華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 蓮の花 …仏教に於ける蓮華

蓮の花 …仏教に於ける蓮華

蓮の花 

…仏教に於ける蓮華



蓮の花には、清冽な美しさを感じる。
古代インド人が、蓮の花を清らかさの象徴として、宗教的な意味を付与させた
美的感覚には、然も有りなんと共鳴出来るものがある。
また、昭和27年(1952年)に、2000年以上もの昔、弥生時代以前と推定
される古代蓮の種子がピンク色の大輪の花を咲かせたという「大賀ハス」や
奥州藤原時代の種子が800年を経て、和蓮に似た淡いピンク色の花を咲かせた
という、岩手県平泉中尊寺の「中尊寺ハス」、埼玉県行田市の建設工事で
偶然に掘り起こされた、約1400年から3000年前の種子が自然発芽、開花したという
「行田ハス」のように、奇跡を顕わす不思議さがあることには驚嘆させられる。

仏教教団では、寺院の仏前には蓮の花を象った造花の「常花」(じょうか)と
呼ばれる仏具があり、教団名から宗紋、機関紙に至るまで、「蓮華」や「八葉」
など、蓮の花尽くしであることには、幾ら花好きであっても意地の悪い私は
「日本人はそんなに蓮の花が好きなのか?」「外来宗教だけに、インドかぶれ」
と違和感を感じてしまう。

蓮400

仏教経典では、蓮の花を「蓮華(れんげ)」と美称する。
泥水の中から生じながらも、清浄な美しい花を咲かせる姿に、仏陀の尊厳を
象徴させたのだろうか、仏像は蓮の花を象った蓮台に座している。

蓮の花は花弁が開くと同時に、その花弁の中から種子が落ちるという。
花が開くという「結果」と、種子が土中に埋まり、新しい蓮の花を咲かせる
という「原因」の同時性から、「因果倶時」という概念に通じる例示に
相応しいとして、大乗仏典、特に法華経では尊ばれる。
法華経のサンスクリット語原典「サッダルマ・プンダリーカ」は、
「正しい教えの白蓮」という意味である。

また、仏道修行に於いて、菩薩が上に向かっては自ら菩提を求めて修行し、
下に向かっては、泥中に生きる存在である衆生を悟りへと化導して行くという
「上求菩提(じょうぐぼだい)下化衆生(げけしゅじょう)」の象徴と取る見方
もあるのだろう。

しかし、大乗仏教に於ける蓮華に対する、これらの穿った解釈、意義付けは
後付けであろうと思われる。
何故なれば、仏教以前の古代インドに於けるヴェーダやヒンドゥー教に
於いても同様に、蓮の花が象徴的に愛用されていたからである。
それを仏教も、ごく自然に継承したということであろう。
要するに早い話が、インド人は古代から蓮の花が好きなのだ。
日本人の平均的な美的感覚からすると、蓮の花よりもむしろ、嫋やかで繊細な
佇まいの桜や梅、朝顔や菊の花により魅力を感じるのではないだろうか。

桜 富士400

中村元博士の著作に依れば、インドでは、白蓮華はプンダリーカ、青蓮華は
ウトパラ、紅蓮華はパドマというように、蓮の種を一括りにした命名の仕方
ではなくて、色の違いでそれぞれに別の名前を冠しているほどに、蓮の花には
敏感な民族性を持っているようだ。
蓮の花は、インドの国花なのだ。

日本人の感性からして、やはり桜や菊の花には思い入れが強いということに
なるだろうが、仏教に於ける蓮の花ほどに「宗教性」を帯びた神聖な花として
捉えられる花は無いだろう。
日本では、江戸時代の国学者であった本居宣長が
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」と詠んだように、
万朶の花を咲かせた後、一気に散って行く桜の儚き潔さが、伝統的な日本精神
の象徴と言えるだろう。
「残る桜も、散る桜」と旧帝国陸海軍では、潔く散る桜が武士道的な美徳と
して、自己犠牲の象徴となった哀しい歴史を持つ。
日本人は古来、儚い桜の花の散り様に「諸行無常」の人生観を投影させる感覚
を持っていたと思われるが、情緒的なものであって、宗教性は強くない。

