華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 護法善神説という妄説…仏教は大和民族の宗教ではない

護法善神説という妄説…仏教は大和民族の宗教ではない

護法善神説という妄説…仏教は大和民族の宗教ではない

…1400年間に亘る仏教勢力の日本神道侵食



我が国には太古の昔から、素朴な自然崇拝から始まったと考えられる固有の
民族宗教である神道(しんとう)がある。
「神道」という言葉は中国語で「易経」にあり、「霊妙不可思議な自然の法則」
という意味である。
「神道」という言葉は奈良時代、仏教に対抗し、「日本書紀」に初めて
用いられた用語であって、本来は「古道(こどう)」という。
外来宗教である仏教は、飛鳥時代の552年(538年説あり)に伝来したが、
日本人はその「仏」なるものを、日本の神々と同質の存在と認識し、
「蕃神(となりのくにのかみ)」として、受容した。

おそらくは、縄文人の「ミ(神・霊)や、チ(霊)、タマ(魂・魄・霊)、
モノ(物)、ケ(怪)、ヌシ(主)」などへの精霊崇拝、弥生人の「八百万
(やおよろず=数が極めて多いことを意味する)の神々」への崇拝を原初に
持ち、教祖や経典、教義を持たぬ神道は、仏教勢力拡大の格好の餌食として、
いとも容易く取り込まれたであろうことは想像に難くない。
うなずく

古代出雲大社500
古代出雲大社想像図


★神身離脱説 

仏教勢力の神道侵食は先ず、「神身離脱説」という大法螺から始まった。
「日本の神々も人間と同じように、輪廻の中で煩悩に苦しんでいる身であり、
仏法に依って救済される。
日本の神々は、神身を離れて、仏法に帰依し、その迷い、苦しみから逃れる
ことを願っている」というものである。
随分と居丈高な態度に出て来てくれたものだが、神をも救済して下さるという
「仏」の実体とは、一体全体、何者だというのだろうか。
実に馬鹿馬鹿しい妄説なのであるが、神宮寺、神護寺などと称する、
神社に附属した寺院は、このような名目の下に建立されたものであり、
日本の神々の神前で仏教経典の読誦が為されたというのである。


ブラフマー300
          ブラフマー(梵天)


★護法善神説 

次の段階では、日本の神々が仏法を守護するという「護法善神説」が説かれた。
この説の発端は、インドの仏教指導者が、一介の人間に過ぎなかったゴータマ・
ブッダを、超人的存在であると宣揚する為に、アーリア人系やドラヴィダ人系
のインド人が崇拝していた、インド最古の聖典「リグ・ヴェーダ」に於ける
最高位の武神で、バラモン教、ヒンドゥー教の神である帝釈天(インドラ)や、
バラモン教、ヒンドゥー教では世界創造神、神々の頂点に立つ最高神である
梵天(ブラフマー)までもがブッダを崇拝し、仏法に帰依し、その他のインド
諸神も挙って、それに倣い、仏法の守護神になったほど、それ程にまでブッダ
は偉大であると大法螺を吹いたことに起因する。

仏教で言うところの「天」とは、「神」を意味する。
バラモン教、ヒンドゥー教から取り入れた神々の殆どが天部(天界)に存在
するものとして、仏教世界の守護神とされた。
特に、阿修羅と戦う勧善懲悪の神とされる帝釈天は、仏教世界の中心にある
という須弥山(しゅみせん)の頂上に棲み、バラモン教の最高神、梵天は
有頂天に棲み、共に仏教を守るというのである。
しかし、そもそも、この妄説はバラモン教、ヒンドゥー教から取り込んだ神々
の仏教教義体系内部での位置付けの問題であって、本来は日本神界の神々には、
些かも関わり合いの無い大法螺話なのである。

日本の仏教徒が神々に守って欲しいと言うならば、どうぞご勝手にバラモン教や、
ヒンドゥー教の神々に守って貰えば良いではないかという話である。
清涼なる日本神界の神々を、穢れた仏教なんぞに巻き込むなという話である。


インドラ300
          インドラ(帝釈天)


★本地垂迹説 

平安時代に至り、仏教勢力の増長もピークを迎え、遂に「本地垂迹説」なる
戯言が登場した。
仏・菩薩は日本の神々の真の姿(本地《ほんち》)であり、八百万の神々は、
仏・菩薩が衆生を助ける為に仮の姿(垂迹《すいじゃく》)、つまり権現
(ごんげん)となって、日本の地に現われたものであるというのである。
この様に、日本の神々は、仏なるものを優位とした関係性で、仏教に取り
込まれ、「神仏習合」と呼ばれる特異な信仰体系が構築されたのだ。

この神仏習合時代は1868年(慶応4年=明治元年)、明治維新政府が神社神道
を国家の宗祀とする政策として、神仏判然令(神仏分離令)を布告したことに
依って、一応の終焉を迎え、全国規模で展開した廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
という仏教排斥運動を経ても尚、神仏習合の思想自体は、極端には衰えること
なく、現代の日本人の精神構造にも影響を及ぼし続けていると言える。


僧形八幡神像300
          僧形八幡神画像

(八幡大神の本地(真の姿)は阿弥陀如来で、その垂迹(仮の姿)したもの
 とする視座から、八幡大神が僧侶の姿に描かれたという戯けた話である)


★諸天善神説という妄説 

日本神界の神々は、虚空会の儀式なんぞとは100%無縁である!

日本の仏教界に於いては、特に日蓮系法華宗では護法善神を「諸天善神」と
呼ぶが、日蓮の文字曼荼羅に天照大御神と八幡大神のご神名が書かれている
(私は敢えて、「勧請」とは表現しない)ことから、日本神界の神々が法華経に
書かれている虚空会の儀式に参加し、法華経の信者を守るとブッダに誓約した
という真っ赤な大嘘を吐き続けなければ、教義の整合性が保てないという事情
を抱えているだけに、護法善神説という妄説を後生大事に維持しなければなら
ない仕儀と相成る。


日蓮一党は世界中に広まっているとのことであるが、日本人以外の日蓮信者が
礼拝の対象とする文字曼荼羅の座配はどうなっているのか?
まさか、天照大御神と八幡大神のご神名が書かれたままではあるまいな。
ユダヤ教圏、キリスト教圏、イスラム教圏に配布する文字曼荼羅には、
唯一神の「ヤハウェ」と書いてあらねば、理屈に合わないのである。
それとも、世界の果てまで、天照大御神と八幡大神のご足労願う気か?
いい加減、己らの教義体系の不整合に気が付いても良い頃ではないのか?

可愛い音頭取り





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テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/12/26 16:20 | 天神地祇COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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