華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 サイン盗みこそ、正しく野球である …情報伝達の禁止は、野球にそぐわない

サイン盗みこそ、正しく野球である …情報伝達の禁止は、野球にそぐわない

サインを盗んで、何処が悪い!
 
サイン盗みこそ、正しく野球である

…情報伝達の禁止は、野球にそぐわない



8月19日に戦われた、全国高校野球選手権準々決勝、対鳴門戦での8回表、
花巻東の攻撃中、二塁走者だった千葉翔太中堅手がバッターの多々野将太三塁手
に対し、キャッチャーの構える位置を合図したとして、球審に注意を受けた。

このことで、インターネット上では、
「花巻東の千葉翔太君は、卑怯なサイン盗みというルール違反を犯した」と、
手酷いバッシングを受けているが、これらの批判は甚だ見当外れである。

日本高校野球連盟審判規則委員会の周知徹底事項の「マナー」の項目に、
「走者やベースコーチなどが、捕手のサインを見て、打者にコースや球種を
伝える行為を禁止する。
もしこのような疑いがある時、審判員はタイムをかけ、当該選手と攻撃側
ベンチに注意を与え、すぐに止めさせる」とあり、二塁走者であった千葉君
のアクションがこの事項に抵触するとして、球審から注意を受けた訳である。

千葉君への「卑怯なサイン盗みというルール違反を犯した」という批判であるが、
第一に、野球で相手チームのサインを見破り、相手の戦法を予測し、伝達し
合って、その裏を掻き、相手の攻勢を封じるというのは立派な戦術、戦略で
あって、決して「卑怯」な行為ではない。
後述するが、むしろ、如何にも野球に相応しい戦い方なのである。

第二に、千葉君が「サイン盗みをした」と言うが、千葉君が伝えたとされる
のは、サインではなく、相手キャッチャーのミットの位置である。

第三に、「サイン盗み」自体は禁止されていない。
禁止されているのは、見破ったサインの内容を塁上のランナーや第三者が
動作などでバッターに伝達する行為である。
サインというものは、相手チームに見られることを前提に作られている。
キャッチャーにしても、相手監督のサインを見ているではないか。
サイン盗みが禁止されていないからこそ、盗まれることを防ぐ為にサインを
複雑な組み合わせにし、サイン体系自体をも頻繁に変えているのである。
そのサインを見抜くのも、野球選手に求められる重要なセンスの一つである。

第四に、千葉君は「ルール違反」を犯したのではなく、「マナー違反」の疑い
があるとして、球審から注意を受けたのである。
野球に限らず、ルール違反を犯した場合に、ペナルティが課せられない競技はない。
千葉君が抵触した疑いがあるとされたのは、日本高校野球連盟審判規則委員会の
周知徹底事項「マナー」の項目である。

そもそも、選手間の情報伝達を禁止していることが間違っているのである。
それをルールと言うならば、そのルールが間違っているのである。
サインを盗み、それに依って得た情報を選手間で伝達し合う行為を禁止する
規則を作ること自体、野球という競技にはそぐわないのである。


千葉君27

千葉君26

千葉君28

千葉君31


全国高等学校野球選手権大会である「夏の甲子園」の主催者は、朝日新聞社と
日本高等学校野球連盟である。
大正4年(1915年)、第1回全国中等学校優勝野球大会として、大阪の豊中
グラウンドで開催されたのが、全国高等学校野球選手権大会の始まりである。

朝日新聞社は今でこそ、この素晴らしき「夏の高校野球」の主催者であるが、
明治44年(1911年)には、新聞紙上で22回に亘り、「野球とその害毒」との
野球批判のネガティブ・キャンペーンを展開したのである。
この「野球害毒論」とも、「野球有害論」とも呼ばれる論陣を張った中で、
最も有名な人物は当時、旧制一高校長であった新渡戸稲造ではなかろうか。

新渡戸稲造博士曰く、
「私も日本の野球史以前には、自分で球を縫ったり打棒(バット)を作ったりして、
野球をやったこともあった。
野球という遊戯は、悪く言えば、巾着切りの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、
計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる
遊びである。
故にアメリカ人には適するが、イギリス人やドイツ人には決して出来ない。
野球は賤技なり、剛勇の気無し」

※巾着切り(きんちゃっきり)とは、スリ(掏摸)の手口の一つ


この新渡戸稲造博士の野球害毒論に対し、野球擁護の論陣を張った、
冒険小説作家の押川春浪は、「もし、敵の虚を窺い、隙に乗ずるを以て、
巾着切り的遊技と言うがごとき、博士の論法を用いんには、撃剣、柔術、庭球、
蹴球、競走等、何れか巾着切り的遊技にあらざる。
博士の言うが如くんば、自ずから競技という文字は絶対に破壊せらるべし」
と批判した。

そもそも、野球とは、競技者に狡賢さ、抜け目の無さという要素も求められる、
謂わば、狡っ辛い競技という一面も持つのである。


大正時代の野球2

大正時代の野球1


「千葉翔太中堅手がサイン盗みをした」と批難されている。
「サイン盗み」とは、如何にも聞こえの悪い表現である。
何事に於いても、「盗み」は悪いことと決まっている。

しかし、野球用語には、「塁を盗む」という表現がある。
「ランナーを刺す」「ランナーを殺す」「刺殺」という表現もある。
「捕殺」、「併殺」、「死球」、「憤死」、「犠牲」と如何にも物騒な言葉が並ぶ。