梅に鶯400

強いて挙げるとすれば、日本人のそれは、梅の花になるのではないか。
平安時代以降は、和歌に詠まれる「花」と言えば、桜を指すようだが、
奈良時代には、単に「花」と言えば、梅を指していた。
梅は一節に付き1個の花芽が生り、葉に先立って花を咲かせるところから、
古代の日本人はどんな暗示を読み取ったのだろうか。
花に霊性を感じ、葉を肉体と捉える向きもある。

「古事記」で「木花之佐久夜毘売」、「日本書紀」で「木花開耶姫」と書かれて
いる富士山本宮浅間大社のご祭神でもある「コノハナノサクヤビメ」の「花」
は桜ではなくて、梅の花である。

明治25年に、「艮の金神(うしとらのこんじん)」が帰神したことに依って、
大本教の開祖である出口なおが自動書記したという神典「大本神諭」の冒頭に、
「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。
 梅で開いて松で治める、神国の世と成りたぞよ。
 日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ」
とあるように、強いて言えば、古神道では、梅は神の花である。

菅原道真公が大宰府に左遷されるに際し、愛しんだ庭木の梅の花との別れを
惜しんで詠んだという歌
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は
名高いが、道真公が梅の花を好んだことに依り、梅の花を図案化した梅紋が
天満宮の神紋に用いられている。
私は菅家の末裔であることから、梅鉢紋を掲げている。

浅間400

仏教界には、日本一の霊峰富士を「大日蓮華山」と称する向きがあるが、
これは神仏習合の現われである。
「神仏習合」というのは、仏教側が勢力拡大の為に神道を取り込み、神道と
仏教が折衷し、融合調和することで形成された宗教形態である。
奈良時代には、「神は輪廻の中で煩悩に苦しんでいる身であり、仏教に依って
救済されるという「神身離脱説」が唱えられ、更に、日本の神々が仏教及び
仏教寺院を守護するという「護法善神説」に発展した。
平安時代には、「仏や菩薩は、日本の神々の真の姿『本地(ほんじ)』で、
八百万の神々は、仏や菩薩が仮の姿『垂迹(すいじゃく)』、つまり『権現
(ごんげん)』と成って、日本の国に現われたものであるという「本地垂迹説」
が唱えられた。
例えば、伊勢神宮の「アマテラスオオミカミ」は、大日如来の仮の姿で、
八幡大神や熊野大神は、阿弥陀如来の仮の姿という風に、各神社の祭神に
「本地仏」なるものが当て嵌められて行ったのである。

富士山頂400

富士山のご神霊は古来、「浅間大神(あさまのおおかみ)」と呼ばれた。
「延喜式」神名帳に、正三位と格の高い位階とされた「あさま神」が
記されている。 
「あさま」は「浅間」であるが、まだ「せんげん」ではない。
神話に登場する木花咲耶姫と浅間大神が同一視されて、それが定着したのは、
江戸時代である。 
古文書で最古の記述は、慶長19年(1614年)で、浅間神社社伝に祭神としての
初現は、寛政年間(1789~1800年)と新しいのだ。
この二柱は明確に区別されておらず、習合した状態であると言える。
浅間大社は主祭神に付いて公式に、
「木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)
(別称浅間大神(あさまおおかみ))」と同一視して表記している。

鎌倉時代の「吾妻鏡」には富士山のご神霊「浅間大神」を、「浅間大菩薩」や
「富士大菩薩」という呼称で記載されている。
神仏習合に依って、「浅間大菩薩」の本地仏を「胎蔵界大日如来」としたこと
から、「大日」と名付けられたものである。
仏教徒は、富士山頂部を仏の世界と捉え、山頂の8ヶ所の峯(八神峰)を蓮華
(胎蔵界曼荼羅の蓮華八葉)に見立てて、「八葉」と呼んだ。
「大日蓮華山」の「大日」は、大日如来のことである。
仏教界には、この「大日蓮華山」を山号としている寺院が複数存在するが、
それは、大日如来の垂迹に当て嵌めた富士のご神霊、浅間大神を守護神と
していることを意味する。
従がって、真言宗以外の宗派の寺院が、真言密教に因んだ「大日蓮華山」を
山号としていることは、実は奇妙なことなのである。



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テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2012/01/06 23:49 | 歴史随想COMMENT(1)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

蓮の花が美しいですね!

No:56 2012/08/19 23:47 | 匿名 #- URL編集 ]

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