学んだ流儀や形式に一切囚われることなく、自由自在に
新境地を広く展開させて行くべき時期を指す。

「従藍而青」(じゅうらんにしょう)
「青は藍より出でて、しかも藍よりも青し」という言葉がある。
彼女は師匠からも大層非難を受けたそうだが、探求者、求道者と
しては天晴れな生き様で、それはそれで良かったのではないか。
彼女には難解で近寄り難い「易経」を大衆にも身近なものとして、
その裾野を広げた功績があったと言えるのではないだろうか。

ホロスコープ

同様のことは、西洋占星術の世界にも例がある。
「星座占い」というポピュラーな占法がある。誰もが自分は
蟹座だの、獅子座だのと意識している星座のことだ。


西洋占星術は本来、出生した時刻、地球上の位置に於いて、
その時点での10惑星、12星座の位置関係からホロスコープを
読み解く占術であるが、1930年代頃からの星座占いでは、単に
1惑星の太陽の位置でしか、その象意を解読していない訳である。

太陽の基本的な意味としては、月の人格や水星の知性、金星の感受性
などのパーソナルな能力を統合しようとする意志、バイタリティなので、
基本的な性格を表わす重要なものであるには違いないのであるが。

ただ、この西洋占星術の簡略化もまた、黄小娥女史の擲銭法と
同様、確かに占星術の大衆への普及に大きく貢献したのだ。


占術そのものに対する理念としては、易聖高島嘉右衛門氏や
私が「神なるものからのサインを読み解く」という方向性である
のに比して、黄小娥女史は「内なる予知能力に聞く」という姿勢
であったようだ。
究極的には、どちらも同じことである訳なのだが。



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2011/06/19 02:40 | 随想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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