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宮澤賢治の「雨ニモマケズ」② …文字曼荼羅は不可分か?

 2011-11-09
宮澤賢治の「雨ニモマケズ」②
 
…文字曼荼羅は不可分か?



「雨ニモマケズ」は「雨ニモマケズ手帳」の51ページから59ページに
記され、次の60ページ目、見開きの左側に略式文字曼荼羅の模式図が
書かれていることは良く知られている。


      「雨ニモマケズ手帳」(複製)59ページと60ページ

「法華経」は第一に大乗仏教経典「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」
漢訳の「総称」であり、第二に鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」の略称でもあって、
正式な経典名ではない。
法華経完訳は6種類あったというが、現存するのは3種類のみで、三存三欠
(六訳三存)と言われる。
それぞれの経典名は、
●「法華三昧経」(欠)六巻 正無畏訳 ●「薩芸芬陀利経」(欠)六巻 法護訳
●「正法華経」十巻 法護訳      ●「方等法華経」(欠)五巻 支道林訳
●「妙法蓮華経」八巻 鳩摩羅什訳   ●「添品法華経」七巻 闍那崛多・
達磨笈多共訳 で、
賢治の読んだ法華経は、鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」である。

経巻B400

法華経巻物A400

日蓮系諸教団が礼拝の対象とする文字曼荼羅は、密教の密具「胎蔵界曼荼羅」
を模したものである。
「法華経=妙法蓮華経」に帰依する、帰命する(南無する)という意味の
「南無妙法蓮華経」と呪文を唱えること自体が密教の真言(マントラ)
そのものである。

密教では曼荼羅に向かい、手に印を結び、口に真言を唱え、心に「大日如来」
を描いて、「入我我入」の境地を目指す。
密教の本尊である「大日如来」を「大宇宙の生命そのもの」と捉え、
その「大日如来という大宇宙の生命」が、「自分の生命」でもあるとするのは、
古代インドの宗教体系(古代ヒンドゥ教=バラモン教)の「梵我一如」、
「梵=ブラフマン」と「我=アートマン」との関係性そのものである。
「大日如来」という仏教の表現を取りながら、「梵我一如」という古代インドの
伝統的な宗教観を内実としているというのが密教なのである。
密教の行者が手に印を結び、口に真言を唱え、心に「大日如来」を描くという、
身口意(しんくい)による三密を実践し、大宇宙と一体化して、逆に宇宙の
本体を動かして行くことが出来るという理屈である。
翻って、日蓮の信者は、文字曼荼羅に向かって、合掌し、法華経のタイトル
(首題、題目)を唱え、虚空会の儀式(あるいは久遠の本仏)を心に描いて、
「境智冥合」するという事相に於いて、密教と全く同様であり、法華経こそが
釈尊一代に亘る最勝の教えであるどころか、内実は仏教とさえ言い難い。

密教曼荼羅400
                    密教曼荼羅

そもそも、「雨ニモマケズ」は、賢治が読み手を意識して書いた「詩」である
のか、否かさえ断定し難いものがある。
日蓮が信解、知解したところの法華経、その信行者としての信仰告白や祈りの
表白のようなものであったかも知れないし、信仰以前の本然的な心情の迸りで
あったかも知れない。
何れにせよ、天才詩人の性として、賢治は詩という形式に整えずにはいられ
なかったに違いない。

そういうことから、この「雨ニモマケズ」は、昭和19年9月、東京女子大学で
「今日の心構え」というテーマの講演を行なった、法政大学文学部哲学科教授
谷川徹三氏(詩人谷川俊太郎氏の父君)のように、
「この詩を私は、明治以後の日本人の作った凡ゆる詩の中で、最高の詩である
と思っています。もっと美しい詩、或はもっと深い詩といふものはあるかも
知れない。しかし、その精神の高さに於いて、これに比べ得る詩を、私は知らない
のであります」と絶賛する人もあれば、その一方、詩人中村稔氏のように、
文芸的価値としては、「ふと書き落とした過失のように思われる」駄作であると
評する向きもあり、その評価は両極に分かれるところであるが、圧倒的大多数の
読者達に、老若男女を問わず、深い感動を与え続けている現実がある。


