華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 台湾の厚情に感謝の意を伝える …岩手県立大槌高生の台湾訪問

台湾の厚情に感謝の意を伝える …岩手県立大槌高生の台湾訪問

台湾の厚情に感謝の意を伝える 
           
           …岩手県立大槌高生の台湾訪問



岩手日報(5.11)に依ると、東日本大震災で多大な被害を受けた岩手県上閉伊郡
大槌町に在る県立大槌高等学校の2、3年生33人が10日、台湾台北市を訪れ、
中華民国紅十字会(赤十字社)関係者に震災支援の感謝を伝えたという。

台北市内で開かれた交流会で、生徒達は震災後に約500人の避難所となった
学校で、電気、ガス、水道が途絶えた中、物資運搬やトイレ用の水運びなど、
避難所運営に携わった体験を報告し、「台湾の皆さんから沢山のご支援を頂き、
有難うございました」と感謝した。
紅十字会の呉斯懐(ウー・スーホワイ)氏は「生徒たちの姿に感心した。
皆さんの頑張りによって、今後の復興が一日も早くなるよう心から祈っている」
と応えたという。
この訪問は、大槌町を支援しているボランティア団体の「いわて根っこの会」
が支援への感謝にと、花巻空港発着チャーター便の団体旅行を企画し、163人が
参加、生徒達の旅行費用は同会員の寄付に依って賄われたものという。





東日本大震災の被災者に対する台湾からの義援金は200億円を超え、援助物資
の調達やボランティア派遣に至るまで、あらゆる面に於いて尽力してくれたが、
それには、1999年の台湾中部大地震に際し、逸早く支援を行った日本に対する
お返しの意味合いもあるようだ。
2011年12.31付で、台湾の華視新聞が報じたところに依ると、
同紙とYAHOO奇摩が共同で行った調査で、「2011年最高に幸福な出来事」
第1位は「日本の東日本大震災に対し、台湾人は大きな愛を示し、台湾からの
義援金額が世界で最も多かったこと」であった。
台湾人の愛を日本に与えることが出来たことに、台湾人は幸福を感じてくれたというのだ。



   2011年3月18日、台湾で開催された4時間の生放送特別番組、
   東日本大震災の救済チャリティー番組「相信希望Fight&Smile」の1シーン


台湾は明治28年(1895年)、日清戦争時の下関条約に依って、日本領となり、
昭和20年(1945年)の大東亜戦争敗戦に至るまで、50年間の日本統治時代が
あった。
戦後、蒋介石率いる国民党の中華民国軍が進駐し、以後は領土未帰属の状態の
まま、中華民国政府が実効支配している訳であるが、大日本帝国の臣民として、
日本統治時代を直接経験している世代(トーサン世代)である本省人(台湾人)と、
戦後に台湾に移住した外省人(大陸から来たシナ人)、また、国民党政府に
依る反日史観で教育を受けたその後の世代には、さぞかし対日感情に大きな
相違があることだろう。


台湾チャリティー400
   2011年3月18日、台湾で開催された4時間の生放送特別番組、
   東日本大震災の救済チャリティー番組「相信希望Fight&Smile」の1シーン


日本と格別の歴史的な繋がりのある台湾の人々が示してくれた厚情に対する
民主党政府の対応はどうであったかと言えば、日本政府主催の東日本大震災
一周年追悼式典で、約160の国と国際機関の代表には会場1階に来賓席を用意
したが、台湾代表として出席した台北駐日経済文化代表処(事実上の大使館)
の羅坤燦(らこんさん)副代表を「民間機関代表」と位置付け、2階の一般席に
案内し、また指名献花からも外し、一般参加者と献花させるなど冷遇した。
昭和47年の日中国交正常化後、日本政府は台湾を国家として承認していないが、
「代表処」は事実上の大使館に相当するのである。
また、台湾からの留学生が「台湾は国家ではない」との理由で、文部科学省が
行う東日本大震災に関する外国人留学生への支援の対象から外されているとの
台湾メディアに於ける報道があり、国会でも問題となった。

台湾の厚情を無にするかのような、礼を欠いた日本政府の外交姿勢に比して、
民間の交流、ましてやこの度の大槌高生台湾訪問のような若い世代の日台友好
関係を更に深める行動は貴いものであると感じ入った。


ありがとう台湾400



因みに、大正12年(1923年)の関東大震災に際しては、アメリカの援助への
お礼として、震災から7年後、日米開戦の11年前の昭和5年(1930年)に、
当時の五大新聞であった「報知新聞」(後の「読売新聞」)・「東京日日新聞」
「東京朝日新聞」・「国民新聞」・「時事新報」の一角を為した時事新報社主催で、
女性の使節「遣米答礼使」を派遣している。

渋沢栄一の昭和5年2月5日(1930年)の記録に、
「是ヨリ先、時事新報社ニ於テ、大正十二年関東大震火災当時ニ於ケル
 アメリカ合衆国人ノ厚情ニ対シ、女性遣米答礼使派遣ノ計画アリ。
 是日栄一、託サレテ其銓衡委員トナル。
 右答礼使ハ三月十八日出発、五月三十一日帰国ス」とある。

時事新報紙では「市民の謝恩心伝える、優雅なる女性の選定」ということで、
英語が話せる良家の子女5名、東京女子大卒、芦野きみ(当時27歳)
三輪田高女卒、徳田純子(当時23歳)、学習院卒、佐藤美子(当時20歳)、
実践女学校在学中の松平佳子(当時18歳)、横浜市の代表、中村桂子(当時
25歳)が選ばれ、監督として、松平俊子(当時40歳)が同行、1ヶ月に亘り、
全米各地を答礼に回ったという。






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2012/05/22 18:03 | 岩手県賛歌COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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