華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 旧日本軍の小銃は時代遅れであったのか?① …アメリカ軍との比較

旧日本軍の小銃は時代遅れであったのか?① …アメリカ軍との比較

旧日本軍の小銃は時代遅れであったのか?① 

                     …アメリカ軍との比較


明治38年(1905年)の三八式歩兵銃は劣っていたか? 


旧日本軍と言えば…
空のゼロ戦、海の戦艦大和、そして陸の三八式歩兵銃であった。

私が博物館で三八式歩兵銃を実見した時の第一印象は、先ず「寸法が長過ぎる」
ということであった。
銃床から銃口まで1,276㎜、約130㎝もあり、約40㎝の三十年式銃剣を着剣
すると、全長1,663㎜にもなったことになる。
当時の日本軍兵士の体格は、平均身長157㎝、体重52.6㎏(米軍データ)と
華奢であった。
身長157㎝の兵士が、重量 3,730g(銃剣着剣時は4,100g)、長さ約130㎝の
ライフル銃で戦ったのであるから、さぞや扱い辛かったことだろう。
制式名称の「三八式」の正式な呼称は「さんはちしき」であるが、語呂が良い
ことから、「さんぱちしき」と称され、「三八銃」(さんぱち銃)とも呼ぶ。
総生産数は約340万挺。

性能に関しては、銃身長797㎜、口径6.5㎜、装弾数5発クリップ式 、
使用弾薬は6.5㎜弾の三八式実包、作動方式はボルトアクション式で、
射撃する毎にボルトを操作して、薬室から薬莢を排出し、次の銃弾を装填する。
銃口初速 762m/s、有効射程 460m。

三八式歩兵銃 500
三八式歩兵銃

三八式歩兵銃は、陸軍砲兵工廠の有坂成章砲兵大佐が明治30年(1897年)に
開発した「三十年式歩兵銃」をベースに、南部麒次郎砲兵少佐が機関部の部品
点数削減や防塵カバーの付加、使用弾薬の三十年式実包から三八式実包への
変更など改良を施したものなので、外国では「Arisaka type 38 rifle」
「Arisaka M1905 rifle」「Arisaka 6.5mm rifle」「Arisaka rifle(アリサカ・
ライフル)」とも呼ばれる。 
機関部の部品点数が少なかったことから、分解、組立てが容易であったという。
機関部の上に付加した防塵カバー(遊底被or遊底覆orダストカバー)であるが、
太平洋の島々でのアメリカ軍との戦いで、潜伏を得意とした日本軍兵士で
あったが、いざ発砲しようとボルトを動かすと、この防塵カバーがガチャ
ガチャと音を立てて、敵兵に居場所を知られてしまうことから、戦場では
取り外していた兵士が多かったそうである。

三八式 薬室500
三八式歩兵銃薬室

三八式実包は弾道の安定性が良く、小銃弾としては反動が軽く、発砲時に
銃口から出る煙も火花も少なかったという。
6.5㎜弾で、欧米の7㎜クラスに比べ、口径が小さく、威力が弱かった。
日本初の尖頭銃弾で、貫通力は優れていたようであるが、肉部への損傷は
比較的小さく、「不殺銃弾」と呼ばれたという。

弾倉への装填はクリップ式であり、5発の銃弾が素早く装填出来た。
完全軍装の場合、弾薬5発を1セットにしたクリップ(挿弾子)を6個30発
収めた 弾薬ケース(弾薬盒)を前に2個(前盒)、クリップ12個60発収めた
弾薬盒(後盒)を後ろに1個、ベルト(革帯)に通し、 計120発を1基数と
して携行したという。

6.5ミリ小銃弾三八式実包
6.5ミリ小銃弾三八式実包

難点を挙げるとすれば、当時の日本の工業水準からして、個々の部品精度に
バラツキがあり、先進諸国の兵器製造に於いて採用され始めていた部品の
互換性が不完全であったことであろう。
それは当時の日本工業製品には「規格」の概念が存在しなかった為で、製造の
組立て仕上げの最終工程では、熟練の職工の手に依る勘働きで部品のサイズ
などを微妙に調整する必要があり、同機種の部品でありながら、他の製品の
部品との互換性がないという現象が起きていたようである。
部品の互換性が完全であれば、戦場で故障した2挺の銃の有用な部品を組み
合わせて、使用可能な1挺の銃を仕上げることも出来るという訳であるが、
それが出来るとは限らなかったのだ。

M1903 500
スプリングフィールドM1903小銃

それにしても、日本軍は明治38年(1905年)に仮制式(制式化は翌年)の
旧式銃を昭和20年(1945年)までの40年間の長きに亘って使い続けたのか
と呆れる思いであったが、完成度の高いライフル銃に関しては、欧米でも事情
は同様で、アメリカ軍が開戦時に使用していた制式銃は、1903年制式化の
スプリングフィールドM1903小銃で、ほぼ同レベルの性能であったようだ。

作動方式は、三八式歩兵銃と同じボルトアクション
装弾数5発(箱型弾倉・クリップ式) で三八式歩兵銃と同じ
通常は5発を装填したクリップを12個、計60発を弾帯に収めていたという。

銃身長 610㎜   (三八式歩兵銃は797㎜)
全長 1,115㎜   (三八式歩兵銃は1,276㎜)
重量 3.9㎏    (三八式歩兵銃は3.73㎏)
銃口初速 823m/s (三八式歩兵銃は762m/s)
有効射程 457m  (三八式歩兵銃は460m)
使用弾薬は30-03弾 スプリングフィールドで、7.62㎜弾
(三八式歩兵銃は6.5 ㎜弾)

