華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 機能を追及したフォルムは美しい⑦…ノースアメリカンP-51ムスタング

機能を追及したフォルムは美しい⑦…ノースアメリカンP-51ムスタング

機能を追及したフォルムは美しい⑦ 

           …ノースアメリカンP-51ムスタング



ノースアメリカンP-51 Mustang(ムスタング)は、第二次大戦に於ける
レシプロ戦闘機(レシプロエンジンでプロペラを回す戦闘機)の最高傑作と
称賛され、全型式を通し、14,820機が生産された名機である。
P-51とはアメリカ陸軍サイドの呼称で、「駿馬」を意味する「ムスタング」は
イギリス空軍サイドの呼称。
アメリカ陸軍航空隊では当初、「アパッチ」と名付けたとのことであるが、
その時点では既にヨーロッパ戦線で「ムスタング」との名称が定着していた
ことから、それに倣ったという。

P-51は歴史的名機であるが、A型、B型、C型へと進化を経て、最終的に
あの子持ちししゃものような、特徴的なD型のフォルムに到達するまで、
少々手間取ったようである。
更に、D型の諸問題を改善した対日戦線用H型は、2000機発注されたが、
日米戦争の終結でキャンセルされ、555機の生産に止まった。
アメリカ空軍最後のP-51は1957年(昭和32年)に退役。


p51mustang FromBoeingCom
P-51D型

子持ちししゃも
子持ちししゃも

bf109 38
メッサーシュミットBf-109

bf109 37
メッサーシュミットBf-109


1939年(昭和14年)、ヨーロッパでは既に第二次世界大戦の戦端が開かれ、
イギリ空軍の航空機不足は深刻な状態で、イギリスはアメリカに対し、航空機
のライセンス生産を委託することにした。
航空機製造の老舗であるカーチス社は、アメリカ陸軍の発注分で手一杯である
との事情から受注を辞退、1928年(昭和3年)設立で、1930代から航空機を
製造していた新進気鋭のノースアメリカン社に発注依頼することとなった。
ノースアメリカン社はその時点で戦闘機開発の実績は無かったものの、1935年
(昭和10年)に開発したNA-16 練習機(AT-6/SNJ テキサン)が傑作機との
高い評価を受けていた。

イギリス空軍は当初、ノースアメリカン社に対し、カーチスP-40のライセンス
生産を打診したのであるが、ジェームス・キンデルバーガー社長の、「旧式化
しつつあるP-40のライセンス生産ではなく、P-40と同じ液冷エンジンである
アリソン・エンジン搭載でも、P-40より高性能な、自社で開発中の新型戦闘機
の生産をと逆提案した。
1号機を 120 日以内に完成させるとの条件で、1940年(昭和15年)4月に
契約が交わされた。


P-51A 1
P-51初期型


アリソン・エンジン


ロールスロイス社製マーリン・エンジン

マーリンエンジン1
ロールスロイス社製マーリン・エンジン


ノースアメリカン社での社内呼称 NA-73 と呼ばれた、この新型機の開発は、
ドイツ空軍の主力戦闘機メッサーシュミットBf109の設計に参加していた
ドイツ系ユダヤ人のエンジニア、エドガー・シュミートの主導で行なわれた。
NA-731号機の工場からのロールアウトは1940年(昭和15年)9月9日で、
契約の120日以内どころか、102日という短期間で、ノースアメリカン社は
1号機を完成させた。
戦時増産に追われるアリソン・エンジンの調達の遅れから、初飛行は1940年
(昭和15年)1月26日に延期され、そのテスト飛行に於いて、ベル P-39
エアラコブラ、カーチスP-40ウォーホーク を凌ぐ高性能を発揮したという。
イギリス空軍はこのNA-73の制式採用を決定し、「ムスタングⅠ型」と命名、
初期発注320 機に加え、300 機を追加し、計620機を発注した。
当時、アメリカでは、外国向けに新型機を開発した場合はアメリカ軍に2機
譲渡する事が法制化されていたことから、2機のNA-73がアメリカ陸軍に
無償提供されたが、当初は全く注目されなかったようである。


P51A型
P-51A型

P51B型
P-51B型

P51C型
P-51C型


イギリス空軍に配備された初期型のムスタングⅠは高度3000m程度であれば、
ドイツ戦闘機と互角に渡り合えたものの、搭載されていたアリソン・エンジンが
非力であったことから、高度4000mを超えると極端に性能が劣化したとのことで、
当初は低高度用の戦闘爆撃機として運用された平凡な機体であった。

しかし、イギリス空軍のテストパイロットがロールスロイス社のマーリン・
エンジンに換装することをイギリス空軍省に上申したことから、テスト飛行
したところ、劇的に性能が向上し、最高速度は695km/hを記録したという。
そこで、イギリスは自動車メーカーのパッカード社に、マーリン・エンジンの
ライセンス生産を依頼した。

因みに、ゼロ戦21型の最高速度は533.4km/h(高度4,550m)ゼロ戦52型の
最高速度は564.9km/h(高度6,000m)であった。
日本の戦闘機が最高速度を出しても、巡航速度で飛行するP-51にさえ
追い着けなかったという。

アメリカ陸軍はヨーロッパ戦線でのムスタングの活躍で初めて、NA-73に
注目し、テスト飛行の結果、当初は空戦には不向きと判断し、偵察機仕様の
F-6A(後にP-51 に改称)を57機採用、1942 年(昭和17年)4月には、
爆撃機仕様のP-51を対地攻撃機 A-36Aとして少数機を採用、8月に至って、
遂に戦闘機仕様のP-51A型を発注するに至った。
全型式を通して、最終的に14,820機が生産された。


ムスタングD4
P-51D型

ムスタングD11
P-51D型

ムスタングD2
P-51D型

ムスタングD10
P-51D型

ムスタングD1
P-51D型


P-51は、C型までと、D型以降では、その外観が大きく異なる。
C型までは、空気力学的に優れた機体形状であるマルコムフードと呼ばれる
ファストバック式のキャノピー(風防)が採用されていたが、後方の視界不良
という空戦での弱点があったことから、機体後部上面を削り落とし、空気抵抗
は増大したものの、視界の良い枠無しの水滴型キャノピーに改良した。
因みに、このキャノピーはノースアメリカン社製ジェット戦闘機F86セイバー
にも採用されている。
また、P-51の特徴である機体下部のラジエターの出っ張りは、P-51A型以降、
大きくなり、機首の形状はP-51B型以降、気化器インテイクが機首上面から
プロペラスピナー直下に移され、機首下面に装備されていた同調機銃も省略
された。
改良が重ねられ、優秀機となったP-51D型は、7,837 機が量産された。

P-51D型の武装は、主翼に12.7mm機銃×6丁
(内側2丁各400発、外側4丁各270発)
P-51D型は、増槽使用時で3700km以上に達する航続能力を持っていた。
(ゼロ戦21型は増槽使用、巡航速度で3,350km)
日米戦争末期、P-51はその長大な航続能力を生かし、陥落した硫黄島の飛行場
から発進し、サイパン島やテニアン島、グアム島から出撃する戦略爆撃機B-29
スーパーフォートレス編隊の護衛に随伴し、高高度での日本機の迎撃を寄せ付けず、
行き掛けの駄賃にと、日本本土を我が物顔で無差別に機銃掃射して帰って行った。


ムスタングD7

米軍の航空基地1

硫黄島上空1
硫黄島上空のP-51D編隊

硫黄島航空基地1
硫黄島航空基地のP-51D戦闘機部隊


P-51D型の弱点として挙げられるのは、軽量化が不充分であったという点で、
イギリスの主力戦闘機、スーパーマリン・スピットファイアよりも1t重かった。
また、胴体燃料タンクに燃料を充填している状態では機体のバランスが悪く、
空戦禁止の措置が取られていたという。
機体の形状からする弱点としては、機体を横転(バンク、ロール)させる時に
使う補助翼(エルロン=主翼の動翼)が低速では利きが悪かったとのこと。
高速域に優れているだけに、低速域は苦手であったようで、失速し易かったようである。
空戦に於ける問題点としては、腹部に大きなラジエターを抱えていたことから、
対空砲火に脆弱で、地上攻撃時に損害が多かったという。

そもそも、P-51の設計はドイツ空軍の主力戦闘機メッサーシュミットBf109の
設計に参加していたドイツ系ユダヤ人のエンジニア、エドガー・シュミートの
主導で行なわれただけに、機体の形状がBf109に似ていたことから、味方の
対空砲火の誤射事故が多かったとのことで、P-51D型で水滴型のキャノピー
への換装と同時に機体の迷彩塗装を止め、メタリカルなクリアドーブ塗装で、
トレードマークとなったピカピカに輝く機体になったという経緯がある。
クリアドーブ塗装にしたのは、P-51D型への改良で、増大した空気抵抗を軽減する
対策であった可能性もある。


F15&P51
F-15とP-51

F16&P51
F-16とP-51

P-51 の胴体と主翼を流用した双発戦闘機として、P-82 ツイン・ムスタングが開発されたが、
フォルムは美しくない。


ツインムスタングP82

P82 A

P82ツインムスタング









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テーマ : デザイン - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/11/02 08:36 | アートCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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