華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 日蓮の名相 …数霊21の傲慢な象意

日蓮の名相 …数霊21の傲慢な象意

日蓮の名相 …数霊21の傲慢な象意

…「ヤァ!ヤァ!我こそは…」の傲慢な頭領運



日蓮の物語りを弟子の日興(富士門流の祖)が記したとされる「産湯相承事
(うぶゆそうじょうのこと)」(偽書との説もある)に依れば、日蓮は幼名を
「善日麿(ぜんにちまろ)」と称したという。
「麿」というのは、鎌倉時代に於いて「子供」を示す言葉である。

この「善日」との命名の由来は、日蓮の母、梅菊女(うめぎくにょ)が、
日蓮を懐妊した時と出産した時に見たという不思議な夢にある。
懐妊時に見た夢というのは、彼女が「比叡山の頂きに腰掛け、琵琶湖の水で
手を洗うと、富士山から太陽が昇り、その日輪を彼女が懐く」というもので
あったという。
またこの時、日蓮の父、三国太夫(みくにのたいふ)=貫名次郎重忠
(ぬきな じろう しげただ)は、「虚空蔵菩薩が肩の上に見目麗しい子供を
乗せて現われ、『この子は上行菩薩といい、一切衆生を導く大導師である。
この子を汝に授ける』と言われた」という夢を見たという。

更に母、梅菊女は日蓮の誕生時に、「梵天・帝釈等の諸天善神が現われて、
『善哉善哉(よきかな、よきかな)、善日童子、末法教主勝釈迦仏」と三度唱え、
礼をして去って行った」夢を見たという。
このことに因って、「善日」と名付けられたというのだが、日蓮はこの母の夢を、
母の物語と思ってはならない、仏の言葉と拝するようにと語ったという。



日蓮の幼き日、12歳の善日麿は、現在の千葉県、安房に在る慈覚大師の流れを
汲む天台密教の寺、清澄寺に登り、学問したという。(本尊問答抄)

「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てゝ曰はく、日本第一の智者となし給へ
 と云々」(善無畏三蔵抄)
「幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、
 日本第一の智者となし給へ。十二のとしより此の願を立つ」(破良観等御書)
とあるように、日蓮は不思議法師の彫刻と伝える清澄寺の虚空蔵菩薩へ、
『日本第一の智者となし給へ』と誓願したというのである。
少年期の青雲の志は真に結構ではあるが、後の増長振りからして、この幼少
の段階で既に、「日本第一」という権威志向の意識が現われていたことになる。

清澄寺400
               千葉県天津小湊町 千光山清澄寺

善日麿は16歳の時、清澄寺の道善房を師として出家し、「産湯相承事」に
依れば、「是生房蓮長(ぜしょうぼう れんちょう)」と名乗ったとあり、
是生房の「是」とは、「日」の「下」の「人」という意味であると語られている。
但し、「是生房」に付いて、日蓮自身は金沢文庫蔵の『授決円多羅義集唐決』の
自筆写本の奥書に於いて、「生」ではなく、「聖」の字を当て、「是聖房」と
記している。
尚、日朗門流の相伝書である『当宗相伝大曼荼羅事』にも「是生」とあるが、
身延門流の相伝書である日意の『日蓮大聖人五字口伝』には「仮名ハ是性房」と、
「性」の字が当てられているなど、「ぜしょうぼう れんちょう」と訓じた
ことは確かでも、「しょう」の音にどの漢字を当てたのかは定かではない。
「産湯相承事」は、後付けのようなその内容も然ることながら、このことが
日蓮撰日興相伝の親撰とは見做されない根拠の一つにはなっている。

日蓮との名乗りに付いては、
「日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云う
 なり、我中道を修業する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と
 申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は
 即ち日蓮なり」                (産湯相承事)

「神力品に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて
 能く衆生の闇を滅す」等云々、此の経文に斯人行世間の五の文字の中の人の
 文字をば誰とか思し食す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり」
                        (右衛門大夫殿御返事)

「経に云く『世間の法に染まらざること蓮華の水の在るが如し地より而も
 湧出す』云々、地湧の菩薩の当体蓮華なり」    (当体義抄送状)

「明らかなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月
 と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり」
                         (四条金吾女房御書)

「一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこと天台大師・五玄義の初めに
 名玄義と釈し給えり。日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし」
                         (寂日房御書)
と、自分こそ、「末法の一切衆生を救済する本仏である」との確証を得たと自負
するが故にその意義を込め、蓮長は建長5年(1253年)年32歳の時、立宗を
宣言するに当たって、本仏の名称としての「日蓮」と改名したというのである。

日蓮映画B400

ゴータマ・シッダールタ滅後から約500年以上経た後に成立したと推定される、
ゴータマ・ブッダに仮託された一宗教文学作品に過ぎない「法華経」を、
中国浙江省に在る天台山国清寺の智(ちぎ)が、ゴータマ・ブッダ一代の教説を
「五時八教(ごじはっきょう)」という虚構の教判に依って判釈し、法華経こそ
唯一真実、最勝の経典であるとして、法華経の教理に基づく「一念三千の法門」
を説き、「摩訶止観」に説くところの観法(かんぽう)によって悟りに至ると
説いた訳だが、その中国天台宗ではクマーラ・ジーヴァ(鳩摩羅什)が脚色を
交えて翻訳した「妙法蓮華経」を所依の最重要経典として採用した。
それに倣い、比叡山の伝教大師最澄は、自らの宗派を「天台法華宗」と名付け、
法華経を至上の教えとしたという経緯の上で、浄土系の「称名念仏」「専修念仏」、
禅系の「只管打坐」など、鎌倉仏教界の風潮であった易行指向の成仏実践法に
沿って、日蓮の場合は「南無妙法蓮華経」の題目を唱える唱題行で、法華経に
南無(帰命)して行く中で、凡夫の身の中にも仏性が目覚めて行き成仏の道を
歩むことが出来るという教えを説いたに過ぎないのである。

法華経の物語の中には、ブッダが法華経を説いた時、末法の世に出現して、
法華経を広めるように4人の菩薩に依頼したという場面があり、そのブッダ
から法華経の伝道を付嘱(ふぞく)された4人の菩薩の内、最上位に居るのが
上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)であるが、日蓮は自らを上行菩薩の生まれ
変わりという宗教的自覚の下に教化を展開したことになる。

それにしても、紀元前後のインドで、創作に創作を重ねられて成立した宗教
文学作品が、中国で脚色を交えた翻訳、編集され、虚構の天台学でゴータマ・
ブッダの出世の本懐であるとする最高の経典に祀り上げられ、虚構の三時説に
依る末法観に基いて、その物語の中の架空の登場人物である上行菩薩の生まれ
変わりこそが自分であると日蓮は自負したというのであるから、仮説に仮説を、
真っ赤な嘘に嘘を積み重ねた高層ビルのようなもので、法華経信仰、日蓮信仰
というものは砂上の楼閣のようで、実に妙ちきりんなものである。
しかも、末弟子たちはその大嘘を日本中に広め、中には国立戒壇を建立し、
国教化を目的として活動する勢力もあり、更には世界中に広め、世界人類を
もその真っ赤な大嘘で支配しようと目論む信者が1000万人以上は居るので
あるから、馬鹿馬鹿しいこと、この上無い。

日蓮映画A400

日蓮は、「開目抄」の中で「我日本の柱とならん 我日本の眼目とならん
我日本の大船とならん」という「三大誓願」を述べている。
その気概は気宇壮大で立派なものであると思うが、宗教的境地が進展したと
いうことなのか、強烈な自負心が極端にエスカレートして行くことになる。

日蓮は「聖人知三世事」に於いて、「日蓮は一闇浮提第一の聖人なり」と、
法華経本門の釈尊こそが真の聖人であり、自分こそが三世常住の仏であると
言い切っている。

「撰時抄」では、
「南無日蓮聖人と唱えんとすとも、南無と計りにてや有らん、不便なり」
「日蓮当世には日本第一の大人なり」と。

「下山抄」に於いては、
「教主釈尊よりも大事なる日蓮」と。
浄土系で、阿弥陀仏よりも自分の方が凄いと言う僧侶は先ず居ないと思われる。

「佐渡抄」に於いては、
「斯かる日蓮を用うるとも悪敷く敬わば国亡ぶべし」と。

正嘉元年(1257年)の大地震や文永元年(1264年)年の大彗星、文永9年の
北条氏一門の内紛、二月騒動も、2度に亘る蒙古襲来も、日蓮在世中の様々な
天災人災の総べては、「一闇浮提第一の聖人」である日蓮を誹謗し、死罪・流罪
に処した大謗法罪に因って、日本一国一同に招き寄せた罰の現証であるという
のであるから、あな恐ろしや、である。

