華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 日本語史上、最大級の誤訳「神」① …天皇は神であるが、Godは神ではない

日本語史上、最大級の誤訳「神」① …天皇は神であるが、Godは神ではない

日本語史上、最大級の誤訳「神」① 

     …天皇は神であるが、Godは神ではない



私が十代の頃のこと。
昭和20年の終戦時には省線(国電)に勤労動員されていた18歳で、8月15日
の午前に赤紙(召集令状)を受け取ったという父親が、「終戦までの日本人って、
本当に馬鹿だったよなぁ。天皇陛下を神だと信じ込んでいたんだからなぁ」と
言ったのを聞いて、「この男は馬鹿か!」と軽蔑したのを鮮明に憶えている。

この時の父親の言った「神」という言葉は、日本の「神」の概念を意味しない。
ユダヤ教の「ヤーべ」やキリスト教の「エホバ」、イスラム教の「アッラー」
など、一神教で言うところの唯一絶対神である。
つまり、戦時中に十代であった彼は、「神」の概念理解が恐ろしく幼稚で、
自分は天皇陛下を西洋のGodのように捉えていたという愚かさを吐露した
ということになる。
彼が真に日本の「神」の概念を理解していたならば、「天皇陛下は神である」と
断言したはずであった。


大元帥陛下 馬上


昭和12年(1937年)に文部省が編纂した「国体の本義(こくたいのほんぎ)」
第一章「大日本国体」第一項「肇国(ちょうこく)=建国の意」に、
「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。
これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家
として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。
これ、我が国体の精華とするところである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御鏡は、天照大神の崇高なる御霊代(みたましろ)として皇孫に授けられ、
歴代天皇はこれを承け継ぎ、いつきまつり給ふのである。
歴代天皇がこの御鏡を承けさせ給ふことは、常に天照大神と共にあらせられる
大御心であつて、即ち天照大神は御鏡と共に今にましますのである。
天皇は、常に御鏡をいつきまつり給ひ、大神の御心をもつて御心とし、大神と
御一体とならせ給ふのである。
而してこれが我が国の敬神崇祖の根本である。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは大神の御子孫として現御神(あまつみかみ)であらせられる天皇と、
天皇の命によつて政に当るものとの関係を、儼として御示し遊ばされた
ものである。
即ち我が国の政治は、上は皇祖皇宗の神霊を祀り、現御神(あまつみかみ)と
して下万民を率ゐ給ふ天皇の統べ治らし給ふところであつて、事に当るものは
大御心を奉戴して輔翼の至誠を尽くすのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
とある。
天皇は現御神である。現御神でなければ、天皇ではないのである。


国体の本義


敗戦の翌年、昭和21年(1946年)1月1日に官報号外で発布された昭和天皇
の詔勅は「天皇が現御神(あまつみかみ)であることを自ら否定された」と
曲解した当時のマスコミに依って、「人間宣言」と名付けられた。
そもそも、マスコミが「人間宣言」と名付けたということは、「現御神」の対極
に「人間」を対置させたということを意味する。
「人間宣言」と名付けた馬鹿は、「現御神」をGodと誤解していたか、曲解して
いたことになる。
西洋風の一神教では、神(God)と人間は創造者と被創造者として、その間には
絶対に超えることの出来ない断絶があるからこそ、対置されるのである。


「国体の本義」第一章「大日本国体」第二項「聖徳」に、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
かくて天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神で
あらせられる。
この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の
神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる
天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の
生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き(かしこき)御方であることを
示すのである。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
とある。
天皇が生きた人間でなければ、現御神であろうはずがないではないか。
何も、天皇は無謬の最高人格者で、悪心は起こさない、勃起はしないは、
糞も垂れない、屁もひらない、血管を切ったら、緑の血が出るなどと、
臣民が考えている訳もない。
明治神宮のご祭神である明治天皇は若かりし頃、大酒食らうわ、女好きだわで、
なかなかのものであったそうであるが、それでも尚、明治大帝と称されるほど、
稀に見る立派な天皇であった。


古事記A500


「人間宣言」なるものであるが、天皇が現御神、現人神(あらひとがみ)で
あることを自ら否定なされたとされる部分は、
「然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、
単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。
天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越
セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基ク
モノニモ非ズ」

「しかし、朕は、常に汝ら臣民と共にあります。
(朕は)常に利害を同じくして、喜びも悲しみも一緒に分かち合いたいと
願っています。
朕と汝ら臣民との間の絆は、終始相互の信頼と敬愛とに依って、結ばれている
ものです。
それは、単なる神話と伝説に依って、生じているものではありません。
天皇を以って、現御神とし、かつ日本国民を以って、他の民族に優越する民族
として、延いては世界を支配すべき使命を有するなどという架空の観念に
基づくものではありません」
の最後の一文である。

