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虚妄の仏教① …仏は神なのか? 大乗仏教 …その虚構の教義体系

 2011-10-09
虚妄の仏教① …仏は神なのか?

大乗仏教 …その虚構の教義体系


日本で「仏教」という言葉が用いられるようになったのは、
明治時代以降のことであり、かつては「仏道」「仏法」と
呼ばれていたようである。

私は、紀元前5世紀頃(463B.C. ?-383B.C?)
現在のネパール国境付近(インド説もある)のカピラワットゥの
釈迦族に生を享けたゴータマ・シッダールタの教説が宗教化した
ことに違和感を覚えるのである。
ブッダを神格化した宗教としてでなく、哲学として扱われる
べきものではなかったのかと考えるのである。



原始仏典に依れば、ゴータマ・シッダールタが説かれたのは、
宗教教義としての「教」(ドグマ)ではなく、人間が実際に
生きて行く為の「規範」や「法則」としての「法」(ダルマ)
であったはずである。

その「法」というも、ダルマ(サンスクリット語 dhárma)、
ダンマ(パーリ語dhamma)ダンマ)、法、正法、白法、浄法、
妙法というも、動いて行く現象の根底にある「秩序」「掟」
「規範」「法則」「慣習」を意味するに過ぎなかったはずである。

また、ブッダ(buddha)、仏陀というも、仏というも、
その法を見た「人」、悟った「人」を意味するものであり、
「悟った人」「目覚めた人」「体解した人」という意味に
過ぎなかったはずである。

だからこそ、ゴータマ・シッダールタはその入滅に際して、
「比丘僧伽は、私に何を期待するのか。
私は既に内外の区別もなく、ことごとく法を説いた。
阿難よ、如来の教法には、あるものを弟子に隠すという
ことはない。
教師の握りしめた秘密の奥義はない。
……自分はすでに八十歳の高齢となり、自分の肉体は、
恰も古い車がガタガタとなってあちこちを草紐で縛り、
やっと保たれているようなものである。
だから、阿難よ、汝らは、【ただ自らを灯明とし、
自らを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、
法を依処として、他を依処とすることなくして】
修行せんとする者こそ、わが比丘たちの中に於いて
最高処にあるものである」との遺言、「自帰依自灯明、
法帰依法灯明」の説法をされたのではないのか。



つまり、歴史上の人物としてのゴータマ・シッダールタは、
イスラム教の「預言者」やキリスト教の「神の子」などとは
本質的に異なり、ブッダとしてのゴータマ・シッダールタも
「法(ダルマ)」の世界を越えるような、特別な位置を占める
という存在である訳が無いのである。
その教説の内容からして、仏教という宗教の開祖として、
超人的に捉えられ、神格化されるよりもむしろ、西洋哲学の
系譜に於けるプラトンの存在のように、インド哲学の系譜の
中で「倫理の実践」「哲理の実践」を説かれた人物として、
捉えられるべきではなかったのか。
原始仏典に依れば、ゴータマ・シッダールタ自身は、
その教説の中で、輪廻を超越する絶対神の存在など、
認めていなかったではないか。

にも拘わらず、入滅後のブッダ・ゴータマ・シッダールタを
不滅の真理としての教法の中に追慕する余り、ブッダの永遠性、
不滅のブッダに対する信仰として、仏教が生じたものなのだ。
しかし、ゴータマ・シッダールタが如何に偉大なブッダ、
法を悟られた人であったにせよ、超人的な存在などでは
有り得ない。
ブッダ(仏陀)の本義からすれば、人は仏には成れるが、
神には成れないのである。

にも拘わらず、仏教徒がブッダ・ゴータマ・シッダールタを
「お釈迦様」「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」
「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」「釈迦牟尼如来
(しゃかむににょらい)」……略して釈尊(しゃくそん)
と呼ぶ時、イメージしているのは、「神」の概念である。


