華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 大日本帝国は無条件降伏をしたのか、否か?

大日本帝国は無条件降伏をしたのか、否か?

大日本帝国は無条件降伏をしたのか、否か?


私の書いた記事に対して、全くご縁の無い一青年からただポツンと
「無条件降伏ではないですよ」と、根拠を示すことはなく、
大東亜戦争に於ける我が国の降伏が無条件降伏ではなかったと
断定的に指摘するコメントを頂戴した。

「頂戴した」という言葉遣いは、実は心にも無いことで、腹立たしい感情を
抑制した結果の虚言である。「寄越しやがった」という表現が正しい。
この手の無愛想なコメントの寄越し方、行儀の悪い、無作法で、無礼な
コメントの寄越し方で意見されると、その内容とは関わり無く、カチンッ!
と頭に血が登るのだ。
匿名のインターネット上であっても、礼節は弁えた方が宜しいと思うのだが、
現代日本社会での無いもの強請りは断念するしか無いのだろう。

マック 厚木 400

「大日本帝国は無条件降伏をしたのか?」というテーマは確かに、
議論が分かれるところである。
理論的に無条件降伏ではなく、有条件降伏であったとする説と、
無条件降伏であったとする説が共に存在することは確かである。
特に最近、若い世代の方々には「理論的に無条件降伏ではなかった」
という見解が目立つようだ。

降伏全権 400

先ず、「無条件降伏」を「軍隊の無条件降伏」と「国家の無条件降伏」とに
分けて考える必要があるだろう。
交戦中であった大日本帝国陸海軍が兵員や兵器などの一切を「無条件で」
連合国軍に委ねて降伏したことと、交戦中であった大日本帝国政府が
ポツダム宣言に示された「降伏条件」を「無条件」に受諾して降伏した
ことは理論的には違うのだ。

大東亜戦争に於いて、日本国政府は1945年9月2日、東京湾に浮かぶ
戦艦ミズーリ艦上で署名された降伏文書に依って、「一切ノ日本國軍隊…
ノ聯合國二封スル無條件降伏ヲ布告」した訳であるが、この文書では
理論的に「日本国の無条件降伏」を明確に表記してはいない。

降伏調印400

「無条件降伏ではなかった」という説の根拠として、
ポツダム宣言13条に、日本軍の無条件降伏を定めているので、
日本国は無条件降伏をした訳ではないという理屈もある。
連合国側が提示した条件に、何ら条件を付けずに降伏しただけで
あるから、無条件降伏ではないという論法だろうか。

評論家大宅壮一氏のノンフィクション作品「日本の一番長い日」
(クレジットは大宅壮一氏になっているが、当時、文藝春秋の編集者で、
作家半藤一利氏の執筆とのこと)でも描かれているように、皇室の存続に
関し、軍部の徹底抗戦派を外務省が説得する際に、「ポツダム宣言には、
日本国の国体護持が示されているので、日本国は国体護持の条件の下、
降伏するのであるから、無条件降伏ではない」という説を採る向きもある。

更に、ポツダム宣言第5条に「条件」の文字が3箇所あるので、
6条以下は降伏条件に当たり、無条件降伏ではないとの見解もある。
但し、英語では「term」と書かれており、「条件」であるとは書かれて
いないことから、「無条件降伏でない」との説の根拠としては薄い。


何よりも重要であるのは、実際に連合国側の政府や極東委員会が、
どのように認識していたかという問題である。
法律上、形式的に降伏条件と解釈出来る条項が条文にあったとしても、
日本国の占領政策の決定権を持っていた極東委員会及び占領軍であった
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、実際に「有条件降伏」と
認識することなく、日本国政府に政策実施の権限が無かったならば、
実質的に無条件降伏であったことになる。

GHQ 400

日本が降伏した直後、1945年9月6日付で米国政府から、
マッカーサー連合国最高司令官への通達が発せられている。

『天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての
貴官に従属する。
貴官は、貴官の使命を実行するため貴官が適当と認めるところに従って
貴官の権限を行使する。
我々と日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、
無条件降伏を基礎とするものである。
貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては
日本側からの如何なる異論をも受け付けない』

このように、米国政府は、日本の降伏は、「日本国の無条件降伏」であると、
マッカーサー連合国最高司令官に指示し、マッカーサー連合国最高司令官
指揮の下、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は「日本国の無条件降伏」
であるとの認識に基づいて、占領政策を実施したのが歴史的事実なのだ。
現実に、日本が無条件降伏したことは戦後、日本国民の共通認識であった
という。



昭和24年11月26日の衆議院予算委員会に於ける、吉田茂内閣総理大臣
の答弁にも
『日本国は無条件降伏をしたのである。
そして、ポツダム宣言その他は、米国政府としては、無条件降伏をした
日本がヤルタ協定あるいはポツダム宣言といいますか、それらに基づいて
権利を主張することは認められない、こう思つております。
繰返して申しますが、日本としては権利として主張することは
出来ないと思います…』とある。


また、昭和26年10月24日の平和条約及び日米安全保障条約特別委員会
に於ける、西村熊雄外務省条約局長の答弁には、

『日本は連合国がポツダム宣言という形で提示致しました戦争終結の條件を
無條件で受けて終戦いたしたのであります。
無條件降伏というのは、戰勝国が提示した條件に何ら條件を付けずして
降伏したという意味であります。
その当時、政府、大本営連合会議に於いて、ポツダム宣言に対して
種々の條件を付してこれを受諾したいという議があつたことは、
佐竹委員よく御存じのことだと思います。
ただ連合国が戦争指導方針として、無條件降伏というものを強く主張して
おりました情勢から考えまして、日本全体と致しましては、何ら條件を
付さないで、先方の提示した條件を受けたのであります。
それが無條件降伏をしたという意味でございます。
むろん先方が提示したポツダム宣言の中には條件がございます。
その條件の一として、日本の領土の範囲は連合国できめるという一項が
ございます。
その條項に従つて、連合国が日本の領土について最終的な決定を与えるまで、
日本と致しましては、あらゆる角度から日本の要請、国民感情その他が
連合国によつて考慮に入れられるよう努力致すことは当然でございますし、
また政府といたしましては、十分その責務を盡したと存じております。
しかしその結果、平和條約におきまして、連合国が最終的決定を致し
ました以上は、條件をつけないでポツダム宣言を受諾した以上、
日本としては男らしくこれを受けるものであるというのが、
総理の考え方だと存じます』とある。



昭和28年4月8日の最高裁判所大法廷判決にも、

『・・・昭和二〇年勅令第五四二号は、わが国の無条件降伏に伴う連合国の
占領管理に基いて制定されたものである。
世人周知のごとく、わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、
連合国に対して無条件降伏をした。
その結果連合国最高司令官は、降伏条項を実施するため適当と認める措置を
とる権限を有し、この限りにおいてわが国の統治の権限は連合国最高司令官
の制限の下に置かれることとなつた(降伏文書八項)…』とある。


昭和28年6月3日の最高裁判所大法廷判決にも、

『・・・わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印し連合国に対して
無条件降伏をした結果、わが国は、ポツダム宣言を実施するため連合国
最高司令官が要求することあるべき一切の指令を発し、且つ一切の措置
をとることを約した(降伏文書六項)…』
とあるように、最高裁判所大法廷判決でも「日本国の無条件降伏」と
認定されているのが現実である。



日本国政府の総理大臣が「日本の無条件降伏」であると認識し、
戦勝国の占領軍、マッカーサー連合国最高司令官及び、マッカーサー
連合国最高司令官指揮下の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)も
「日本の無条件降伏」と認識し、最高裁判所も「日本の無条件降伏」を
認定し、天皇陛下がその身を委ねるご意思の表示として、マッカーサー
連合国最高司令官をご訪問為された歴史的事実からして、大日本帝国は
連合国側に対して有条件降伏ではなく、名実共に無条件降伏をしたという
現実は否めないのではなかろうか。









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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2011/09/12 01:57 | 歴史雑感COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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