ビクトル・ハラの歌声 …もう一つの9.11

 2011-06-20
ビクトル・ハラの歌声  …もう一つの9.11



キューバ政府が、チェ・ゲバラ少佐の未刊の日記(ゲリラ戦記)
「ディアリオ・デ・ウン・コンバティエンテ(ある戦士の日記)」
(1956年12月~1958年12月までの日記)を出版したとの報道に
接し、久し振りに、チリのフォークシンガー、ビクトル・ハラの
「チェ・ゲバラの為のサンバ」を聴いた。

十代の頃に初めて聴いた時、鳥肌が立ったほどに衝撃を受けものだ。
そして、その時には既に彼はこの世の人でなく、邪悪な国家権力と、
その命が尽きるまで、歌とギターで戦い抜いた人であったと、
彼の生き様を知って、深く悲しみ、尊敬の念を抱いたものだった。



1960年代以降、ラテンアメリカでは 音楽を通した社会変革運動
ヌエバ・カンシオン「新しい歌運動」が 大きく盛り上がった。
特にチリでは1960年代末から1973年まで、ビクトル・ハラと
ビオレータ・パラを中心に、キラパジュンなどの 多くの優れた
音楽家達が登場したのだった。
キラパジュンの「チェ・ゲバラのエレジー」も涙なくしては
聴けないほどに素晴らしい楽曲である。

1970年、チリの大統領選挙でサルバドール・アジェンデが 勝利して、
史上初めて、選挙に依って社会主義国家が誕生した ものの、1973年に
ピノチェット将軍が陸海空三軍を率いてクーデターを起こし、
アジェンデ政権を崩壊させた。

ビクトル・ハラA400

1973年9月11日
その日、軍部に抵抗した7000人もの人々がスタジアムに閉じ込められ、
拷問を受け、処刑された。
伝説として伝えられていることは、このスタジアムでビクトル・ハラは
みんなを励ます為に ギターを弾いて「ベンセレーモス(勝利するぞ)」を
歌って抵抗したという。
反乱軍兵士がギターを取り上げても、彼は手拍子で歌い続け、 その姿に
逆上した兵士達は、彼の両腕を圧し折り、手の指を小銃の台尻で
打ち砕いた。
それでも彼は立ち上がって、歌おうとした。
その彼の口元を、兵士は銃剣で切り裂き、自動小銃の弾丸を
撃ち込んだ。 享年34歳。

一週間後に、彼の遺体と対面したご妻女が「胸は穴だらけで、
手首が折れ曲がっていた」と証言した記録が残されている。
このサンティアゴのチリ・スタジアムは民政復帰後、
「ビクトル・ハラ・スタジアム」と改名されたそうだ。

ビクトル・ハラB400

このピノチェット軍事独裁政権下では、4万人が虐殺され、
10万人が逮捕、拷問を受けた。
チリの全人口の5分の1が亡命するという異常事態であった。
その後、1990年までの17年間も、彼の曲は放送禁止とされていた。

ゲリラ戦士でもなかった彼が、無残にも虐殺された。
彼は歌わずにいれば、殺されなかったかも知れない。
しかし、彼は歌わずにはいられなかったのだ。
アーティストは、神様に一番近い存在なのだと私は思っている。





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