ゴータマ・シッダールタの死後100年程で、インド仏教は
教義論争の為に分裂が起こり、教団は20部に分派した。
更にゴータマ・シッダールタの死後500~600年程の
紀元後1世紀後半~2世紀に大乗運動がインドで展開され、
「般若経」「華厳経」「維摩経」「法華経」「大無量寿経」
「浄土経」などの基本的大乗経典が創作されたのである。

これらの大乗経典は、文献学的には明らかに、歴史上の
ゴータマ・シッダールタが説いたものではない。
ブッダ・ゴータマ・シッダールタに仮託された思想文学であり、
悪意を込めて言えば、経典が捏造されたのであり、大乗仏典は
総べて偽経なのである。

西洋哲学史に譬えるならば、アリストテレスの哲学も、
カントの哲学、ヘーゲル哲学、西田哲学に至るまでも、
総べてをプラトン哲学と称するが如きものである。


中国に仏教が伝わったのは、2B.C.(元寿1年)頃とも
A.C.67年(永年10)とも言われているが、その最盛期は
8世紀頃で、インドで創作された仏典、ヒンドゥー教や
ゾロアスター教など異教の教典類までをも混じえながら、
中国で翻訳、編纂されたのである。



「日本書紀」に依れば、日本に仏教が伝来したのは、
飛鳥時代の552年(欽明天皇13年)に百済の聖明王から、
仏像と経論類が献上された時だとされているが、
538年説もある。
ゴータマ・シッダールタの死後、900年以上を経て、
歴史上のブッダ・ゴータマ・シッダールタが説いた
教説とは似ても似つかぬ宗教が、仏像という神像を
伴って、日本に伝来したのである。

朝廷では、仏教を信仰すべきか否かの議論が行われ、
物部尾輿と中臣鎌子らは神徒として、仏教に反対し、
蘇我稲目は、「西の国々はみんな仏教を信じている。
日本もどうして信じないでおれようか」として、
仏教に帰依し、天皇は蘇我家に仏像と経論類を
下げ与え、稲目は私邸を寺として仏像を拝んだという。
この最初の時点から、日本人は「仏」を外国から来た
「神」として、認識したのである。

こうして、日本に伝来した仏教は大乗仏教であり、
奈良時代に南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、
華厳宗、律宗)として栄え、平安時代には最澄の天台宗、
空海の真言宗がこれらを凌駕して興隆し、鎌倉時代には、
法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、日蓮の日蓮宗、
栄西の臨済宗、道元の曹洞宗などが発生した。

江戸時代には儒教の隆盛とともに衰え、幕府が宗教統制の一環
として、主にキリシタン禁制、日蓮宗不受不施派の排斥の為、
キリシタンではないことを寺院に証明させる制度、寺請制度
(てらうけせいど)で、宗門人別改帳など住民調査の一端も
担い、人民統制に加担しながら、辛うじて命脈を保ったに
過ぎないのである。

大乗仏教には末法思想というものがある。
仏教に於ける予言思想の一種で、ブッダの立教以来、最初の
1,000年の時代を正法(しょうぼう)、次の1,000年を像法
(ぞうぼう)、それ以降を末法として、ブッダの教えが衰退し、
正しく行われなくなるという史観である。

鎌倉仏教なども末法思想を基盤にして、成立している。
末法の世ではブッダ=釈迦の教えが通用しないことを
大前提として、現代でも興隆している浄土系も法華系も、
釈迦仏法を否定した上で立教しているのである。
しかし、この末法思想は「大方等大集経」を典拠とした
もので、釈迦の教えではない。
「末法だから……」という言い訳を抜きにして、
成り立っている宗派など有りはしない。

日本の仏教諸派は、釈迦仏法を否定するにも、
釈迦の教説ではない偽経を典拠として、
釈迦の教説ではない末法思想を根拠として、
それでも、釈迦がこう予言されたからとして、
釈迦の権威を以って、初めて成り立っているのである。

このように、日本の仏教は総べて虚構の教義体系で
成立している砂上の楼閣に過ぎないのである。



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