華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 日蓮の呪縛から解き放たれよ!① …日蓮在世は像法時代

日蓮の呪縛から解き放たれよ!① …日蓮在世は像法時代

日蓮の呪縛から解き放たれよ!① 

               …日蓮在世は像法時代



日蓮は、1222年(貞応元年)から1282年(弘安5年)の鎌倉時代を生きた
天台僧であり、浙江省天台山国清寺の智(ちぎ《538年-597年》中国の
仏教僧であり、天台宗の実質的な開祖であるが、慧文、慧思に次ぐ第三祖と
位置付けられている)の理論体系を踏襲した上で、天台法華宗に対して、
日蓮法華宗の宗祖となった。

仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタ(釈尊)が現在のネパール国境付近
(インド説もある)、カピラワットゥの釈迦族に生を享けたのは紀元前5世紀頃で、
463B.C. から383B.Cまでの80年の生涯であったと推定されている。
従がって、日蓮が生まれたのは、ゴータマ・ブッダ入滅後1605年であって、
2000年未満であることは注目すべきことである。

何故ならば、日蓮の崇拝者たちは「法華経には、ブッダ入滅後2000年以降の
『末法の時代』に釈尊の使者として、地涌(じゆ)の上首(じょうしゅ)
上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)が出現し、法華経を広め、民衆を救済すると
ブッダの予言が説かれていて、その上行菩薩の再誕こそが日蓮である」として、
日蓮本仏論を形成しているのである。
日蓮はその著「撰時抄」に於いて
「大集経に大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。
所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、
次の五百年には禅定堅固已上一千年、
次の五百年には読誦多聞堅固、
次の五百年には多造 塔寺堅固已上二千年、
次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」
と説いている。

「大集経」は正式には「大方等大集経」であるが、その中の
「我が滅後に於て500年の中は解脱堅固、次の500年は禅定堅固、
次の500年は読誦多聞堅固、次の500年は多造塔寺堅固、
次の500年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」
を典拠として、ブッダ入滅後2000年以降の500年には、仏教徒の間で論争が
闘わされ、正しい教えが隠没してしまうという仏教に於ける下降史観である。
ブッダ入滅後に於ける教法の流布すべき「時」を大別し、正法時代・像法時代・
末法時代という三期の時代があるという予言思想は、中国南北朝時代に成立した
もので、この末法思想はインド伝来のものではない。

平等院鳳凰堂400
          京都宇治 平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)

元より、この大乗仏教経典である「大方等大集経」にしても、「法華経」同様、
ブッダ入滅後500年~600年程の紀元後1世紀後半~2世紀に大乗運動がインドで
展開され、その上、中国で加上編集された、ブッダに仮託された思想文学、神話
とも言えるような偽経であり、正法・像法・末法の三時観の予言も「創作」、言葉
を変えれば、「捏造」に過ぎないのだが、この説に従がえば、日蓮は像法時代を
生きたのであって、末法時代ではない。
日蓮の教説は、末法時代であることを大前提として立論されているのであって、
その第一歩からして虚偽、虚構であれば、教義体系そのものが成立不可である。
末法観に基いて、我こそは救世主なり!と大騒ぎしてみたものの、実は鎌倉時代は
未だ像法時代で、末法時代を迎えてはいなかったという歴史的ズッコケギャグは、
吉本新喜劇の舞台であったなら、ここで一発大きくコケる場面ではないか。
この錯誤は、日蓮がブッダ入滅時を紀元前943年とする説を採り上げ、平安時代
末期の永承7年(1052年)を末法第一年と捉えたことに依る。

実は、この正法時代・像法時代をそれぞれ500年とする説もあることはあるが、
日蓮自身が「撰時抄」で1000年刻みとしている以上、日蓮教徒はその説に
従がわざるを得ないことから、日蓮カルト教団の中にはゴータマ・ブッダの
在世を2500年前ではなく、「3000年前」とあやふやに嘘を吐いて、誤魔化し、
辻褄を合わせた積りになっている巨大集団もある。
「ブッダ入滅後2000年以降の末法時代に仏法を広めるという上行菩薩こそが、
鎌倉時代の日本に出現した日蓮である」という教義体系である以上、日蓮在世の
13世紀が末法時代であってくれないと教団経営陣は実に困るのである。
「3000年前」としておけば、ブッダ入滅は紀元前1000年頃となり、
日蓮の誕生はブッダ入滅後2222年程となり、2000年の壁をクリアし、
末法時代に誕生したとして、目出度く帳尻合わせが出来るという次第である。
何十万人、何百万人もの日蓮教徒がこれで納得するのであるから、信仰に対し、
余程不真面目なのか、余程算術が苦手な人々の集団なのであろうかと軽蔑せず
にはいられない。


