華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 南京大虐殺の虚構 …国賊・鳩山由紀夫氏の世迷い言

南京大虐殺の虚構 …国賊・鳩山由紀夫氏の世迷い言

南京大虐殺の虚構 

          …国賊・鳩山由紀夫氏の世迷い言



1月17日、鳩山由紀夫氏は、日中戦争で旧日本軍に依る南京攻略時に起きた
とされる「南京大虐殺事件」の資料を展示する、中国江蘇省南京市内に在る
「南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京虐殺記念館)」を訪問した際、記者団に
「多くの中国の民間人を日本兵が殺したことは事実で、お詫びしたい」と述べ、
謝罪の意を示したという。
また、「多くの南京の人々を苦しめた事実は、素直に受け入れなければならない。
大虐殺は無かったと言う方は此処に来られてから、話をされたら良い」とも
述べたという。
※中国人や台湾人は「大虐殺」とは言わず、「大屠殺」と言う。

南京の鳩山由紀夫

鳩山氏が「此処」と言った、南京市の「南京大屠殺遇難同胞紀念館」であるが、
その記念館の建設を執拗に中国共産党に持ち掛けたのは、 実は日本人である。 
建造物の設計に至るまで、日本人の遣ったことである。
日本社会党(現社民党)で、委員長の経験もある田辺誠氏が犯人であり、
その建設資金として、労働組合の全国的中央組織であった「総評(日本労働
組合総評議会)」が3000万円を中国共産党に提供したという。
日本人の敵は獅子身中の虫、日本人の中に居ることは、今も昔も変わらない。
しかも、建設費用は870万円で事足りて、その余剰金は中国共産党幹部連中で
山分けしたという、実に薄汚く、ふざけた話の落ちまで付いている。

鳩山由紀夫 南京

鳩山由紀夫氏の実母は父鳩山威一郎氏の妾であった朝鮮人女性で、威一郎氏が
石橋安子氏との結婚前に生まれた彼を長男として認知、入籍したとのこと。
幸夫人が朝鮮系日本人で、その父親は朝鮮北部出身の貿易商で、戦後は日本に
渡り、北海道室蘭で貿易商を営みながら、朝鮮総連支部の創立に尽力した人物
であることは広く知られていることである。

因みに、民主党歴代の首相であった鳩山由紀夫氏と菅直人氏、野田佳彦氏の
3人は国会の議場で水を飲む際、手で口元を隠す朝鮮式の飲み方をしていたが、
大和系日本人はそういう作法を取らないものだ。
国家権力の中枢で、反日朝鮮系日本人たちが蠢動している現実は、空恐ろしく
もあり、うら悲しくもある。

鳩山の水の飲み方

菅の水の飲み方

野田の水の飲み方

鳩山氏が北京で中国要人と会談した際、「尖閣諸島は日中間の係争地」との
認識を伝えたことに付いて、菅義偉官房長官は
「我が国の立場と明らかに相反する発言で、極めて遺憾」「日本の首相をされた
方の発言として、非常に残念だ」と述べ、小野寺五典防衛相は、「日本にとって、
大きなマイナスだ。中国はこれで係争があると世界に宣伝し、国際世論を
作られてしまう。久しぶりに頭の中に『国賊』という言葉が過ぎった」と述べ、
鳩山氏の言動を批判した。

一方、中国のインターネット上では、「敵の敵は味方」ということで、鳩山氏の
「南京大屠殺遇難同胞紀念館」訪問を歓迎する書き込みが目立っているという。
中国版のツイッター「微博」には、「日本人は歴史を直視しろ」と書き込まれて
いるそうであるが、当にその通りで、その言葉をそっくりそのまま、漢人ども
にお返ししたいものである。
漢人如きに「日本人は歴史を直視しろ」などとほざかれるまでもなく、日本人
はブラックプロパガンダの虚報に惑わされること無く、歴史的事実を理性的に
直視すべきである。

南京陥落 戦車隊

所謂「南京事件」とは、昭和12年(1937年)の冬から、昭和13年(1938年)
の春に掛けて、当時、国民党一党独裁の中華民国の首都南京を攻略、占領した
松井石根大将を司令官とする中支那方面軍に属する朝香宮鳩彦王中将揮下の
上海派遣軍と柳川平助中将の第10軍揮下の日本軍兵士6~7万人が30万人もの
南京市民を虐殺し捲くったことになっている大法螺話のことである。

司令官から一兵卒に至るまで、6週間に亘って、獣のように嗜虐的に 8万人の
婦女子を強姦しては、惨殺し捲くったということになっている。
犯した後は女性の陰部に竹を突き刺しては殺し、妊婦を犯した後は、腹を切り
裂いて、胎児を取り出し、その子まで銃剣で刺し殺したという。
娘を親の前で犯し、妻を夫の前で犯し、その後は銃剣で刺し殺し、軍刀で首を
刎ね、乳房は銃剣で切り取られ、そんな遺体が道の両脇に延々と続いていたと、
自分は現地に居らず、見てもいない白人記者たちが記事を世界に配信した。
司令官は20人の美女でハーレムを作り、それでも満足せず、手当たり次第に
強姦し捲くったとも。

1980代以降の中国では江沢民主導の下に、このブラックプロパガンダの虚構で
ある南京大虐殺を史実として、歴史教育が為されている以上、中国人は永遠に
南京事件が真実であると誤認し続け、日本人を憎み続けることになる。



そもそも、この75年前の「南京事件」なるものは、中国国民党宣伝部と
アメリカ、イギリス、オーストラリアの反日記者たちや、反日工作員であった
プロテスタント宣教師たちが協同して行なったブラックプロパガンダの産物で
あり、特に、ニューヨークタイムズのT・ダーディン、H・アベンド、 シカゴ・
デイリーニューズのA・Tスティールの記事が酷かったとのこと。

それでも当時、蒋介石の国民党が国際連盟に提訴し、却下された時点で、
南京事件なるものの犠牲者は2万人となっていた。
それが8年後の「極東国際軍事裁判(東京裁判)」(昭和21年《1946年》
5月〜昭和23年《1948年》11月)では、何故か10倍の20万人に膨れ上がり、
現地調査されたものの、南京市民からの聞き取り調査で大虐殺の証言は
得られなかった。
虐殺されたという遺体の山も無ければ、遺族も目撃者も居なかったのである。
東京裁判に於けるアメリカ合衆国の意図として、大日本帝国が如何に残虐
極まりない侵略国家であり、原子爆弾を投下されたことが自業自得である
かのような、罪深い国家であったかを世界にアピールする必要があったと
いうことなのである。

昭和46年(1971年)、中国で毛沢東派の紅衛兵が文化大革命を繰り広げていた
時代に、朝日新聞の本多勝一(崔泰英?)記者が突如として、「南京大虐殺」
キャンペーンを始め、「中国の旅」という反日捏造記事を書いたことから、
その真偽が議論されるようになった。
1980年代以降の中国では、犠牲者の数は30万人とされ、現在では40万人とも
50万人とも言われるようになり、更に中国全土では数百万人が日本軍に虐殺
されたと、国民党軍や八路軍に依る自国民大虐殺までがカウントされている。

東京裁~1

この南京大虐殺なるものの日本での報道は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)
を慮ったものであろう、東京裁判の行なわれていた期間中の昭和20~23年に
限定され、その後、昭和46年に朝日新聞社の本多勝一記者が「中国の旅」と
いう記事を書いたことを切っ掛けに、その真偽が議論されるようになったと
いう経緯がある。

当時の読売新聞社や毎日新聞社の編集責任者は、南京攻略戦に同行取材し、
南京での真実を知っている人たちであったという。
それに比して、朝日新聞社の場合は、編集責任者も本多勝一も当時の南京を
知らぬ者たちで、中国国民党のブラックプロパガンダの通りを記事にした。

繰り返すが、東京裁判の審議に伴い、南京市民からの聞き取り調査が行なわれ
た結果、大虐殺があったことの証言などは1件も得られていないのである。
昭和12年の南京攻略戦に、日本軍に従軍していた報道関係者は、朝日新聞社が
約90人、毎日(東京日日、大阪日日)新聞社が約80人、 共同通信社数十人…
計数百人が現地の南京入りしたのであるから、彼らは南京の真実を知っていた
はずなのである。
彼らは当然のことながら、無かったことを有ったとは書かなかった訳である。



実は、この南京事件に付いて、当時から何百回にも及ぶ欧米報道機関を対象に
記者会見を行なっていた国民党の蒋介石でさえも語ってはいない。
共産党の毛沢東も、この南京事件については言及していない。
南京事件なるものがでっち上げであることを充分に承知していたからこそ、
彼らは沈黙していたのである。
南京での大虐殺なるものが事実であったとするならば、抗日戦を戦っていた
のであるから、日本を窮地に追い込むような国際世論向けのアピールも出来た
であろうに。
この南京事件のブラックプロパガンダの背景として、当時の欧米人が抱いて
いた人種差別意識を根底にした、日本蔑視を見逃してはならない。
わが国は白人と肩を並べて、列強と称されるようになった、憎き黄色人種の国
であったのだ。

また、蒋介石と、その妻宋美齢、彼女は聖書を売り捲くって、財閥にまで
伸し上った一族の娘で、プロテスタントであった。
工作員でもあった当時のプロテスタントの宣教師どもが、異教徒である日本人
の排斥に協力する素地は充分にあったのだ。
終戦時には中国全土に3000人ほどの宣教師が居たそうだが、敬虔なる人格者の
イメージとはほど遠い実態の連中であったようだ。
その殆どが終戦後に追放されているという事実がある。

融和 日本軍

昭和7年(1932年)に起きた上海天長節爆弾事件のテロにも関与し、何万人
もの中国人が南京で日本軍に虐殺されたと世界に発信した、プロテスタントの
宣教師フィッチに至っては、東京裁判で自分が実際に見聞したのは、実は殺人
現場1件、強姦現場1件、略奪現場1件だけであると証言している。
これこそが、南京大虐殺というブラックプロパガンダの舞台裏の現実なのだ。

南京事件に於ける虐殺現場の証拠写真とやらも、南京とは無関係であったり、
加害者が日本軍でないことが判明している写真も多い。
日本軍将兵の軍服が違っていたり、刑場に引かれて行く民間人とされている
にも拘らず、皆が笑みを浮かべていたりと。
張学良軍が斬首した満州匪賊の首を曝した場面でさえも日本軍に依る南京大虐殺の
証拠写真として、朝日新聞がデマ記事を掲載したり、様々に使われている現実がある。

満州匪賊の首

何れにせよ、私が少年時代に初めて見た婦女子の惨殺現場写真は余りにも酷い。
誰かが残虐非道な行為を行なったという事実があることは許しがたく、憤りを
禁じ得ない。
はっきり言うが、あの淫虐極まりない猟奇的な惨殺方法は、中国人の人の殺し方
なのである。
中国人お得意の惨殺パターンなのである。

歴史や風土の異なる民族は、それぞれに大きく異なったメンタリティを持つ。
人の殺し方一つにも、その民族性が表われるのだ。
日本人の一般的なメンタリティからすれば、武家社会での「生殺しはいかん」
(生殺し:殺す寸前まで痛めつけること)という考え方があり、切腹の際で
すら「介錯」という介添えがあり、腹切りは型通りの作法として、刃を腹に
突き立てた真似事だけでも、即座に首を討って、苦しむことの少ない死をと
手助けをするというのが、日本人の培って来た精神性である。
従がって、日本軍の処刑方法は射殺、或いは槍刀に依る一刀、一突きで
命を奪う傾向があったのだ。

それに引き替え、生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を
与えた上で死に至らすという、残酷極まりない凌遅刑(りょうちけい)が
清朝の時代まで行われていたお国柄の中国である。
しかも、凌遅刑で削ぎ落とした肉は、食ってしまうのだから始末が悪い。
その民族のメンタリティは推して知るべし、である。

中国の官憲こそが、20世紀半ばの動乱の時代、内戦で数千万人もの同胞を
殺したのだということは判明している。
自国民の犯した罪を、日本人に負わせるな!と言いたいものである。
漢人どもが如何様に法螺を吹き捲ろうが、虐殺された人々の御魂は自分たちが
何者に殺されたのか、その真実をご存知なのだと思う他は救いが無かろう。







但し、日本軍が捕虜は皆殺しに近い状態で処刑したであろうことは想像出来る。
日本軍が南京を攻略した段階では、国民党の幹部や軍の上層部は、兵士を置き
去りにして、既に逃走していたという。
国民党軍には「督戦隊」という部隊があって、退却や逃走する中国兵士は
撃ち殺してしまったり、トーチカの守備兵に至っては、足枷でトーチカに
繋がれて、更にはトーチカの出入り口を鎖で塞ぎ、逃げられないようにする
ような、どちらが敵だか判らないほどに、同胞を残虐非道に扱ったという、
モラルの著しく低い軍隊組織であったのだ。
そもそも、置き去りにされた中国軍の兵士たちは南京周辺で3回に亘り、
少年に至るまで強制的に徴兵された人々が殆どで、日本軍の進攻を恐れて、
軍服を脱ぎ捨て、一般市民の中に逃げ込んだケースが多かったそうだ。

また、国民党軍は「便衣隊」と言って、国際法上、禁止されていたゲリラ戦を
行なっていたので、それら平服の兵士たちを民間人の中から探索し、日本軍が
処刑した場合には、民間人を殺したという様に見えたのは当然であったろう。
その処刑数が2万人近かったというのであれば、それはそれで納得出来る。



私が調べた限りに於いて、後に沖縄戦での陸軍参謀長を務めたT参謀が
この南京攻略戦での捕虜の皆殺しを下令した形跡があることからすれば、
戦闘員の殺戮が行なわれたことは事実であろうと思われる。

但し、国際法上、軍服を着していない戦闘員は捕虜として扱われることはなく、
ジュネーブ条約の保護下にはない。
そうであっても、残虐非道であることには変わりはないのだが、当時の日本軍
将兵としては、上海事変に端を発する激烈な戦闘の延長線上での便衣兵の処刑
として、理解していたものと思われる。



それにしても、素朴な疑問として、「南京大虐殺事件」を積極的に肯定する
日本人にも、中国人にも聞いてみたいが、その30万人とも50万人とも
カウントされる犠牲者の遺体は一体、何処にあるのだろうか?
全部、長江の流れに放り投げたとでも言うのだろうか?

プロパガンダ通りであるならば、広島で原爆が炸裂したあの日の犠牲者の
2倍以上もの犠牲者数のはずである。
一人の体重を50㎏としても、30万人なら15000tにもなる遺体の山を一体、
どのようにしたら、無と化すことが出来たと言うのだろうか?
焼却した形跡も無く、埋葬された痕跡も無いではないか。



しかも、日本軍が南京を陥落させた後に、南京城内の人口が5万人増えていた
という記録があるが、30万人を殺戮したとするならば、そんな地獄のような南京に
30万人+5万人で、 35万人もの中国人がわざわざ流入して来たとでも言うので
あろうか?
むしろ、暴虐を尽くした中国国民党軍が南京から敗退して、南京市民が安心
したというのがことの真相であったろうと思われる。

そもそも、南京大虐殺というブラックプロパガンダの論理は破綻しているのだ。
何故にか、自虐史観を振り回し、歴史を歪めてまで、自分の祖国、同胞に泥を
塗りたがる、旧社会党のような輩が存在するが、イデオロギー抜きで、もっと
真摯に史実と向かい合った方が良い。








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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/01/19 05:46 | 支那関連COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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