「産湯相承事」には、
「日蓮は天上天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり」
「三世常恒の日蓮は今此三界の主なり」(仏と同体の意味)
「日蓮は無量億劫の能報者(能化)なり」とあり、
能化(のうけ)というのは、衆生(しゅじよう)を教化する仏・菩薩を言い、
所化(しよけ)は、その仏・菩薩に依って教化を受ける者を言う。
普通の仏教徒は、能化はブッダ一人で、それ以外の人々は総べて所化だと
捉えるが、「自分は永遠の能化である」と語ったというのであるから、この
天にも昇る勢いの傲慢さ加減は、手の施しようが無い。
但し、この「産湯相承事」は、「日蓮本仏論」を宣揚する為に偽作された文書
であるように思われる。

これまた、偽書であるとの見解の多い「百六箇抄(ひゃくろっかしょう)」は、
「法華本門宗血脈相承」と言われ、「本因妙の教主本門の大師日蓮 謹んで
之を結要す万年救護写瓶の弟子日興に之を授与す云々」とある。
この中には、「天上天下唯我独尊は日蓮これなり」と記されているが、
この「天上天下唯我独尊」は、「我は世界の内で、最も優れた存在である」
「宇宙間に、我より尊い存在は無い」というのであるから、実に恐れ入る。
これは、所化サイドから仏を讃える文言であるから、自分で言うな!と
突っ込みたくなる訳である。


教祖に誇大に祀り上げ、宗教的権威を更に加上させるべく、信者が教祖の
誕生譚を創作することは、どの宗教に於いても行なわれることであるが、
「産湯相承事」が後世の偽書でなく、日蓮自身が本当にこのように語った
としたならば、それはそれで、日蓮の自意識過剰の異常性を物語る証となる。
「産湯相承事」「百六箇抄」の相承書二書を偽作であるとして、排除したと
しても、「日蓮は一闇浮提第一の聖人なり」や「教主釈尊よりも大事なる日蓮」
「日蓮当世には日本第一の大人なり」と自ら「日蓮本仏論」を宣揚していた
かのように思われるほどに、自覚を通り越した傲慢そのものではないか。



御本仏にしては、情けないエピソードがある。
弘安4年(1281年)10月、日蓮60歳の時の「富城入道殿御返事」に、
「……鎮西には大風吹き候て浦浦島島に破損の船充満の間、乃至京都には
思円上人。又云く、理豈然らんや等云云。此の事別して此の一門の大事なり。
総じて日本国の凶事なり。仍つて病を忍んで一端是れを申し候はん。
『是偏に日蓮を失わんとして無かろう事を造り出さん事兼ねて知れり』……」
とある。
2度目の元寇の際、蒙古軍が全滅し、退けることが出来たとの便りを弟子から
受けたのだが、その知らせに対して、「そんなはずがない。そのニセ情報は、
この日蓮を陥れる為のデマである」と返書しているのである。
再度蒙古軍が攻めて来たら、必ずや日本は敗れ、この国全体が壱岐・対馬の
ようにな悲惨な状態になるとの予言をしていた日蓮だけに、そんな風に事実を
否定してまで我を張ったのであろうが、現代の日蓮系在家カルト教団も全く
同様の独善的な発想をする思考回路である。



日蓮の弟子、日興の法灯を継ぐ富士門流の大石寺から破門された創価学会の
名誉会長池田大作氏は、平成19年(2007年)4月12日、訪日した中国の
温家宝首相と会談した際、冒頭で自らを「庶民の王者」と言い放った映像が
マスコミ報道でテレビ放送されたものだ。

しかし、彼の「庶民の王者」というのは、まだまだ控え目な方である。
昭和40年(1965年)、富士門流に連なる信徒団体である一法華講の講頭として、
教団内部の権力を掌握したに過ぎなかった37歳の彼は、高瀬広居氏に依る
インタビューに応え、
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化
 一切の指導者・最高権力者である」と言い放っている。
その他にも、まだまだ究極の驕り高ぶりのセリフは続く。
「私は現代の救世主である」
「私は太陽の帝王だ」
「世界の盟主である」
「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」
「私には日本の中に語り合える人はいない。
 世界的に著名な人のみを相手にする」
「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」
と、淵源の祖師である日蓮譲りの増上慢振りを遺憾なく発揮している。

「池田大作」氏の名相からは、筆勢主義の算定では総運に、「日蓮」と同じ
「傲慢」の象意を持つ数霊21が読み取れる。
私の正字主義では、「虚飾に憧れる」が象意の一つである数霊22が読み取れる。
仏様であろうが、「庶民の王者」であろうが、姓名数理、数霊(かずたま)の
神秘の世界を免れないのである。



スポンサーサイト

テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2011/11/26 11:39 | 日本仏教批判COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP |