「滝行」中2少女の窒息死を悼む

「滝行」中2少女の窒息死を悼む



熊本県警は9月27日、滝行と称し、中学校2年生の娘Aさん(13歳)の顔
に水を浴びせ、窒息死させた傷害致死容疑で、父親の会社員B容疑者(50歳)
と宗教団体「中山身語正宗」(なかやましんごしょうしゅう)玉名教会の僧侶C
容疑者(56)を逮捕したとの報道があった。

事件現場教会400

中山身語正宗は、昭和27年(1952年)に宗教法人の認証を受けた密教系の
教団で、佐賀県の基山町にある瀧光徳寺が大本山。全国に寺院96ヶ所、
布教所116ヶ所など、計349の施設があり、信者数は約30万人。
中山不動尊を本尊とし、「身語正」は「身に正(まさ)しく如来の語(ことば)
を授かる」という意味であるという。
修行として、読経やお百度参り、断食、「お瀧(滝行)」などを挙げている。

水場

Aさんは小学校高学年の頃から心身に病気を患い、病院で治療を受けるも
改善せず、父親のB容疑者が中山身語正宗を信仰する知人に相談したことを
機縁に、僧侶C容疑者を紹介されたという。
僧侶Cは「Aさんには霊が憑いている。取り除けば快復する」と父親Bに
説明し、Aさんは両親と共に今年3月頃から頻繁に教会に通い、3月から
100回以上に亘って、除霊行為という名目で「滝行」を受けていたという。

Cの妻(61歳)が、「夫は会社勤めをしていた頃から自宅に来た人に仏の声を
伝えていたが、3~4年前に会社を辞め、本格的に宗教に携わるようになった」
語っているように、僧侶Cは僧侶とは名ばかりのインスタント僧侶である。
僧侶Cの自宅を兼ねた教団施設の敷地内の小屋に、「お滝場」と称する部屋で、
ポンプで汲み上げた地下水を約2.5mの高さから水道管で落とす仕組みの設備
がある。

8月27日午後9時10分頃、事件はそこで起きた。
事件当時、Aさんが滝行を嫌がった為、椅子にベルトで足と腕を縛り、身動きが
出来ない状態に拘束し、父親のBが抵抗するAさんの上半身を手で押さえ、
当初は放水口にAさんの背を向けていたが、僧侶Cは「霊が顔に憑いている」
と判断して、放水口に顔が向くように向きを変えさせ、Aさんの顔に集中して
水を浴びせ掛けるように、父親のBに指示した疑いがある。
この僧侶Cは「霊が顔に憑いている」などとお馬鹿な発言をしているところ
からすると、この男には憑依した霊を視る霊能力など無いに違いない。
毎分40ℓの水量の流水を約10分間、鼻や口に大量の水を浴び続け、窒息死
させたようだ。
可哀相に、Aさんの肺には多量の水が溜まっていたという。
その間、どうせ般若心経辺りだろうが、僧侶Cは傍で「霊が抜けるように」と
「経」を上げていたという。



僧侶Cは「除霊はAさんだけで、他の人にはやったことはない」そうで、
Aさんの死後、周囲に「(Aさんは)悪い霊に命を取られた」
「Aちゃんの中に、本当のAちゃんは居なかった」などとほざいていたという。
神霊世界は、ボロ儲けの商売に利用出来るが、決してド素人が手を出して
良い領域ではないことを知るべきである。
生きた人間は、肉体を持った霊である。
「Aさんから霊を取り除く」と言って、AさんからAさんの霊を抜いて、
どうするのだ!

僧侶Cは「修行であり、暴行ではない」と主張しているというが、宗教的行為
としての修行は、飽くまでも「本人の意志」に依って行なわれるべきもので、
嫌がるAさんを拘束してまで無理矢理に水浴びを強要しているのであるから、
「修行」では有り得ず、単なる水責めの拷問に過ぎないのである。
そもそも、悪霊が憑依したというAさんに対する第三者の施す「除霊」という
宗教行為であったと自己正当化の弁解をしていながら、施術を受ける立場に
あったAさんの何処に「修行」の必要性があったというのだ。



今回の事件報道で、「中山身語正宗」という教団が「滝行」と称していること
から、報道記事には必ず「滝行」と書かれているが、そもそも幽遠な自然の中
で清浄な滝に打たれるから、「滝行」なのであって、事件のあった水場のように
黴の生えた、不潔で如何にも邪霊が好みそうな陰々鬱々とした空間で、人工滝
の積りで拵えた仕掛けの水を浴びるのは、好意的に表現してもただの水行に
過ぎないのだ。
プールで泳ぐことを、海水浴と称しているのと同じようなものである。

そもそも滝行は、修験者(山伏)が修行の前に、心身を清める目的で行なわれて
いた行為であるから、その場が清浄であることが絶対条件なのである。
神道に於いては、穢れ(けがれ)のある状態で神迎えをしても、神は不浄を
嫌われて、祀ることが成立しないことから、心身に付着した汚穢(おわい)を
洗い流して清浄にする為に、海辺で、川辺で、或いは滝に打たれ、井戸水を
浴びて、心身を清める「禊」(みそぎ)を行なうのである。
この神道の禊同様に、仏教系でも「垢離」(こり)と言い、日本古来の山岳信仰
に由来する、滝への崇拝と結び付いたのが「滝行」なのである。
そうであるから、滝に入る時は、自分の身体を塩で清め、滝を塩と酒で清め、
滝を出る時も、次の人の為に滝を塩と酒で清めるという作法がある。
これほどまでに、修行の場は清浄である必要があるにも拘わらず、事件現場と
なった中山身語正宗の「お滝場」と称する部屋は、写真を見る限り、恐ろしく
汚らしい。
オーム真理教がそうであったが、不浄を好む教団に、高級神霊は宿らない
のは、ものの道理である。
しかも、やたらと日の丸の旗を掲げてあるという意味不明の空間である。

山伏

教団自体に、「滝行」の本義が認識されていない証左であろう。
中山身語正宗はホームページでは、「読経や滝行などを積み重ねることで、
みほとけの心を授かることができる」と説かれている。
 
中山身語正宗の大本山「瀧光徳寺」のD顧問(69歳)は「C容疑者は本山で
修行したが、滝行で手足を縛れなどという指導はしていない」とし、
「滝行に除霊の効果はない」
「滝行は本来、体を自ら痛めつけながら先祖を供養し、功徳を積むことが
 目的だ」と語っているが、この「滝行」の本義に関する教団関係者の認識は、
実に噴飯ものである。
この程度の教団でも30万人の信者を獲得出来て、宗教でお飯が食えるのだから、
実在しない「御仏」を崇め奉る宗教稼業は、確かに有り難いと言えるのだろう。

修験者B400

父親Bの名相には、主運と家庭運に、ドメスティックバイオレンスの代名詞の
ような象意のある運数28が表われており、総合運、全体運ともいうべき箇所
と社会運には、運数42が表われている。
この42の暗示から「意志が弱く、自主性に乏しいことから、他力本願になり
易く、優柔不断で他人に左右され易い、他人の言葉に惑わされ易い」という
傾向性の象意が読み取れる。

熊本市教育委員会に依ると、Aさんは中学1年の1~2学期は殆ど出席して
いたが、3学期の2月から、精神的に不安定となり、登校出来ない状態で、
2年の1学期も全て欠席していたという。
Aさんの名相には、基礎運、主運、総運が8、18、38と、内運が総べて8系で、
残念ながら、精神を病み易いという暗示が表われており、また、主運-基礎運
の18-8の関係性から、健康を害し、厄難を受けるとの暗示が読み取れる。
そして、主に対人関係を表わす副運とも言うべき外運には、厄難、病難、別離、
短命などの災いが降り掛かり易い暗示の強い大凶運数である20が表われている。
父親のBが、正にその20の象意の発現として、彼女を害する役割を果たした
内の一人となってしまったことは、この上のない悲劇であった。

愛すべき家族の誰かが心を病んでしまうことの悲惨さは、筆舌に尽くし難い
ものがある。
精神科で治療を受けても薬漬けにされるのがオチで、そうそう容易く快復の
兆しが見えるものではない。
おかしくなってしまった家族の狂態を目の当たりにするに付け、絶望的な気分
に苛まれ、見守る側も暗澹たる気鬱に沈み込む日常に、気が滅入って来るもの
である。
5年、10年と長い長い歳月を費やすことになる、病魔との熾烈な戦いを覚悟
しなければならないのである。

滝行B400

一応は僧侶という肩書きの宗教屋に、病の原因は「霊障」であると断言され、
「憑いている悪霊を追い払えば、お嬢さんは快復する」と言われれば、藁をも
掴む心境になってしまうのは理解出来る。
しかし、特別に宗教的な教養が無かったとしても、僧侶Cの施術を目の当たり
にすれば、幾ら何でもインチキ臭いことくらいは感じられたであろうに。
しかも、100回以上も除霊と称した水責めを繰り返して、何ら効果が無かった
というのであれば、尚更のことである。
怒りを覚えるほどに愚かしくも父親Bは、次女Aさんを守り切れなかった
どころか、嫌がるAさんに「除霊する為に、やらないといかん」と諭して、
100回以上も馬鹿げた水責めを強制し、挙句の果てに我が子を殺してしまった
罪は重いのだ。父親には、もっと賢明であって欲しかったとつくづく思う。


霊能力の無い私でさえ、明らかに霊障であろうと感じられるほどに、噎せ返る
ような妖気を漂わせ、現実生活の上で、悲惨極まりない現象を次々と発現させ
ている人は現実に居るものだ。
霊的な観点からすれば、憑いた悪霊を無慈悲に追い払う「除霊」を施して、
その時点で一旦は成功したとしても、また憑いて来るものだ。
憑いている悪霊に対して、慈悲の心を込めた言霊で説得して、納得させて、
離脱させる「救霊」でなければ、根本的な解決とはならないのではないか。

滝行C400

それにしても、ご近所に住まう方々の中には「痛い、痛い」と泣き叫ぶ声を
聞いた人も居れば、「嫌がる女性を、大人2人が羽交い締めにするように教会内
に連れ込む姿を目撃した」という人も居たという。
「虐待かもしれないと、警察に通報しようと思ったこともあった」という人も
居たにも拘わらず、事件を未然に防げなかったのは、怪しい宗教団体には
関わりたくないという、現代社会に於ける一般的な感情なのだろう。
私は巨大なインチキカルト教団と喧嘩をしたことがあるだけに、下劣な信者ども
が、如何に汚らわしくおぞましい連中か解っているので、近隣住民に「触らぬ神に
祟り無し」の自己保身感情が働いたであろうことは想像出来るが、もう
少し勇気を奮い起こして、赤の他人をも思い遣る人情というものを発動させて
貰いたかったものである。





幼い少女期に心を病んでしまって、さぞや辛苦の思いを味わったであろう
Aさんのご冥福を心よりお祈り致します。




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