私の大好きな映画に、「春の珍事(IT HAPPENS EVERY SPRING)」という
野球コメディ映画がある。
1949年制作のハリウッド映画で、ロイド・ベーコン監督作品、
主演はレイ・ミランド、その恋人役はジーン・ピーターズである。

レイ・ミランドは、化学研究者である大学教授の役を演じる。
この教授は、授業中にもラジオを教壇に隠し、授業そっちのけで、野球の
ラジオ中継に夢中になるほどの野球好き。
ある日、そんな彼が研究室で実験をしていると、グラウンドで野球をしていた
学生の打球が飛び込んで来て、机上の試験管を何本も滅茶苦茶に壊してしまい、
試験管の中の液体が混じり合ってしまった。
この偶然に混じり合ってしまった液体が、木を避ける性質の液体であることを
発見した彼は、野球のボールに塗れば、バットに当たらないことに気が付いて、
大リーグの投手になって、活躍するという愉快なストーリーである。
しかし、この液体は偶然に配合された結果なので、二度と同じものは作れない。
その量には限りがあったことから…。

レイ・ミランドは、大リーグで活躍していることを、恋人のジーン・ピーターズ
には秘密にしていた。
彼から手紙は来るが、何をしているのかは教えて貰えない。
そこで、彼女は手紙が投函された都市に行ってみると偶然、駅で彼を見付けた。
彼はチームのメンバーと共に、遠征に出掛ける為に駅の構内にいたのであるが、
そんな彼らの会話を盗み聞きした彼女はビックリ仰天する。
何故なら、彼らの交わす会話には「殺す」やら、「盗む」やら、物騒な言葉が
飛び出すので、彼女はてっきり彼がギャングになったと誤解してしまう。
このように、野球用語というものは、そもそもが物騒な表現なのであるから、
「塁を盗む」選手も、「サインを盗む」選手も、卑怯な悪者ではないのである。


横浜対PL


平成10年(1998年)の夏、8月20日の準々決勝は、横浜対PL学園で
戦われ、横浜が延長17回の激戦を制し、9対7で勝利を収めた。
この試合は、高校野球史上に燦然と輝く名勝負であったと言える。
横浜のエース、松坂大輔投手(3年)は250球を投げ切った。
PL学園のエースは現在、日本テレビアナウンサーの上重聡投手(3年)。

この試合、怪物と称された程の松坂投手が、妙にヒットを打たれた。
PL学園がレベルの高いチームであることを勘定に入れても、それにしても、
随分とヒットを許した。
実はこの試合、情報戦としてもハイレベルな戦いが展開されていたのである。

PL学園の3塁ランナーコーチは、小山良男捕手の捕球の癖を見破っていた。
小山捕手は、松坂投手のストレートを受ける時は普通の捕球の構えであったが、
変化球を受ける時には、片足を地に付けるという癖があった。
これを見抜いたPL学園の3塁ランナーコーチは、松坂投手の投球の度に、
ストレート、変化球を意味する「狙え~」「行け~」などの暗号を決めておき、
打者に指示を与えていたのである。

更に驚くべきことには、横浜ベンチの控え選手がこのPL学園のサインを
見破り、監督に進言、監督は直ちにバッテリーに伝令を送って、このことを
伝えたのである。
横浜とPL学園、この両チーム共に、何とハイレベルな野球チームであった
ことか、感嘆せずにはいられない。
このハイレベルな情報戦を、卑怯なプレー、ダーティーファイトと受け取る
ような野球ファンはいるのであろうか。


前橋育英対延岡学園1


Number Web「甲子園の風」に、こんな記事が掲載された。
「前橋育英と延岡学園の美しき決勝」
「両校が見せたクリーンファイトの爽快」

「勝利に固執し過ぎ、様々な問題が出てきた高校球界。
昨今の高校球界では、さまざまな問題が噴出してきている。

勝利に固執するあまり、相手を思いやる気持ちに欠けるプレーを行うチームが
増えている。
今春のセンバツでは、ホームのクロスプレーでメジャーリーガーばりの
タックルをお見舞いしたチームがあったし、今大会でもサイン伝達などが
問題となった。
そんな中で、決勝戦は実にクリーンファイトだった」

「クリーンファイト」は当然、その対極に「ダーティーファイト」があること
を前提としている。
筆者は、花巻東の野球がダーティーファイトであると断定しているではないか。
そして、その「クリーン」の根拠であるが、「延岡学園の捕手に、前橋育英の
一塁コーチャーがコールドスプレーを掛けて、手当てしてやった」
「打者がキャッチャーのマスクを拾ってやった」
「キャッチャーがバットを拾ってやった」
「この試合では、そうした相手を思いやる姿勢が随所に表れていた」
ということである。

しかし、そんなことは、花巻東の選手たちも当たり前にやっている。
花巻東の選手たちの礼儀正しさは、折り紙付きなのである。
いい加減な認識で以って、花巻東を馬鹿にしないで貰いたい。

筆者は、「勝利に固執し過ぎ、様々な問題が出てきた高校球界」と言うが、
試合後、敗者を整列させ、勝者の栄誉を称え、勝者の校歌を聴かせるという
勝利至上主義の屈辱を味あわせているのは、何処の何奴かと言いたいものである。


野球ボール1






スポンサーサイト

テーマ : 思うこと - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/08/25 01:26 | 岩手県賛歌COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP |