華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 パンプキン爆弾(1万ポンド軽筒爆弾)…長崎型原爆ファットマン投下リハーサル用模擬爆弾

パンプキン爆弾(1万ポンド軽筒爆弾)…長崎型原爆ファットマン投下リハーサル用模擬爆弾

パンプキン爆弾(1万ポンド軽筒爆弾)

…長崎型原爆ファットマン投下リハーサル用模擬爆弾



昭和20年(1945年)8月9日、長崎に投下された原子爆弾ファットマンは、
直径60インチ(約1.52m)、全長128インチ(3.25m)、ラグビーボールの
ような楕円形の特殊な形状をしていた。

広島に投下されたリトルボーイは砲弾型の形状で、核物質にウラン235を
使用したが、ファットマンはプルトニウムを使用した。
プルトニウムは濃縮の必要は無いものの、核分裂性の同位体が幾つもあり、
同位体に依って臨界質量が違うことから、砲弾型では核物質の一部しか
核分裂を起こさず、爆発が不安定であるという。
そこで、砲弾型より速いスピードで核物質を臨界に至らせる必要から、
プルトニウムの周囲に爆薬を配置し、同時に爆発させることで、
プルトニウムを圧縮し臨界に至らせる爆縮の方法が採られた。
爆縮の必要性から、極めて特殊な楕円形の形状となったとのことである。

リトルボーイの場合は、通常の大型爆弾に近い砲弾型の形状であることから、
爆撃機から投下した時の弾道特性や慣性能率などの落下予測は出来たが、
前例の無い形状のファットマンの場合は、投弾データ収集の為の投下実験や、
爆弾投下後の爆撃機の速やかな回避行動など、投下リハーサルが必要であった。


パンプキン2

ファットマンの構造

テニアン1


昭和19年(1944年)秋、原子爆弾投下の為の特殊爆撃部隊である、
第509混成部隊が結成され、4.5トンの原子爆弾を搭載出来るように特別な
改造を施された戦略爆撃機B-29 スーパーフォートレスが15機配備された。
この部隊の作戦任務報告書は公式記録から削除され、戦後30年間、機密扱い
とされていた。

第509混成部隊の投下訓練用に、ファットマンとほぼ同一の形状、重量に
調整された模擬爆弾「パンプキン」が116発製造され、配備された。
正式名称は「1万ポンド軽筒爆弾」で、TNT火薬を主成分とした高性能爆薬
1万ポンド(453.59g×10000)を充填したタイプと、コンクリート混合物が
充填されたタイプの2種類があり、総重量は約4.5トンであった。




テニアン基地1

パンプキン4


パンプキンの投下目標は、原爆投下候補地であった京都市、広島市、新潟市、
小倉市の「周辺地域4エリア」が指定され、原子爆弾投下候補都市自体は、
原子爆弾の破壊力を正確に観測する目的で、爆撃禁止地域に指定されていた。
昭和20年(1945年)7月20日から、原子爆弾投下後の8月14日、終戦の
前日まで、16回の出撃で30都市に49発投下された。
この他、1発は海上投棄されたことから、終戦時にはテニアン基地に66発の
パンプキンが残存していた。
この66発は機密保持の為、海底に破棄されたとのこと。

B-29 スーパーフォートレスは高高度性能に優れた戦略爆撃機で、原子爆弾
投下に際しては、爆発から回避する為に高度1万mの飛行が必要なことから、
投下訓練も同一条件で行われた。
高度1万mを飛行するB-29を迎撃出来るだけの、高高度性能に優れた
戦闘機も、有効射程1万mの高射砲も日本軍には無かったことから、第509
混成部隊の15機は、1機も撃墜されることは無かった。


パンプキン6

パンプキン7

パンプキン5 愛知トヨタ挙母工場


哀しい哉、この原子爆弾投下の予行演習として、実戦に投入された超大型爆弾
パンプキンの空襲に依って、死者約400人、負傷者約1200人、計1600人もの
犠牲が記録されている。

パンプキン爆弾は、長崎型原爆ファットマン投下リハーサル用模擬爆弾で、
第509混成部隊の行った爆撃は実戦とは言え、投下実験であった訳であるが、
そもそも、広島と長崎への原子爆弾投下自体が、戦勝をほぼ手中に収めていた
米国にとっては、戦況の必要性からの止むを得ぬ核攻撃ではなく、核実験と
しての位置付けであったことは明白である。
その証拠に、ネバダ核実験場を管轄している米国エネルギー省ネバダ事務所が
発行している刊行物「公表された米核実験」の中で、太平洋戦争末期に実施
された広島、長崎への原子爆弾投下が「核実験」として記載されていることが、
平成5年(1993年)に明らかになっている。


原爆実験


余談であるが、第509混成部隊のB-29「ストレートフラッシュ」の機長、
クロード・イーザリー陸軍航空軍少佐は、パンプキン爆弾の実戦投下訓練の
初日、7月20日に気象状況から郡山市への爆撃を変更し、昭和天皇の爆殺を
目論んで、皇居を標的に投下したが、実際には呉服橋付近に着弾した。
当初の作戦計画では、「ストレートフラッシュ」が、広島への原子爆弾搭載機に
指定されていたという。
米軍では皇居への攻撃は禁止していたことから、この命令違反で「ストレート
フラッシュ」は任務を外され、気象観測機に変更された。
8月6日の広島への原子爆弾投下作戦では、原子爆弾搭載機「エノラ・ゲイ」に
先行して、テニアン基地を出撃し、広島上空の天候を観測、爆撃可能との判断
を打電したという。

昭和21年(1946年)7月、ビキニ環礁で行われた核実験クロスロード作戦の内、
高度158mで爆発させたエイブルテストで、クロード・イーザリー少佐は
航空機での大気中の放射性降下物調査で被曝、翌年の1947年に除隊。
退役後、強盗事件を数回起こし、精神病院に入院、酒に溺れ、喉頭癌で声を
失い、妻にも逃げられ、クロスロード作戦で被曝した日と同日の7月1日に
59歳で死没したという。
彼は、広島と長崎への原子爆弾投下作戦に参加した軍人で唯一、「原子爆弾投下
は誤りであった」と述べている。


クロード・エザリー1

ストレイトフラッシュ
          戦略爆撃機B-29 スーパーフォートレス「ストレートフラッシュ」

クロスロード作戦 エイブル
               クロスロード作戦 エイブルテスト

クロスロード ベーカーテスト
               クロスロード作戦 ベーカーテスト



スポンサーサイト

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/08/09 02:54 | 歴史随想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP |