「光」の解字 …「三光作戦」とやらのこと

 2013-06-25
「光」の解字 

     …いわゆる「三光作戦」とやらのこと



私はピンチに陥っても決して絶望することなく、たとえ微かであっても、
一条の希望の光だけは見失うまいと、いつも自分の心に言い聞かせながら、
日本の神々に祈りを捧げつつ、何とか生き抜いている。
天空から暗闇に差し込む希望の光。
「光」のイメージは、全てを明らめる輝かしき陽の光、闇夜を照らす穏やかな
月の光、生きとし生けるもの皆全てに、天の恵みを降り注ぐ神々しきものなど、
素晴らしき善きものであろう。
しかし、その「光」の字源、原初の文字の形象は極めておぞましいものである。


光 象形文字


「光」の本字は「灮」であり、「灮」は「火」+「儿=人(跪いた人の足)」で、
「人の頭上に光る火」の形象である。
「人が跪いて、火を掲げている」形象であるという説もあるが、そうではなくて、
「人が頭上に火の光を載せている」形象であろうと推察される。
何故ならば、古代に在っては、「火」は神々に捧げる生贄を焼き尽くす為のもの
であったからである。
「灮」「光」の象形文字で、燃えているのは「人の頭」であり、「人そのもの」
であろう。
古代支那で行なわれた生贄の儀式か、あるいは拷問で、人の頭上や背中で油が
燃え盛る様子を字源としているということになる。


頭が燃えているD


日本語では、「光」とは「光ること」「光るもの」の意味であるが、支那語では、
形容詞で、「少しも残っていない」「(表面に)何も付いていない」、補語に用いて、
「…してすっかり無くなる」「…し果たす」「…し尽くす」「すっかり…する」
という特有の意味がある。
つまり、「~光」で、「~し果たす」「~し尽くす」という意味になる。

昭和15年(1940年)、支那事変に於いて、日本陸軍北支那方面軍が支那華北で、
共産党の八路軍(パーロぐん)など、抗日ゲリラ掃討の為に作戦名「三光作戦」
という殲滅戦を実行したという、悪名高きブラックプロパガンダがある。

この「三光作戦」の「三光」とは、「殺光(さっこう)」「焼光(しょうこう)」
「搶光(そうこう)」or「略光」or「奪光」で、それぞれ、「殺し尽くす」
「焼き尽くす」「奪い尽くす」という意味であるが、これは明らかに支那語で
あって、日本語には無いものである。
日本語に無い発想で、日本人が作戦名を付けるはずも無い。
後述するが、そもそも古来、日本人には総べてを「殺し尽くし、焼き尽くし、
奪い尽くす」という焦土作戦という戦い方の発想も無いのである。
これは、逃げ回るという戦い方をする支那人特有の「退却戦の最後っ屁」
そのものなのである。


頭が燃えているC


私が初めて支那事変の戦記を読んだ小学生の時でさえ、この三光作戦の「殺光
(殺し尽くす)」「焼光(焼き尽くす)」「搶光(奪い尽くす)」を意味する、
日本人の発想には無い「光」の意味を用いた作戦名に違和感を覚えたものである。
この「三光」という支那語は、撫順戦犯管理所等に収容されていた旧日本兵で
組織した中国帰還者連絡会が昭和32年(1957年)に発行した機関紙『三光』
を切っ掛けに広まったとされている。
ソ連に依ってシベリアに抑留されていた日本軍将兵同様に、捕虜収容所時代に
支那共産党から思想教育を施され、洗脳された成果ということなのであろう。
最近では反日工作員にも、日本語の「光」には、「~し尽くす」という意味は
無いという知恵が付いて来たようで、「三光作戦」の解説にわざわざご丁寧にも
「中国側の呼称」と但し書きが付けられるようになっている。
『広辞苑』には、「日中戦争中、日本軍が行った苛烈で非人道的な掃討・粛正
作戦の中国側での呼称」
『大辞林』には、「日中戦争中、日本軍の残虐な戦術に対する中国側の呼称」
『大辞泉』には、「日中戦争下、日本軍が行った残虐で非道な戦術に対する
中国側の呼称」と修正してある。

「三光作戦」では都合が悪くなったことから、最近では日本名は「燼滅作戦
(じんめつさくせん)」、または「燼滅掃討作戦(じんめつそうとうさくせん)」、
支那語では「三光作戦」ということになっているが、そもそも日本軍の作戦名
を支那人が改名してくれなくても結構だという話である。

