華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 大らかな宗教感覚 …微笑ましき日本人の鷹揚さ

大らかな宗教感覚 …微笑ましき日本人の鷹揚さ

大らかな宗教感覚 

…微笑ましき日本人の鷹揚さ


お正月の三箇日、神社や寺院などに出掛け、清々しい心持ちで、新年の無事と
平安をお祈りする初詣(初参り)を為された方はさぞや多かろう。
意外にも、初詣が習慣化したのは、明治時代半ば以降とのことで、それほど
長い歴史のある風習ではないという。
初詣にお参りする先が、神社であれ、仏教寺院であれ、何れであっても殊更
拘らないという大方の日本人の感覚は、1000年以上に亘る神仏習合に依る
神道と仏教の区別無き信仰の名残りであろうと思われる。
寺院でも、年神様の依代(よりしろ)となる門松や鏡餅を飾ったり、お供え
しているところなどは微笑ましいものだ。
古神道的な山岳信仰と秘密仏教や道教、陰陽道などが習合した混淆宗教である
修験道(しゅげんどう)の歴史を持つ霊場には、神社とも寺院とも判別し難い
ところもある。

初詣の参拝者数に付いて、2009年までは警察庁から全国ランキングが発表
されていたものであるが、それ以降は行なわれていない。
過去のデータに依れば、参拝者数の多い上位の神社、仏閣は大体固定化して
いたようである。
1位は東京都渋谷の「明治神宮」、2位は千葉県成田の「成田山新勝寺」
3位は神奈川県川崎の「川崎大師」、後は京都の「伏見稲荷大社」、名古屋の
「熱田神宮」と、200万人~300万人近い参拝者が初詣に訪れるという人気寺社
の常連さんである。

初詣 神田神社400

私がとても愉快に思うのは、「明治神宮」の参拝者の中に、お祀りしている
ご祭神が「明治天皇」様と「昭憲皇太后」様であることをご存知ない方が
多いという調査結果である。
明治45年(1912年)に明治大帝が崩御され、続いて大正3年(1914年)に
皇后で在られた昭憲皇太后が崩御されると、翌大正4年(1915年)官幣大社
として、明治神宮を創建することが内務省告示で発表され、大正9年(1920年)
に鎮座祭が行われたということであるから、創建100年も経っていない。

一口に「神社」と言っても、その発祥の経緯は千差万別、様々有り、そもそも
天津神系なのか、国津神系なのか、その中でも、伊勢信仰や出雲信仰、八幡信仰、
天神信仰、稲荷信仰、熊野信仰、諏訪信仰等々の相違が有り、各々の神社で、
その歴史的な経緯が大いに異なる。
奈良時代以降、「人霊」を「神」として祀ることも行われて来た。
例えば、この世に怨念を残しながら、非業の死を遂げた人のタタリ(崇り)を
鎮める為という理由で創建された、菅原道真公の北野天満宮や大宰府天満宮の
天神信仰などである。
明治神宮の場合は、王政復古の大号令を発せられ、明治近代国家確立を推進
為された遺徳を偲ぶ為に、「明治天皇」様と「昭憲皇太后」様のお二人をお祀り
する神社を建立しようという機運の高まりで造営されたものなのである。

明治神宮400

明治神宮の参拝者の例に限らず、自分が参拝している神社のご祭神をご存知
ない人々の多いことを、特定の教団に所属して、自覚的に信仰為さっている
人々は、宗教的に無知であるとか、いい加減であるとか、嘆かれたり、批判
されたりする向きがあるが、私はむしろ、如何にも日本人らしい宗教的特性
だと微笑ましく思うのだ。

実は、日本人は昔から、参拝する神社のご祭神のご神名に付いては無頓着な
ところがあったようなのだ。
私がお参りする、神奈川県箱根町に在る関東総鎮守箱根神社さんのご祭神は、
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤビメノミコト)、
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)のご三神(三柱《みはしら》)であるが、
おそらく多くの参拝者はこのご三神を格別には意識されていないのではないか
と思われる。
瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊のご三神を総称して、「箱根大神」と
お呼び申し上げるのだが、社号に敬称を付けて、「箱根神社さん」とか「箱根
神社様」、神仏習合の名残りを残して、「箱根権現(はこねごんげん)」等と、
そんな風にご神名をお呼びしても一向に構わないのである。

江戸総鎮守神田神社さんのご祭神は、一ノ宮に大己貴命(オオナムチノミコト)、
二ノ宮に少彦名命(スクナヒコナノミコト)、三ノ宮に平将門命(タイラノ
マサカドノミコト)のご三神であるが、総称して、「神田大神」とお呼びし、
一般的には、やはり神仏習合の名残りを残して、「神田明神」とか「神田神社様」
「神田さん」とご神名をお呼びしたりする。
因みに、大己貴命は別名「大黒様」であり、少彦名命は「恵比寿様」である。

古来、日本人がご祭神のご神名を殊更気に掛けない傾向があったというのは、
八百万(やおよろず)の神々がいらっしゃるのは極々当たり前のことであり、
そもそも神なるものの存在を「信じる」とか、「信じない」とかいう概念自体が
希薄なのであろうと思われる。
そうであるから、教派神道の信者は別としても、神社参拝に訪れる人々の殆ど
は、自分を殊更「神道の信者」であるなどとは考えてもいないに違いない。

箱根神社F400

表参道は、青山通りから明治神宮の神宮橋交差点に至るオシャレな通りである。
クリスマスの時期には、「表参道イルミネーション」と称するイベントが行われ、
約1kmの欅並木を光のオブジェが美しく飾る。
この表参道は大正8年(1919年)に、「明治神宮への参道」として整備された大通り
なのである。 表参道入口に立つ石灯籠が、それを物語る。
このように、「神社への参道」を、イエス・キリストの生誕を祝うクリスマスの
イベントとして、通りをイルミネーションで飾るという面白さがある。
やれ、神道だの、やれ、キリスト教だのと、誰も目くじら立てて問題視しない、
明治神宮さんも文句を言わないという、そういう日本人の宗教的な鷹揚さ、
寛大さを、私は好ましく思うのだ。


神社の境内は、神が宿る場所(依り代《よりしろ》)としての神域(しんいき)
であるが、大方の神社では境内を広く開放しているものである。
何れの宗教であれ、その教団の宗教施設というものはその宗教の「信者」の為
のものであり、「信者でない者」を排除するのが普通のことであろう。
しかし、神社の場合は、訪れる人が神道を「信じる者」であるのか、「信じて
いない者」なのか、仏教徒なのか、キリスト教徒なのか、イスラム教徒なのか、
などということは、一向に拘らない。
神社さんの側でも、「信じる」「信じない」という概念自体が希薄なのだ。
何とも、懐の深い大らかさではないか。


英国ウェールズ出身で、長野在住の作家、C.W.ニコル氏の「聖なる森」という
「神社新報」(平成3年)への寄稿文の中で、特に私の好きな文章がある。
「何処の国であろうと、宗教が何であろうと、聖なる地、聖なる森に於いて
 目に見えない存在を疑うほど、私は未熟ではない」
「日本人であれば、悩みがあったら、どんな信仰を持っている人でも、
 お宮を訪ねなさい」

正神界のご神霊のいらっしゃる神社の神域では、神秘体験を味わうものである。
古代人はきっと、現代人よりも遥かに自然の霊性を感じる直感と繊細さを持ち、
自然現象の中から、神々の声を聞いていたに違いない。
高級神霊との交感の無い宗教は、味気無いものである。

伊勢神宮400

平安時代末期から鎌倉時代初期に掛けての武士、僧侶、歌人であった
西行法師(1118年-1190年)が、伊勢神宮にお参りした際に詠った有名な歌に
「何事のおはしますをば知らねども かたじけなさの涙こぼるる」がある。
僧侶の身ではあったが、伊勢神宮の神々しい佇まいに胸を打たれ、如何なる
ご神霊がいらっしゃるのかは分からないが、有り難さに感涙したと詠んでいる。
西行は真言宗の僧侶であったということから、神道のことは「知らねども」と
詠みつつも、本地垂迹説の考え方から、伊勢神宮の天照大御神は密教の本尊
大日如来が本地であり、その垂迹と捉えた思いが感動をより大きくしたこと
も推察されるが、何れにせよ、神域で涙を流すほどに感動する宗教体験を
味わったことのようだ。

信奉する宗教、宗派の違い、信仰信条の違いを理由に、赤の他人にまで喧嘩腰
になって、罵詈雑言を浴びせ掛けて来る人が見受けられるが、もう少し大らか
に成られると宜しい。



インド初代首相であるジャワハルラール・ネルーを父に持つ、インド第5代、
第8代首相を務めた女性政治家インディラ・ガンディーは1984年、シーク教徒の
警護警官の銃撃で暗殺されたが、その2週間前に開催された「仏教及び国民
文化に関する第一回国際会議」に於いて、「仏教はドグマから遠い教えである」
と発言されている。
インドでは仏教は無きにも等しい宗教事情であり、インドの政治指導者層は
ヒンドゥー教徒かイスラム教徒しか居ないにも拘わらず、「過去の世界の
生んだ偉大な精神的指導者の教えに耳を傾けるべきである」として、その一人
に仏教開祖ゴータマ・ブッダを挙げ、「仏教は教義を盾にして、人を縛ることが
最も少ない」と述べたのだ。
彼女の念頭に有った仏教とは、原始仏教、南伝仏教のことであろうが、
教条主義で硬直化した日本の大乗仏教界の現状とは程遠い高評価である。



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2012/01/10 11:24 | 随想COMMENT(1)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

あらかね考

 島根県の安来は古事記では根之堅洲国というところでスサノオの活躍地ですね。正確には十神島根之堅洲国となりますが長いので古事記では省略されています。この省略された、十神島というのは出雲国風土記では砥神島という陸繋島であったであろう現在の安来市の十神山です。この島は安来市のシンボルと見いわれ、きれいな円錐形をした小山ですが、古代の人たちにの崇敬した島だったらしいです。この十神というのはイザナギ・イザナミ以前の神々を指し、両神を含めその後の神代の時代と分けて神世と表現されます。この神世七代の十柱の神々が宿る神聖な島だったのだと言われています。ここは、中海という湾岸にあり、例えば淡島と古事記に見える島と認識しうる粟島が対岸の鳥取県米子市にもあり、ここがオノゴロ(淤能碁呂)島と考えると、近くに国生みの神、イザナミの神陵地もあることから合理的なのではと思われます。

No:59 2013/03/28 22:33 | カーボンオフセット #- URL [ 編集 ]

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