大正9年、賢治が国柱会に入会した際に授与された、
田中智学氏書写の文字曼荼羅の相貌



通常、略式文字曼荼羅の模式図の部分、
「  南無無辺行菩薩
  南無上行菩薩
 南無多宝如来
南無妙法蓮華経
 南無釈迦牟尼佛
  南無浄行菩薩
   南無安立行菩薩 」は、
詩「雨ニモマケズ」の一部として、扱われてはいないが、賢治の法華経信仰を
重視する向きは、「雨ニモマケズ」の「ミンナニデクノボートヨバレ」の
「デクノボー」は、法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる「常不軽菩薩」を
意味することからも、「法華経を理解しない限り、この詩の意味は解らない」
「『雨ニモマケズ』は文字曼荼羅の解釈であり、眼目である」という見地から、
文字曼荼羅を欠いた「雨ニモマケズ」は意味を成さず、文字曼荼羅まで読む
必要があるという説を為す。

尤も、文字曼荼羅と言っても、略式も良いところで、中央に首題、その脇士に
釈迦牟尼仏、多宝如来と四菩薩を配しただけのものである。
賢治はこの「雨ニモマケズ」に続く60ページの文字曼荼羅以外にも、4ページ、
149・150ページ、153・154ページ、155・156ページの4ヶ所に、座配や
勧請内容が違い、相貌(そうみょう)の異なる図を描いている。

賢治は、その内実はともかくとしても終生、国柱会の会員であり続けた
訳であるが、一般的な日蓮宗系信者は自ら、信仰の対境である本尊と尊敬
(そんぎょう)する文字曼荼羅の書写やその真似事は、ご本尊様に対する
ご不敬に当たる、畏れ多いという心情から、先ずは行なわないものである。
首題と釈迦多宝、四菩薩、大毘沙門天王、大持国天王に限られるとは言え、
何を思って書写していたのか、その宗教的境地は測り難い。
首題を中央に配していない図や釈迦牟尼仏、多宝如来を勧請していない図、
安立行菩薩を二重に勧請している図など、法華曼荼羅の模式図としては、
日蓮教学上の錯誤が見て取れる。
日蓮宗系在家教団である国柱会の創設者田中智学氏は元日蓮宗僧侶とは言え、
19歳で還俗していた在家の身で、日蓮の「佐渡始顕の妙法曼荼羅」を模写し、
本尊として下付していた教団の信仰環境から、賢治の曼荼羅模写に関する
感覚が、出家在家の領分を弁える、宗門の檀信徒とは大きな相違があったの
かも知れない。

総在寺詩碑400
  静岡県裾野市深良の法華宗本門流総在寺境内に在る「雨ニモマケズ」詩碑

神奈川県鎌倉市長谷の日蓮宗古刹光則寺境内、静岡県裾野市深良の法華宗
本門流総在寺境内などにある「雨ニモマケズ」詩碑には、文字曼荼羅も一緒に
刻まれているが、法華経系寺院としては当然の判断であろう。
しかし、文字曼荼羅を「雨ニモマケズ」の一部として読むべしと主張する人は、
文字曼荼羅をどう読んでいるのか、どの順番で読んでいるのか甚だ疑問である。
まさか、賢治が手帳に書いた順番に右から「南無無辺行菩薩、南無上行菩薩、
南無多宝如来…」と読むなどとは言うまい。
文字曼荼羅の部分は、同時同一的に全てが存在するものとして、密教曼荼羅の
ように、絵画的な図として捉えるべきなのである。
目で追うだけなら、どうぞお好きな順番にというところであるが、朗読すると
なると、日蓮教学的には首題である「南無妙法蓮華経」を最初に読む以外に
選択の余地はないのだ。
次は教義的にも、左右優劣を考慮に入れても、「南無釈迦牟尼仏」のはずで、
次は首題の左側、向かって右側に行って「南無多宝如来」、次は信仰心情から
して「南無上行菩薩」と行きたいところであるが、首題の右側、向かって左側
の「南無浄行菩薩」に行かないと理屈に合わないことになる。