しかし、この一文を以って、天皇陛下自らが現御神という神格を否定為さった
と断定するには無理がある。
敗戦後のショックで、日本人は日本語文章をもまともに解釈する余裕さえ
無くしていたのかも知れない。

三つの文は主語が一緒である。
「朕と汝ら臣民との間の絆は」までが主語部分で、
「終始相互の信頼と敬愛とに依って、結ばれているものです」が述語部分。
次に、省略してあるものの、
「朕と汝ら臣民との間の絆は」までが主語部分で、
「単なる神話と伝説に依って、生じているものではありません」が述語部分。
問題の一文についても、省略してあるものの、
「朕と汝ら臣民との間の絆は」までが主語部分で、
「天皇を以って、現御神とし、かつ日本国民を以って、他の民族に優越する
民族として、延いては世界を支配すべき使命を有するなどという架空の観念に
基づくものではありません」までが述語に相当する。
この一文の主旨は「絆は」、「架空の観念に基づくものではない」という意味で、
天皇が現御神という神格を否定為さった訳ではないのである。
万が一、従来一般に流布されて来たように、「天皇を以って、現御神と」する
ことを「架空の観念」とされ、昭和天皇が天皇の現御神という神格を否定
為さったということであるならば、(三島由紀夫はそう読んだ)それは昭和天皇
の大きな誤りである。
天皇は、皇祖皇宗とご一体の現御神という神格でなければならないのである。


人間宣言500


日米戦争の時代、アメリカ軍が日本理解の為に兵士向けに制作した映画を観る
と、その中で「日本人は天皇をGodと崇め奉っている」と解説している。
日蓮系カルト教団ではあるまいし、そんな馬鹿なことがある訳無いではないか。
一神教世界の西洋人には、日本の「神」の概念が、更に厳密に言えば、日本の
「カミ」の概念が理解出来ないだけのことである。

幕末であるか、明治初期であるか、キリスト教の宣教師か、日本人の国語学者
が馬鹿であったのか、何れにせよ、ユダヤ教の「ヤーべ」やキリスト教の
「エホバ」、イスラム教の「アッラー」などのGodを「神」と翻訳したことは、
文化的に万死に値する大罪である。

「広辞苑」での「神」の項には、
① 人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。
人知を以てはかることの できぬ能力を持ち、人類に禍福を降すと
考えられる威霊。
人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。
②日本の神話に登場する人格神。
③最高の支配者。天皇。
④神社などに奉祀される霊。
⑤人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。
 イ、雷。なるかみ。
 ロ、虎・狼・蛇など。
⑥キリスト教で、宇宙を創造して支配する、全知全能の絶対者。上帝。
とあるが、この⑥の唯一絶対神は明らかに誤訳であり、余計である。
神300
その昔、日本では職業婦人を指して、ビジネスガール(BG)と称していた時代
があったが、アメリカの俗語では売春婦を意味すると分かり、日本全国一斉に
オフィスレディ(OL)と呼ぶことにした。
また、かつて「トルコ風呂」と呼ばれた売春施設があったが、トルコ共和国
大使館からのクレームなどがあり、やはり日本全国一斉に「ソープランド」と
呼び名を変えることにした。
大学の机に「トルコに行きたい」と彫ってあったのを思い出す。
何も、学生がヒッタイト、古代ギリシア、ローマ帝国、イスラムなど様々な
文明が栄えた、諸文化混交のトルコ文化に憧れて、「トルコに行きたい」と
思ったということではない。
単にセックスがしたいという意味であった。
トルコ大使館関係者がタクシードライバーに「トルコ大使館」と行き先を
告げたところ、「トルコ大使館」という名称の「トルコ風呂」に連れて行かれた
という笑い話もあった。

昨日今日、日本に入って来たような一神教の所為でこれ以上、日本の「神」の
概念を滅茶苦茶に混乱させて欲しくないものである。
日本人、または日本に関わりを持つキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、
更に、日本の国語学者、文部科学省には、BGやトルコ風呂の呼び名を日本全国
一斉に変更したように、「神」という言葉をGodの訳語として使わないように
改革して欲しいものである。
16世紀のフランシスコ・デ・ザビエルがそうしたように、Godは訳さずに、
原語のまま用いるか、「天主」とでも訳しておけば、良いではないか。
どうしても、「神」という誤訳を使い続けるというのであるならば、せめて、
「神(カミ)」と日本読みせずに、「神(シン)」と支那読みにして貰いたい。

私は神徒であるから、「神」という言葉、神の概念には拘りを持っている。
日本人のキリスト教徒が、日本の「神」という言葉を使うことに、どうして
違和感を覚えないのか、不可解で仕方が無い。
Godを「神」と和訳するのは、非常に大きな誤りである。




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2013/06/10 04:47 | 天神地祇COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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