華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 宮澤賢治の「雨ニモマケズ」① …「ヒドリ」は書き損じなのか?

宮澤賢治の「雨ニモマケズ」① …「ヒドリ」は書き損じなのか?









宮澤賢治の「雨ニモマケズ」① 

…「ヒドリ」は書き損じなのか?



宮澤賢治の「雨ニモマケズ」で「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」の
「ヒデリ」は「雨ニモマケズ手帳」の原文には「ヒドリ」と書いてあるが、
没後最初の公表時から編集者が誤記と見做し、「ヒデリ」と校訂されて、
今日に至っていることは良く知られている。
この「ヒデリ」を、旱魃の「旱」(長い間、雨が降らずに水が涸れること)と
捉えるか、単に「日照り」(日が照ること)と捉えるかで、何故「涙を流し」
なのか、ニュアンスが違って来るが、定説である「ヒデリの誤記」説では、
この「ヒデリ」を「過酷な日照り」「旱魃」と見做していることになる。


この「ヒデリの誤記」説は、詩「毘沙門天の宝庫」の草稿に「旱魃」の語のルビ
を先ず「ひど」と書いた上で、「ど」を「で」に書き直し、「り」を書き加えて
「ひでり」としている箇所があることから、賢治には「ヒデリ」を「ヒドリ」
と書き誤りがちな書き癖があった可能性が高いと全集編集者に指摘されている
だけに、実証的な説得力がある。


賢治1


この「ヒデリの誤記」説には異論もある。
賢治の「雨ニモマケズ」が、岩手日報に初めて公表されてから55年を経た
1989年10月9日付讀賣新聞紙上で当時の財団法人宮沢賢治記念会理事長が、
「『ヒドリ』とは、岩手の方言で『小作人の日雇い給金』の意味で、『ヒデリ』
は原文のままに『ヒドリ』とすべきである」とする解釈を発表し、論議を呼んだ。
花巻南部では、小作人の日雇い仕事での稼ぎを「ヒドリ」と呼んでいたという。
「ヒドリ」は「旱魃の日照り」ではなく、日雇い仕事の「日取り」であり、
「日雇い稼ぎに出ざるを得ないような厳しい暮らし向きの時」と読むべきで
あるというものである。

しかし、この「雨ニモマケズ」では、全体に対偶的な修辞法が用いられており、
「雨」と「風」、「雪」と「夏の暑さ」、東西南北と対句で綴られているので、
気候と関連した「寒さの夏」の対句として、「日雇い仕事の日取り」では均衡
を崩すことになる。
また、「日取り」の場合、「涙を流す」のが賢治であるとすれば、「日取り」を
するのが賢治でなく、農民であるとすると、主語と述語の関係がおかしいこと
になる。


賢治3
※画像は、無料写真素材「写真AC」様のHP依り、拝借。


更なる異論として、「雨ニモマケズ手帳」の研究家には「『ヒドリ』は
『ヒトリ』の書き間違いで、「一人の時は涙を流し」と解釈すべきとの説を
為す方もいらっしゃるが、この場合も対偶的な修辞法からして、「寒さの夏」
の対照として「一人」もしくは「独り」はそぐわないと思われる。

また、夏ならば、日照りは豊作の予兆であるから、「日照りの時は涙を流し」
というのはおかしいのではないか、という指摘も地元の農民から出ているが、
賢治自身が複数の作品の中で、過剰な日照りに依る旱魃への恐れを取り上げて
いる事実がある。
大正15年(1929年)、30歳の賢治も情報を知り得たであろう、花巻に隣接
する紫波(しわ)郡で、旱魃被害が凄まじい惨状を呈したという記録もある。
年譜に依ると、昭和3年の7月から8月に掛けて、賢治は過剰な日照りに依る
稲熱(いもち)病や旱魃対策に奔走しているという行動面での例もあること
から、この農家にとって、日照は重要で歓迎すべきことであるから…という
理由は、「日照り」説を退ける根拠としては弱いであろう。


私が小学生の頃であったか、中学生になってからであったか、
この「雨ニモマケズ」を最初に読んだ時、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」の
表現の第一印象では生意気にも、大袈裟で偽善的だと感じたものであった。
当時の私の解釈では、「旱魃」で水が干上がってしまったことを嘆き悲しんで
涙を流し、その涙で田畑を潤して上げたい」という表現と捉えた。
私が「偽善的」と感じてしまったのは小学生当時、親が「猛々しい偽善者の
製造工場」のような巨大な日蓮系カルト教団に入会し、私も否応無しに巻き
込まれ、愚かしい宗教教育を受けていたことと関わりがあったのだろうと
思われる。