つまり、賢治はこの文字曼荼羅を「雨ニモマケズ」の一部として、読む為、
読ませる為に記したものではないということである。
そうでなければ、あの「雨ニモマケズ手帳」の60ページには、右から順に
「南無妙法蓮華経」「南無釈迦牟尼仏」「南無多宝如来」……と書いて
いなければ、おかしいのである。

その傍証として、賢治は「雨ニモマケズ手帳」の155・156ページに、
「南無妙法蓮華経」
「南無上行菩薩」
「南無浄行菩薩」
「南無無辺行菩薩」
「南無安立行菩薩」
  「安立行」
と記している。
首題である「南無妙法蓮華経」を中央に配していない文字曼荼羅の相貌は
有り得ず、「南無釈迦牟尼仏」も「南無多宝如来」も勧請していないのは
妙なもので、これは曼荼羅の模式図として描いたものではなくて、読むべき
順序を考慮に入れて、右から左へと記されたものであるに違いない。
手帳60ページに、仏菩薩がこのような序列で書かれていたならば、
一体不可分のものとして、読むべきであるかも知れないが、実際には
そうなってはいないのだ。

結論として、手帳60ページに記された文字曼荼羅の模式図は、賢治が
「雨ニモマケズ」の一部として書いたものではなくて、別物の「図」として
捉えるべきもので、読むものではなく、同時同一的な存在として「観る」べき
ものということである。

ゴータマ・ブッダ説法図400

因みに、ゴータマ・シッダールタ(釈尊)の死後100年程で、インド仏教は
教義論争の為に分裂が起こり、教団は20部に分派した。
更にゴータマ・シッダールタの死後500~600年程の紀元後1世紀後半~2世紀
に大乗運動がインドで展開され、「般若経」「華厳経」「維摩経」「法華経」
「大無量寿経」「浄土経」などの基本的大乗経典が創作されたのである。
これらの大乗経典は文献学的には明らかに、歴史上のゴータマ・シッダールタ
が説いたものではない。
ブッダ・ゴータマ・シッダールタに仮託された思想文学であり、悪意を込めて
言えば、経典が捏造されたのであり、大乗仏典は総べて偽経なのである。
西洋哲学史に譬えるならば、アリストテレスの哲学もカントの哲学、ヘーゲル
哲学、西田哲学に至るまでも総べてをプラトン哲学と称するようなものである。

中国に仏教が伝わったのは、2B.C.(元寿1年)頃ともA.C.67年(永年10)
とも言われているが、その最盛期は8世紀頃で、インドで創作された仏典、
ヒンドゥー教やゾロアスター教など異教の教典類までをも混じえながら、
中国で翻訳、編纂されたのである。
このように、大乗仏教経典群は何百年もの歳月を掛けて、創作に創作を重ね、
異部加上に加上を重ねて、成立している訳である。
天台宗も日蓮宗も、法華経こそが釈尊(ゴータマ・シッダールタ)一代に
亘る最勝の教えであると、自宗の優越性を主張する訳であるが、それは
「虚構の大義」であって、決して歴史的事実ではないのである。

大乗仏教経典群は総べて、釈尊の直説ではなく、釈尊入滅後、500年程もの
長い長い歳月を経た段階で創作された、釈尊に仮託された文学作品であるから、
空想の物語であり、偽経であり、「法華経」の中の「久遠本仏」「観音菩薩」等々、
「華厳経」の「盧遮那仏」、「大日経」の「大日如来」、浄土経典の「阿弥陀如来」等、
総べては「架空」の存在である。
「観念」世界での物語であって、歴史的事実でもなく、その実体も有りは
しないのである。






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