スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

機能を追及したフォルムは美しい⑤…岩手県が誇る伝統工芸品・南部鉄器の鉄瓶

 2013-10-21
機能を追及したフォルムは美しい⑤ 

…岩手県が誇る伝統工芸品・南部鉄器の鉄瓶




南部鉄器とは、旧南部藩主の城下町盛岡市を中心とした地域で生産される
鋳造の鉄器を指す。
盛岡周辺地域は、古くから砂鉄、川砂、粘土、漆、木炭の豊富な材料資源と、
北上川の水運の便に恵まれ、鋳物生産に最適な条件の揃った土地柄であった。
鋳造とは、鋳型に溶解した鉄を流し込んで作る製法で、釜や鉄瓶、花器は主に
伝統工芸品に指定されている焼型法で、また鍋や風鈴など大量生産するものは、
主に生型法で生産される。

明治時代以降、海外の万国博覧会などでも高い評価を受けた、岩手県が世界に
誇る伝統工芸品の南部鉄器には、江戸時代に南部盛岡藩の保護育成の下で、
茶の湯釜、鉄瓶を中心に盛岡で発達した系統と、伊達仙台藩領であった水沢で、
日用品の鋳物を中心として発達した系統との2系統で形成されている。


南部鉄瓶9


戦乱の世が治まり、天下泰平の世となった江戸時代、茶道に造詣の深かった
28代南部藩主重直は、盛岡近辺は北上川流域を中心に室町時代以来、製鉄が
盛んに行われ、良質の鉄等の原材料を産出することから、茶の湯釜の製作を
思い立ち、藩内の鋳物師とは別に、万治2年(1659年)京都出身の釜師、
初代小泉仁左衛門(小泉五郎七清行)を召し抱え、茶の湯釜を作らせたのが
南部釜の起源であると言われる。
延宝年間(1673~81)の頃、初代小泉仁左衛門は盛岡に移り住み、黒木山の鉄、
北上川の砂鉄を原材料として、鋳造を始めた。
その後、3代目仁左衛門が1750年頃、茶の湯釜を小振りにして改良した鉄瓶を
創作したのを初めとして、種々の南部鉄器が制作されるようになり、庶民にも
広く普及した。
初代小泉仁左衛門は南部藩の御用釜師で、茶の湯釜の製作が本業であったが、
現存する延宝7年(1679年)の時鐘を始めとして、種々の製作を行なった。
また、前述の通り、3代目仁左衛門は茶釜を改良した南部鉄瓶の創始者であり、
4代目仁左衛門は、大砲の鋳造技術を江戸で学んだ。
5代目小泉仁左衛門の時代、高橋家の祖である初代高橋萬治が独立を許され、
店を構えた。


盛岡城下鳥瞰絵図

盛岡31


盛岡の鋳物は、慶長年間(1596年-1615年)、盛岡藩主南部氏が盛岡城を築城
した頃に始まったと言われている。
以後、歴代藩主の庇護の下、藩の鋳物の受注は小泉家、有坂家、鈴木家、藤田家
の四家が担い、南部鉄器の伝統技術を継承し、大いなる発展に貢献した。
有坂家は京都の出で、7代目の時代に甲州(山梨)に移住、13代目の時代、
盛岡に移住した。
鈴木家は甲州の出で、寛永18年(1641年)に、南部藩に召し抱えられた
鈴木縫殿家綱を祖とし、特に梵鐘や燈籠などの大作を得意とした。
正保3年(1646年)には、盛岡城の時鐘を製造し、幕末には大砲も製造した。
藤田家は甲州の出で、2代目が盛岡に移住し、後に南部藩に召し抱えられた。
特に鍋類を得意とし、その品質の良さから「鍋善」と呼ばれたという。


南部鉄瓶11


大正3年(1914年)第43代当主南部利淳が南部鉄器の品質向上を目的として、
旧藩邸内の盛岡市愛宕山南麓に南部鋳金研究所を設立した。
明治32年(1899年)に東京美術学校(現東京芸術大学)鋳金科を卒業し、
東京で活躍していた旧家老職家出身の松橋宗明が帰郷後、南部鋳金研究所所長
に招かれ、所員には高橋家の高橋萬治など、優秀な技術者たちが集められた。
高橋萬治は、南部鉄器の技法伝承者であると共に、卓越したセンスに恵まれた
デザイナーでもあり、その素晴らしい作品群から、「理論」の松橋宗明に対し、
「実践」の高橋萬治と賞賛される。
南部鋳金研究所では鉄器の品質に関する規定を定め、高橋萬治ら所員の品質
審査に合格した作品にのみ、登録商標の貼付を許可したことから、良質の南部
鉄器が市場に出回るようになった。

因みに、高松池畔に設置された約3.3mの横川省三銅像は、高橋萬治の鋳金に
依る作品である。


盛栄堂1

盛栄堂2

盛栄堂6


明治時代には、旧南部藩領の盛岡と旧伊達藩領の水沢の鋳造業者間で技術交流
が進み、昭和30年代に至って、南部、水沢の両地で作られた鋳物を総称して、
南部鉄器と呼ぶようになった。
両者の良好な関係から、昭和24年(1949年)設立の南部鉄器協同組合と、
昭和29年(1954年)設立の水沢鋳物工業協同組合は、昭和34年(1959年)に
連合して、岩手県南部鉄器協同組合連合会を設立し、共同の利益の保護と増進、
南部鉄器鋳造業界の振興と発展を図っている。
昭和50年(1975年)、南部鉄器は伝統工芸品として、栄えある全国第1号の
指定を受けている。


絵柄 盛栄堂10

絵柄 盛栄堂11


南部鉄器は、岩手県民の気質を反映してか、質実剛健のイメージが強く、
重厚感のある味わいの着色が特徴であるが、その鋳肌は繊細である。
茶の湯釜や鉄瓶のデザインは日本的な伝統美そのもので、また描かれている
様々な絵柄や美しく並んだ粒々が描き出す霰(あられ)の文様が素晴らしく、
温かみと共に、極めて高い芸術性を感じさせる伝統工芸品である。
現在でも昔ながらの伝統的技術を受継ぎ、焼型、乾燥型の鋳型作り、紋様押し、
肌打ち、漆仕上げなどの技法で、一つ一つ手作りで生産しているという。
さすがは、陸奥(みちのく)の小京都と称えられる文化圏、南部盛岡の長い
歴史が育んだ、見事な伝統工芸品である。

お茶好きの私が愛用している急須は、友人から戴いた水沢の盛栄堂さんの製品、
小振りの可愛い南部鉄瓶である。
内側にはホーロー加工が施してあるので、残念ながら、鉄分は溶出しない。


南部鉄瓶10


盛栄堂刻印


可愛い拍手






スポンサーサイト
タグ :
コメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
【2013/12/08 10:17】 | 履歴書のダウンロード #- | [edit]












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/tb.php/462-caf89f9f
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。