このM1903小銃は、第一次世界大戦に米軍制式ライフルとして使用され、
第二次世界大戦の初期の段階まで、ヨーロッパ戦線、北アフリカ戦線、特に
太平洋戦線の第一線で使用された。
後継のセミオートマチックM1ガーランドが支給された後も、M1903は精度が
高く、長距離でも威力が落ちないことから好まれて、海兵隊や陸軍レンジャー
部隊の一部では使い続けたということである。

M1ガーランド 500
M1ガーランド

アメリカ軍はM1903小銃の後継として、遂に半自動小銃(セミオートマチック
ライフル)のM1ガーランドを登場させた。
三八式歩兵銃やM1903のように、1回の発砲毎にボルトを操作する必要なく、
ガス圧を利用したロングストロークピストン式で、8発入りのクリップを装填
すれば、1回のボルトアクションで、薬莢の排出、弾薬の装填を8発撃ち尽くす
まで自動で行なうので、8発の連射が可能なのである。
対三八式歩兵銃となれば、特に接近戦で有利であったろうと思われる。

1936年(昭和11年)にボルトアクションのスプリングフィールドM1903小銃
の後継として制式化されながら、予算不足の為に生産設備の整備が遅れ、また、
1940年に銃身とガスパイプの接合部に欠陥が見付かり、一旦は生産が中止され、
既製品改修の必要が発生するなど、なかなか量産体制が軌道に乗らなかった
ようである。
結局、実戦配備開始は1941年後半に縺れ込んだが、1957年にM14小銃が
制式化されるまで、アメリカ軍の主力小銃であった歴史的名銃である。


M1ガーランド クリップ装弾

セミオートマチックライフル(半自動小銃)
使用弾薬は30-06スプリングフィールド弾で、7.62 ㎜弾
装弾数 8発
作動方式は、発射時のガス圧を利用した自動装填機構
口径 7.62㎜
銃身長 610㎜
全長 1,108㎜
重量 4,300g
銃口初速 848m/s
有効射程 1,500m


M1ガーランドの装弾方式は、弾薬8発の束をクリップに填め、ボルトを引いて、
上部からクリップごと差し込み装弾する方法であり、8発発射し終わると、
最終弾の薬莢排出と同時にクリップも排出されるようになっていた。
このクリップ排出の際に「キーン!」という甲高い金属音が発生したという
ことは広く知られていて、最終弾発射を敵に悟られてしまい、新しいクリップ
を装填するまでの間隙を突かれる恐れがあったというが、撃ち尽くした際には
ホールドオープン状態の弾倉には何も残っていない為、即座に弾薬クリップを
差し込む事が可能で、1対1の特殊な状況か、余程の接近戦でない限り、支障は
なかったのではないかと思われる。
映画ファンの私としては、あの「キーン!」という金属音が堪らない。

九九式小銃 500
九九式短小銃と九九式長小銃

九九式短小銃(九九式小銃とも称する)は、昭和14年(1939年)に制式化
された三八式歩兵銃の後継で日米開戦の年、昭和16年(1941年)に部隊
配備された。
昭和14年が皇紀2599年に当たることから、下2桁を取って「九九式」と
命名されている。
総生産数は約250万挺(三八式歩兵銃は約340万挺製造)

装弾方式は三八式歩兵銃と同じボルトアクション式で、M1ガーランドのような
セミオートマチックではない。
三八式歩兵銃より進化させた主要な点は、威力向上を向上させる為に、
口径を6.5mmから7.7mmへと大型化させたこと、機動性向上の為に、
銃身を短くしたことであろう。

九九式小銃には短銃身型と長銃身型があったが、主力小銃として量産された
のは、銃身が長銃身型より14㎝ほど短い短銃身型であった。
それで、九九式「短」小銃と称したという訳である。

作動方式 ボルトアクション式
使用弾薬 九九式普通実包 7.7㎜弾(三八式歩兵銃は6.5 ㎜弾)
装弾数 5発  (三八式歩兵銃も5発)
口径 7.7㎜  (三八式歩兵銃は6.5㎜)
銃身長 657㎜ (三八式歩兵銃は797㎜)
全長 1,118㎜ (三八式歩兵銃は1,276㎜)
重量 3.80㎏  (三八式歩兵銃は3.73㎏)
銃口初速 730m/s (三八式歩兵銃は762m/s)
有効射程 最大3,400m(三八式歩兵銃は2,400m)


九九式普通実包 7.7㎜弾

三八式歩兵銃から九九式小銃への大口径化に伴い、発射時の反動が増大した
ことに依り、精度の高い射撃が困難となり、命中率は低下したという。
日本軍兵士の体格からして、九九式小銃は三八式歩兵銃からの改悪と評価する
向きもあったようだ。

日本の国力の限界で、三八式歩兵銃(6.5mm)から九九式小銃(7.7mm)へと
全面更新することが出来ないままに、太平洋戦争に突入することを余儀なく
されたことは大問題であった。
2種類の主力小銃が同時に存在した訳であるから、互換性のない6.5㎜弾と
7.7㎜弾、2種類の弾薬を必要とした訳である。

流石に小銃の部隊配備は、師団単位で銃の口径は固定化され、南方戦線には
7.7㎜の部隊を、中国戦線には6.5㎜部隊をと区分けしていたそうであるが、
戦況悪化に伴い、戦争後期には中国戦線の部隊を南方戦線へと移動させたこと
から、弾薬補給の上で混乱を招いたようであった。
たとえ弾薬が山積みされていたとしても、口径が違えば、1発も発砲出来
なかったのであるから、始末が悪いことこの上なかった訳である。











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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2011/10/07 12:15 | 歴史雑感COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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