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ジェファーソン・デイヴィスの論考の一節 …パール判決書に引用された一文

 2013-10-03
ジェファーソン・デイヴィスの論考の一節 

…パール判決書に引用された一文



アメリカ南北戦争(American Civil War 1861年~1865年)終結後、
旧南軍(アメリカ連合国軍)のアンダーソンヴィル捕虜収容所に於ける、
北軍(アメリカ合衆国軍)捕虜への虐待行為に就いて、軍事裁判が開かれ、
収容所の責任者であったヘンリー・ワーズ(Henry Wirz)大尉(1823年-
1865年)は、南北戦争で戦争犯罪を問われ、死刑に処せられた唯一の人物
として、絞首刑に処された。


南北戦争1


裁判での絞首刑宣告後、収監中のワーズ大尉に北部の有力政治家から使者が
派遣され、「元南部連合大統領のジェファーソン・デイヴィス(Jefferson Davis)も
捕虜虐待に加担していたと証言してくれれば、死刑を取り止めるが…」との
申し出があったが、彼は「そんな嘘は吐けない」とその司法取引を拒否し、
1865年11月10日、首都ワシントンで衆人環視の中、絞首刑に処された。


ワーズ処刑1


ジェファーソン・デイヴィス(1808年-1889年)は米国陸軍士官学校
(ウェストポイント)出身のエリート軍人、政治家であった。
1844年、ミシシッピ州選出の下院議員に当選するも、1846年にメキシコとの
米墨戦争が勃発すると議員を辞職、ミシシッピ州の義勇軍(州軍)に志願し、
ミシシッピ・ライフル兵連隊の義勇軍大佐として、前線で活躍。
デイヴィスは戦後、政界に復帰、1861年1月、連邦上院に於いて、ミシシッピ州
代表として、連邦からの分離を宣言し、議員辞職した。
デイヴィスは南軍の義勇軍少将として、ミシシッピ州軍の指揮官に任命され、
1861年2月、「連合国憲法制定会議」(実質的なアメリカ連合国の準備政府)の
要請を受諾し、南部連合の暫定大統領に就任した。
南部戦争当時の人口は、北部2200万人、南部900万人、内400万人が奴隷。
動員数は北軍156万人、南軍60万人で、死者62万人。
1865年4月3日に南部の首都リッチモンドが陥落、9日に南部連合軍司令官
ロバート・リー(Robert Lee)将軍が降伏し、南北戦争は事実上、終結した。
1865年5月、デイヴィスはバージニア州ハンプトンのモンロー砦に収監され、
国家反逆罪の審議が行われたが、1869年に起訴は取り下げられた。



          ジェファーソン・デイヴィス(1808年-1889年)

JD大統領就任式
        ジェファーソン・デイヴィスの南部連合(アメリカ連合国)
        大統領就任式 1861年2月


デイヴィスは81歳で亡くなる前年の1888年、ワーズ大尉の冤罪を実証的に
論証する捕虜虐待問題の論考を書いた。
その論考の中で、ワーズ大尉の汚名がいつかは雪がれるであろうと書いた。

When time shall have softened passion and prejudice, when Reason shall
have stripped the mask from misrepresentation, then, justice, holding evenly
her scales, will require much of past censure and praise to change places.

「時が、熱狂と、偏見を和らげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を
剥ぎ取った暁にはその時こそ、正義の女神はその天秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに、その所を変える事を要求するであろう」


南部連合軍の戦死者を追悼する女性団体であるUDC「南部連合の娘たち
(The United Daughters of the Confederacy)」は1908年、ワーズ大尉の
鎮魂の為、アンダーソンヴィルに記念碑を建立し、その第4面にデイヴィスの
上記の言葉が刻まれた。


Wirzモニュメント
          The Wirz Monument アンダーソンヴィル


昭和23年(1948年)11月12日、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決が下った。
11人の判事の内、唯一の国際法の専門家であったインド代表のラダ・ビノード・
パール判事は、極東国際軍事法廷が下した判決に対し、英文で1275ページにも
及ぶ反対意見書(Dissentient Judgement)を提出し、東京裁判は勝者が敗者を
一方的に裁いた、国際法に違反する復讐であるとしてその違法性と、起訴の
非合理性を主張した。
※このパール判事の「反対意見書」は一般に、「パール判決書」と呼ばれている。


パール判事は、南北戦争に於けるワーズ裁判と、大東亜戦争に於ける東京裁判
に類似性を見て取り、ジェファーソン・デイヴィスの言葉を反対意見書の中に
引用したに相違ない。

"When time shall have softened passion and prejudice, when Reason shall
have stripped the mask from misrepresentation, then, justice, holding evenly
her scales, will require much of past censure and praise to change places."と、
引用符「” ”」が用いられているのは、その所為である。


靖国神社内の顕彰碑
                  靖国神社内のパール判事顕彰碑

京都護国神社内の顕彰碑
                  京都護国神社内のパール判事顕彰碑






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コメント
パラシュート様

初めまして。
詠山史純です。
私の拙文をお読み下さり、誠にどうも有難うございます。
過分なお褒めの言葉を頂戴致しまして、甚だ恐縮です。f(´∀`;)
折がございましたら、どうぞ、またお越し下さいませ♪
【2014/02/20 23:35】 | 詠山 史純 #- | [edit]
百田さんのツィートからこのサイトに入りました。
このサイトの記事は日本人全てに見てもらいたいと感じました。
必ず、日本人の力に成る
大変勉強になりました。
ありがとうございました。
【2014/02/20 12:20】 | パラシュート #- | [edit]












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