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伊勢神宮式年遷宮の心 …古代文化無限再生の営み

 2013-09-22
伊勢神宮式年遷宮の心 

           …古代文化無限再生の営み



伊勢神宮式年遷宮の制度は、今から約1300前に第40代天武天皇が発意為され、
天武天皇の皇后であった、第41代持統天皇に依って、690年に皇大神宮の
第1回目の遷宮が行われた。
以来、戦国時代に中断はあったものの、20年に1度繰り返され、今年の遷宮は
第62回目となる。

式年遷宮で新たに造営される殿舎は、両宮正殿の後方東西に配される宝殿、
外幣殿(げへいでん)、瑞垣(みずがき=社殿の周囲に設けた垣根)を初め
四重の御垣(みかき)、鳥居、御饌殿(みけでん)、14別宮など諸々の殿舎
計65棟に及ぶ。
また、式年遷宮では、約800種1600点に上る装飾品や調度品、神宝なども
資材、技法など古式に則って制作され、総べて一新される。


内宮l


20年を1サイクルと定め、殿舎を造り替える式年遷宮制が定められたのは一体、
如何なる理由に依るのであろうか。
神宮の殿舎は、地面に穴を掘り、そのまま埋め立てる礎石の無い掘っ立て柱と、
萱葺き屋根を特徴とすることから、その耐久年限は短い。
しかし、単に木造建築物の朽損を式年遷宮制定の主たる理由とは言い難い。

何故ならば、式年遷宮の制度が定められた時期には既に、現存する世界最古の
木造建築である奈良の法隆寺が7世紀初頭に造営されていたからである。
つまり、神宮の殿舎を耐久性重視の工法で建築しようと意図すれば、技術的には
法隆寺伽藍同様に半永久的な正殿建築は可能であったということである。
しかし、外来宗教である仏教同様の選択はしなかった。
その大和心が、日本民族の神道の神道たる所以である。


明治30年代
               明治30年代の内宮正殿


古代日本人の生活様式である神道の基本理念では、清浄を重んじる傾向が強く、
禊(みそぎ)と祓え(はらえ)の観念が特徴的である。
禊とは、身体に付着した汚穢(おわい)を除去し、清浄にすることである。
祓えとは、心の穢れ、御魂の穢れを除去し、浄化することを意味する。
ご神霊に祈る立場としては、ご神霊に罪穢れを祓って頂くには、身を清め、
素直な心でお祀りしなければならないという観点から、禊・祓えの観念を
捉えた方が良いと思われる。
この禊と祓えの観念は、裏を返せば、罪穢れに塗れようとも、罪穢れを祓えば、
生命の輝きを取り戻し、リフレッシュ出来るという「甦り」、「再生」の思想を
意味しているのである。

神宮の殿舎も同様に、20年毎に瑞々しい古代原初の姿を甦らせ続けて行くと
いうことなのである。
神宮の殿舎が、20年毎に生まれ替わるという再生の発想である。
不朽の建築物に永久を託すのではなく、太古の姿を再現し続ける造替の営みに
依って、永遠性を確保しているのである。
三島由紀夫はその著「文化防衛論」の中で、神宮式年遷宮の本質に就いて、
「持統帝以来59回に亘る20年毎の式年造営は、いつも新たに建てられた
伊勢神宮がオリジナルなのであって、オリジナルはその時点において
コピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルに
なるのである」と述べている。


明治天皇1


明治天皇には「いにしへの姿のままにあらためぬ 神のやしろぞたふとかりける」
との神宮式年遷宮を詠まれた有名な御製(ぎょせい)がある。

明治時代には、2年、22年、42年の3回、遷宮が行われた。
日露戦争を遂行していた、明治37年7月のこと。
当時の芳川顕正内務大臣と田中光顕宮内大臣から「式年造営の古法改正」に
就いての上奏があったという。
改正対象は、明治42年の第57回式年遷宮以降であったことになる。
両大臣は「遷宮の用材の確保が難しくなっていることから、今度の遷宮では、
掘っ立て柱の伝統工法を改め、柱下に礎石を置き、コンクリートで固めれば、
200年の耐久年限を確保出来、その間に用材の檜を育成することが出来るとの
合理化案を明治天皇に提示した。

この上奏に対し、明治天皇は、「近年、建築法が進歩し、そういうことを言い
出す者が必ず出てくると思っていたが、それは大変な間違いである。
神宮は、我が国固有の建て方である。
これを見て、建国の古いことを知り、祖先があのような質素な建物で立ち居
されたことも分かる。
現在のこの建て方は、永世不変でなくてはいけない。
建築法が進歩したからと言って、煉瓦とかコンクリートで造るべきではない」
と仰せになり、両大臣の提案を退けられたという。
これぞ、当に皇祖皇宗のご意思、ご遺訓である大御心(おおみごころ)を
具えられた、明治天皇のご明察と感嘆せずにはいられないご立派さである。
神宮式年遷宮の理念は、日本民族の誇るべき英知と言えるのである。

また、明治天皇は、「大材が足らないなら、御扉(正殿の扉)なども一枚板で
なければいけない訳でもない。 継ぎ合わせて、形を整えれば良い。
それに、材は檜に限らない。他の木でも差し支えない。
そうすれば、大材が不足することはない」とも仰せになられたという。
明治天皇は皇祖皇宗より継承されたその大御心で、神宮式年遷宮の心を
ご理解為さっていらっしゃったのである。
不遜な物言いではあるが、真に明治大帝と称されるに相応しいご見識を
お持ちの天皇様で在られたとつくづく感心させられるものである。







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