世界に核廃絶を訴えることは、日本の使命なのか? …被爆国の使命という倒錯した発想

 2013-08-07
世界に核廃絶を訴えることは、日本の使命なのか? 

…被爆国の使命という倒錯した発想



日本は、世界で唯一の原子爆弾被爆国である。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、米軍の戦略爆撃機B-29
スーパーフォートレス(エノラ・ゲイ号)に依って、原子爆弾リトルボーイ
(ウラン型)が広島市に投下され、上空600mで炸裂した。
広島市の人口約35万人の内、爆心地から1.2kmの範囲では、その日の内に
50%の人が死亡し、同年12月末までに更に14万人が死亡したと推定されて
いるが、死者数に就いては正確に把握出来ていない。

広島への投下から3日後の、昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、
米軍の戦略爆撃機B-29 スーパーフォートレス(ボックスカー号)に依って、
長崎市に原子爆弾ファットマン(プルトニウム型)が投下された。
同年12月末の集計では、7万3884人が死亡、7万4909人が負傷となっている。


ウラン広島型原爆

リトルボーイ

ファットマン1


核兵器は悪魔の兵器である。
その悪魔の核兵器で無差別攻撃を被った広島、長崎の未曾有の地獄絵図。
人類史上、これほどの惨禍は無かったはずである。
そして、戦後の日本には、「世界で唯一、核爆発の惨禍を説明出来る被爆国で
ある日本には、世界に核廃絶を訴える使命がある」と主張する人の如何に多いことか。
しかし、被爆国である日本政府及び日本国民が、何故に、何者から、自国の
安全保障を非現実的に放擲し、自国民の生命と財産、領土を危険に曝してまで、
世界からの核兵器廃絶という使命を背負わされねばならぬのか。
啓示宗教の狂信的ミッションではあるまいし、被爆国が負わねばならぬ「義務」や
「責任」などあろうはずがないではないか。

そうではなくて、本来は、核兵器の惨禍を知っている世界で唯一の被爆国で
あるからこそ、絶対に3発目の核兵器攻撃を受けたくないが為に、世界で唯一、
核武装する「権利」を有する国家であると考えるのが常識的なのではないか。
核兵器に依る報復攻撃手段を持たぬ国家は、核攻撃を誘発するのである。
中国、北朝鮮、ロシア、アメリカと、核弾頭ミサイルの射程を日本列島に
合わせた一党独裁国家と超大国の核武装国家群に囲まれている地政学的現実
を直視すべきなのである。

日本共産党系の日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)などはその総会で
「憲法第9条を活かすことこそ、被爆国の使命」などと決議している。
日本共産党は非核武装どころか、常備軍の必要も無いと主張しているほどで
あるからして、要するに第4インター方式で外国勢力に日本を侵略させて、
己らが傀儡政権を樹立したいだけのことなのである。




エノラ・ゲイのクルー

ポール・ペデッツ大佐


原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)石室前面に刻まれた碑文
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の「過ち」は誰が犯した
ものであるかに就いて、「碑文論争」と呼ばれる議論があった。
戦後日本の思潮では、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と反日左翼の
摺り込み通り、多くの日本人は、「日本が戦争を起こした結果、原子爆弾を
投下されたのであるから、戦争を起こした日本政府が悪い。
日本が戦争を起こしさえしなければ、将来に亘って戦争は起こらない。
日本が非武装でありさえすれば、その『公正と信義を信頼出来る、平和を愛する
国民を有する』周辺の支那人や朝鮮人の国家群は攻撃して来ない。
日本が核武装さえしなければ、日本が核兵器攻撃を受けることは無い」と
考えているようである。
碑文の前に立つ一人一人が「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と、
原子爆弾の犠牲者に対して立てる誓いであるという。
しかし、原子爆弾を実戦で投下した、当のアメリカ合衆国の国民の意識には、
そんな殊勝な考えなど露ほども無い。
この碑文は明らかに「日本人の過ち」として、書いてある。


広島死没者慰霊碑石室の碑文2


東京裁判(極東国際軍事裁判)に於いて、唯一公正な判断を下されたインドの
パール判事が昭和27年(1952年)、この碑文に就いて、「原爆を落としたのは
日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と語った。
これに対して、碑文を書いた雑賀忠義広島大学教授は、
「広島市民であると共に、世界市民である我々が、過ちを繰返さないと誓う。
これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり、良心の叫びである。
『原爆投下は、広島市民の過ちではない』とは、世界市民に通じない言葉だ。
そんなせせこましい立場に立つ時は、過ちを繰返さぬことは不可能になり、
霊前でものを言う資格は無い」との抗議文を送ったという。
この反論は、明らかに詭弁を弄している。
戦後、公職追放を受けることなく、国立大学の教職に就いていたことは、
GHQ公認の左翼人という証である。
現在、碑文の主語は「世界人類」「世界市民」という誤魔化しで、落ち着いて
いるようである。

「日本人が犯した過ち」は、大東亜戦争を戦ったことではない。
大東亜戦争に負けたことこそが、「日本人が犯した過ち」であった。
核攻撃を可能にさせたことが、「日本人が犯した過ち」であった。
「過ちは繰り返しません」と言うならば、次に戦争が起きた時には、
決して敗北しないことである。
二度と核攻撃を許さないということは、日本を核攻撃すれば、核兵器での報復
が予想され、相手国に日本への核攻撃を躊躇わせるだけの国防体制整備こそが、
日本政府の国民に対して、果たすべき責務である。
日本が世界で唯一の被爆国であるからと言って、何も日本政府が世界人類に
対して、核兵器廃絶の責任を負っている訳ではない。


ヒロシマ

広島3


今年4月、スイス・ジュネーブで2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議
に向けた第2回準備委員会が開催され、南アフリカ共和国が「核兵器の人道的
影響に関する共同声明」を発表し、「広島、長崎への原爆投下や核実験に依って、
甚大な被害が齎された」「如何なる状況下でも、核兵器が再び使用されないことが、
人類生存の利益になる」「核兵器が再び使われないことを保証する唯一の手段は
核廃絶である」と訴えたが、日本政府はこの共同声明に賛同しなかった。
また、昨秋の国連総会で「核兵器を非合法化する努力」を促した共同声明に、
日本政府は安全保障政策に合致しないとして、賛同しなかった。

この日本政府の判断に対し、日本のマスコミは、「唯一の被爆国である日本が
賛同しなかった対応に世界は落胆し、国内外の批難と失望を招くと報じた。
そして、「日本政府が核兵器廃絶を掲げる一方で、米国の核の傘下で核抑止力に
頼る安全保障政策を取り続けることは矛盾している」「核兵器廃絶の日本の使命を
放棄した愚行である」と批判した。
日本のマスコミは「核抑止力に頼らない非核外交」とやらがお好きなようであるが、
支那人や朝鮮人のならず者国家群相手に、そんな空虚なお題目が通用するとでも、
正気で考えているのか、それとも、反日左翼お得意の例の第4インター方式を
意図的に遂行しているお積りか。
日本が国防で丸裸、振るチンになることが、世界に核兵器廃絶を訴えるべき、
唯一の被爆国である日本の使命であるというが、全く正気の沙汰ではない。
意識的なのか、無意識的なのかは知らぬが、発想自体が非現実的で、夢想的で
倒錯しているとしか言いようがない。


広島2

被爆当日の御幸橋西詰め


人類は既に核兵器技術を開発してしまったのである。
「人類と核兵器は共存出来ない」という向きもあるが、現に核兵器の出現後
68年間、実戦に於ける3度目の核爆発は回避している。
爆発させない核兵器とであれば、人類は共存出来る。
戦国時代に世界有数の鉄砲所有国であった日本が、江戸幕藩体制に於いて、
武家が銃器を放擲したことを、核兵器廃絶の可能性を語る譬えにする西洋人が
いるが、大いに的を外している議論である。
核兵器を根絶することは、人類には不可能である。

広島型原爆には、90%以上の高濃縮ウラン235が約15kgは必要で、
長崎型原爆には、94%以上の兵器級プルトニウム239が5kgは必要とされる。
しかし、ウラン型爆弾にせよ、プルトニウム型爆弾にせよ、全てが核分裂した
訳ではなく、実際には臨界量の10%~20%だけが核分裂を起こし、大部分は
核分裂しないまま飛散したという。
高い効率でウラン、プルトニウムを核分裂させるには技術的限界があることから、
更に大きな破壊力を得る為に、水素爆弾が開発された。
原子爆弾が核分裂反応で生じるエネルギーを利用するのに対し、水素爆弾は、
重水素やトリチウムなど、水素の同位体や、リチウムなどを核融合させて
出来るエネルギーを利用している。

昭和29年(1954年)、アメリカがビキニ環礁で行った実験の水素爆弾は、
約15メガトン、広島型原子爆弾940倍の威力があった。
昭和37年(1962年)、旧ソ連がノバヤゼムリア島で行った実験の水素爆弾は
58メガトンで、広島型原子爆弾の3,600倍の威力があった。
戦術核であれば、いざ知らず、1、2発の戦略核ミサイル攻撃を受けたが最後、
とてものこと、日本は耐えられるものではない。


エノラ・ゲイ帰投

エノラ・ゲイ クルー当日


正直なところ、私は何れ日本が核攻撃を受けるであろうことを予想している。
都心に狙いを定めた戦略核ミサイルの射程が逸れ、首都圏近郊に落下する。
何も、特別な占術を用いてのことではない。
乏しい知識の集積と、単なる第六勘に依る推察に過ぎない。
日本国は、人で表現すれば、「悲劇の天才」に似ているのである。


核爆発1






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