華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 伊勢神宮正殿は何故、ささやかなのか?…本質的には社殿さえも必要としない

伊勢神宮正殿は何故、ささやかなのか?…本質的には社殿さえも必要としない

伊勢神宮正殿は何故、ささやかなのか?

        …本質的には社殿さえも必要としない



宗教集団というものは今も昔も、巨大な建造物を造りたがるものである。
古くは奈良時代の東大寺(金光明四天王護国之寺)の盧舎那仏(るしゃなぶつ)、
通称「奈良の大仏」の大仏殿、南大門を初めとする大伽藍から、現代の怪しげな
新興宗教の巨大宗教施設まで、内実を伴わぬ巨大な建造物が建築される。


東大寺


伊勢神宮の正殿は「唯一神明造り」と称される建築様式で、その基本構造は
丸柱を地中に埋め込む「掘っ立て式」、大棟から両側に流れる二つの斜面から
出来ている山形の直線的な切妻造り(きりづまづくり)形式の屋根、出入り口
が大棟と平行の側面に設けられ、古代の穀物倉庫から発展した「平入り型」、
檜(ひのき)の素木(しらき)を組み上げ、屋根は萱葺きという質朴さで、
太古の姿を現代に伝承している。


内宮y


伊勢神宮(天津神)は、出雲大社(国津神)と共に天下の二大双璧にして、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を祀る皇大神宮(こうたい
じんぐう)、通称内宮(ないくう)と、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を
祀る豊受大神宮(とようけだいじんぐう)、通称外宮(げくう)の2つの正宮、
14社の別宮、摂社、末社、所管社等125 社で構成される集合体であり、
日本の総氏神、日本第一の宗廟である。
その天下無双の聖地である伊勢神宮の正殿にして、正面三間11.18m、側面二間
5.45m、高さ10.3mという、ほんのささやかな小屋程度の建物であるのは、何故か。

それは、神社の本質はそもそもが「ご神霊の占有空間」にあり、極論すれば、
形状的には、何も無い只の土地を御垣(みかき)で囲っただけでも充分に
その意義を果たすからである。
古代日本では「社(やしろ)」や「神社(もり)」は建造物を意味するもの
ではなく、一定の区域を聖なる神域として、人間が立ち入ることを禁じた
「ご神霊の占有地」という意味であった。
原初の神社には、社殿は存在しなかったのである。


聖域の境界5


古代の日本人は、「此処はご神霊をお迎えし、お祭りするに相応しい清浄な場所である」と、
本能的な直感力で霊地を選び、その場所の周囲に常磐木(ときわぎ=常緑樹)を立てて、
ご神霊に降臨して頂く聖なる領域と、人間が暮らす俗なる領域とを峻別したのであろう。
そして、その神域にご神霊の宿られる石や木や山自体を依代(よりしろ)として設定し、
ご神霊をお招きし、祭りを行い、祭りを終えれば、またお戻り頂くという
「神籬磐座(ひもろぎのいわくら)」の形態で祭祀(おまつり)を行っていたであろうことが
推察される。
縄文時代、弥生時代と推定される遺跡群から、神道に繋がると推察される祭りの形態である
祭祀遺跡が発掘されている。


鎮守の森6


平安時代中期に編纂された格式(=律令の施行細則)である延喜式(えんぎしき)の
神祇官関係の巻では、「神社」を「かむつやしろ」と訓んでいた。

この「社(やしろ)」は「屋代(やしろ)」であり、また「時間的にも空間的にも、
伸びやかに満ち亘る」という意味の「弥(いよいよ、ますます)」に「城(しろ)」で、
「弥(や)+城(しろ)」の「やしろ」である。

「社」は形状的には、何も無い只の平地でも良かったのである。
「鎮守の森」と言って、神社には森が付き物であるが、それは人が立ち入ることを
禁じられた聖なる領域であったが為に、自ずと樹木が生えて、結果的にこんもりと
繁った森になったということなのである。

神社の本質からすれば、玉垣(神社の周りに廻らせた垣根=瑞垣《みずがき》)や
鳥居、注連縄(しめなわ)などを設けて、ご神霊が占有する聖なる空間の境界を
明らかにしておきさえすれば、何も殊更、常設の建造物は必要としないのであるが、
仏教伝来後、仏教寺院の大伽藍建築の影響を受けてしまい、社殿を設けた
今日の神社形態へと大きく変貌を遂げたということなのである。






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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/09/21 04:10 | 天神地祇COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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