華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 漂泊の国日本への警鐘 …三島由紀夫の檄文

漂泊の国日本への警鐘 …三島由紀夫の檄文

漂泊の国日本への警鐘 

…三島由紀夫の自刃は諫死である



昭和26年(1951年)、日本は第二次世界大戦時の連合国側49ヶ国と平和条約
(サンフランシスコ平和条約)を締結し、占領時代を終えたが、それと同時に
「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に
署名した。
この条約に基づいて、アメリカ軍は引き続き、日本に駐留する法的根拠を得た。
昭和35年(1960年)には60年安保闘争と呼ばれる反対運動が盛り上がったが、
改定された新安保条約が10年間の期限で調印され、発効した。

デモ隊A400

1960年代後半、10年間の期限を迎える日米安保条約が自動延長することを
阻止し、条約破棄を目指した70年安保闘争という運動が激しく燃え盛った。
全国の各大学で結成された学生自治会の連合組織「全日本学生自治会総連合」
略称「全学連(ぜんがくれん)」は、反日本共産党系の主流派間で昭和43年
から昭和44年(1968年~1969年)に掛け、「全学共闘会議」略称「全共闘
(ぜんきょうとう)」を結成し、日大全共闘や東大全共闘などが各大学で、
「70年安保粉砕」や大学側の学生管理への抗議(大学紛争)を掲げ、
ヘルメットにゲバ棒(ゲバルト=暴力)と呼んだ角材や火炎瓶などで武装し、
バリケード封鎖や大規模なデモ行動、投石などで警察の機動隊と戦うという、
急進的で激しい暴力闘争を展開した。

学生運動に於いて、
ブント(共産主義者同盟)系全学連、
中核派(マルクス主義学生同盟中核派)全学連、
革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)全学連、
社会党社青同(日本社会主義青年同盟)解放派全学連
などのマルクス派新左翼諸派勢力(反代々木系=反日本共産党)が暴力的に
主導権争いを繰り広げた。
日本共産党の学生組織である民青(日本民主青年同盟)系全学連は、
全共闘などの反代々木系学生や新左翼諸セクトと鋭く対立した。



反代々木系の各派全学連は、昭和42年(1967年)の羽田闘争、昭和43年
(1968年)の佐世保米空母エンタープライズ帰港阻止闘争や、騒乱罪が適用
され、多くの逮捕者を出した新宿騒乱事件、昭和44年(1969年)の沖縄デー
闘争、国際反戦デー闘争、佐藤首相訪米阻止闘争など一連の闘争……など
一連の闘争を「70年安保闘争の前哨戦」と位置付けて、街頭実力闘争を
繰り広げ、機動隊と激しい市街戦を繰り返した。

社会党や共産党などの既成左翼勢力は、70年安保闘争では主導的な役割を
果たさなかったが、1960年代は新左翼、既成左翼、何れにせよ、マルクスの
「資本論」さえ碌に読んでもいないマルクス主義者たちや無政府主義者たちが
大いに跳梁跋扈した時代であったのだ。


このような時代状況を背景に、作家の故三島由紀夫氏が憂国の情を滾らせた
ことを想わねば、「楯の会」隊長としての彼の「諫死(かんし)」(死んで、
いさめること)は理解し辛い。


三島由紀夫氏のご本名は「平岡 公威(ひらおか きみたけ)」であり、
総合運、全体運に運数26が表われている。
運数26は古くは「英雄運」の数と呼ばれ、波瀾に富んだ人生を暗示している。
「波瀾運」「動乱運」「落下運」…とも呼び、「非凡な才能」「ドラマチックな
生涯」という象意が読み取れるが、概して、悲劇的な凶暗示が発現する傾向性
が非常に強いのだ。

歴史上の人物としては、戦国時代の覇者徳川家康と織田信長の「外格」
(自分の意志や努力の及び難い外的な環境、周囲の状況を表わす
社会生活の背景として、主に対人関係の運気を表わす箇所)に
運数26が表われており、
また、幕末の英雄坂本龍馬の「地格」(人生の基礎運に相当する箇所で
生来の気質や体質、子供時代の人間形成に影響を及ぼす家庭環境など、
主に、0歳から29歳位までの運気を表わす箇所)に運数26が表われている。
大成功の後に、思わぬ落とし穴が待ち受けるといった波瀾に富んだ人生を
暗示していることは間違いない。




