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虚妄の仏教② …神仏習合

 2011-10-09
虚妄の仏教② …神仏習合 



飛鳥時代の552年(538年説あり)に仏教が伝来して、
日本の人々は「仏」を「蕃神(となりのくにのかみ)」として、
日本の神々と同質の存在として認識し、受け入れたようだ。
「同質の存在として認識」したであろうことは、日本で最初に
出家して、仏に仕えたのは神道の巫女のように、女性であった
ことも傍証になるのではないだろうか。

仏教を受容した我が国には、日本の風土に於ける素朴な
自然崇拝から始まったと考えられる固有の民族宗教、
神道(しんとう)があった。
もともと「神道」という言葉は中国語で「易経」にあり、
「霊妙不可思議な自然の法則」という意味である。
「神道」という言葉は奈良時代、仏教に対抗し、「日本書紀」に
初めて用いられた用語で、本来は「古道(こどう)」という。



そもそも、仏教の影響を受ける以前の「神社(もり)」
「社(やしろ、もり)」とは、ご神霊の降臨される「場所」で、
神々の聖なる空間と人間の俗なる空間の境界に「境木=榊」
を立てて区別した、聖なるも単なる空間そのものであった。
神々を祀る為に設けられた建物を意味しなかったのだ。

また、神道は教祖も教典も教義も持たない宗教である上、
神道に於ける「神」とは「尋常ではない霊威を発するもの」
(江戸時代の国学者 本居宣長の神の定義)として在り、
肉眼では見ることが出来ない、姿を現わさない神であり、
「磐座(いわくら)」と呼ぶ石や山そのもの、ご神木などの
自然物にご神霊が降臨され、依り付くと考えられていたので、
仏像のような神像は持たなかった。

そのような宗教事情であった日本に、煌びやかな仏像や
教典類を伴って、大伽藍の寺院が建造されたのであるから、
人々はビジュアル的にも圧倒され、さすがは先進国の神、
「蕃神(となりのくにのかみ)」であると、さぞや大きな
カルチャーショックを受けたであろうことは想像に難くない。

伊勢1

このような状況下で、仏教側が勢力拡大の為、神道の
取り込みが始まった。
先ずは「神身離脱説」という思想を説いたのである。
「日本の神も人間と同じように、輪廻の中で煩悩に
苦しんでいる身であり、仏法に依って救済される。
日本の神は、神身を離れて、仏法に帰依し、その迷い、
苦しみから逃れることを願っている」というものである。
随分と居丈高に出て来てくれたものだが、神をも救済して
下さるという「仏」の実体とは何だというのだろうか。
神宮寺、神護寺などと呼ばれる寺院は、このような神の為に
建立されたものである。


次には「護法善神説」というものが説かれた。
護法善神とは、仏教を擁護する神のことであるが、
日本の神々が、仏教及び寺院を守る神であるというのである。
寺院内に鎮守社が勧請(かんじょう:神社の祭神の分霊を
他の社地に請じて、お祀りすること)されたのがこれである。

仏教に於ける守護神の護法善神は元々、バラモン教
(古代のヒンドゥー教)の神々、毘沙門天やら、大黒天、梵天
弁才天、金剛力士などなのであるから、そちらに守って貰えば
良いではないかという話である。


いよいよ、平安時代になると、仏教勢力の増長もピークを迎え、
「本地垂迹説」が登場した。
仏・菩薩は日本の神々の真の姿(本地:ほんち)であり、
八百万(やおよろず:数が極めて多いこと)の神々は、
仏・菩薩が衆生を助ける為に仮の姿(垂迹:すいじゃく)、
つまり権現(ごんげん)となって、日本の地に現われたもの
であるというのである。

この様に、日本の神々と仏は、仏を優位とした関係性で、
神道の信仰と仏教信仰が折衷され、「神仏習合」と呼ばれる
特異な信仰体系が構築されて行ったのだ。

この「神仏習合」の思想は、明治時代の神仏分離を経ても
極端には衰えることなく、現代の日本人の精神構造に影響を
及ぼし続けているのではないだろうか。

伊勢2

勿論、神仏習合時代に、神道側が全面降伏していて、
反動がなかったという訳ではない。

鎌倉時代から南北朝時代に掛けて、「本地垂迹説」の逆で、
「神本仏迹説」という神道説が形成された。
伊勢神宮の外宮(げぐう)の神官 渡会(わたらい)氏
に依って唱えられた伊勢神道の理論で、「神道の神こそ、
本来の姿(本地)で、仏は神の仮の姿(垂迹)である」
という説である。
昭和20年代に、この「神本仏迹説」を唱えたN宗の僧侶が、
巨大な信徒団体S会からリンチを受けた事件もあったほどに、
仏教勢力としては認められない神道理論なのである。

また、神道側としては、神事と仏事を厳格に区別する「神仏隔離」
の思想は堅持していたようである。
伊勢神宮では仏教用語を「忌み詞(いみことば)」として避け、
朝廷では、宮中祭祀の期間は仏教行事を停止するなど、
神祭りの場からは仏教臭を遠ざけて、仏教との区別を厳密に
していたようである。


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