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虚妄の仏教⑤ …日蓮「法華経正意論」の破綻

 2011-10-09
虚妄の仏教⑤

…日蓮「法華経正意論」の破綻


法華経絵巻A400


「無量義経(むりょうぎきょう)」という大乗仏教経典がある。

「無量義経」を「開経(かいきょう)」(=プロローグ)
「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)=法華経」を
「本経」、
「仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつかんふげんぼさつ
ぎょうぼうきょう)」を「結経」(=エピローグ)
とする枠組み「法華三部経」(ほっけさんぶきょう)の中で、
第一部としての位置付けで扱われる。

この「無量義経」に、
「四十余年・未顕真実(みけんじんじつ)」という語がある。
釈尊は、一代五十年の間、お弟子達に対して説教されたが、
法華経を説く「以前」の経文は釈尊の本意ではなく、真実では
ないとする「法華経正意論」の論拠となる箇所である。
本来、この「法華経以前」という語は意味を成さないのだが。

勿論、大乗仏教経典群は総べて、釈尊の直説ではなく、
釈尊入滅後、500年程もの長い長い歳月を経た段階で
創作された、釈尊に仮託された文学作品であるから、
空想の物語であり、偽経であり、「法華経」の中の
「久遠本仏」「観音菩薩」等々、「華厳経」の「盧遮那仏」、
「大日経」の「大日如来」、浄土経典の「阿弥陀如来」等、
総べては「架空」の存在である。
「観念」世界での物語であって、歴史的事実でもなく、
その実体も有りはしないのである。


しかし、鎌倉時代の日蓮は飽くまでも「法華経は釈尊の直説」
という前提で論を展開し、教義を構築している訳だから、
現代に於ける末弟の日蓮系諸宗も「四十余年・未顕真実」という
この「無量義経」の一文をもって「法華経は最高の経典」と
位置付け、他の仏教諸宗派を「真言亡国(しんごんぼうこく)」
「禅天魔(ぜんてんま)」「念仏無間(ねんぶつむげん)」
「律国賊(りつこくぞく)」などと邪教呼ばわりしては、
憚るところを知らないのである。

法華経巻物A400


以下は、S会を含む日蓮系諸宗のほぼ統一見解である。

『釈尊は、初めから法華経を説くことが目的であったが、
人々の性質や理解力が成熟していないので、法華経の教えが
理解出来る境地まで、人々の気持ちを育て上げる為に、
「華厳経(けごんきょう)」、「阿弥陀経(あみだきょう)」、
「大日経(だいにちきょう)」、「般若経(はんにゃきょう)」等、
沢山のお経を説かれた。
このように、比較的解り易い小乗仏教から次第に順序を経て、
高度な大乗仏教へと導かれた。
そうして、四十余年、人々の気持ちが成長して、法華経を
説いても良いという時になって、初めて出世の本懐を果たす為、
遂に釈尊のご本意である「法華経」を説かれた。

「法華経」以外のお経では、我々凡夫(ぼんぶ)は罪障が深く、
修行もなかなか出来ないから、仏になれないとか、自己の智に
依って、他者の為に尽くさない独り善がりの人々や、
父母を殺したり、正法(しょうぼう)を謗る悪人や、
邪念の多い人はどのように修行しても到底、仏になることは
出来ないと説かれている。
しかし、「法華経」の教えは、如何なる人々も菩薩行(ぼさつぎょう)
の実践に依って、悉く最高の聖者である仏になることが出来ると
説かれるのであるから、「法華経」こそが釈尊のご本意なのである。

菩薩行の中でも「布施行(ふせぎょう)」を行なうことは、
「令法久住(りょうぼうくじゅう)」といい、「法華経」をこの世界に
永久に留めることになるのであるから、「金を出せ♪」。

釈尊から、「法華経」でなければ、成仏出来ないと聞かされ、
智慧第一の舎利弗を始め、多聞第一と言われた阿難、
神通第一の目連などの十大弟子を含めて、多くの弟子達は、
今まで信じていた方便の教え(念仏・真言・禅・律)を
正直に捨てて(正直捨方便)、素直に「法華経」を信解した。

仏教の教主釈尊が80歳で涅槃(ねはん)に入られ、
弟子達も皆亡くなった後、法華経の「仏種」を絶やしては
ならないと考える人が現われ、竜樹菩薩と天親菩薩が、
「法華経」を後世に伝える為に、それぞれ「法華経論」を著して、
「法華経」の尊い理由を説明し、法華信仰を皆に勧められた。

「法華経」は、大乗仏教の真髄・仏教の生命・仏教の魂魄として
説かれた「仏種」の経典であるから、一切経(いっさいきょう)
すなわち全仏教経典の中から、「法華経」を抜き取ってしまえば、
後は「蝉の抜け殻」同様になるのである』


真言宗も浄土宗、浄土真宗、禅宗も皆、「蝉の抜け殻」だそうな。



『例えば、塔を建てると仮定する。
塔を建てる為には足場が必要であるが、この足場は塔を建てる為に
仮りに造ったものであるから、目的の塔が出来上がれば取り除く。
真実の「法華経」という立派な塔が現われれば、仮に造った足場
である方便のお経、「法華経以外の全仏教経典」は必要が無くなる
訳であるから、取り除かねばならない道理である。


法華経「以前」に説かれた総べてのお経を「方便の権経」と呼ぶ。
「権(ごん)」とは仮りという意味で、「権」大納言や「権」講師
などという階級も、大納言または、講師に昇進する為の仮の手段と
して定められたもので、「権」の付いている間は、本物ではない。
登記でも、仮登記では所有権が本登記に及ばないのと同じように、
「権経」とは、真実を説くための「仮の方便のお経」の意味である』
 

こういうお伽話が、日蓮系諸宗の「法華経は最高の経典」と主張し、
他の仏教諸宗派を睥睨し、邪教扱いで誹謗中傷する論拠なのである。


更に、『「法華経」には、末法の時代に釈尊の使者として、
地涌(じゆ)の上首(じょうしゅ)上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)
(=日蓮)が出現し、「法華経」を広めて、民衆を救済すると
説かれているとして、日蓮本仏論が形成されているのである。
末法の時代には、衆生(しゅじょう)は本心を失った重病人同様
であるから、「法華経」の大良薬(だいろうやく)の教えでなければ、
救われない』というのである。


「法華経」信仰を宣揚する理論的基盤は、虚構に過ぎないのである。
日蓮教義は、虚妄の大義「法華経正意論」に基づくものであるから、
歴史的事実としての大乗仏教経典群の成立事情に鑑みて、
日蓮教義は論理破綻を起こしており、通用しないのである。

にも拘らず、「五十歩百歩」の日蓮系諸宗が他の仏教諸宗派を
邪教呼ばわりして来た歴史は、まさに「猿の尻笑い」であり、
「蝙蝠が燕を笑う」「青柿が熟柿弔う」「樽抜き渋柿を笑う」
「鍋が釜を黒いと言う」「目糞鼻糞を笑う」所業なのである。


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