賢治4
※画像は、無料写真素材「写真AC」様のHP依り、拝借。


2004年9月14日付盛岡タイムスの記事
「盛岡弁に隠された先人の英知に迫る」に、
「方言『ヒドリ』は、……、盛岡から南方面、矢巾、日詰、石鳥谷、大迫、
花巻の似内(にたない)で昔使われた方言で、カンカン照りの猛暑が10日も
続き、空気が極端に乾燥状態になり、戸板などが反り返ったり、日中数時間も
戸外におれば、汗が目に入って目がすごく痛くなり、目が真っ赤に充血する
一種の日射病に近い目の炎症になり、涙がボロボロと流れて苦しくなると話し、
このような炎症になることを別に『ヒドリマゲ』とも言い、今でも「カンカン
虫(電気溶接者)」は、電気溶接のとき保護メガネ無しで強烈なスパークを裸眼
で何度も見れば5~10時間後に目が真っ赤に充血して痛くなり涙がボロボロと
出る炎症になるから、今も使うよ」とあり、それを聞いた賢治の弟清六氏と、
清六氏と共に長らく賢治全集の編集に深く携わった森佐一(森荘已池)氏
の両氏が、「『ヒドリ』の意味が不明で、長年疑問視していた。……
そうかこれで疑問が一気に氷解した」と喜ばれたとある。

この「ヒドリマゲ」は「日照り負け」ということであろうか。
これが事実であるとするならば、方言「ヒドリ」はそのままで標準語「ヒデリ」
と同意ということになる。
賢治は、詩「毘沙門天の宝庫」の草稿などの「旱魃」のルビを「ヒドリ」と
書き損じたものを「ヒデリ」と書き直していたのではなくて、方言で書いて
しまったものを標準語に直していたということなのではないだろうか。

岩手の方言は山越えると変わるので、言葉が通じないと言われたほど、
複雑で、盛岡弁、花巻弁、遠野弁、閉伊弁、二戸弁、久慈弁、伊達弁、
西和賀弁、気仙弁…と細分化した分類が必要とも言われている。
但し、賢治の生活圏であった盛岡から花巻に掛けての一帯は、東北で一番
訛りが薄いとも言われているようである。
賢治の弟清六氏は「兄は盛岡弁も花巻弁も方言の良い面を選択して、
ピチッと使い分けており、凄いな」と語ったという。


宮澤清六氏
晩年の宮澤清六氏
※画像は、龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター様の
HP依り、拝借。


「旱魃で、水が干上がってしまったことを嘆き悲しんで涙を流す」のと、
「酷暑が続き、目が日照り負け(ヒドリマゲ)して、涙を流す」のとでは
「涙を流す」理由が違って来る。
少年時代、最初に読んだ時の第一印象で、この部分の表現が大袈裟で偽善的
と感じた私としては、「ヒドリマゲ(日照り負け)」の「ヒドリ」で涙を流すと
いう方が、シックリ来る気がする。

「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」と対照を為す次の行
「サムサノナツハオロオロアルキ」は賢治が農業指導者として、冷害を心配し、
農家を一軒一軒、訪問指導している様子を表現しているのだろう。
昭和6年(1931年)、賢治35歳の年、岩手県は冷害豪雨の為、凶作であった
という。


賢治5
※画像は、無料写真素材「写真AC」様のHP依り、拝借。


前記の盛岡タイムスの記事には、
「……宮澤賢治先生の『雨ニモマケズ』でがんす。
賢治先生の作品は盛岡弁と花巻弁、仏教語から派生した盛岡弁も巧みに
使い分げでいるがら、賢治作品の心を解読するには、盛岡弁と花巻弁の
微妙な違いを理解していないと不可能でがんす。
県外の賢治研究者は、方言を蔑視、軽蔑して深く追究しないで
共通語的に解釈するから、ときには方向違いの解釈を犯してやんす。

……賢治研究者は「ヒデリ(日照り)」と解釈し、賢治の誤記でミスだと
断言している。
教科書にも「雨ニモマケズ」は「ヒデリ(日照り)」と校正追加文で
書かれている。
……方言の解釈は、その土地の風習風土から生まれた言葉(方言)や、
通称の土地名など熟知しないと正しい意味がくみ取れないもの。
他県の賢治研究者は方言の発音語呂を共通語に結び付けて意味を重ね合わせて、
自己流に解釈された見本だと、両氏がはっきりと言っていやんした。