昭和45年(1970年)11月25日、三島由紀夫(45歳)は自らが結成した
民兵組織「楯の会」の隊長として、隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地
(現在の防衛省本省)に東部方面総監を訪れ、総監室で日本刀を武器に
総監を監禁。
総監室の前のバルコニーで演説し、戦力放棄を謳った現行憲法を否定し、
「共に起ち、義の為に死のう」と自衛隊にクーデター決起を呼び掛ける
檄を飛ばしたが、自衛隊員達は三島の熱烈な訴えに嘲笑で応え、罵声を
浴びせるばかりで、30分間予定されていた演説は、7分間で切り上げられ、
三島と森田は、「天皇陛下万歳」を三唱し、総監室に姿を消した。
その1時間後、三島は割腹自刃し、森田必勝が介錯で二太刀打ち下ろすも
三島の首を断つことが出来ず、古賀浩靖が三太刀目を入れて、漸く三島の
首は胴を離れた。
次いで、森田は血塗れの三島の胴体の脇に跪き、三島が使った短刀で
腹を刺し、古賀がその首を一太刀で刎ねた。
憂国の士の情念が沸騰点に達したかのように、見事に大和武士の作法に則って、
凄惨で血生臭い自刃を果たし、三島由紀夫、森田必勝両名は諫死を遂げたのだ。

三島演説B400


檄文500


檄  楯の會隊長 三島由紀夫


 われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの
父でもあり、兄でもある。
その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。
かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、
一片の打算もない教育を受け又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の
柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに
知らなかった男の涙を知つた。
ここで流した我々の汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同士として共に
富士の原野を馳駆した。

 このことには一点の疑ひもない。
われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸
できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。
しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。
たとえ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、
国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、
自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのをみた。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の
大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら
日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければ
ならなかつた。
 
 われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が
残されてゐるのを見た。
しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題で
ある防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名前を用ひない
軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを
見た。
もっとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質な欺瞞の下に放置されて来た
のである。
自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。
自衛隊は國軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大な
ものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。

 われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。
自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。
自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはない
のを信じた。
憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、
国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない。
 
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。
楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある
国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあった。
憲法改正が、もはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の
好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石
たらんとした。
国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。
政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて
国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。
日本の軍隊の建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史.伝統.文化を守る」
ことにしか存在しないのである。
国のねぢ曲がつた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を
受け、挺身しようとしてゐたのである。

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こったか。
総理訪米前の大詰といふべきこのデモは圧倒的な警察力の下に不発に終つた。
その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。
その日に何が起こつたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい
警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗
を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。
治安出動は不要になつた。
政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信
を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。
これで、左翼勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ名を捨てて実をとる
方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。
名を捨てて、実を取る!政治家にとつてはそれでよからう。
しかし自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。
そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしが
はじまった。

 銘記せよ!実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとって
悲劇の日であつた。
創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、
決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、
相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性
を晴れ晴れと払拭した日だつた。
論理的に正に、その日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、
「護憲の軍隊」として認知されたのである。
これ以上のパラドックスがあらうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。
われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残ってゐるならば、
どうしてこの事態を黙視しえよう。
自らを否定するものを守るとは、なんたる論理的矛盾であらう。
男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、
守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上がるのが男であり武士である。
われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定す
る憲法を守れ」といふ屈辱的命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。
かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はない
ことがわかってゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリアのやうに黙つたまま
だつた。
われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。
諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。
しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本から来ないのだ。
シヴィリアン.コントロールは民主的軍隊の本姿である、といふ。
 
 しかし英米のシヴィリアン.コントロールは、軍政に関する財政上の
コントロールである。
日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、
党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせにのり、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を
歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。
武士の魂はどこへ行つたのだ。
魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行かうとするのか。
繊維交渉に当たつては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、
国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五.五.三の不平
等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切る
ジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。

 沖縄返還とは何か?本土の防衛責任とは何か?アメリカは真の日本の
自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠に
アメリカの傭兵として終るであらう。
 われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。
自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでも
よいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。
もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。
われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを
熱望するあまり、この挙に出たのである。











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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2011/10/02 07:47 | 歴史随想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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