華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 大日本帝国は何処を侵略したのか? …大東亜戦争は自衛戦争であった

大日本帝国は何処を侵略したのか? …大東亜戦争は自衛戦争であった

大日本帝国は何処を侵略したのか? 

          …大東亜戦争は自衛戦争であった



1945年(昭和20年)8月15日の終戦から、50年を経た平成7年(1995年)
8月15日、大日本帝国の植民地支配と侵略を謝罪する「村山談話」を発表した
村山富市元首相は5月19日付の日本経済新聞インタビューで、「おかしな話だ。
武力で敵国に乗り込めば、それが侵略であって、その他の表現はない」と述べ、
「侵略の定義は定まっていない」との安倍晋三首相の発言を批判した。
外地での武力行使を直ちに「侵略」と定義付けるのは、歴史的状況を度外視
した、余りにも浅薄な断定である。
こういう思考回路の政治家は、自国の防衛戦闘の戦場を自国の領土、領海、
領空としか想定していないものである。

では、「武力で敵国に乗り込めば、それが侵略」とする村山元首相は、1944年
6月6日のノルマンディー上陸作戦に始まるアメリカ軍、イギリス軍を主体と
した連合国軍のヨーロッパ進攻をドイツ軍からのヨーロッパ解放の戦いとせず、
連合国軍のヨーロッパ「侵略」と見做すとでも言うのであろうか。
艦船約6800隻、航空機約1万5000機、上陸兵員約16万人が投入され、史上
最大の作戦と呼ばれたノルマンディーの戦いだけで、ドイツ軍6万人と共に
フランスの民間人2万人もの死者を出している。


村山談話


大東亜戦争が大日本帝国の自衛戦争であったことは、歴史的事実である。
東條英機元首相は、自決未遂以前に認めた「日本同胞国民諸君」宛の遺書の
中で、「大東亜戦争は彼より挑発せられたるものにして、我は国家生存、国民
自衛の為、已むを得ず起ちたるのみ。この経緯は昭和十六年十二月八日宣戦の
大詔に特筆大書せられ、炳乎として天日の如し」
(口語訳)「大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の
自衛の為、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年
十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されている通りであり、太陽の輝きの様に
明白である」と述べ、極東国際軍事裁判(東京裁判)の宣誓供述書では、
「断じて、日本は侵略戦争をしたのではない。自衛戦争をしたのである」
「国家自衛の為に起つという事が、ただ一つ残された途であった」と語った。


東條英機 東京裁判


ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官は、昭和26年(1951年)5月、
アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、「日本の戦争は自衛戦争であった」と
証言している。

"There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin,
they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the
Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12
million people unoccupied in Japan.
Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security."

「日本は絹産業以外には、固有の天然資源は殆ど何も無い。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、
ゴムが無い。
それら一切のものが、アジアの海域には存在していた。
もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が
発生するであろうことを日本人は恐れていた。
従がって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に
迫られてのことであった」


西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々の南洋諸島は嘗てドイツの
植民地であったが、第一次世界大戦に参戦した大日本帝国が国際連盟に依って、
委任統治を託された地域であった。

大東亜戦争の時代、フィリピンはアメリカの植民地であり、インド、ビルマ、
マレー半島はイギリスの植民地、インドシナ半島はフランスの植民地、
インドネシアはオランダの植民地であった。
唯一、タイ王国がイギリスとフランスの緩衝地帯として、植民地支配を免れ、
独立を保っていたに過ぎない状況下にアジアは在った。
大日本帝国はアメリカ、イギリス、オランダなど、アジア諸国を植民地統治
していた白人の侵略国家と戦争をしたのであり、アジア諸国を侵略した訳では
ないのである。





マックB


対中国に関しては、日本軍が中国大陸に駐留していた事実を以って、即座に
侵略とする論を為す御仁が居るが、日本軍は明治34年(1901年)9月7日
調印の「義和団事変ニ関スル最終議定書(北京議定書)」に基づいて、合法的に
「北京・山海関間の鉄道の保全、並びにこの間に居住する居留民の保護の為に
駐兵及び演習する」ことになったのである。

義和団事変とは、1890年代末から山東省で大刀会などの武術組織を中心とした、
大規模な反キリスト教の立場に立った武装排外運動で、1900年には天津や北京
を占拠、北京の列国大公使館区域を包囲攻撃し、外国人を大虐殺した。
清朝政府は当初、義和団鎮圧に当たっていたが、1900年6月、「扶清滅洋
(清を助けて、西洋を滅ぼす)」を掲げるこの大規模な武装排外運動を支持し、
義和団と共に外国勢力を排除することに方向転換、列国に宣戦布告をした。
これを受けて、日本、ロシア、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、
イタリア、オーストリアの8ヶ国の連合軍2万人が出兵し、これを鎮圧、8月
には清朝政府が降伏し、翌1901年の「義和団事変ニ関スル最終議定書(北京
議定書)」で、北京への外国軍の駐屯を認めた。


義和団事変500


義和団事変 列強8ヶ国軍500


義和団事件 列強8ヶ国


また、1946年までの中国には、「租界」というものがあった。
租界というのは、清国とイギリスで戦われた阿片戦争後の不平等条約に依り、
中国大陸各地の条約港に設けられた、行政自治権や治外法権を持つ外国人
居留地のことで、20世紀の近代中国に於ける列強の権益の拠点であった。
中国に租界を有していた列強は、イギリスを始めとして、日本、アメリカ、
フランス、ドイツ、オーストリア、ベルギー、ロシア、イタリアなどで、
それぞれの国が自国の居留民保護の為に、軍隊を駐留させていた。

この外国人居留地は、列強が外交上の交渉で清国から得た権益で、
後に中華民国に継承された訳だが、この治外法権を持つ居留地を、
中国の官憲には保護する義務があったにも拘わらず、彼らは軍隊組織、
警察組織としての体を為しておらず、彼ら自身が昭和2年(1927年)、
日本人が虐殺された「もう一つの南京事件」や昭和12年(1937年)の
通州事件など、凄惨極まりない日本人惨殺事件を引き起こしていたのだ。


上海 租界地

                     上海の租界地


我が国にも嘗て、横浜や神戸に外国人居留地が存在した。
安政年間(1858年)に、江戸幕府の日米修好通商条約を始めとして、
イギリス、フランス、ロシア、オランダと修好条約を締結した。
この「安政の五ヶ国条約」に依り、東京と大阪、箱館、神奈川、長崎、
兵庫、新潟の5港を開港して、外国人の居住と貿易を認めた。

開港場としては、横浜と神戸のみであったが、居留地は長崎や築地など
にも在り、外国人が一定区域の範囲で土地を借り、建物を購入し、或いは
住宅倉庫商館を建てることが認められ、治外法権とされていた。
我が国の場合は条約改正の外交努力に依り、1899年には総べて回収した
訳であるが…。

日中全面戦争への道程として、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、
首都南京攻略という経緯は、中国を侵略するという目的ではなくて、
発端は飽くまでも、日本人居留民保護の為に止むを得ず、日本政府が
軍隊を増派したということなのである。


居留地 横浜

                         横浜の居留地

神戸居留地500

                         神戸の居留地


譬えて言えば、幕末、居留地を守るべき幕府の軍隊が治外法権を持つ
横浜の居留地に侵入し、小規模のイギリス軍を撃破、略奪の上、外国人に
陵辱を加え、虐殺したとする。
更に、居留地は幕府の大部隊に包囲された状態が続く。
当然、イギリス本国政府は自国民保護の為に、艦隊を派遣し、陸兵も増派する。
増強されたイギリス軍と幕府軍との交戦があり、幕府軍は江戸に潰走した。
そこで、イギリス軍は禍根を断つ為に、江戸府内にまで追撃し、幕府軍を江戸
から駆逐したとしよう。

要するに、日中の武力衝突が泥沼の戦争状態にまで発展した構図というのは、
正にこういうことであった訳なのである。
この譬え話の江戸が、実際の日中戦争に於いては、南京であった訳である。


陸軍特攻 第119飛行隊500
陸軍特攻 誠第119飛行隊の遺影。 台湾桃園航空基地にて。 
昭和20年4月22日午前8時半頃、出撃1時間半前の写真。
少年飛行兵出身14名の搭乗員達。
特攻散華を目前にしていながら、護国の覚悟に輝くばかりの笑顔を見せる、
18歳から19歳の天晴れな日本男児達。
(西村真悟衆議院議員のホームページより拝借)



朝鮮系日本人、中国系日本人はいざ知らず、少なくとも江戸時代からの日本人
の子孫である大和系日本人であるならば、偽論である東京裁判史観、自虐史観
などに惑わされることなく、日本の近現代の歴史的事実に対し、先祖への尊崇
の念と祖国への愛念を胸に抱きつつ、真摯に正視眼的に向き合うべきである。


北上展勝地の桜並木

                     岩手県北上市 北上展勝地の桜並木




スポンサーサイト

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/05/29 16:58 | 歴史随想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP |