帝国憲法四方山話⑤ …副署の大臣たちは、愛しき碌でもない奴ら

帝国憲法四方山話⑤ 

…副署の大臣たちは、愛しき碌でもない奴ら



大日本帝国憲法は、明治22年(1889年)2月11日に公布された。
明治天皇の御名御璽の後に、輔弼を意味する国務大臣の副署が行われた。

内閣総理大臣 黒田清隆(薩摩)
枢密院議長  伊藤博文(長州)
外務大臣   大隈重信(佐賀)
海軍大臣   西郷従道(薩摩)
農商務大臣  井上 馨(長州)
司法大臣   山田顕義(長州)
大蔵大臣
兼内務大臣  松方正義(薩摩)
陸軍大臣   大山 巌(薩摩)
文部大臣   森 有礼(薩摩)
逓信大臣   榎本武揚(旧幕臣)

副署の大臣10人中、薩摩閥が5人、長州閥が2人、土佐閥、佐賀閥、旧幕臣
各1人であった。

副署を行なったのは、長州の吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、
吉田稔麿でもなければ、薩摩の西郷隆盛、大久保利通でもない。
近代憲法制定は、立憲君主国家樹立という歴史を画する大偉業であったが、
その憲法に副署を行なった大臣たちの顔触れを見ると、随分と碌でもない奴ら
のオンパレードで、突っ込みどころ満載の場違いな印象を受ける。


大臣の副署


薩摩の黒田了介は、戊辰戦争で見事な戦い振りを見せた好漢であったが、
大の酒乱で、妻清の斬殺を疑われるわ、小樽沖で軍艦の大砲を撃っ放し、
高嶋村の娘を一人死なせるわと、とんでもない薩摩っぽであった。

長州の伊藤俊輔は、欧州での憲法調査でウィーン大学のローレンツ・フォン・
シュタイン博士から、日本の歴史、文化、伝統に基づいた立憲体制を作るべき
ことを学んで来たところは立派であったが、閣議の席にも芸妓を侍らせたと
いう逸話を残すほど、女に汚く、そこら中に子種を撒き散らしたという女狂い
の碌でもない奴であった。

いつでも何処でも、スタンドプレーがお得意だった佐賀の大隈八太郎。

薩摩の大西郷の七光りで立身出世した、弟の西郷信吾、従兄弟の大山弥助。

鹿鳴館建設で有名であるが、金と女、両方に汚かった、長州の井上聞多。

戊辰戦争では見事に奮戦し、「日本の小ナポレオン」と讃えられたほどの軍人で、
日本大学の前身である日本法律学校や国学院大学の前身である國學院を創設
したのは立派であったが、幕末の京都市中、新撰組の巡察隊を見掛けると、
怖くて、怖くて、とりわけ、土方歳三が恐ろしくて、仲間と共に蜘蛛の子を
散らしたかのように、慌てて路地に逃げ込んでいたという若造であった長州の
山田市之允。

島津久光の側近だったお陰で立身出世した、薩摩の松方助左衛門。

慶応元年(1865年)に英米に留学し、明治維新後に帰国と、戊辰戦争を経験
せずに美味しいところだけ頂戴して、立身出世した薩摩の森金之丞。

幕府にオランダ留学させて貰い、戊辰戦争では箱館の五稜郭で、蝦夷共和国を
樹立、総裁の地位に就いたが降伏後、薩長閥に仕え、福澤諭吉に「瘠我慢の説」
で批判された旧幕臣の榎本釜次郎。


明治憲法発布13


大日本帝国憲法は、明治23年(1890年)11月29日に施行された。
その翌年の明治24(1891)年、ロシア皇帝アレクサンドル3世の長子で
あった皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ (後のニコライ2世
=最後のロシア皇帝)がロシア海軍艦隊を率い、 シベリア鉄道建設委員長として、
ウラジオストックでの 極東地区起工式典に向かう途中、日本を訪問した。
そのロシア皇太子ニコライが、京都から琵琶湖への日帰り観光を楽しみ、
宿舎の京都・常磐ホテルへの帰り道、琵琶湖湖畔の大津で、警備(護衛)の
一巡査津田三蔵に人力車越しに頭部を切り付けられ、軽傷を負う事件が起きた。
世に言う「大津事件」である。

この大津事件に当たり、大審院長児島惟謙 (こじま これかた)は、皇室罪を
適用し、死刑に処すべしとの強大な政治介入を排除し、津田三蔵に謀殺未遂罪
に依る無期徒刑を宣告させ、司法権の独立を守り通した。
児島は「三権分立の理念」を説き、明治政府側の非立憲的発想に依る皇室罪の
適用は、大日本帝国憲法を損ない、裁判史に汚点を残すと考えたのであった。
このことに依り、児島は、「護法の神様」「護法の巨人」と称えられ、我が国の
司法史上に燦然と不滅の光を放ち、また海外でも大きく報じられ、国際的に
日本の司法権に対する信頼を高めたと評価されている。


明治憲法発布11


大日本帝国憲法では、第5章司法で「司法権の独立」が保障してあり、第2章
臣民権利義務で、臣民の権利を保障して、第23条「日本臣民ハ法律ニ依ルニ
非ズシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」 と規定してあった。
また刑法第2条には、「法律ニ正条ナキ者ハ何等ノ所為ト雖モ之ヲ罰スルコトヲ
得ズ」との明文があったのである。

それにも拘わらず、憲法に副署した大臣たちの大津事件への対応が余りにも
酷過ぎた。
「恐露病」と揶揄(やゆ)されたほどの松方正義首相、山田顕義法務大臣、
西郷従道内務大臣らは、ロシア公使シェービッチに「如何なる事態になるか
判らない」と恫喝され、津田三蔵への死刑適用に奔走した。
伊藤博文に至っては、津田三蔵死刑に反対する意見がある場合、戒厳令を
敷いてでも、断行すべきであると主張した。
こんな碌でもない連中がどの面下げて、大日本帝国憲法に副署したのやら。0050 (2)

幕末に活躍した勤皇の志士の内、一流の人物達は幕末の動乱、萩の乱や
西南戦争など明治初期の段階でこの世を去り、生き残った二流三流の人物たち
が明治政府の顕官として、栄耀栄華に浴したのであるからして、このような
体たらくであった訳である。
麗しき我が国は、こうした愛しき碌でもない奴らが作り上げて来たのである。回るカエルちゃん





日本国憲法第2章第9条の由来 …マッカーサー元帥の理想
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-256.html

日本国憲法前文 …何故、かくも日本語文章が稚拙なのか?
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-257.html

マッカーサー憲法(コミンテルン憲法)は最初から無かったことにすれば良い
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-385.html

虚妄の日本国憲法第9条 …支那、朝鮮の「公正と信義」は信頼に足るか?
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-386.html

帝国憲法四方山話① …占領政策基本法は失効させるべき
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-389.html

帝国憲法四方山話② …日本には欽定憲法こそが相応しい
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-392.html

帝国憲法四方山話③ …憲法発布勅語…歴史的連続性の認識
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-397.html

帝国憲法四方山話④ …上諭(じょうゆ)
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-451.html





スポンサーサイト

コメント


トラックバック

GO TOP