賢治研究者が「ヒドリ」を「ヒデリ(日照り)」と解釈し、賢治の誤記で
ミスだと断言して追加訂正までしている。
教科書にも「雨ニモマケズ」は「ヒデリ(日照り)」と書かれているが、
原書原文のまま「ヒドリ」に復権させて、正しい語句と意味の賢治作品を
受け継がせたいと提唱しやんす」とある。

しかし、そもそも「雨ニモマケズ」は賢治自身が標準語で書いている。
その中に、ポツンと花巻南部で使われていたという方言「ヒドリ」が
記されていることの方が異様であり、意図的にこの箇所にだけ敢えて方言
「ヒドリ」を用いねばならなかったという必然性は考え難い。
此処はやはり定説通り、方言「ヒドリ」を標準語「ヒデリ(日照り)」に
校訂して、賢治の愛念溢れる優しき心、清らかで気高い魂を、後世の生徒
である私たちが素直に受け取るということで良いのではないかと思われる。
但し、賢治が「ヒデリ」を「ヒドリ」と書き損じたということではなくて、
単に、方言の「ヒドリ(日照り)」を標準語の「ヒデリ(日照り)」に直し
忘れたという風に解釈した方が良いのではないだろうか。


賢治7愛隣館
花巻市桜町4丁目 雨ニモマケズ詩碑
※画像は、花巻温泉郷 愛隣館様のHP依り、拝借。


因みに、賢治ファンにとっては聖地とも言える、花巻市桜町4丁目
羅須地人協会跡地に昭和11年に建立された「賢治詩碑」には、
「雨ニモマケズ」の後半部分が高村光太郎の揮毫で刻んであるが、
「ヒデリ」と校訂されたものが記されている。

一方、2002年、岩手県気仙郡住田町世田米の瀬音橋畔に建立された
「雨ニモマケズ」の詩碑には、「ヒドリ」を「ヒデリ」に校訂せず、
賢治が「雨ニモマケズ手帳」に記した通り、「ヒドリ」と刻んであるという。
それもまた善き哉!善き哉!








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2011/11/07 17:08 | 岩手県賛歌COMMENT(5)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

寛大なるお言葉を有難うございます。



鈴木 守様

寛大なるお言葉を頂戴致しまして、真にどうも有難うございます。
貴方様の懐深きお人柄に、頗る感服致しました。

過ちを正して下さる御方は、私を善導して下さる、有り難き存在であります。
衷心より感謝致します。
どうも有難うございました。



No:324 2015/10/04 09:41 | 詠山 史純 #- URL [ 編集 ]

いえ、お断りいただければ結構ですよ

詠山 史純 様
 お早うございます。
 いえ、私は無断で使っていただくのは、という意味でしたので、出処を付記してもらえばお使いいただいて結構ですよ。
                                                                  鈴木 守

No:323 2015/10/03 09:38 | 鈴木 守 #- URL [ 編集 ]

鈴木守様に深くお詫び申し上げます。



鈴木守様に深くお詫び申し上げます。

2011年11月7日付、当ブログ「華やぐ日々よ」の拙文『宮澤賢治の
「雨ニモマケズ」①…「ヒドリ」は書き損じなのか?』に於きまして、
鈴木守様管理のブログ「みちのくの山野草」掲載のお写真を無断借用致す仕儀と
相成りましたことを、衷心よりお詫び申し上げます。


私の安易な写真検索、道徳心の欠如に依り、鈴木守様の権利を侵害致しました
ことを深くお詫び申し上げ、ご指摘の当該記事に於ける写真削除を以ちまして、
お詫びの徴とさせて頂きたいと存じます。

大変に失礼致しました。
誠に誠に申し訳ございません。
どうか何卒、ご寛恕の程、お願い申し上げます。

No:322 2015/10/03 00:31 | 詠山 史純 #- URL [ 編集 ]

無断で使用しないで下さい

 平成27年10月2日(金)
 私はブログ『みちのくの山野草』の管理者です。無断借用と思われるようなことはご遠慮下さい。 鈴木 守 
 

No:321 2015/10/02 22:31 | 鈴木 守 #- URL [ 編集 ]

「雨ニモマケズ」は原文通りに!

新旧仮名使いも含めて原文通りに記述するのことが正しいと思います。個人の解釈でかってに校訂など本末転倒、作者に対する冒とくでです。もし校訂した場合は、その理由の説明と「校訂者名」を併記すべきです。
ヒドリ論争とは、「ヒドリ(正)」と書かれたものを、①方言として解釈するのか、②「ヒドリ」は間違いで「ヒデリ(日照り)」が正しい記述・解釈とするのか?・・・であると思います。

No:186 2015/01/16 15:48 | 折居 #41Gd1xPo URL [ 編集 ]

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