華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 帝国憲法四方山話② …日本には欽定憲法こそが相応しい

帝国憲法四方山話② …日本には欽定憲法こそが相応しい

帝国憲法四方山話② 

…日本には欽定憲法こそが相応しい



大日本帝国は明治18年(1885年)、太政官制を廃止して、内閣制度を導入し、
伊藤博文(長州)が初代内閣総理大臣となった。
明治22年(1889年)、大日本帝国憲法が発布され、第1回帝国議会が開会
された翌明治23年(1890年)に施行された。
また、憲法発布と同時に、皇室の家法である皇室典範も定められた。

それに先立つ明治15年(1882年)、参議伊藤博文や井上毅らが渡欧し、
ベルリン大学のルドルフ・フォン・グナイスト、ウィーン大学のロレンツ・
フォン・シュタインの両憲法学者から、ドイツ系立憲主義の理論を学んだ。
ドイツ帝国は小国家を統一した連合国家で、その憲法は単一民族国家である
日本には適さず、むしろドイツ帝国の中核、旧プロセイン王国の憲法体制が
最も適すると判断され、明治16年(1883年)、憲法取調局(制度取調局)は
プロセインタイプをベースに、憲法草案の起草を開始した。

日本の法体系の根幹となるべき憲法であれば、単なる立憲君主国の制度を
外国に倣って導入すれば良いというものではなく、それは日本の歴史、伝統、
文化に立脚した、日本の国柄を十全に反映したものでなければならない。


憲法発布A


大日本帝国憲法は、明治天皇が内閣総理大臣黒田清隆(薩摩)に手渡すという
「欽定(きんてい)憲法」の形態で発布された。
欽定憲法とは、「君主の意思に依って制定され,国民に与えられた憲法」と
定義され、ヨーロッパでは王権と民権との対立構造の中で、強い権力を有する
君主が民権の伸張を抑圧する為、一方的に国民に押し付けるのを常とする。
しかし、憲法の立案に関わった伊藤博文が、「そもそも憲法を設ける趣旨は、
第一に君権(公権力)を制限し、第二に臣民(国民)の権利を保全すること
である」と述べているように、大日本帝国憲法は欽定憲法でありながら、
恰も民定憲法であるかのように、王権と民権の均衡が図られていた。

それは偏に、万世一系の天皇が皇祖の神勅を奉じて統治する一大家族国家と
という、日本の国体に起因する。
天皇は皇祖皇宗、ご歴代天皇の神霊を祀り、その大御心を奉戴して国を統治し、
国民はそのご歴代天皇の下で臣民として生きたご先祖代々を敬い、君臣共に
生者のみの概念でものを考えないのである。


明治元年(1868年)3月14日、16歳の明治天皇が紫宸殿に公卿諸侯を
集め、天神地祇を祀り、神々に誓約するという形で新しい国家の方針を
表明された「御誓文(五箇条のご誓文)」同様に、大日本帝国憲法もまた
明治天皇が「76箇条のご誓文」を「天神地祇のご神前で神々(皇祖皇宗)に
お誓い申し上げた」ということである。
従がって、「欽」の語は「天子に関する物事に冠して、敬意を示す」語であるが、
明治22年発布の欽定憲法の「欽(つつ)しんで、定める」という敬意の対象は、
明治天皇ではなく、神々(皇祖皇宗)である。
近代日本の国是からして、天皇と国民という生者間の王権と民権のせめぎ合い
の中で、天皇が国民に下されたという意味の欽定憲法ではないのである。
それは、大日本帝国憲法発布に於ける「告文(つげぶみorこうもんorこうぶん)」
「憲法発布勅語」及び「大日本帝国憲法上諭(前文)」に明示されている。


御誓文500


大日本帝国憲法「告文」

明治22年2月11日公布
明治23年11月29日施行
昭和22年5月3日失効


皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神靈ニ誥ケ白サク皇朕レ天壤無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ寶祚ヲ承繼シ
舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ發達ニ
隨ヒ宣ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ
外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメ益國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲
民生ノ慶福ヲ增進スヘシニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ
逮テ時ト倶ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ神祐ヲリセテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ
愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
神靈此レヲ鑒ミタマヘ


※上奏文等に於いて、高貴な人に関する語を記述する際、最高の敬意を示す為 
 に改行し、他よりも高く書く「擡頭(たいとう)」という文書上の作法がある。
 (縦書き)
「皇」の文字を各行の先頭に記述するのはその為で、この「告文」の場合、
敬意の対象は皇祖皇宗である。


明治憲法告文


(ふりがな表記)

皇朕(わ)レ謹(つつし)ミ畏(かしこ)ミ
皇祖(こうそ)
皇宗(こうそう)ノ神霊(しんれい)ニ誥(つ)ケ白(まう)サク
皇朕(わ)レ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ宏謨(こうぼ)ニ
循(したが)ヒ惟神(ただかみ)ノ宝祚(ほうそ)ヲ承継(しょうけい)シ
旧図(きょうと)ヲ保持(ほじ)シテ敢(あへ)テ失墜(しっつい)スルコト
無(な)シ
顧(かへり)ミルニ世局(せいきょく)ノ進運(しんうん)ニ膺(あた)リ
人文(じんもん)ノ発達ニ随(したが)ヒ宜(よろし)ク
皇祖
皇宗ノ遺訓(いくん)ヲ明徴(めいちょう)ニシ典憲(てんけん)ヲ成立シ
条章(じょうしょう)ヲ昭示(しょうじ)シ内(うち)ハ以(もち)テ
子孫(しそん)ノ率由(そつゆう)スル所(ところ)ト為(な)シ
外(そと)ハ以(もち)テ臣民(しんみん)翼賛(よくさん)ノ道(みち)ヲ
広(ひろ)メ永遠(えいえん)ニ遵行(じゅうんこう)セシメ益々(ますます)
国家ノ丕基(ひき=統治の基礎)ヲ鞏固(きょうこ)ニシ八洲(やしま=日本
の美称〉民生(みんせい=臣民の生活)ノ慶福(けいふく)ヲ増進(ぞうしん)
スヘシ
茲(ここ)ニ皇室典範(こうしつてんぱん)及憲法ヲ制定ス
惟(おも)フニ此(こ)レ皆(みな)
皇祖
皇宗ノ後裔(こうえい)ニ貽(のこ)シタマヘル統治(とうち)ノ洪範(こうはん)ヲ
紹述(しょうじゅつ)スルニ外(ほか)ナラス
而(しか)シテ朕(ちん)カ躬(み)ニ逮(および)テ時(とき)ト倶(とも)
ニ挙行(きょこう)スルコトヲ得(う)ルハ洵(まことに)ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威霊(いれい)ニ倚藉(いしゃ)スルニ由(よ)ラサルハ無(な)シ
皇朕(わ)レ仰(あおぎて)テ
皇祖
皇宗及
皇考(こうこう)ノ神祐(しんゆう)ヲ祷(いの)リ併(あわ)セテ
朕カ現在及将来ニ臣民(しんみん)ニ率先(そっせん)シ此ノ憲章(けんしょう)ヲ
履行(りこう)シテ愆(あやま)ラサラムコトヲ誓(ちか)フ庶幾(ねがわ)クハ
神霊(しんれい)此(こ)レヲ鑒(かんがみ)ミタマヘ


御告文A


現代語訳 (文責在詠山史純)

告文
皇朕(われ=明治天皇)は謹んで、皇祖皇宗(神武天皇および歴代天皇)のご神霊
にお告げ申し上げます。
皇朕(われ)は、いつまでも続いて行く天地のように、いつまでも続く広大な
計画に従い、ご神霊の皇位を継承し、これまでの国土と伝統文化を維持し続け、
決して失墜することの無きように致します。
歴史を顧みて、世の中の進歩、向上に連れ、人倫の発展を更に進めるに当たり、
皇祖皇宗が残して下さいました訓戒を明らかにした憲法を作ります。
皇室典範と憲法を制定して、その条章を明示し、皇室では子孫がこれらの規則
から外れないようにし、国民には、天皇を補佐する道を広めて、皆が助け合い、
永遠に憲法に従わせるようにして、益々国家統治の基礎を強固にし、国民の
生活の幸福を増進致します。
その為に、ここに皇室典範及び、憲法を制定致します。
深く顧みるに、これはみな皇祖皇宗が子孫に遺し給われた統治の模範に従い、
行動することに他なりません。
そして、皇朕(われ)の代に成って、憲法を制定出来るのは誠に皇祖皇宗及び、
先帝(孝明天皇)の有り難いご神威に依るものです。
皇朕(われ)は仰いで、皇祖皇宗及び、先帝(孝明天皇)のお助けを祈願し、
併せて、皇朕(われ)の現在及び将来に、国民に率先して、この憲法を実行
して、これを誤ることの無いようにすることをお誓い致します。
願わくば、ご神霊よ、この誓いに照らし合わせて、皇朕(われ)を導き給え。


明治憲法発布C


●天壌無窮(てんじょうむきゅう)
天地とともに永遠に続くこと。

●宏謨(こうぼ)
広大な計画。 宏図(こうと)。

●惟神(ただかみorかんながら)=随神
神代のまま。 神の思し召しのまま。
人為の加わらない神代から伝わって来た神の御心のまま。

●宝祚(ほうそ)
天皇の位。 皇位。 宝位。 おおみくらい。

●率由(そつゆう)
前例から外れないようにすること。 

●臣民(しんみん)
君主国に於いて、君主の支配の対象となる人々。
明治憲法下に於ける、天皇・皇公族以外の国民。

●翼賛(よくさん)
力を添えて助けること。 天皇の政治を補佐すること。

●紹述(しょうじゅつ)
先人の業を受け継いで、それに従って行うこと。

●皇考
在位中の天皇が亡くなった先代の天皇を言う語。

●倚藉(いしゃ)
依ること。 頼ること。


明治憲法発布2


大日本帝国憲法は旧プロセイン王国の憲法を参考にしつつも、日本の国柄を
尊重し、日本の伝統と外来の制度を調和させ、明治天皇が皇室典範と共に
完成したことを皇祖神にご報告為され、自らが率先して、憲法を遵守される
ことを誓われた後、時の内閣総理大臣黒田清隆に授けられたのである。

大日本帝国憲法下に於ける天皇は専制君主で、天皇主権であったと一概に
西洋の概念では捉え切れない、日本の歴史が織り成す特殊な君臣の関係性がある。
また、その根底には過去から現在、未来へと、連綿と繋がる万世一系の皇統、
そして、ご歴代天皇と共に日本に生きた我々の祖先たち、その連続体の中に
今を生きる今上天皇も我々国民も在るという時間的観念がある。
宗教的信仰を持つ者が、常に神々や仏のご照覧を感じて、日々暮らしている
のと同様の意識である

従って、日本国の憲法は、祭祀王としての天皇が国民に示される欽定憲法こそが
相応しいのである。





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2013/07/13 19:44 | 憲法COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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