華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 南部煎餅四方山話 …岩手、青森、旧南部領伝承の焼成煎餅

南部煎餅四方山話 …岩手、青森、旧南部領伝承の焼成煎餅

南部煎餅四方山話 

…岩手、青森、旧南部領伝承の焼成煎餅



先日、岩手県花巻にお住まいの知人から南部煎餅を贈って頂いた。
南部煎餅と言っても、その一関の佐々木製菓さんの南部煎餅はクッキー風味で、
一枚一枚包装された高級感漂う逸品であった。
南部煎餅は醤油味の煎餅とは違う優しい仄かな味付けで、その野趣に富んだ
素朴な味わいが大きな魅力である。
南部煎餅は伝統の胡麻やピーナッツ入りが定番であるが、現在ではくるみや
りんご、かぼちゃ、チョコ、納豆、イカ、ホタテ等々とバリエーション豊かで、
甘い味のものはクッキー生地を用いる等、南部煎餅は進化し続けているところが凄い。


南部煎餅1


南部煎餅のルーツは、今から約600年前の南北朝時代に遡るという。
南北朝の動乱期、南朝第3代の長慶天皇(1343年-1394年)は中央から難を
逃れて、陸奥の国に潜幸された折、名久井岳の麓(三戸郡南部町)で一行の食糧が
尽きてしまい、随身の赤松助左衛門なる忠臣が近くの農家からそば粉と胡麻と
塩を手に入れ、鉄甲を鍋代わりにして焼いたものを差し上げたところ、天皇は
その素朴な味わいをことのほかお喜びになられ、大層褒めて下さったという。
不遇の長慶天皇と、その都落ちの天皇にまで仕えた忠臣の織り成す、哀しくも
麗しい人間ドラマの気高さが感じられる、この南部煎餅起源説は実に好い。
因みに、長慶天皇の御陵と称する墳墓は全国各地に20何箇所も点在している。


南部煎餅の裏側


時代は下って、応永18年(1411年)、南部氏が侵略されていた陸奥の国鹿角郡
(秋田県鹿角郡)を奪還する為、秋田征伐を行った時のこと。
秋田軍の堅い防備に苦戦を強いられた南部軍は一時撤退し、黒森山に陣を張った際、
先陣を務めていた八戸の根城南部軍の兵士たちが陣中で、そば粉と胡麻と塩を
混ぜ、雑兵の鉄甲で焼いたものを食べ、保存も利くので野戦食としても携行し、
戦勝することが出来たという。
このことから、南部煎餅は青森県南部、岩手県北部の旧南部氏支配地域に
伝承されて来た訳であるが、青森県の場合、弘前藩初代藩主の津軽為信は元々、
南部氏の家臣であって、南部氏の領土の一部を後の弘前藩として独立した為、
南部氏支配下時代の風習がそのまま残ったことになる。
旧弘前藩の津軽地方では、「津軽煎餅」「八戸煎餅」と呼ばれている。


南部煎餅 型1


天保年間(1830年~1844年)には、南部藩の領民がそば粉に塩を入れ、
練ったものを生焼きにして、主食や間食に食べるようになったという。
そば粉を練ったものは完全に焼き上げると硬くなることから、食べ易いように、
生焼き状態で温かい内に食べたようである。
これを「天保煎餅」と言うが、実際には「てんぽ」と呼ばれたらしい。

記録に依れば、この時代の南部藩は凶作に見舞われることが多く、飢饉の時には、
そば粉や大麦粉にわらびの根っこや乾燥させた山菜の粉などを混ぜて、天保煎餅を
焼き、主食として食べたり、乾燥させて保存し、代用食(救荒食)にしたという。
明治時代になると、そば粉や大麦粉の代わりに小麦粉が使われるようになり、
次第に商品化されるようにもなったらしい。


南部煎餅 型2


南部煎餅の最古参、横綱格は、何と言っても胡麻入りの南部煎餅である。
工場での作り方であるが、小麦粉に水、粗塩と重曹を混ぜ合わせて、よく練り、
生地を作る。
その生地を手の平で転がしながら、細長い棒状に延ばし、それを煎餅1枚分に
切り分ける。
それを麺棒で煎餅の大きさに丸く延ばし、その上にゴマを付けて行く。
南部煎餅用の二枚型という型に嵌めて、生地を焼き、焼き上がったら、
「みみ」と呼ばれる、型からはみ出した部分を切り揃えて、出来上がりである。

南部煎餅の形状の特徴は、この焼いた時に型からはみ出してしまう「みみ」が
縁に付いていることで、ここが薄くて、カリカリしていて、香ばしくて、
美味しいのである。
私はずっと東京で暮らしているが、思い出せば、何故かおやつに南部煎餅を
食べた記憶が鮮明に残っていて、先ずは周囲の「みみ」を少しずつ折って
食べてしまってから、本体に向かうという子供の頃の食べ方は未だに変わらない。
この子供っぽい食べ方こそ、南部煎餅の通の食べ方なのだと自負している。
岩手や青森では、この「みみ」だけを集めて、袋詰めされたものが販売されて
いるとは耳にしているが、残念ながら、お目に掛かったことがない。

南部煎餅は何百年もの間、南部藩の領民の命の糧となった、有り難い食べ物として、
現在でも大切にされているようで、岩手県の内陸部北端に位置する二戸地方では、
結婚式の時には、煎餅の上にお赤飯を握ったものを載せて、ご近所に配ったり、
出産祝いには、焼き麩と煎餅を一緒に届けたり、葬儀には煎餅を竹に挟んで、
お供えする等の風習が残っていると聞く。


歌舞伎座せんべいC


お菓子にも風格というものはあるようで、今年の4月に東京の歌舞伎座が
リニューアルオープンしたが、その新開場記念に歌舞伎座と岩手県アンテナ
ショップ「いわて銀河プラザ」がコラボして、南部煎餅を「歌舞伎座せんべい」
として、歌舞伎座で発売した。
南部煎餅の巖手屋さんが歌舞伎の定式幕の黒、柿色、萌黄色の3色に
合わせて、胡麻、りんご、かぼちゃの種の3種類を開発したという。
こういう場面では、やはり伝統がものを言うのである。


南部煎餅 こわれ


一昨年、盛岡城跡公園の向かいにあるサンビル(岩手県産業会館)の1階の
ショッピングセンターで、南部煎餅の「割れ煎餅」を見付け、購入した。
久慈市の宇部煎餅店さんの「こわれせんべい」であったが、それが東京の地元の
スーパー西友でも販売されているのを見付けて、びっくりするやら、嬉しいやら。
しかも、煎餅の陳列棚では、高い人気を誇る三幸製菓さんの「新潟仕込み」と同様に、
堂々と2列も並んでいる。
定番の胡麻とピーナッツの2種類が入っていて、割れているだけのことで、
これぞ正しく南部煎餅という美味しさなのである。

それにしても、南部煎餅の「こわれ」がこんなに沢山、流通しているのは、
怪しい気がする。
あやしい(* ̄▽ ̄)ニヤリ
もしかしたら、宇部煎餅店さん、販売戦略として、「こわれ」路線を採っている
のではなかろうかと秘かに推察している。
きっと、パートのおばちゃんが毎日、わざと割っているに違いない。
あやしい(*´艸)ウッシッシ
野暮な憶測は脇に置いといて、1袋148円の美味しい「こわれせんべい」を
今日も有り難く購入するのだ。









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2013/07/09 03:32 | 岩手県賛歌COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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