日蓮カルト教団の教義は大方、以下のような立論の仕方をする。
「仏法は3000年前、インドのゴータマ・ブッダに依って説かれた。
ブッダはその生涯で50年に亘り、法を説いたが、晩年の8年間に説いた法華経を以って、
一切衆生を成仏得脱せしめた。
そのブッダが、滅後2000年以降の末法時代には人の心が荒くなり、『白法隠没
(びゃくほうおんもつ)と言って、釈迦仏法が滅尽すると予言されている」
更に、「ブッダは法華経で『上行菩薩』という威徳ある大菩薩が、根源の大法を
以って末法時代の一切衆生を救うと予言された。
その上行菩薩こそが日蓮であり、日蓮は宇宙法界に存在するあらゆる諸仏の
本源に位置する『久遠元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅゆうじん)』と
いう本仏である。
末法時代は、この根源の本仏である日蓮が、根源の大法『南無妙法蓮華経』を
以て、全人類をお救い下さるのである」という決まり文句である。



日蓮は、浄土宗の開祖である法然房源空(1133年-1212年)が「選択本願念仏集」を
撰述し、易行として「専修念仏」を提唱したのに倣い、中国六朝時代の訳経僧
鳩摩羅什(350年-409年、クマーラ・ジーヴァ)が中国語に翻訳した法華経の
タイトル「妙法蓮華経」を唱える行を提唱した。
法華経の「タイトル=テーマ=表題=題名=題目」を唱えるから、「唱題」と言う。

「南無(ナム)」というのは、サンスクリット語のnamas(ナマス)及び、namo(ナモー)
の音訳で、「心から信じる」「帰命(きみょう)」「帰依(きえ)」と意訳される。

日蓮教徒はこの「法華経に帰依する」という意味の題目「南無妙法蓮華経」は、
「宇宙法界をも包含する生命の極理」だというのである。
「『南無妙法蓮華経』は、ブッダは法華経の寿量品にストレートには書いて
いないが、言外に意味を込めて、文章の底に秘し沈めた教え(法)であり、
『三世十方の諸仏』の『成仏の種』であり、末法時代10000年間の一切衆生が
成仏する為の『唯一の正しい教え(法)である』と言うのである。

「『南無妙法蓮華経』こそが宇宙根源の法である」などと言われると、有り難く
聞こえなくもないのだが、『妙法蓮華経に帰依します』が宇宙根源の法であると
いう意味であるから、実に奇妙な言い回しである訳なのだ。
日本仏教界の怠慢で、仏教経典は和訳して、日本語で読誦することなく、
パーリ語やサンスクリット語で書かれた経典を中国語訳されたものを音読して
いるだけであるが、「妙法蓮華経」は「正しい教えの白い蓮」という意味である
から、「法華経のタイトルに帰依する」という意味の日本語の唱え言葉は
「正しい教えの白い蓮に帰依します」となる。

このように、日本語で表現すると、「正しい教えの白い蓮に帰依します」こそが
「宇宙法界をも包含する生命の極理」であると主張している日蓮教徒たちが、
実は如何に訳の解らない理論を振り翳しているのかが良く解るのである。
出家教団であれ、在家教団であれ、それらの経営陣の幹部連中は、そもそもそんな
己らの吐いている教説など信じてはいないものである。
知解出来ないが、信解している積りになって、選民意識を擽られ、煽てられ、
大層有り難がっているのは、「信+者」で教団の「儲」の対象とされている
思考停止、判断停止の教団構成メンバーだけである。




スポンサーサイト

テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2011/12/21 13:14 | 日本仏教批判COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP |