華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 日本人ならば、戦犯と呼ぶ勿れ …戦犯という言葉は死語である

日本人ならば、戦犯と呼ぶ勿れ …戦犯という言葉は死語である

日本人ならば、戦犯と呼ぶ勿れ 

             …戦犯という言葉は死語である 



日本人でありながら、大日本帝国の戦争責任者たちが戦勝国に押し付けられた
「戦争犯罪人」という不当な汚名を好んで使い続ける人々がいる。
曰く、靖国神社のご祭神に「A級戦犯」刑死者7人が合祀されている云々と。
「敗戦国日本の戦争犯罪」、「日本の戦争犯罪人」とは、戦勝国側の概念であり、
呼称に過ぎないのである。
戦勝国側から戦争犯罪人の汚名を着せられ、処刑された同胞が国内法に於いて、
犯罪者であろうはずがない。
彼らは日本人にとっては、敬意を払うべき、国家に殉じた尊い殉死者である。


降伏調印500


大日本帝国は昭和20年(1945年)8月14日午後11時、ポツダム宣言受諾を
連合国に通達して、事実上の無条件降伏をした。
厳密に言えば、大日本帝国陸海軍の無条件降伏であって、大日本帝国自体の
無条件降伏ではない。
大日本帝国は、ポツダム宣言の諸条件の下に降伏したはずであるが、占領政策
を実施したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令に服従した日本政府は、
歴史的事実として、国家主権をも放擲していた。

ポツダム宣言の第10項に、「われわれは、日本を人種として奴隷化するつもり
もなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を
虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては、厳重な処罰を加える
ものである。……」

(10)we do not intend that the japanese shall be enslaved as a race or
destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war
criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners.


終戦後、敗戦国日本は極東国際軍事裁判(東京裁判)に於いて、極東国際軍事
裁判所条例という、国際法で認められない事後法に依って裁かれ、また国内外
で、地域限定の戦争犯罪人として、多くの旧日本軍兵士が軍事裁判で裁かれた。
国内外で、戦争犯罪人として落命された人々は獄中死も含み、1068人にも上る。

極東国際軍事裁判所条例に於ける、A級B級C級戦争犯罪という戦争犯罪類型
は、単なる分類であって、戦争犯罪の軽重を意味している訳ではない。


A級戦争犯罪とは、「平和に対する罪」(Crimes against Peace) であり、
東京の極東国際軍事裁判所(市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂)で審理された。
B級戦争犯罪とは、「通例の戦争犯罪」( Conventional War Crimes) であり、
戦時国際法に於ける交戦法規違反行為を意味し、戦場地域の各国に於いて、
審理された。
C級戦争犯罪とは、「人道に対する罪」( Crimes against Humanity) であり、
日本に対しては殆ど適用されなかったとは言え、現実には、「捕虜虐待の指揮、
監督当たった士官など」をB級、そして、「直接捕虜を取り扱い、虐待の命令を
具体的に実行した、主に下士官、兵士、軍属」がC級として、処断された。


サンフランシスコ講和条約500


昭和26年(1951年)9月署名、11月批准、昭和27年4月28日に発効した
サンフランシスコ講和条約に依って、連合国は日本の主権を承認し、国際法上、
正式に日本と連合国間の戦争状態が終結した。
日本が主権を回復した、昭和27年から28年に掛けて、戦犯の釈放を求める声
が高まり、全国的規模で一斉に「戦争受刑者の助命、減刑、内地送還嘆願」の
署名運動が始められ、戦争受刑者釈放運動が巻き起こったという。
日本の人口が約8500万であった当時、その署名数は、地方自治体に依るもの
約2000万、各種団体に依るもの約2000万、合計約4000万にも達したという。

国会では、
●「戦犯在所者の釈放等に関する決議」 昭和27年(1952年)
  6月9日 第13回国会参議院本会議 第49号
●「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」 昭和27年(1952年)
  12月9日 第15回国会 衆議院本会議 第11号
●「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」 昭和28年(1953年)
  8月3日 第16回国会 衆議院本会議  第35号
●「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」 昭和30年(1955年)
  7月19日 第22回国会衆議院本会議 第43号
が可決されている。

国会で正式に、ABC級戦犯は法的には戦死者や戦場に於ける病死者同様、
国家の為に犠牲となった殉死者であり、公務死(戸籍記載は法務死)である
と決議された結果、公文書からも「戦犯刑死」という文字は削除され、
日本から「戦犯」という言葉は消えたのである。

国会の決議は、廃案が公布されない限りに於いて、恒久的な拘束力を持つ。
戦犯発言をする国会議員は、国会決議違反を犯していることになるのである。


戦犯釈放


更に、昭和31年(1956年)にはサンフランシスコ講和条約第11条
「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争
犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの
法廷が課した刑を執行するものとする。
これらの拘禁されている物を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、
各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く
場合の外、行使することができない。
極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に
代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、
行使することができない」に基づき、関係各国11カ国の同意を得て、
A級戦犯は赦免された。
この時点に於いて、国際的にも総べての戦犯が赦免されているのである。

日本人ならば、「戦犯」と呼ぶ勿れ。
戦勝国側の呼称「戦犯」という汚名は、60年前に抹消されているのである。


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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/06/03 04:45 | 歴史随想COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

コメントを、どうも有難うございます。

イーグルス16様

コメントを、誠にどうも有難うございます。

大東亜戦争に罪有りとするならば、戦勝国の戦犯指名は、
国家の罪を個人が背負わされた構図そのものですから、
祖国に殉じた人々を、後世の日本人が軽んじるようなことが
あってはなりませんよね。


No:69 2013/06/04 01:26 | 詠山 史純 #0i8ZJB9o URL [ 編集 ]

はじめまして

まったくそのとおりですね。

No:67 2013/06/03 05:43 | イーグルス16 #- URL [ 編集 ]

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