YAHOO知恵袋に於ける「旧日本軍は本当に中国で 三光作戦を実行したので
しょうか?」との問いに対して、「儘滅作戦と言う名称で実際に実行してます。
中国側はこれを「三光作戦」と呼びました。
なので『三光、というのは中国語だから、中国の捏造』と騒ぐバカがいますが、
『ピカドンは日本語だから、原爆投下は捏造」とアメリカ人が言うような
もんです』と、的を外した譬え話を用いて、回答している馬鹿がいる。


機関紙三光


平成7年(1995年)に発行された、日本社会党のパンフレット「国会決議実現
にむけて」には、「日本軍は中国全域で三光(奪い、殺し、焼きつくす)作戦を
展開し大きな被害を与えるとともに強制連行、強制労働などによっても膨大な
犠牲者を出しています」と、大嘘が書かれている。
何時の間にやら、三光作戦の対象地域が「中国全域」ということになっている。
さすがは、「南京大屠殺記念館」の建設を再三、執拗に中国共産党に持ち掛け、
総評に3000万円の資金提供をさせた上、ご丁寧にも建築設計までしてやった
という反日工作一直線の売国政党、栄えある日本社会党だけのことはある。
尤も、建設費用は870万円で事足りて、残りは中国共産党幹部連中で山分け
したという後日譚付きの豪華さである。


支那の焦土政策 記事B


昭和15年(1940年)8月、華北の八路軍が作戦名「百団大戦」の攻勢に転じ、
日本軍の軍事拠点が攻撃を受け、鉄道や通信施設などに大きな被害を被った
ことから、北支那方面軍第一軍参謀長田中隆吉少将が「敵根拠地ヲ燼滅掃蕩シ
敵ヲシテ将来生存スル能ハザルニ至ラシム」と命じた攻撃作戦が三光作戦の
端緒とされている。
「燼滅目標及方法」として、1.敵及土民ヲ仮装スル敵 
2.適性アリト認ムル住民中16才以上60才迄ノ男子(殺戮)
3.敵ノ秘匿シアル武器弾薬器具爆弾等 4.敵ノ集積セリト認ムル糧秣
5.敵ノ使用セル文書(押収携行止ムヲ得ザル時ハ焼却)
6.適性部落(焼却)と下命したとされている。

対ゲリラ戦に於いて、根拠地となっている村落の兵站施設を攻撃、破壊し、
便衣兵(ゲリラ兵)及び、敵性男子を殺害するという選択は軍事行動として
正当であり、残虐無比な間違った作戦ではない。
ブラックプロパガンダに踊らされている日本人は、当時の支那の状況を自国と
同様に想像し、単純に支那には支那人がいて、それを守る正義の味方・支那軍
がいて、平和に豊かに暮らしていた地域を旧日本軍が侵略し、暴虐の限りを
尽くしたとでも考えているのではなかろうか。
当時の国民党軍にせよ、共産党の八路軍にせよ、自国民を殺し捲くっている。
国民党軍に、農家の藁切り機を使ったギロチンで首を落とされた支那人だけ
でも45万人いたという凄まじさである。
私の祖母の兄は、八路軍に依って、大勢の住民が家屋に押し込められ、銃撃を
受けて集団処刑された渦中にいたが、周囲の人々が銃弾の盾となったことから、
九死に一生を得たという実体験を持っている。

日本人と支那人やモンゴル人、ロシア人などの大陸人とでは、人の殺し方も
戦争観も違うのである。
「三光作戦」なるもので行われたという残虐行為は、中国の伝統的な略奪、
暴行のお家芸そのものである。
敵地で抗日ゲリラを攻撃する旧日本軍が住民を殺戮し捲くり、全てを破壊し、
焦土化して廃墟と化するということは、支那大陸での日本の権益を守るという
目的に反するのである。
焦土作戦を実行するのは、その地域の支配権を失うことになる敗走軍側が撤退
するに際し、何も残さず、攻撃軍の兵站線に打撃を与えることを意味している。
そして、その自作自演の焦土作戦を日本軍の仕業であると内外に喧伝するのは、
支那人の伝統的な手法なのである。


南京全市焼却説 新聞記事


三光作戦の根拠とされる歩兵第224連隊の「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」は、
平成16年(2004年)に戦時資料として、旧防衛庁(現防衛省)が公開している。





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